「全編マーラー交響曲第5番まみれ!「悪」対「悪」のピカレスクな秀作ノワール(特撮風味)。」ゴールド・ボーイ じゃいさんの映画レビュー(感想・評価)
全編マーラー交響曲第5番まみれ!「悪」対「悪」のピカレスクな秀作ノワール(特撮風味)。
半月ぶりくらいの映画鑑賞。
ようやく仕事のピークが落ち着いて、観に行く時間が作れた。
敢えて久々の映画に選んだのは、『オッペンハイマー』でもなく、『ドル三部作』でもなく、当初はまるで観るつもりもなかった『ゴールド・ボーイ』!
実は、映画.comのコメント欄で某氏から「全編でマーラーの5番が使われていますよ」との抵抗しがたいお薦めを頂いており、それならばとマーラーオタクの僕としては足を運ばざるを得なかったのだ。
まずは、エンタメ映画として、ふつうに面白かった!
金子修介って平成ガメラとか庵野のシン・シリーズしか観たことなかったけど、こんなクライム・サスペンスも撮れるんだな。
まあでも、ネタバレ無しだとあまり中身に踏み込んではいけない映画なんだろうね。
番宣で明かしてある程度まではしゃべっていいのかな?
内容的には「沖縄を舞台とした中華風ノワール」といっていいだろう。
「悪」対「悪」の高濃度のピカレスク・ロマン。
かなりどぎつめのアンファン・テリブルもの。
青春映画×犯罪映画。大人を舐めるなVS.子供を舐めるな。
原作は中国の2014年の小説で、向こうではドラマ化もされているらしい(未見)。
こういう座組で邦画が撮られるのって、今までに前例あったっけ?
ちなみに、御大スティーヴン・キングには『ゴールデン・ボーイ』という有名な中篇があって(映画化もされている)、こちらは「元ナチス高官である老人の正体を見破った子供が、老人を脅迫して言いなりに動かす」という話。間違いなく本作の原作は影響を受けているはずだし、今回の映画タイトルもキングへのオマージュとしてつけられているらしい。
とにかく、第一印象としては「容赦がない」(笑)。
これに尽きる。そして、そこがいい。
僕は、(『バッド・ルーテナント』の感想でも書いたけど)悪党が活躍する映画が大好きである。
それも、どうせ「悪」を描くなら、そう簡単に改心なんかしてほしくないし、情にほだされたりもしてほしくない。視聴者の反応を気にしてマイルドにされた悪なんて見たくない。徹底的に冷徹で、気持ち悪くて、私利私欲のために人を害することをまるで厭わない、正真正銘の腐った悪が跋扈し、勝利する様を見たいと思う。
その意味では、この映画はじゅうぶんに清々しく、また潔い作りとなっているのではないか。少なくとも本作に出て来る「悪」は、『バッド・ルーテナント』のハーヴェイ・カイテルなんかよりはずっと性根が腐ってるし。
この映画では、ふたつの悪がせめぎ合う。
『ジェイソン対フレディ』とか、『エイリアン対プレデター』みたいに。
あるいは『ゴジラ対キングギドラ』とか。
昔、『ストーカーズ』という、ひとりの女性に付きまとう複数名のストーカー同士が女性の占有権をめぐってお互いに殺し合うという、最高にイカした小説があったが、本作でも、ろくでもない悪が登場したかと思いきや、その悪を食い物にしようとする別の悪が登場して、壮絶な裏の読み合いが展開する。
さらに、ここに「そこまで悪に徹しきれないちょいワル」が複数名絡んできて、悪に徹しきれないゆえに、それぞれがかなり悲惨な末路を迎えることに。
圧倒的な悪の前に、ちょいワルはただ利用され、消費され、しゃぶりつくされる。
このあたりの弱肉強食ぶりが、実に爽やかですっきりしている。
悪は、常に「上位の悪」に支配されるものなのだ。
とくに、あれだけ甘酸っぱい演出とかしておいて、そこそういう扱いかよ??ってのは、結構本当に容赦がなくて笑ってしまった。こいつにとって、そのあたりはマジで「それはそれ」「これはこれ」ってことなんだろうな……すげえサイコパス(笑)。
あまり言うとただのネタバレになってしまいそうだが、この映画、なにかにテイストが似てるなあと思ったら、最近リメイク作が上映され始めた某有名ホラー映画に近いのかもしれんね。育ててくれた親に対する無慈悲な姿勢とか、目的のためなら手段をいっさい選ばない(あるいは目的達成のために徹底して手段を選びまくる)姿勢が●●●●そっくりなんだよな、こいつ。
エンド・クレジットのあとに●●ネタが出て来るのも、それっぽいし(笑)。
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ただし完成度の高い映画かというと、意外に適当に作ってある感じもあって、むしろ全編に漂う「B級感」こそが、特徴的といえば特徴的かも。
出だしに出て来る被害者の老夫婦役の三文芝居からして、深夜の健康食品のCMみたいな素人ノリで、違和感がマジで凄い。他にも「普通の映画だったら猛烈に陳腐かもしれない」俗っぽい演出や品のない撮り方が、比較的無造作に、そして頻繁に差しはさまれる。
おそらく、これらは「敢えて狙われた」キッチュ感だ。
この作品は意図的に「B級」ノワールを目指して作られている。
ストーリーも凝りに凝ってはいるのだが、いろいろ穴もあって決してウェルメイドではないと思う。アイディア優先で突き進んでいて、登場人物の心理描写だとか行動原理に関してはツメが甘いと思われる部分も多い。犯行計画に関しても、「そんな簡単にはいかないだろう」みたいな、適当にまあいいやで済ませているようなところが散見される。
毒の入手方法や効き方の適当さ、無能な警察捜査のステロタイプな描写などもひっくるめて、「敢えてチープに作ってある」感じはどうしても否めない。
ラストに至る展開にしても、『レザボア・ドックス』じゃないけど「全員●●」ってのは、どこか子供の書く脚本みたいっていうか、厨二病的なところはあるんだよね(笑)。
この作品は、そういう適当さ、チープさを「テイスト」として間違いなく必要としていて、だからこそ、そこに過剰で漫画チックなまでの「悪」対「悪」の壮絶な鍔迫り合いを導入しても、浮かずにしっくりフィットしているということだろう。
要するに、この作品はクエンティン・タランティーノやブライアン・デ・パルマや三池崇史あたりのおバカサスペンス映画と同様、B級感たっぷりの「品のないフィルム・ノワール」を敢えて模して、殊更「露悪的」に作られているのだ。
あるいは、もっと正確に言うと、「東映の平成仮面ライダーシリーズのような演出で」ピカレスクのノワールを撮ろうとしている、とでもいうべきか。
そうそう。このノリ。配役含めて、なんか東映特撮っぽいんだよね。
ときどき素人演技も混じって、あざとくて、割り切ったチープさがあるんだけど、そんなことがどうでもよくなるくらいに、とことん過剰で、カッコよくて、刺激的で、首根っこ持って引きずりまわされるような感じって、まさに『龍騎』とかの醸し出してる魅力になんか近くないすか??
ED曲が倖田來未ってのも一瞬なんで??って思うけど、そういや庵野の『キューティーハニー』とか『仮面ライダーギーツ』の主題歌歌ってたし。
そう考えると、一見そうでないように見えて、やっぱり「特撮出身」の金子修介らしい映画なんだよね、すっごく。
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で、肝心のマーラーの交響曲第5番はというと……。
確かに全編を通じて使われていました!!
まさにマーラーの5番まみれといっていいくらい。
4楽章のアダージェットを用いているドラマ/映画というのはときどき見かけるが、他の楽章も含めてBGMに使用しているケースというのは結構珍しいのでは?
ルキノ・ヴィスコンティの『ベニスに死す』はマーラー・リヴァイヴァルの立役者として有名だが、アダージェット以外は交響曲第3番と第4番と歌曲から断片的に使用しているくらいか。ケン・ラッセルとパーシー・アドロンによるマーラーの伝記映画は使っていて当然だけど、意外に使用は限定的である。あとアニメだと『涼宮ハルヒの憂鬱』での交響曲第8番の使用とか。
最近だと『TAR』(交響曲第5番の演奏シーン)と『マエストロ』(アダージェット&交響曲第2番の演奏シーン)も印象的だったが、どちらもBGMとしての使用は限定的だったと思う(前者はオリジナル・スコア、後者はバーンスタインの自作曲がメイン)。
なんにせよ、こういうクライム・サスペンスとかノワールでマーラーが鳴り続けてるってのは、なかなか新鮮な体験だった(山場での使い方としては『野獣死すべし』のショスタコーヴィチに近いか)。
しかも、通例はオケがきちんと弾いたスコアどおりの演奏から「切り出して」BGMにつけるケースが大半だが、今回はなんと場面に合わせて自在に編曲して、曲ピタで合わせてある! 映画音楽でのクラシック使用において、あまり例のない実験を行っているのだ。
ストリングス以外にバンバン、シンセサイザーっぽい電子音も使用してるし、徹底的に「クラシック楽曲」としてではなく「映画音楽」として「加工しまくって」メロディを利用している。
好き嫌いはあると思うが、個人的にはこれはこれで面白かったので、いいんじゃないかと。
昔からフィギュアスケートの試合を見ながら、ろくでもない曲接ぎの連続に唖然とし、これならだれかにうまく編曲してもらって4分で自然に終わるように作ればよいのにといつも思っていた口なので(とくに浅田真央選手とか)。
僕の愛するアニメ『プリンセスチュチュ』で和田薫がアニメ向けに全曲振り直したように、「映画の意図に合わせてかっちり当て込む」ためには、ちゃんと音源は既存の演奏ではなく「映画に合わせて用意する」のがむしろ本筋なのではないか。それに、「狙ったチープさ」や「B級感」に、「シンセとかで適当にいじったクラシック」の俗な加工感はむしろマッチしている気もする。
楽曲使用としては、マーラーからアルマへの愛のテーマとされる「アダージェット」はちゃんとデートシーンなどで用いられていたし、冒頭の4連音はきちんと「運命の動機」として機能していたし、いろいろと考えて当ててあったように思う。主人公の少年が第一楽章のトランペット主題を歌いながら沖縄の街を歩いていくシーンを見つつ、「この曲がこんな使い方されるとかマーラーもよもや思ってなかったろうなあ」と(笑)。
マーラーは美メロの宝庫だから、今後ともぜひ皆さん映画やドラマで使っていただけることを希望する。とくに交響曲10番(クック編曲版)の終楽章のフルートの奏でるメロディあたりは、まったく人口に膾炙していないので超おすすめです!
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まあとにかく岡田将生くんは、相変わらず最高だった。
昔は顔に演技がついてきていない印象もあったが、NHKで『昭和元禄落語心中』を観て以来、この人使い道次第ではマジで日本最強の美男俳優なんだなとその魅力に開眼し、キャリア形成を本当に楽しみにしている俳優さんのひとり。ゲスい役やらせるとホントうまいよね。
羽村仁成くんは旧ジャニーズJr.なのか! 番宣とかで強調してないから気づかなかったよ(笑)。いやあ目つきがいいねえ。とにかく繊細な演技を貫いてて素晴らしかった。出だしと終盤で演じ方と空気感を激変させる必要があるわけだが、そこを本当に「さらっと」こなしていた感じで超優秀。
個人的に注目したいのは前出燿志くん。普段の雰囲気とはまるっきり違う、少年時代の山崎裕太みたいなキャラを器用に作り上げてて、この子結構出来る子じゃないか!と。
あと松井玲奈は、なんかドラマや映画で観るたんびに●されてて笑う。江口洋介はちょっと見ない間にずいぶんと老け込んでいた(見栄晴みたいになってたw)。星乃あんなちゃんは千葉県出身なのにFolder顔でなんか沖縄感あったな。なお北村一輝は相変わらずいっこく堂に似ていた。黒木華はいつもながらの芸達者ぶり。終幕まぎわの「まだ早すぎるでしょ!」って台詞に場内で僕一人がゲラゲラ大爆笑していてちょっと顰蹙ものでした(笑)。
あと、中華スタッフが多数関与しているからか、全体に画面の色調が日本にはない感じで独特というか、沖縄らしい極彩色はとらえながらも、総じて「スミっぽい」(印刷用語で4色印刷でブラックが勝っていること)雰囲気があって、いかにもノワールっぽくてうまくハマっていたように思う。
これだけ面白い映画が撮れるのなら、今後も中国との合作映画にはぜひ期待したいところだ。
じゃいさん、御多忙のところ、妙なモノをお薦めしてしまいスミマセンでした。
本作、プロットそのもの以上に、その独特のチープさが最大の謎ですよね。
じゃいさんは「意図して狙った」と比較的好意的に評しておられるようですが、金子修介監督には、先日亡くなった寺田農御大を主演に据えた豪華キャストによる実質時代劇自主映画『信虎』で似たような出来栄えの前科があるもんで、小生はついつい疑いの目で見てしまっています。
それに、何つっても、マラ5の使い方。いまだかつて主人公に、あの冒頭ファンファーレを鼻歌で歌わせる発想って全世界的になかったはずなんで。アレンジで、メロディラインまで変えちゃうってのは、かなり大胆で、かつチープ感まで漂わせるって‥‥
あれ、やっぱり、色々わざとなんですかね(笑)。