「遠く離れても、あなたの幸せを心から願う」ロボット・ドリームズ エビフライヤーさんの映画レビュー(感想・評価)
遠く離れても、あなたの幸せを心から願う
30代で急死した父は車好きで、奮発して購入した輸入車をとても大事にしていたそうだ。父が他界して20年以上経ったいまでも、街で父が乗っていたのと同じ輸入車を見かけると、母は車体にちいさく刻印された車台番号を目で追って確認する。「かつて手放した父の愛車を、どこかの誰かが、いまでも大切に使ってくれているのではないか」と期待を込めて。失った友人の面影をNYで探し求めるドッグの姿を見ていたら、そんなことをふと思い出した。
どんなに愛していても、別れは唐突にやってくる。遺されたひとは深い悲しみに包まれると同時に、自責の念に駆られることもあるだろう。あのとき目を離さなければ、いつもより1本早い電車に乗らなければ、一緒に高台へ逃げていれば…。この映画のドッグにあてはめるなら、「あのときロボットを海水浴へ連れて行かなければ」だろうか。大切な人との別れに、悲しんで苦しんで、明日なんて来なくていいと絶望しても、季節は巡ってくるし新しい出会いも生まれる。そうやって少しずつ前へ進んでいく。かつて愛し愛された記憶、喪った悲しみや苦しみ、そのすべてが柔らかな土壌となって新たな愛の芽が育っていく。親友と離ればなれになったドッグの日々のなかで、その過程が優しく描かれていく。
やがてドッグは新しい友達ロボットと出会うけれど、彼の悲しみがリセットされたわけではないと思う。かつての友情の記憶も喪失の悲しみも、彼の内に存在し続けていることはラストシーンを見れば痛いほど伝わってくる。「この街のどこかでロボットが生きているのではないか?」と期待するたびに失望で傷ついてきた瞳と、幸せな日々の記憶が詰まった曲にあわせて勝手に踊り出す身体。そんなドッグを優しく見つめる新しい友達ロボット。せつなさを感じさせる同時に、未来への希望を示してくれるラストシーンだ。
神谷美恵子の『こころの旅』という書籍にこんな記述がある。「大海原を航海する船と船がすれちがうとき互いに挨拶のしらべを交わすように、人間も生きているあいだ、さまざまな人と出会い、互いのこころのよろこびをわかち合い、あとから来る者にこれを伝えていくようできているのではないだろうか。じつはこのことを真の『愛』というのではないだろうか」
ドッグとロボットの船はそれぞれの航路を進んでゆく。遠く離れていく船から、お互いの幸せを祈っている。ふたりの新たな航路が幸せなものになるよう、私も祈りたい。
こんばんは。
レビュー拝読し,深く共感しました。
舞台になったNYという街にとって"September"は特別な意味があるわけですが,あれによる死別や分断の辛酸を嘗めた人々の傷が癒えるよう願いたくなりました。