ロボット・ドリームズのレビュー・感想・評価
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純愛かと思ったらNTRだった
はじめに所感を述べると薄めて平たく伸ばした秒速5センチメートルのような映画でした。
感動作と聞いて見てみればあまりの酷さに拍子抜け、こんなものが感動作と言われていることに愕然…
まず雰囲気のために無声映画にしたのだろうがそれにしては音楽の主張が強すぎて雰囲気ぶち壊しでうるさい上に曲数が少ない。またその曲?ってなる。音楽流しとけばエモい感じになるだろって怠慢を感じた。
次に良い話にするにはノイズのモブたち。
劇中の生々しい性格の悪さのモブたちが気になりすぎて「ロボットと犬さんかわいそう…」より「なんなんだアイツら」って気持ちが勝る。
犬と心から分かり合えるのはロボットだけ!って展開にしたいのかと思ったがそうではないし何のために描写したのかさっぱり。
社会風刺的な描写をしたかったのかもしれませんが半端なものならやらない方がマシです。
道中はペラッペラなので話すこと無し。ただロボットと犬が露悪的な世界にいじめられる様子を見せられ、フラストレーションが溜まるだけ。
オチはNTRです。
諦めがついたのかもしれないけどすぐに別のロボットを買って楽しそうにしてるのはちょっと…
ロボットが犬のこれからを尊重するハッピーエンドに見えるけどそれでいいのか感がやばいです。自分はとりあえず踊らせとけばハッピーになるだろみたいな投げやり感を感じました。
ラジカセのボディにされてアライグマの好きな曲のカセットを入れられてるのはNTR味が強くてそういう意図があってやってるのかと思うほどでした。
総評として演出ストーリー音楽全てが中途半端の三流映画です。展開と描写がチグハグでなにを表現したいのか、なにを伝えたいのか分からない。
気になったところ(一部抜粋)
・わざわざ主役を犬にした意図は?
・なぜわざわざ「オズの魔法使い」を実名で出したのか、意図があるのか?話をなぞってるようには思えなかった。
・ロボット自体は一般に流通してそうなのに他をほとんど見かけないのはなぜ?
・犬の諦めの早さ、もう少し足掻け。なぜ海から砂浜へ回らなかったのか?水兵や回収業者の描写的にまだ手段はあったはず。警官にも大人しく捕まるんじゃなくて説得してみてくれよ。
・犬の海に対しての熱量はなんなんだ。あんなことがあったのにまたロボットを海に連れて行くのはなに考えてるのか理解できない。
こういう映画、好き!
久々に映画館で泣きまくった。声を殺して、ハンカチに顔を埋めて泣いてたら、ハンカチがちょっと臭いことに気づいた。
まず何と言ったって、音楽がいい。
私の一番好きな洋楽、セプテンバー!!
だってね、歌い出し"Do you remember?"なんよ!もうこの映画に最高にピッタリじゃん。わたしもピアノで弾けるようになりたいって思った。
そしてこの映画タイトル、ロボットを買う夢って意味かと思ってたけど、そうじゃなくて、ロボットが見る夢ってことなのかな。
たくさんの夢の中が出てきて、めっちゃポップだけどめっちゃ現実的。ディテールがすごい。二頭身のポップさでは表せないディテール。ちょっとしたことなんだけど、例えば、急いで家のドア開ける時ってチェーン外し忘れがちだよねとか、ご飯食べててチーズめっちゃ伸びたら立っちゃいがちだよねとか、取るに足りないけどちゃんと生活って感じがして良かった。
あと、雪だるまがジュース吸ったらかき氷になるよねきっと、とか犬がキャップ被ったら垂れ耳は収納するよねきっと、とかまあ、現実にはないけどあるとしたら確かにそうだよねってニヤニヤしちゃった。
ストーリーのラストは、なんで?友達なら声かければいいじゃん!!!ってめっちゃ思ったけど、きっとそんな単純な感情じゃないんだろうな。お互いにもう大切な人がいて、でも過去の思い出はいつまでもキラキラと心の中で輝いているんだよね。
ララランド?花束みたいな恋をした?いろんな映画を思い出しちゃったよ。
友情映画だと思っていたんだけど、ロボットと主人公の間には、友達以上の厚みがあるのかしら。
とにかくいい映画だった!泣こうと思ってなかったのにめっちゃ泣いちゃった!
なんてったって人間関係はまず笑顔と視線と視線を合わせること!って再認識!
切ない映画だが、それを超越する音楽のチカラ
切ない映画。
2人は早々に離れ離れになってしまう。
その間をどう過ごすか、どんな想いで過ごすか、どんな想いで待つかを描く映画。
その寂しさ、切なさがあるから、ラストのダンスシーンが感動を呼ぶ。
あと、本作の犬とロボットの友情とも恋愛とも言える関係は「同性愛」のメタファーなのかな。
まあ、いろんな解釈が出来るだろうが。
ロボットの夢?
結末がロボットの夢で見た事だなんて刹那過ぎました。
主人公二人に感情移入してしまいハッピーエンドにして欲しかったです。
あの鳥達が伏線回収できた思うのは私だけですか?
親子鑑賞は難なロボットアニメ。コート襟を立てて一人で見たい。
ロボットのアニメ? くらいの軽い気持ちで鑑賞しました。実写映画のような、見覚えあるようなアングルが多く、NYの街も違和感なく入れました。二次元であることや、人間を動物に見立てたことで、個々のキャラクターが生き生きとしていました。
緊張感が解けた脳に打ち込まれるストーリーは強烈で、骨まで砕けれたようでした。
余韻に浸るというよりも、人前で思い出すことは、はばかられる作品でした。
ロボットのアニメだからか、チビッコとママで鑑賞されていた方がおられましたが、「なんでママ泣いているの?」と聞かれると、ママは説明に困りそうでした。
一人での鑑賞をオススメします。
リクエスト曲は、竹内まりやの『駅』
土鳩の首は確かに素晴らしいメタリック
タイトルは、某伊集院光氏のラジオで紹介されていた内容
勿論、確認するために劇場まで足を運びました
期待しなかった結果、自分でも引くほど涙が溢れて止まりませんでした
絵柄が古き良き外国のアニメーションなのですが、
描かれているのが普遍的な愛ですから、これは世界中どこへいっても
受け容れられ、絶賛されるはずの内容ですね
タイトルどおり、ロボットが夢を見る度に胸が締め付けられます
あぁ、帰りたかったろうな
彼は劇中で何度も何度も夢を見るのですが、そのどれもが秀逸で
オズの魔法使いのタップダンスパートはアニメ表現をメタ的に飛び出した表現をしており
にこにこぷん世代と言うこともあり、とても嬉しくなってしまいました
映画館で許されていれば、一緒に歌い、踊りたくなりますよね
Septemberも効果的で、もう一生、この曲を聴くたびに少し悲しくなりますね
スノーマンパートの芸術的なイマジネーションにも度肝を抜かれました
視覚、視点を使った効果的な演出が何度もある作品なのですが
自らの頭をボーリングの玉として投げる、そして転がりゆく視界の面白さ
あの発想はなかった、素晴らしい芸術作品ですよね
ジュースを飲むたびに口の周りが染まってゆく表現にも、腹を抱えて笑いました
どうしたらこんなに豊かで、発想に富んだ表現ができるんだ、こんなの見たことない
何度も挟まれるミュージカルパート(歌いませんが、歌っていますよね)で描かれるのは
現代社会の物質的な豊かさ、精神的なリッチさ
それ故に描かれる孤独も深いのですが、
まぁ人類史上、こんなに文明が豊かで幸福な時代はありませんよね
ラストシーンではもう、言葉になりませんね
失う痛みを知っているから、奪えないよね、
そして、もう失えないよね
それでも、一瞬でも、お互いにに通じ会えたから
君がどこかで幸せに生きてさえくれたら、僕も生きていける
もう大丈夫
…でも、この止め処なく込み上げてくる涙は、本当に其れだけで良いものでしょうか??
僕達はこんなにも満たされた文明社会で、我儘にも満たされず、
いちど手に入れた幸福はもう手放せない
ラストシーン、あの奪われたツインタワーの示すものは
失ったものへのノスタルジックな恨みの象徴か、
もう手放せない幸福への傲慢なのか、
この、誰もが持つ、失う事の痛みを知っているからこその幸福が語り掛けてくる気がしますね
何かを得る者の影には失う者がいて
失う事の裏側には、手に入れる事の幸福がある
幸福と悲しみ、希望と絶望、その切っては切れない光と影は
この涙により、より強いコントラストを放つ気がしますよ
そしてここからもうひと段階、
完全に私の妄想ですけれども
タイトルの「ロボット」はあの劇中のロボット氏、彼という認識で本当に良いのでしょうかね
私の妄想では、「ロボット」とは、デウスエクスマキナを指し、
人間の滅びた、あの多種多様な動物とロボットが幸福に生きているあの世界は、
海中で見つけた看板と、ツインタワーだけの根拠だけで示しますが
残された機械神の見た「かつて幸福だった、もう失われてしまったけれども、もう二度と失いたくない、あの幸福な時代、時間」ではなかったのですか
かつて人間がいて
失われた、幸福でリッチな時代
もう人類はいない、それでいて、地球上から動物と、かつて人間の残したロボット、その神こそが
あの頃を夢見、想い返し、作り直し続けている世界こそが
「ロボットドリームズ」ではなかったのでしょうか?????
いや、まさかね、、、けど、涙が止まらないのですよ
台詞がないのに共感の連続
予告の、暗い部屋の中で時間を浪費するように無為に過ごしながら孤独にさいなまれるドッグの様子が自分に重なり、どんな映画なんだろうと興味を持って鑑賞。
台詞はないが、登場人物の表情と音楽が豊かで、とても惹き込まれる。
賑やかで豊かなストーリー。
ロボットの妄想の中、ドッグが自分に似たロボットBと仲良さそうに家に入っていくのにショックを受けとっさに隠れるロボット。
そんなロボットの様子に気付き、ほくそ笑むロボットB。
他人に下に見られることが多く、自分以外の人には良い顔をする“良い人”から、1対1の時だけ冷たくされるイジメを受けた記憶が蘇って刺さった。
それ以外にも、遭難危機に間一髪助かったウサギから親切に助けてもらった妄想をしていたら、現実には逆に足を切り落とされたり。
こうだったらいいなと妄想するも、現実は正反対(自分にとって望ましくない方)に進むことが、よくある自分は刺さりまくりでした。
鳥の親子やダックとの、短くも暖かな交流、2人の“会いたい”という強い想いが底通して、物語の筋は悲しい方向でも、音楽とダンスの力もあり、暗いトーンにはならない映画だった。
ロボットに会えない時間に別の友を求めて自分から動くドッグや、
立ち入り禁止のビーチに入ろうとして捕まるとき、なぜ警察に事情話して助けてもらわないの?と疑問に思ったり、
そういうちょっとギモンに思うところもあったけど、観終えてみれば、自分の小さな違和感より大きな暖かさを受け取ったからか、気にならない。
ドッグとロボットのハッピーエンドを望んだ私にとって、そう終わるのか…という終わり方だったけれど、互いを思いやる2人の優しさに、自分が望むものと相手の幸せを想う気持ちのあたたかさで満たされた話でした。
エンドロールの3色の色味がとても好みで、パンフレットに反映されてないかな〜と期待した。
その点では残念だったが、製作秘話やミュージックリストが載っていて満足。
ちなみに、グランドシネマサンシャイン池袋は、前の座席との段差がかなりあり、前の人の頭で見えないというストレスが全くない素晴らしい映画館でした。
これからの人生を、共に歩んでくれるような映画
悦び、哀しみ、切なさ、苦しみ、嘆き、そしてやっぱり悦びと言った感情が、心の神経が密集した部分に爪を立て、いつまでも疼きを与えてくれるような作品でした。
ロボットの、赤子のように純真な振る舞いを見ているだけで、自然とこちらも幸福感で満たされて行き…
いかなる生物、事象にも興味を持ち、好奇心を抱き、全身で愉しむ姿は、無垢で尊いものでした。
キャッチコピーの通り、一生私の心に(温かみと痛みを伴って)残る作品です。
〖以下ネタバレあり〗
ドッグは孤独でしたが、自身の孤独と向き合い、解決しようとする真の強さがあったと思います。孤独を感じても、目を背けて強がり、自分の心に嘘をつく人間は少なくありませんし、現に私もそうです。
この作品には、他者を思い遣るという高尚な愛が描かれていたと思います。
すぐ傍にいる相手を思い遣る愛と
会えなくなった相手を思い遣る愛と
もう会わないと決めた相手を思い遣る愛
このような映画ではどうしても、“もしも”を考えてしまいます。
もし、ラストのシーンで、ロボットがドッグの後を追いかけ、彼と再会を果たすことが出来ていたなら―
ドッグは長く彼を苦しめていた、別離の悲しみ、身を切るような後悔、激しい自責の念、埋まるはずのない空虚感から解放され、幸福を得ることができたと思います。
それはロボットも同じです。
ですが彼らを取り巻く環境は複雑になっていて、自身が幸福を得ることと引き換えに、別の大切な人を傷つけてしまう罪が隣り合わせに存在していて。
それは果たして幸せな結末と言えるのか…。罪悪感の上に建つ幸せは、不安定かもしれません。それならば哀しみの上に建てた方が、よっぽど良いかも。
この作品の悲劇は、愛する者との再会が叶う頃には既に、別の愛する者がいるという事です。
そしてこの作品の最大の救いは、それがお互い様だという事です。
それにより、最大の悲劇が回避されていたと思います。
普通、映画はエンドロールが終わり、劇場が明転すればそこで終了ですが、ロボットドリームズは今も私の中で続いています。
昇華されない暗い悲哀の念を抱きながらも、今の幸せを噛み締めるロボットとドッグのかけがえのない生活が、今もどこかでずっと続いているように感じられます。
なので、私が生きている限り、彼らの物語も続いていくはずです。
それこそ映画のキャッチコピー
一生あなたの心に残る、宝物のような102分
に繋がるのだと思います。
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少し疑問に感じたこと…
スマートで一見完璧に見えたダックは、何故あのような治安の悪い貧民街らしき場所に住んでいたのか。
対照的にドッグは、マンハッタンの小綺麗な街に住んでいたので、仕事はしていなさそうでしたが豊かに思えました。
経済的に豊かでも、心は豊かでない者の象徴だったのか…
結局、お金で孤独も解決できたのですが、ドッグの素直さと犬柄もあったのでしょう。
ダックは能力が高くて人気者でしたが、他者との付き合いは軽薄で表面的に思えました。
孤高なダックと、孤独なドッグの対比も面白かったです。私は友達になるなら、断然ドッグだなと思いました。
2回観て良かった
最初は予備知識なくドッグとロボットの仲良しほのぼのストーリーかと思って観ました。
予告でもそんな印象で。
鑑賞中はどっぷりとロボットの方に感情移入してしまい…しかも友情よりも恋情のような気持ちで、ドッグがスキーに行ったり凧揚げ行ったり釣りに行ったりというのが浮気っぽくてモヤモヤ。
そこにきてのあのラスト。
もうね、切なくて切なくて我慢できませんでした。泣きました。
そして先日2回目の鑑賞。
今回は、前回よりも前向きな気持ちでラストを迎えられました。
前回はドッグにモヤモヤしたけど、ドッグも寂しかったんだよね。それこそ友達ロボット買ってしまうくらい。
二人が別れ別れになってしまったのは不可抗力で、まだお互いにお互いを想ってはいるけど、それでも一歩前に進んだのですよね。
これからも後ろを振り返ることはあるかもしれないけど、それでも前に進めばいいと思います。
2回目の鑑賞はそんな気持ちで、切ないラストは変わらないけど「ままならない人生も前向いて歩こう」と思えました。
2回目観て良かったです。
まあまあだった
昨年のベストテンにランクインしている人が多くとても気になっており、上京の際にまだ上映していて見ることができた。無声のアニメ映画で、主人公はわんちゃんだ。お友達ロボットと友情を育むがバッテリー切れで海に放置して離れ離れになる。柵が設けられて海水浴場に入れなくなるのだけど、海から行けば入れるし、そもそもまた金属のロボットを海に連れて行くなど絶対にさびるからNGだし、もっと大事に扱えよ、そんなことが引っかかって素直に楽しめない。大事に扱ってないし、回収にも真剣じゃない。
しかし『セプテンバー』はとてもいい。
これは911で亡くなった人達が動物の姿になって天国で暮らしているという映画に違いない。
色んな動物が登場するが、海水浴場の警備員はアフリカ系アメリカ人、ロボットを襲いパーツを拝借するのは✖️✖️✖️カンマフィア、
あの血走った目ん玉のゲイラカイトを持つのはヨーロッパ人留学生、悪徳廃品屋は✖️✖️人、最後に出てくる人の良い洗い熊ラスカルは今のポリコレ的にユダヤ人などなど。
その人種っぽい雰囲気は隠しようが無い。
言葉が通じないのも、それぞれ人種が違うから母国語も違うからに決まっています。アメリカでも一部の地域ではスペイン語しか通じない地域あるじゃん?あれと同じ事だよ?
鳥だけは、手足が生えていなくて、空を飛べるから、天使の化身だと思う。後述で出てくるけど、歌が上手いからたぶんそう。
動物は沢山の種類が存在していて、人間と同じように手足がついていて服を着ている。主人公の犬だけ、かたくなに、おパンツとズボンを私立はかない学園だが、
それは、男のバレエダンサーが、ネズミくんのチョッキは着ているのに、下半身だけ、まるもっこりのタイツを履いているのと同じで様式美ってワケさ?HAHAHAHA!!
おーい、さびしんぼう!のワンちゃんは通販で友達ロボット・クリスタルボーイを購入。
これで友情ゲットだぜ?
と思うのが、所詮、犬畜生の浅はかさ。
ダッチワイフを助手席に乗せてドライブするまでは病んでいない犬畜生は、ロボットとリアルを充実して、セプテンバーをバックに歌い踊る。パーリラ🎵
ここで、やめておければ良かったものを、金属製の身体を持つクリスタルボーイ( ん?何か変だぞ?)を砂浜で放置新聞。
海水浴場が閉鎖されて、クリスタルボーイの回収に失敗した、スペースコブラわんちゃんは、通販で別のお友達ロボットをゲットしようと画策を練て通販生活。
クリスタルボーイは自分を中々回収に来ないスペースコブラワンちゃんに苛立ちながら、時を待つ。
そこに、オートマーター狩りをしていたフェイスレスが来たから、さぁ、大変!クリスタルボーイは片足を解体されて、身動きすら取れなくなる。
クリスタルボーイは、動けないでいると、チュンチュンワールド雀さん達が、巣を作りたいから、ちょっとスペースを加瀬亮と要求する。
素直に従い、無事に雀さんの子どもが産まれる。御礼に歌いましょ!と、感謝の気持ちを込めてダニー・ボーイを合唱する雀さん。
おおダニー・ボーイ いとしきわが子よ
いずこに今日は眠る
戦に疲れたからだを
休めるすべはあるか
おまえに心をいためて
眠れぬ夜をすごす
老いたるこの母の胸に
おおダニー・ボーイ
おおダニー・ボーイ かえれよ
おおダニー・ボーイ いとしきわが子よ
たよりもすでに途絶え
はるかなその地の果てにも
花咲く春はくるか
祖国に命を預けた
おまえの無事を祈る
老いたるこの母の胸に
おおダニー・ボーイ
おおダニー・ボーイ かえれよ
この歌って、映画・旧・ジェイコブス・ラダーでも、EDにかかっていたけど、戦争に行って帰って来ない息子を偲んだ歌なんだよね。何で、そんな歌を合唱するんだよw
で、クリスタルボーイは何とか脱出に成功するも、自慢のボディを洗い熊ラスカルに魔改造され、自慢のクリスタルボディは、ラジカセに改造されてしまう。
ある日、洗い熊ラスカルとの愛の巣の窓から、スペースコブラワンちゃんを発見!
何とか、こちらに気づいて欲しいクリスタルボーイは、カセット挿入口にセットされていたスペースコブラワンちゃんとの、二人の思い出の曲、セプテンバーをかける。
9月21日の夜を覚えてる?
うそぶいてた僕たちの心を
愛が変えちゃったんだよね
雲を追い払いながらさ
僕たちの魂が歌うそのキーで、
僕たちの心は鳴り合った
僕たちが踊った夜
忘れずにいて 星々がどうやって夜を盗んでいったのかを
覚えてるって言ってよ
9月のあの日、踊ったことを
雲ひとつなかったね
僕の心はいつもきみに寄り添ってる
きみの心としっかりと手を取り合うよ
きみを見つめるために
他愛ない言葉と愛があるだけ
忘れずにいて 僕たちがどうやって愛を知り、
そしてここにいるのかを
12月になった今、
僕たちが9月に本当の愛を分かり合ったことを
僕は理解したよ
他愛ない言葉と愛があるだけ
忘れずにいて 本当の愛を僕たちが分かり合っていることを
セプテンバーを挿入歌にした映画は綺羅星のようにあるが、これくらいピッタリハマっているのは類を見ない。
俺はここで号泣した!何て、素晴らしい映画なんだ!!
それなのに、それなのに、何故、俺は普通に感動したと書けないで、ボケ倒す事しか出来ないんだ!? 何故だ!!
坊やだからさ...。
ん?何だ!そこのグラサンスーツ!お前は誰だ!誰なんだー!!
次回予告! 再会、母よ。君は生き残る事が出来るか?
シンプルであたたかい
音楽を本当に好きな人が作っているのだなという印象でした。
そもそも、嫌いな人がいるのか?という名曲Septemberがテーマ曲なので、もうそれだけでじんわりなのですが、犬がソリで木に突っ込むときのドラムとシンバルとか、効果音の使い方も巧みです。主人公は冴えない犬ですが、ベッド上のポスターとか、部屋に散らばるレコードとか、音楽はそこそこ好きらしいということが垣間見れるのも面白い。
キャラクターの描画は単純だし、サイレントだから言葉はかわされないのに、感情表現の演出が上手。かといって複雑なものではなく、嬉しい、楽しい、悲しい、淋しい、シンプルなのです。にこっと笑う、それだけで、心がこんなにあたたまるとは。
犬とかロボットとか鳥とかアヒルとか、性別とか種類とか面倒なことは全部気にせず、偶然出会って、あたたかい交流が生まれる世界。現代社会ではいろんなところで分断、分断と言われているけれど、ほんとはみんなが仲良くするってそんなに難しいことではないのかも?
ラストは元通りになって大団円、ではありませんが、それぞれの新しい道を行きつつ、お互いの胸に、そしてわたしの胸にも、2人の楽しかった日々はいつまでも残るのだろうと思います。ああいい映画だった。
設定の細部が気になってしまった
「3回見て3回泣いた」という知り合いのオススメで見てきた。
無声映画として、キャラクターの表情で動かしかたや70年代〜80年代のニューヨークを描いた世界観などは楽しめた。ただ一方でストーリーの展開や細かい内容に違和感を覚えながら見てしまった。
一番の疑問点はロボットの燃料切れの表現である。
どこかで燃料切れになって動かなくなるなというのは予測していたので、ずっとメーター部分をチェックしていたのだが、海にいくまでにメーターが徐々に減っているという描写ではなくていきなり動くなってしまった。そもそも結局燃料切れなのか機械の不調なのかもちょっとわからない。燃料切れだとしたらエンプティー直前で1年近く動いていたことが謎だった。
あと足を折っていった集団も行動原理が不明すぎた。あの足の指だけでよかったのであればあんな重いものをわざわざもっていかなくてもいいのではと思った。
そしてあのロボットが重くて運べないという描写も結構マチマチ。ドッグが少しも動かせないぐらい重いわりに、廃品回収の人が運べていたりしている。あとそもそも警察の人が動かしてやれよとも思った。
ドッグの生活環境もわからない。働いているわけでもないし学生というわけでもなさそう。そもそもなんで孤独なのかの描写もない。他のキャラが結構働いているシーンがあるのに、ただ1人で家にいる。スキーにいったり買い物したりする財力がある理由もわからず親と死別したとかの描写もない。そのあたりのバックボーンがないからイマイチ感情移入ができない。
伏線っぽいものもいくつもあった。たとえば最初の公演で踊っているときにわざわざビデオを撮影しだしているシーンとか、鳥のパートもあとでロボットを助けてくれるために長尺をとったのかと思ったらそういうわけでもなさそう。
そもそもあんな優秀なロボットならほかの人もたくさんもっててよかったと思ったりした。あのロボットがなにかしらの理由で突然変異したのかとおもったら、後半にでてきたロボットもわりと同じぐらいのスペックをもっているのではと思う。
そういった細かいシーンや設定が気になってしまい楽しめなくなってしまった。
真っ当な無常感に切なくなる
スペインのパブロ・ベルヘル監督が初めて手がけた長編アニメーションとのこと。擬人化された動物とロボットが織りなす友情、あるいは愛情の物語。
1980年代のニューヨークはマンハッタン、孤独に生きるドッグが通販のロボットを作り友情を深めていった。お互い大切な存在になった。
突然の別れ。
再会はままならず。
お互いに新たなパートナーができ、、、
真っ当な無常感に切なくなる。
十分切なくなった。
何故か「パスト ライブズ 再会」を思い出したりして、、、
ファンタジー映画だけど...
昨年末から気になってたアニメ映画。日本では何年か前にTV放送されていた「オッドタクシー」を思い起こさせるような動物の世界。全編にアースウインド&ファイアーの「セプテンバー」が流れるため、舞台は70~80年代のニューヨークで主人公はちょっとお人好しそうでおバカな犬(Dog)。
孤独の生活が嫌になった犬は、ロボットを購入するところから物語が始まります。
犬はロボットをパートナーとしてセントラルパークで踊ったり、ボートの乗ったりパートナーのいる生活を思う存分楽しみます。夏に海へ連れて行き、海の中で一緒に泳ぎ、砂浜で日向ぼっこをしているうちに案の定、ロボットが故障して動けなくなり、重すぎて犬一人では家に運べないため、修理するために一旦はうちに帰るものの、引き返したビーチは来年の夏まで閉鎖されてロボットはビーチに置き去りになり...
主人公の犬はおバカだけど人の好さそうな性格なのに、何故、周りの人たちは彼に厳しいのだろう。
ロボットを助けようと必死になる犬と冷たい世間。来年の海開きまで待つことにした犬と彼を待ち続けているビーチで動けないロボットはいろいろな妄想をする。(タイトル回収ですね)
終盤は思ってもみなかった展開でラストはあのシドニーポラックの名作「追憶」を思い出させ、頭の中ではユーミンの「Good luck and Good bye」が流れてました。
セリフは全くなく、たまに言葉ではない声があるが、キャラクターの主に目と口だけなんだけれど、喜怒哀楽や意地悪な顔が見事に表現されてました。
ロボットと犬の妄想が現実とごっちゃになることと、もう少し短くまとめてほしかった点がマイナスですかね。
※今回の件、映画の内容より、自分の後ろに座っている未就学と思われる子供が終始うるさかった点がたまらなく腹が立ちました。
小声とはいえ映画全編で後ろからこそこそ話されることと、席を立って動き回っているためなのか席を蹴られているような感覚。保護者と思われる女性は全く注意せず、ファンタジーアニメ映画だからと言って5分もまともに座っていられないガキを保護者は劇場に連れてくるなと強く言いたい!(シンゴジラ以来のストレスでした)
つくづくうまいなあと思った
AIとかロボットとかの話題が飛び交う日々の中で暮らしているので、
そういうことに対する何らかの警鐘なのかな?と想像しつつ観てみた。
いや、これは人の心の旅を描いた映画で、
ご時世的に人々の注目、関心を集めやすいロボットを登場させているにすぎないのだなと、
個人的には解釈した。
批判しているのではなく、わかりやすさ、伝えやすさという意味ですごく上手いなと思った。
自分の楽しさに夢中になって相手を振り回せば相手を傷つける。
相手と自分は同じではなくあれもこれも違うということ。
未熟でどうにもならないことから離れて過ごし時が流れて色々変わる。
かつて相手を傷つけた記憶はその人の後の行動に影響するんだな。
色々あるけれど、あの時の未熟だけれど果てしなく純粋なトキメキや情熱ってかけがえのない思い出だね。
その思い出は掘り起こすと傷つけてしまう人は以前よりも増えてしまうから、現実に向き合って生きていくんだよね。
とか、そんなことを感じた。
主人公の人間でなく犬として描いたのも上手いと思う。
直接的じゃないので生々しさや嫌味がない。
じわーっときいてくるように人間の心の旅を描いているんだな、描き方が上手だなと思った。
目頭が熱くなるという表現があるが、この映画はそうではなく、
心のどこかからじわりと涙が出る。
ハンカチやティッシュは必要ないけど、席を立ち上がって映画館を出るまでに数分の時間が必要。そんな映画だった。
予想していた内容とかなり違ったけれど、それがかえって私には良かった。
単なる絵空事の象徴物語ではない
新年早々、米半導体の巨人エヌビディアがロボットなどを開発する企業にAI基盤技術を無償提供し、ヒトと同じよう自ら動くロボットの実現を目指すと報道されました。(以下若干ネタバレあり)
AIを搭載したロボットがヒトと同じように自ら動くことはあっても、自ら感情をもつようになるかどうかは、なお複雑な問題を孕んでいるようですが、仮に感情を持たなくても、AIが倫理的に設計され、ヒトの感情を尊重し、良い関係を築けるようになる可能性はあるのだそうです。ラストシーンは賛否あると思いますが、倫理的に設計されているAIであれば多分ああなるのではと思いました。
そう考えると、単なる絵空事の象徴物語以上の、大変革期の現代を踏まえた深いメッセージが込められているようにも思います。
無駄な音やセリフをそぎ落とし、線や動き、ストーリーを単純化していること。二人の友情が、二人の関係性を脅かす大小様々な逆境と対置して描かれていること。これらにより、友情や感謝の感情の素晴らしさをわかりやすく伝えているように思いました。(設定は違いますが、チャップリンの名作無声映画「キッド」に少し通じるものがあるように思います。)
砂浜で動けなくなったロボットと鳥親子たちとの交流のシーンが一番好きです。
終始自分には合わないとは思われながら‥
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
評判が良かったので今更観ました‥
しかし結論から言うと、自分には終始合わない映画でした‥(スミマセン‥)
冒頭の、孤独な主人公の犬が、近くの恋人の関係を見て羨ましそうな表情を浮かべた時から、個人的には嫌な予感はしたのですが、友人ロボットが届いてすぐさま意気投合した時には、これは参ったなと思われました。
なぜなら、本来の友人関係は、自身とは違う感覚には距離を取りながらその存在を認め合いつつ、一方で互いの共通点で共感や信頼を持ち合う、複雑な関係性だと思われるからです。
逆に言えば、これまでの主人公の犬は、まず互いの違いを距離を取りつつその存在を認め合うという【人間関係の煩わしさ】から離れているからこそ、そこから互いの信頼関係を築いて行く友人関係を作れなかったと思われるのです。
ただ私個人は、そんな人間関係の煩わしさから離れている主人公の犬のような現在の人達に、一方では肯定的です。
なぜなら、自身の周囲からの根本の理解のされなさを認める事は、逆に自身と感覚の違う他者の存在を認める事と同義だと思われるからです。
(それこそが多様性への一歩だと思われるのです。)
ところが、この映画『ロボット・ドリームズ』は、主人公の犬が孤独であることを冒頭で否定的に描いているように感じられました。
また友人ロボットがすぐさま主人公・犬と同調し、本来の友人関係の構築のための入り口の煩わしさをすっ飛ばしています。
そして映画全般を通して、主人公の犬が友人ロボットを介して、同調同質的な世界を外に広げて行く(あるいは、その喪失を悲しむ)、世界観を表現しているように感じられたのです‥
(この映画の大きな特徴の1つに、言葉での会話を交わさない点があります。
しかし、会話の言語コミュニケーションは、互いの違いを相互理解するためのツールだとも言え、この映画が言葉での会話をすっ飛ばしている点も、同調同質的な世界を外に広げて行きたいという表現になっているとは、(良くも悪くも)僭越思われました。)
もちろん私個人も、自身と同質な世界が外にも広がって行くことを夢想しない訳ではないですし、その世界観を肯定したい少なくない人達がいることも理解します。
ただ一方で、私的の好みで言えば、他者との煩わしさを通過した対立や、距離感を取って自身の価値観とは違う存在を認め合う、他者との関係性が表現されている世界観の方が好みではあるので、今作は自分には僭越ながら終始合わないなとは思われました。
仮に、友人ロボットが、初めは主人公の犬とそりが合わず、しかし次第に煩わしさを乗り越えて関係性が修復されて友人関係になり、その後に映画と同じ離れ離れになるストーリー展開であれば、また個人的には違う印象だったとは思われます。
しかし、鑑賞後しばらくして、今作が多くの人に評価されているのは、自身の同質性が徹底的に追い詰められ破壊されている現在の現実があるからこそであり、友人関係の入り口の煩わしさをすっ飛ばした表現にしているのも、あまりに自身の同質性が破壊されている現在の現実が理由とも考えました。
また、個人的には友人関係なら違和感がありますが、(友人ロボットではなく)失われた家族(を取り戻す)ロボットだと考えれば、家族は初め同質性から始まると思われ、家族ロボットだと置き換えればその感覚は分かるぞ‥とも思われました。
個人的には今作は好みと合わない世界観でしたが、様々考えるきっかけになる深さある作品ではあったと、一方では僭越思われました。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか
最後の切ないシーンが流れる中、年甲斐も無く涙が止まらずにスクリーンの画面が歪んで見える程心を動かされていたので、これは高得点を付けざるを得ないと思った次第なのです。
なので皆さん感動する事を期待してハンカチを用意して見て下さいね!っていう程単純な訳では無いのです。
最終的に心を動かされた理由についてその正体を自分なりに探っていたところ、ロボットの心はどこまでが単なるプログラミングによる反応で、それ以上の自分の意思を持つことが可能なのかと、登場人物(動物だけど)がどれだけロボットに心がある事を信じていられるかというのがテーマのような気がしたからなんです。
個人的な話をすると、身近に某犬型ロボットを購入し愛玩犬として可愛がっている人がいるのですが、オーナーの行動を見るとまるでその犬型ロボットに人間並みの複雑な感情があって、自分が愛されていると信じているような風体なので、話は合わせたりするけれど正直共感は出来ていなかったのです。
とても嫌な言い方をすると、ペットを飼える住環境による理由もあるのでしょうが、実際の犬では無く犬型ロボットを選んだ時点で「いいとこどり」をしようとする意図を感じてしまい、命を持っているが故の「勝手きままさ」や「病気や死亡」を避けようとし、都合が良い時に電源をオンにして、従順さのプログラミングによる「心地良さ」を享受しようと思っている風に見えてしまうからなんです。
映画でもロボットを購入しようとしたきっかけは、人間関係(動物だけど)に不器用なドッグが無条件に自分を受け入れてくれる相手を望んだからで、しかも怪しげなテレビショッピング番組を頼る位だから、恐らく最初は「パートナー的な存在」よりは「パートナー的なおもちゃ」ぐらいの期待だったのかもしれません。
しかし予想を裏切りロボットは彼の心を虜にしていき、本来は人付き合い(動物だけど)で学んでいく様々な事を一緒に経験していく事で、その行動はプログラミングからだけではなく、ロボットからの愛情であると確信(錯覚)していくんですね。
ロボットがビーチで動けなくなった時のドッグの必死な行動は、もはや機械に対しての対応ではなく、対等な者に対しての救済処置であったのですが、ここで改めて他人や社会の視点が冷静に組み込まれていく事で、改めてロボットが単なる機械で社会の規則を破ってまで助ける存在ではない事が示されてしまうのです。
ドッグは寂しさを感じながらもロボットを一旦諦め、なんとか苦手な社会生活に馴染もうと姿に、「歪な自分だけの世界なんか捨てて、人並に真っ当に生きる方が当たり前だろ?」という同調圧力を強いる村社会を見せられるようで、少し寂しくなりました。
また放棄されたロボットに近付く人間達(動物だけど)は、やはりことごとく彼を物扱いしかせず、種族の違う鳥だけが心を通わせる事が出来たという皮肉を見せ、何度も彼の夢の中でドッグのアパートメントに戻る事を見せられたので、視聴者である自分もすっかりロボットには心がある事を確信(錯覚)してしまうのです。
そう、ここらへんで自分の中にも変化が起こっていたのですが、某犬型ロボットを飼っている人達が彼らからの愛情を疑わない限りは、そこには確実に愛情が存在するって事を実感し始めたのです。
他人から見たら歪であったり理解出来ないものであったとしても、それが他人の迷惑に繋がらない限りは否定してはいけないし、人間同士の信頼関係にしたって契約事項でしたためているから成り立っているって訳でも無いので、曖昧で証明もし辛い事ではあるのだけれど、信じている内は確実に存在しているってだけなのだと気付かされるのです。
ロボットが廃棄業者に引き取られた際はバッドエンドを想像してしまいましたが、ラスカルの登場でセカンドチャンスを得て、ドッグも新しい友達ロボットを以前の感覚よりも大切に扱い始め、世知辛いけど別の形の幸せを見つけられて良かったと思っていました。
でも運命の悪戯でロボットがドッグを発見した際に取った行動が、普通の人間が行う判断以上に人間らしかったので、それまでの心無い登場人物(動物だけど)の誰よりも愛情深い事が分かり、滂沱の涙に至ったのです。
余談にはなりますがこの映画の色彩設計はとても目に心地よく、ずっと眺めていなくなるほどでした。
それから唯一不思議だったのは、ビーチにいったら水着を穿いていたのに、普段は何も身に着けず生活しているドッグの羞恥心の在り処についてだったんですけどね。
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