ロボット・ドリームズのレビュー・感想・評価
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ここまでシンプルな絵で感情移入させる表現力がすごい
少し話題になっている作品。
つかみからとてもテンポよく、Dogの寂しさが伝わってきて、ロボットととの楽しい時間が対比してとても豊かに感じられる。
途中途中退屈になるところもあるが、キャラクター全てがかわいく、魅力的だった。
シンプルな絵だからこそ、目と手振りだけで感情表現する必要があり、それに見事に応えていた。
こども向けの絵にみえるが、大人にもプリミティブな感情を呼び起こしてくれて、感情が繊細に、豊かになる感覚が味わえる。
そして、最後のDo you remember, septrmperにほろりと来た。
言葉を持たないからこそ、音楽で伝える、という粋な演出は会えない時の寂しさを感動へと昇華させてくれる。
また、動物にすることで、言葉やセリフなどなくても、思いは伝わるし、一方で少しのすれ違いで、うまくいかないこともある。
ロボット・ドリームズというタイトル。
ロボットは夢を見るが、プログラムで制御されているのか、それは現実にならない。
自分の意思で状況を変えられなくても、ただ、プログラムのもとで音楽を鳴らす、という世界共通の言語で表現によって、元の主人を楽しませる、それが彼の選んだ道である。
老若男女、おすすめできる映画であるし、現代へのメッセージも詰まっている、そんな作品であった。
シンプルであたたかい
音楽を本当に好きな人が作っているのだなという印象でした。
そもそも、嫌いな人がいるのか?という名曲Septemberがテーマ曲なので、もうそれだけでじんわりなのですが、犬がソリで木に突っ込むときのドラムとシンバルとか、効果音の使い方も巧みです。主人公は冴えない犬ですが、ベッド上のポスターとか、部屋に散らばるレコードとか、音楽はそこそこ好きらしいということが垣間見れるのも面白い。
キャラクターの描画は単純だし、サイレントだから言葉はかわされないのに、感情表現の演出が上手。かといって複雑なものではなく、嬉しい、楽しい、悲しい、淋しい、シンプルなのです。にこっと笑う、それだけで、心がこんなにあたたまるとは。
犬とかロボットとか鳥とかアヒルとか、性別とか種類とか面倒なことは全部気にせず、偶然出会って、あたたかい交流が生まれる世界。現代社会ではいろんなところで分断、分断と言われているけれど、ほんとはみんなが仲良くするってそんなに難しいことではないのかも?
ラストは元通りになって大団円、ではありませんが、それぞれの新しい道を行きつつ、お互いの胸に、そしてわたしの胸にも、2人の楽しかった日々はいつまでも残るのだろうと思います。ああいい映画だった。
たかがアニメと軽んじていたことを猛省
設定の細部が気になってしまった
「3回見て3回泣いた」という知り合いのオススメで見てきた。
無声映画として、キャラクターの表情で動かしかたや70年代〜80年代のニューヨークを描いた世界観などは楽しめた。ただ一方でストーリーの展開や細かい内容に違和感を覚えながら見てしまった。
一番の疑問点はロボットの燃料切れの表現である。
どこかで燃料切れになって動かなくなるなというのは予測していたので、ずっとメーター部分をチェックしていたのだが、海にいくまでにメーターが徐々に減っているという描写ではなくていきなり動くなってしまった。そもそも結局燃料切れなのか機械の不調なのかもちょっとわからない。燃料切れだとしたらエンプティー直前で1年近く動いていたことが謎だった。
あと足を折っていった集団も行動原理が不明すぎた。あの足の指だけでよかったのであればあんな重いものをわざわざもっていかなくてもいいのではと思った。
そしてあのロボットが重くて運べないという描写も結構マチマチ。ドッグが少しも動かせないぐらい重いわりに、廃品回収の人が運べていたりしている。あとそもそも警察の人が動かしてやれよとも思った。
ドッグの生活環境もわからない。働いているわけでもないし学生というわけでもなさそう。そもそもなんで孤独なのかの描写もない。他のキャラが結構働いているシーンがあるのに、ただ1人で家にいる。スキーにいったり買い物したりする財力がある理由もわからず親と死別したとかの描写もない。そのあたりのバックボーンがないからイマイチ感情移入ができない。
伏線っぽいものもいくつもあった。たとえば最初の公演で踊っているときにわざわざビデオを撮影しだしているシーンとか、鳥のパートもあとでロボットを助けてくれるために長尺をとったのかと思ったらそういうわけでもなさそう。
そもそもあんな優秀なロボットならほかの人もたくさんもっててよかったと思ったりした。あのロボットがなにかしらの理由で突然変異したのかとおもったら、後半にでてきたロボットもわりと同じぐらいのスペックをもっているのではと思う。
そういった細かいシーンや設定が気になってしまい楽しめなくなってしまった。
真っ当な無常感に切なくなる
スペインのパブロ・ベルヘル監督が初めて手がけた長編アニメーションとのこと。擬人化された動物とロボットが織りなす友情、あるいは愛情の物語。
1980年代のニューヨークはマンハッタン、孤独に生きるドッグが通販のロボットを作り友情を深めていった。お互い大切な存在になった。
突然の別れ。
再会はままならず。
お互いに新たなパートナーができ、、、
真っ当な無常感に切なくなる。
十分切なくなった。
何故か「パスト ライブズ 再会」を思い出したりして、、、
あっ、なるほどね~
トーキー映画があるように、実写なら情報量が多いので出来ると思いますが、アニメでこの画で100分やるのはスゴイと思います。忍たま乱太郎と通ずる表情付けの上手さがあると思いました。
映画が進むにつれ「これ何がやりたいの?どうなりたいの?」っていう疑問がドンドン湧いて来て、ラスト手前では「これ普通に終わらすの?この映画なぜ評価高いの?」って観てました。
ですが、ラストでそれらは「あ~、なるほど~。そういう収め方するんや~」って思い、「うまいな~」っていう感想に変わりました。あれだけフラストレーションが溜まっていたのが一気に開放され、まるで映画の印象が変わりました。
「映画って面白いな~」とつくづく思い知らされました。それと「えらい長い前フリやな~」っと。
この監督の伝わると思う信念がホントスゴイと思いました。
セリフ、ナレーションを無しにしてる所や、往年の音楽を色々使ってくる所など伏線というか印象付けか~とも思えます。
先にも書きましたが『ホント映画って面白いな~』って思わさせてくれた一本です。
ノスタルジー&ビター
日本人の意地...?
冒頭から共感性が高くて引き込まれるし、色味が海外っぽくて新鮮。
ラストは切ないけれど現代の感覚が反映されていてほろ苦い感じ。
アニメでこんな感情にさせられるのはすごいなと思うけれど若干冗長的。
もしかすると日本人の意地みたいな感想なのかもしれないけれど、嫌な感想を。。
見ている間、確かに素敵なストーリーだしこの作品に悪いところはないけど、
え、これでジブリと同じ料金取るの??って思ってしまった。
本当にこの作品に欠点はない、けど、ジブリ作品とのクオリティの違いが悪い意味で圧倒的。
アニメでこの現代人に共感できるテーマを上手く扱っていること、セリフなしでも約2時間間をもたせられること、色味やシンプルな作画、色々良い点はもちろんある、のだけど...!!
そんなこと、とっくにジブリが圧倒的なクオリティで遥か昔にやっていて、日本のアニメーションはもっと先に進んでるのよ!アニメだから..という言い訳を遥か昔に破り捨てて実写映画と張り合える(アニメならではの良さを提示して)映画作ってるのよ!
という、この作品とは無関係の日本人の意地??的な感情が溢れてちょっと悔しかったな。
私がアニメ作ってるわけでもないからこれはただのお門違いなジブリ愛なのかもしれないけれど。
何だかこの作品とは無関係な感想が溢れてまともな感想が出てこなかった。
ファンタジー映画だけど...
昨年末から気になってたアニメ映画。日本では何年か前にTV放送されていた「オッドタクシー」を思い起こさせるような動物の世界。全編にアースウインド&ファイアーの「セプテンバー」が流れるため、舞台は70~80年代のニューヨークで主人公はちょっとお人好しそうでおバカな犬(Dog)。
孤独の生活が嫌になった犬は、ロボットを購入するところから物語が始まります。
犬はロボットをパートナーとしてセントラルパークで踊ったり、ボートの乗ったりパートナーのいる生活を思う存分楽しみます。夏に海へ連れて行き、海の中で一緒に泳ぎ、砂浜で日向ぼっこをしているうちに案の定、ロボットが故障して動けなくなり、重すぎて犬一人では家に運べないため、修理するために一旦はうちに帰るものの、引き返したビーチは来年の夏まで閉鎖されてロボットはビーチに置き去りになり...
主人公の犬はおバカだけど人の好さそうな性格なのに、何故、周りの人たちは彼に厳しいのだろう。
ロボットを助けようと必死になる犬と冷たい世間。来年の海開きまで待つことにした犬と彼を待ち続けているビーチで動けないロボットはいろいろな妄想をする。(タイトル回収ですね)
終盤は思ってもみなかった展開でラストはあのシドニーポラックの名作「追憶」を思い出させ、頭の中ではユーミンの「Good luck and Good bye」が流れてました。
セリフは全くなく、たまに言葉ではない声があるが、キャラクターの主に目と口だけなんだけれど、喜怒哀楽や意地悪な顔が見事に表現されてました。
ロボットと犬の妄想が現実とごっちゃになることと、もう少し短くまとめてほしかった点がマイナスですかね。
※今回の件、映画の内容より、自分の後ろに座っている未就学と思われる子供が終始うるさかった点がたまらなく腹が立ちました。
小声とはいえ映画全編で後ろからこそこそ話されることと、席を立って動き回っているためなのか席を蹴られているような感覚。保護者と思われる女性は全く注意せず、ファンタジーアニメ映画だからと言って5分もまともに座っていられないガキを保護者は劇場に連れてくるなと強く言いたい!(シンゴジラ以来のストレスでした)
つくづくうまいなあと思った
AIとかロボットとかの話題が飛び交う日々の中で暮らしているので、
そういうことに対する何らかの警鐘なのかな?と想像しつつ観てみた。
いや、これは人の心の旅を描いた映画で、
ご時世的に人々の注目、関心を集めやすいロボットを登場させているにすぎないのだなと、
個人的には解釈した。
批判しているのではなく、わかりやすさ、伝えやすさという意味ですごく上手いなと思った。
自分の楽しさに夢中になって相手を振り回せば相手を傷つける。
相手と自分は同じではなくあれもこれも違うということ。
未熟でどうにもならないことから離れて過ごし時が流れて色々変わる。
かつて相手を傷つけた記憶はその人の後の行動に影響するんだな。
色々あるけれど、あの時の未熟だけれど果てしなく純粋なトキメキや情熱ってかけがえのない思い出だね。
その思い出は掘り起こすと傷つけてしまう人は以前よりも増えてしまうから、現実に向き合って生きていくんだよね。
とか、そんなことを感じた。
主人公の人間でなく犬として描いたのも上手いと思う。
直接的じゃないので生々しさや嫌味がない。
じわーっときいてくるように人間の心の旅を描いているんだな、描き方が上手だなと思った。
目頭が熱くなるという表現があるが、この映画はそうではなく、
心のどこかからじわりと涙が出る。
ハンカチやティッシュは必要ないけど、席を立ち上がって映画館を出るまでに数分の時間が必要。そんな映画だった。
予想していた内容とかなり違ったけれど、それがかえって私には良かった。
単なる絵空事の象徴物語ではない
新年早々、米半導体の巨人エヌビディアがロボットなどを開発する企業にAI基盤技術を無償提供し、ヒトと同じよう自ら動くロボットの実現を目指すと報道されました。(以下若干ネタバレあり)
AIを搭載したロボットがヒトと同じように自ら動くことはあっても、自ら感情をもつようになるかどうかは、なお複雑な問題を孕んでいるようですが、仮に感情を持たなくても、AIが倫理的に設計され、ヒトの感情を尊重し、良い関係を築けるようになる可能性はあるのだそうです。ラストシーンは賛否あると思いますが、倫理的に設計されているAIであれば多分ああなるのではと思いました。
そう考えると、単なる絵空事の象徴物語以上の、大変革期の現代を踏まえた深いメッセージが込められているようにも思います。
無駄な音やセリフをそぎ落とし、線や動き、ストーリーを単純化していること。二人の友情が、二人の関係性を脅かす大小様々な逆境と対置して描かれていること。これらにより、友情や感謝の感情の素晴らしさをわかりやすく伝えているように思いました。(設定は違いますが、チャップリンの名作無声映画「キッド」に少し通じるものがあるように思います。)
砂浜で動けなくなったロボットと鳥親子たちとの交流のシーンが一番好きです。
終始自分には合わないとは思われながら‥
(完全ネタバレなので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
評判が良かったので今更観ました‥
しかし結論から言うと、自分には終始合わない映画でした‥(スミマセン‥)
冒頭の、孤独な主人公の犬が、近くの恋人の関係を見て羨ましそうな表情を浮かべた時から、個人的には嫌な予感はしたのですが、友人ロボットが届いてすぐさま意気投合した時には、これは参ったなと思われました。
なぜなら、本来の友人関係は、自身とは違う感覚には距離を取りながらその存在を認め合いつつ、一方で互いの共通点で共感や信頼を持ち合う、複雑な関係性だと思われるからです。
逆に言えば、これまでの主人公の犬は、まず互いの違いを距離を取りつつその存在を認め合うという【人間関係の煩わしさ】から離れているからこそ、そこから互いの信頼関係を築いて行く友人関係を作れなかったと思われるのです。
ただ私個人は、そんな人間関係の煩わしさから離れている主人公の犬のような現在の人達に、一方では肯定的です。
なぜなら、自身の周囲からの根本の理解のされなさを認める事は、逆に自身と感覚の違う他者の存在を認める事と同義だと思われるからです。
(それこそが多様性への一歩だと思われるのです。)
ところが、この映画『ロボット・ドリームズ』は、主人公の犬が孤独であることを冒頭で否定的に描いているように感じられました。
また友人ロボットがすぐさま主人公・犬と同調し、本来の友人関係の構築のための入り口の煩わしさをすっ飛ばしています。
そして映画全般を通して、主人公の犬が友人ロボットを介して、同調同質的な世界を外に広げて行く(あるいは、その喪失を悲しむ)、世界観を表現しているように感じられたのです‥
(この映画の大きな特徴の1つに、言葉での会話を交わさない点があります。
しかし、会話の言語コミュニケーションは、互いの違いを相互理解するためのツールだとも言え、この映画が言葉での会話をすっ飛ばしている点も、同調同質的な世界を外に広げて行きたいという表現になっているとは、(良くも悪くも)僭越思われました。)
もちろん私個人も、自身と同質な世界が外にも広がって行くことを夢想しない訳ではないですし、その世界観を肯定したい少なくない人達がいることも理解します。
ただ一方で、私的の好みで言えば、他者との煩わしさを通過した対立や、距離感を取って自身の価値観とは違う存在を認め合う、他者との関係性が表現されている世界観の方が好みではあるので、今作は自分には僭越ながら終始合わないなとは思われました。
仮に、友人ロボットが、初めは主人公の犬とそりが合わず、しかし次第に煩わしさを乗り越えて関係性が修復されて友人関係になり、その後に映画と同じ離れ離れになるストーリー展開であれば、また個人的には違う印象だったとは思われます。
しかし、鑑賞後しばらくして、今作が多くの人に評価されているのは、自身の同質性が徹底的に追い詰められ破壊されている現在の現実があるからこそであり、友人関係の入り口の煩わしさをすっ飛ばした表現にしているのも、あまりに自身の同質性が破壊されている現在の現実が理由とも考えました。
また、個人的には友人関係なら違和感がありますが、(友人ロボットではなく)失われた家族(を取り戻す)ロボットだと考えれば、家族は初め同質性から始まると思われ、家族ロボットだと置き換えればその感覚は分かるぞ‥とも思われました。
個人的には今作は好みと合わない世界観でしたが、様々考えるきっかけになる深さある作品ではあったと、一方では僭越思われました。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか
最後の切ないシーンが流れる中、年甲斐も無く涙が止まらずにスクリーンの画面が歪んで見える程心を動かされていたので、これは高得点を付けざるを得ないと思った次第なのです。
なので皆さん感動する事を期待してハンカチを用意して見て下さいね!っていう程単純な訳では無いのです。
最終的に心を動かされた理由についてその正体を自分なりに探っていたところ、ロボットの心はどこまでが単なるプログラミングによる反応で、それ以上の自分の意思を持つことが可能なのかと、登場人物(動物だけど)がどれだけロボットに心がある事を信じていられるかというのがテーマのような気がしたからなんです。
個人的な話をすると、身近に某犬型ロボットを購入し愛玩犬として可愛がっている人がいるのですが、オーナーの行動を見るとまるでその犬型ロボットに人間並みの複雑な感情があって、自分が愛されていると信じているような風体なので、話は合わせたりするけれど正直共感は出来ていなかったのです。
とても嫌な言い方をすると、ペットを飼える住環境による理由もあるのでしょうが、実際の犬では無く犬型ロボットを選んだ時点で「いいとこどり」をしようとする意図を感じてしまい、命を持っているが故の「勝手きままさ」や「病気や死亡」を避けようとし、都合が良い時に電源をオンにして、従順さのプログラミングによる「心地良さ」を享受しようと思っている風に見えてしまうからなんです。
映画でもロボットを購入しようとしたきっかけは、人間関係(動物だけど)に不器用なドッグが無条件に自分を受け入れてくれる相手を望んだからで、しかも怪しげなテレビショッピング番組を頼る位だから、恐らく最初は「パートナー的な存在」よりは「パートナー的なおもちゃ」ぐらいの期待だったのかもしれません。
しかし予想を裏切りロボットは彼の心を虜にしていき、本来は人付き合い(動物だけど)で学んでいく様々な事を一緒に経験していく事で、その行動はプログラミングからだけではなく、ロボットからの愛情であると確信(錯覚)していくんですね。
ロボットがビーチで動けなくなった時のドッグの必死な行動は、もはや機械に対しての対応ではなく、対等な者に対しての救済処置であったのですが、ここで改めて他人や社会の視点が冷静に組み込まれていく事で、改めてロボットが単なる機械で社会の規則を破ってまで助ける存在ではない事が示されてしまうのです。
ドッグは寂しさを感じながらもロボットを一旦諦め、なんとか苦手な社会生活に馴染もうと姿に、「歪な自分だけの世界なんか捨てて、人並に真っ当に生きる方が当たり前だろ?」という同調圧力を強いる村社会を見せられるようで、少し寂しくなりました。
また放棄されたロボットに近付く人間達(動物だけど)は、やはりことごとく彼を物扱いしかせず、種族の違う鳥だけが心を通わせる事が出来たという皮肉を見せ、何度も彼の夢の中でドッグのアパートメントに戻る事を見せられたので、視聴者である自分もすっかりロボットには心がある事を確信(錯覚)してしまうのです。
そう、ここらへんで自分の中にも変化が起こっていたのですが、某犬型ロボットを飼っている人達が彼らからの愛情を疑わない限りは、そこには確実に愛情が存在するって事を実感し始めたのです。
他人から見たら歪であったり理解出来ないものであったとしても、それが他人の迷惑に繋がらない限りは否定してはいけないし、人間同士の信頼関係にしたって契約事項でしたためているから成り立っているって訳でも無いので、曖昧で証明もし辛い事ではあるのだけれど、信じている内は確実に存在しているってだけなのだと気付かされるのです。
ロボットが廃棄業者に引き取られた際はバッドエンドを想像してしまいましたが、ラスカルの登場でセカンドチャンスを得て、ドッグも新しい友達ロボットを以前の感覚よりも大切に扱い始め、世知辛いけど別の形の幸せを見つけられて良かったと思っていました。
でも運命の悪戯でロボットがドッグを発見した際に取った行動が、普通の人間が行う判断以上に人間らしかったので、それまでの心無い登場人物(動物だけど)の誰よりも愛情深い事が分かり、滂沱の涙に至ったのです。
余談にはなりますがこの映画の色彩設計はとても目に心地よく、ずっと眺めていなくなるほどでした。
それから唯一不思議だったのは、ビーチにいったら水着を穿いていたのに、普段は何も身に着けず生活しているドッグの羞恥心の在り処についてだったんですけどね。
最後に涙が流れました
ドッグとロボット。ドッグは寂しさからAIロボットを購入。でもロボットがいなくなると喪失感はありながら、次の友達作りへと行動する。しかし、その間もロボットはドッグを忘れることなく一途に思い続ける。ドッグを人間に置き換えると、やはり心のまま、自分中心で生きているのが人間で、友達ロボットのように全てに優しく完璧になることはできないと痛感した。出会いがあって、別れがあることで、成長するのが人間なのかもしれない。そう思いたい。
最後に、別のロボットと歩くドックを見かけて、隠れながら思い出の曲をかけるところに涙が出た。しかも、カセットテープのタイトルにも。
ロボットの側に選択肢はないのか
とても可愛らしい作品。良かったところと、気になったところと 一つずつ
・良かったとこ
ロボットという設定ではあるけれど、性を持ち込まなかったこと。仲良くなりたいな、仲良くなれるかな、とおずおず手を握ろうと指を伸ばすシーンがあるが、ロボットに性が与えられていたら少し違った見方に見えてしまったろう。仲良くなりたいなと思う心の奥にあるものは、性差を問わないのだ。
・気になったところ
ロボットが飼い主を嫌いになるっていう設定もあってしかるべきでは。ずっと仲良しでいられるって、そう平坦なことではないはずなんだけど。
絵の可愛さで得してる
ほのぼのしたイメージでありながら、よく考えると現実的なメッセージが散りばめられている。
犬とロボットの交流と、そこからうまれる生活の変化。
セリフなし(うなったりはする)で物語を成立させているのはすごい。
1980年代のニューヨークが舞台のアニメ。
主人公は犬。ひとりの暮らしに寂しさを覚えて通販でロボットフレンドを購入する。自ら組み立てたロボットと外出するようになり、生き生きとしてくる。
夏になり、海に遊びにいく。ひと泳ぎしてから砂浜で昼寝。犬が目覚めるとすっかり日が暮れていた。ロボットを起こし、ふたりで帰ろうとするが、ロボットは体がさびてしまい動けなくなっていた。
犬はその日は帰って、再びロボットを助けに戻るが海水浴シーズンが終わって砂浜は閉鎖されていた。
LGBTを意識した作りなのかわからないが、友だち以上の感情であることは間違いない。しかし、他の人間にとってはロボットはただのロボット、金属の塊という扱いになっている。こういう設定は現実的だ。人間同士でも友だち同士は大切にするが、無関係な人はそんなものだろう。多様性の時代とはいえ、誰もが理解しあうという世界になっていない。
街並みのショットで、いつもツインタワーが描かれているのはなぜだろうと思っていたのだが、監督が「この映画は、もう二度と会うことのできない大切な人々へのラブレターとして作りました」とコメントしていることと、アース・ウィンド・アンド・ファイアーの「セプテンバー」が繰り返し流れるので、911を意識しているのだろう。
ペタっとしたアニメで人間が出てこないファンタジーな作りでありながら、内容はけっこう現実的だった。
このあたりの規模の作品が増えてくれると、また映画を観る楽しみが増えるので良い。
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