君の忘れ方のレビュー・感想・評価
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忘れても、思い出すから
喪失からの再生という有り触れたテーマながら、少し変わったアプローチが個人的には好印象。
劇中で哀しみを抱えた人物のほとんどが自分勝手だ。
向き合い方はそれぞれなのに、自分のそれを相手に押し付けたり、相手のそれを簡単に否定したり。
昴や池内が顕著だが、一番ヤバかったのは母。
ストーキングはまだしも、極薄の根拠で医師の責務を放棄した件は一発くらいぶん殴られるべきだ。
それ故に観ていてイライラしたりもするが、そのぶん昴が母の目を覚まさせるシーンは良かった。
「自分の死後、遺された人にどうあってほしいか」は、別れた恋人への感情にも似ている気がする。
自分は、知らないところで幸せでいてほしい、かな。
ハッとさせられたのは、「忘れるのではなく、思い出し方を変える」という考え方。
割と序盤で出てしまったが、これが答えだと思う。
本作で印象的だったのは、やはり西野七瀬。
台詞はほぼ録音音声のみで、表情と台詞を組み合わせた芝居は完全に封じられた状態で好演していた。
特に昴の前に現れる際の哀しみでも喜びでもなく、かといって無でもない表情は絶妙。
また、久しぶりに見た岡田義徳のヤバさと人の良さを同居させたバランスも見事。
何となく全員がぬるっと前向きになったのは正直物足りない。
あれだけ関わった『つきあかりの会』を投げっぱなしで終わったのもややモヤモヤする。
死期を悟っていたかのような録音もご都合主義。
特に好きなキャラやエピソードも思い当たらない。
それでも、新しい視点を与えてくれた点は評価したい。
全編暗さMax、方向性誤っててちょいホラ-感ずるわ。BGMが良くないかな。
今、噂の坂東龍汰さんをチェックしに劇場へ。
今日は「君の忘れ方」を観ましたよ。
原案:一条真也氏『愛する人を亡くした人へ』
監督:作道雄氏
------MC----
森下昴(恋人・美紀を事故で亡くす):坂東龍汰さん
柏原美紀(昴の恋人、交通事故死):西野七瀬さん
森下洋子(昴の母、不慮の事故で夫を亡くす):南果歩さん
牛丸清太郎(心のケア団体):津田寛治さん
池内武彦(ケア団体で出会う):岡田義徳さん
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展開流れは、主人公の昴が 恋人の美紀と出会い、事故死で亡くす。
開始早々で恋人葬儀。説明浅すぎて分けわかんねぇ。
写真切り取ったら そのまま遺影に。何じゃそら。
そこはまぁいい。
そして傷心で岐阜の実家に戻る昴。
実家は母が一人暮らし・・・
実は父も不慮の事故で亡くしてた。
母も自分と同じ思いに?なってる? と思いたいが、実は違った。
夫を死なせ 逃げた犯人を追っていたのである。20年も。
一度 別人を犯人と思い込み追い詰めて周囲に迷惑をかけた経緯が。
そして 今度も・・・
一人ぐらしの母の実家に 同居人カップル二人が居て。
何かがオカシイ。
時々現れる 恋人の幻影??
幻影って言うより 影あるしそのままの存在で出て来る。
台所に現れる姿が 微妙にコワイww
そしてBGMが また嫌な感じで。 ホラ-を感じる。
一度思うと 頭からホラ-が離れない! ツボにハマってしまった。
次は 池内武彦の言動と仕草だ。見えない亡くした彼女が見えるって設定。
岡田さんの絶妙なキモさが際立って キャラが浮きまくる。
色んな面で 怖さしか 感じられん。 ヒぇ~ (;´・ω・)
母役の南果歩さんが 一番シッカリしてて真面に思えたのだが。
実は 同居させた男が夫を死なせた犯人だと思い込んでる。
つまり 家に置いて男の素性を洗おうとした訳ですね。
一番 コワイっす。
しかも 看護婦? 男の体調を救うために注射打ったが
容態が変に・・・悪化。 実は打って無かった。
息子の昴が 必死に母に言う
”母さん、それは父さんが望む事なの?”
咄嗟に我に返る母は正気に戻り、同居の男に正しく注射し病院へ。
ここの場面だけ 良かった所でしょうかね。
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多分、失くした恋人や夫への想いを癒す流れ展開を
組みたかった様なのですが、出来てませんね。
ホラ-感出ちゃってて BGM入れた人に もうちょっとセンスを
求めたい所ですかね。
恋人役の西野さんが 全然活かしきれてないし、
昴役の坂東さんの 顔だけで、良さがもっと引き出さないと
勿体ないかなと 思った作品でした。
観た事を忘れたいかもですw
場内は坂東さん目当ての女子がチラホラ、多かったでしょうか。
気になる方は
劇場へGO。
リアルに感じました
私はグリーフケアにさほど興味がなかったのですが、この映画を見て、素敵な活動だと思いました。
母を失くして沢山泣いたけれど喪失感はあまりなくて、大学病院に献体したので遺骨になったのが遅かったのですが、数ヶ月もの間、母の魂が宿っているかのように或る曲の一部が脳内に流れて支えられました。今でも見守ってくれていると思えるし、他にも色々あって、この映画をリアルに感じました。観て良かったです。
タイトルは「君を忘れない」とすべきでは?と思ったりもしたけれど、主人公は忘れようとしたわけだし、私としても、母が生きているうちはその愛を思うことが出来ず色々なことを経て今は思えるようになって、意識の変革が起きたので、このタイトルはそのためかなと納得するところもあります。
去ってしまったあなたの姿が、残されたものによって、変わってしまう怖さもあると思う
2025.1.20 イオンシネマ京都桂川
2025年の日本映画(107分、G)
原案は一条真也のノンフィクション『愛する人を亡くした人へ(PHP文庫)』
婚約者の突然の事故死で自分を見失う青年が、グリーフケア活動にふれていく様子を描いたヒューマンドラマ
監督は作道雄
脚本は作道雄&伊藤元晴
物語は、東京のラジオ局にて構成作家をしている森下昴(坂東龍汰)の番組に、彼の婚約者・柏原美紀(西野七瀬)がゲスト出演をする様子が描かれて始まる
美紀はフードコーディネーターとして活躍し、昴の番組にて、その活動を報告することになった
スタジオから離れて彼女を見守る昴は、一足先に帰宅し、彼女の好物のカレーを作って待つことになった
だが、彼女はいつまで経っても昴の元には帰って来ず、代わりに残酷な訃報が届いてしまうのである
美紀はバスト乗用車の事故に巻き込まれて亡くなっていて、それは結婚式を挙げる寸前のことだった
葬儀社のスタッフ(一条真也)から「グリーフケア」のことを聞いた昴は、ラジオにてその特集を組むことになった
著名なカウンセラー・澤田(風間杜夫)の取材をすることになった昴とディレクターの木下(森優作)は、彼の活動について色々と聞いていく
だが昴は、一連の話をおかしく感じてしまい、澤田は自身の経験則を交えて、その場の雰囲気を保った
物語は、母・洋子(南果歩)から「たまには親の言うことを聞いて、実家に顔を出せ」と言われるところから動き出す
昴は仕方なく飛騨に帰ることになり、木下は、そこにもグリーフケアのグループがあると言う
そこで昴は、取材と称して「つきあかりの会」の主催者・牛丸(津田寛治)の話を聞くことになった
その後、参加者を交えた飲み会に誘われた昴は、そこで会の異端児・池内(岡田義徳)と出会うことになった
彼には亡き妻が見えていて、二人分の料理を用意させては晩酌をするような男で、そのことを知らない店員とトラブルが起こるものの、参加者たちは「またやってる」と呆れていた
池内は初対面の昴に対して、いきなり「病死? 急死?」と不躾に聞いてくる
「急死」だと答えると、同胞を得たかのようにはしゃぎ出し、誰にでも見えると言い始める
昴は、池内に興味を持ち始め、彼から「見えるレクチャー」を受けることになったのである
映画は、近しい人との突然の別れを描き、カウンセリングを無意味だと考える昴が描かれていく
彼は悲しみの淵にいながらも笑うシーンが多いのだが、それは同等な悩みを持たない人の軽々しさを嘲笑っているように思える
特に澤田の持論には議論を吹きかける勢いで挑発をするのだが、カウンセリングが何を癒すのかがわからないというよりは、そんなことをしても何も変わらないと思い込んでいるように描かれていた
池内との奇抜な行動も、当初は興味本位だったが、実際には上から目線でバカにしているところがあって、見えたから何なのかという思いがある
そんな昴にも転機が訪れる
それは、雲海の絶景を見ながらも、感動をが分かち合う存在がいないことに気づいたことだった
そして、彼女が残した音声を聞くことによって、美紀の隠された本音と、自分の中で作り上げていた美紀像との乖離に絶望を感じてしまうのである
母の友人である便利屋の翠(円井わん)との会話において、「覚えているから辛いのか、忘れていくから辛いのか」というセリフがあった
忘れたくないという思いと同時に、忘れられずに囚われ続けることの怖さがあるのだが、池内は明確に「お別れをしたくないから葬式もしていない」という
池内は、明確に忘れる怖さを感じていて、それを繋ぎ止めるためにいまだに日常の中に亡き妻を存在させている
相手との関係性を考えるにあたって、急死からの心の持ちようは難しく、池内のように割り切って、周囲の反対を押し切って強行することは難しいと思う
何となく世間体に乗っかって、流れでことを済ませて、悲しむ間もないままに気づけば一人になっている
昴が笑ってしまうのは、このシステマティックな別れの強制であり、その流れの上にカウンセリングが載っているように思えるからなのかもしれない
「 愛する人を亡くして悲しんでいるでしょう? さあ」という、人の心のスピードとかタイミングを無視した一般論は、それ自体が狂気でありながらも、大事な時間を奪うことに繋がっているのかな、と感じた
いずれにせよ、突然ではないものの、妻が早逝したこともあって、10年前を思い出しながら鑑賞していた
昴のように笑うことも、池内のような考えに至ることはなかったのだが、思い出のアップデートがされない辛さというのは理解できた
また、亡くなった時に固定されてしまうのは思い出だけではなく、その人のことをどれだけ知っていたかという自分の認識も止まってしまう
よく言えば「自分の理想としての相手の記憶だけを残す」というものなのだが、昴にとっての音声のように、自分の知らなかったものが次から次へと押し寄せてしまうという辛さもある
亡くなってから遺品整理をしているときに知る相手の一面であるとか、そう言ったものは美化されずに残ってしまい、相手の不在のままアップデートされてしまう
それは、それまでの相手が別人のように思えてしまい、その乖離が広ければ広いほどに、辛さというのは増幅されていく
本当の別離とは、知らない部分の発見によって起こってくるのだが、実際には見過ごしてきた部分の顕在化であって、それを見ようとしなかったのは何故かを問うことになる
そう言った意味も含めると、その穴埋めをする時間を奪われる突然死というのは、まことしやかに辛さを増幅させるのかな、と感じた
たとえ忘れても思い出す
何とも不思議な映画である。
グリーフケアの話なのかと思ったら、恋人を亡くした主人公は、そうした集まりを取材するだけで、自ら参加することはない。
死んだ妻が見えるという男が出てきたり、主人公自身も恋人の姿が見えるようになるのだが、そのまま、オカルト的な話になるのかと思ったら、見えているのは死者の霊ではなく、生きている者の脳内現象であると分かってくる。
おそらく、ここで描かているのは、ベテランのカウンセラーがインタビューの中で語っていたような「死者との関係性」の話なのだろう。
例え幽霊であっても愛する人に会いたいという男の気持ちは分かるし、忘れられないことも、忘れていくことも辛いのであれば、いっそのこと、全て忘れてしまいたいと思う主人公の気持ちも理解できる。
通り魔事件で夫を殺された主人公の母親が、執拗に犯人を探そうとすることも、ある種の死者との向き合い方なのだろう。
「妻の姿が見える自分はおかしいのか?」と尋ねる男に、「出てきてくれるだけで羨ましい」とグリーフケアの担当者が答えるように、「死者との関係性」に正解はないのだろうし、それは、時間の経過とともに変わっていくものでもある。
それが、いつになるのかは分からないし、それこそ、人それぞれなのだろうが、やはり、「普段は忘れていて、時々思い出す」くらいになることが、一つの理想的な関係性であるに違いない。
そんなことを考えさせられた映画ではあったのだが、ただ、それだけだったところには、物足りなさが残った。
岡田義徳さんの独白と津田寛治さんの返しが最高に好きだし肯定って大事だなって教えてくれる作品
ひたすら退屈
森下昴は結婚間近の恋人・柏原美紀を突然の事故で失ってしまった。昴は茫然自失の日々を過ごし、見かねた母・洋子は実家のある飛騨に帰るよう連絡した。洋子も昴が7歳の頃に夫が通り魔により急死し、落ち込んでいたが、久しぶりに会った彼女は元気で、きっかけがあれば立ち直れるのではと思い、グリーフケアの会、つきあかりの会、に参加してみた。しかし、昴はうまく悲しみと向き合えず、池内武彦から、寂しくなった時、亡き人の幽霊を召喚する方法があると言われ、試してみる事にした。そして・・・そんな話。
あまり抑揚もなく、終始暗くて、退屈だった。
美紀役の西野七瀬を楽しみに観に行ったのに、すぐ死んで、幽霊としての出演は有っても全く喋らない。残念だった。
美紀は事故死らしいが、バスで老婆に席を譲った事と関係があったのか不明。すぐに葬儀会場になったし、何だったんだろう?
そして、美紀のお母さんから、美紀の事を忘れないでね、なんて言われ、そんな事を言ったら昴が次に進めなくなるとは思わなかったのか、おかしな事を言うな、と思った。
感じることは人によって違う
このポスター。
「ねぇー 次は、いつ会える?」
恋人の美紀(西野七瀬)を交通事故で失った昴(坂東龍汰)が彼女の魂か霊と何度も会い、語り、笑ったりするからこの言葉なんだろうと思っていた。
違ったどころではなかった。
私は昴ほど近しい人を突然失った経験がない。それは恐らく幸せであり、幸運とさえ言えるかもしれない。しかし愛する人の喪失感は登場人物達のように色々だろうとは分かる。
スクリーンから目が離せなかった。淡々と物語が進むようで時にどきりとする。なぜか分からないが誰にも引きつけられた。違う想いを持っていることにも、静かと思えば激情になることにも違和感はなかった。
理屈ではない。昴がそう感じるからそうなった。表情を抑えた坂東さんと西野さんの姿が無理なく心に入る。
面々の中で昴に大きく関わる池内(岡田義徳)。自分の側に妻がいると言い、愛称で呼ぶように昴に持ち掛ける。そんな池内が美紀の姿に川の中へと進んだ昴を抱え止め、危なかった、恋人に引かれていると話す。ふっと意識を戻させるセリフ。池内は死を恐れ、妻の元に行くことは望んでいない。
その池内の「妻」目掛け現実を見ろとボールを激しく投げる昴。池内からしたら八つ当たりに近いだろう。その池内が一人山に入り何を考え、どうしてあの結論に至ったか過程は分からない。
それでいい。人の心情を全て説明する必要はない。分かったのは妻に会えたことがない牛丸(津田寛治)は池内を羨ましく思っており、池内はこのまま妻と一緒にいたいという想いだ。何も知らない人から見れば池内は「不気味な人」になるが、妻の手に自分の手を乗せる姿を否定したくない。池内の隣に妻がいる。それでいいのだ。
ラストで誰も座っていない座席を見つめていた昴。美紀が見えたのか、見えなかったのかこちらには何も言われない。でも昴は見えなくても美紀に側にいて欲しいと言った。そこに美紀はいたのだ。例え昴の想像であったとしても充分だ。
観ていて涙ぼろぼろにもならないし、腹を抱えて笑うこともない。もし私が突然旦那や子供を失ったら隣にいるかのように話しかけてしまうか、やはりいないのだと分かり絶望する。どちらの私も安易に想像できる。
この映画、好きです。
会えるものなら会いたいけれど
亡くなった人への想いは人それぞれで、絶対的な正解はない。
池内さんはおかしな人に見えるけど、受け入れられずにいても間違っているわけではない、妄想や空想でも。
牛丸さんが池内さんにかけた言葉が印象的。会を主宰してたって、どんなに乗り越えようとしていたって、やっぱりいつまで経っても会いたい気持ちは変わらない。
こういう役どころで津田さんの声は、優しくて心地よい。
全体的にいい内容だとは思うのだけど、お母さんのパートは結局のところ有耶無耶で、中途半端になってしまった感があるので、変にスリラー的にせず違った切り口の方が良かったかなぁ。
音楽がところどころオカルトに寄っていた箇所があったのも少々残念。
珍しく全話観たドラマが『ライオンの隠れ家』だったので、みっくんと小野寺さんがフツーに喋っていたのが、なんだか不思議。
亡くした人への向かいあい方
君の忘れ方、というよりは、亡くした人とどう向かいあうのか?が
ストーリーの骨格ですね。これがメッセージだと思いました。
亡くした人の霊っぽい表現があるのですが、
劇中、主人公昴(坂東龍汰)が「見えているフリ」と言い放つシーンがある通り
たぶん霊はいないと思うんですね。
そういうことではなく、自分の脳裏に焼きついている婚約者美紀(西野七瀬)の
姿の想像だと私は捉えました。
でもまあ何とも言えません。こればっかりは。
ただ、そこが大事なのではなくて、亡くした人とどう向かいあうのか?が
メッセージなんですよね。
昴の母(南果歩)も亡くした夫と向かいあうし、
昴が関わった人たち、みんなそう。
どうやって前に進んでいくのか、
前に進めない池内(岡田義徳)をその象徴的な存在として、
池内も前を向くことで昴も母も前を向いていく。
亡くした人を自分の体に取り込んでいく、自分の一部にしていく、
そういうメッセージでしたね。
本作で特筆すべきは、坂東龍汰の演技です。
ほぼ出ずっぱりだったんじゃないでしょうか。そのくらいの演技量ですし、実に自然。
それから南果歩の母親は盤石の演技で、本当の母子かのような雰囲気を出していたのは
すごいなと思った次第です。
西野七瀬はほぼセリフがなく、ちょっと寂しかったですが、役柄的に致し方ないですね。
劇伴がですね、ちょっとおどろおどろしいんですよね。そういう映画ではないのに。
ここはミスマッチに感じました。エンディングの坂本美雨の歌唱は良かったです。
せっかくの設定を活かしきれていない
忘れ方
大切な人を失ったときに人はどう向き合うべきか。
予備知識0で観たので全く違うストーリーを想像していましたがこういうお話だったのですね。
私自身はまだそういう大切な人を失ったことがないので自分だったらどうするかなということを考えながら観ていました。
結論は出ないことだと思いますが、自分なりの考えとしては大切な思い出を忘れない事も大事ですがそれに囚われ過ぎず、劇中にもあった「忘れても思い出すから」というスタンスにもっていけるように頑張るのが良いのかなと思いました。
余談ですが私は西野さんが好きで観ましたが同様の方は「西野さんの出番は少ない」ので注意が必要です(笑)
セリフは一つもないです(録音音声を除く)
断捨離
事故で婚約者を亡くした男が、グリーフケアを知り前を向いていく話。
東京でメディアの仕事に携わる青年が、結婚式の準備をしている段階の婚約者をバスの事故で突然亡くし、心を無くしたかの様な状態になる中、心配する母親に導かれ飛騨高山の実家に帰って巻き起こっていくストーリー。
幼い頃に通り魔に父親を殺され、母親も心を無くしゴミ屋敷で暮らしていたという話しだったけれど、家に帰ってみるとお片付け中?
そんな流れは良かったけれど、グリーフケアを通じて知り合った「フリ」の男とかなんだかね…実際にもこういう人たちは一定数いるんだろうけれど、この手の話しに持ち込んだ上にそういう絡め方ですか…。
しっとりした話しだからある程度は仕方ないけれど、回りくどくてテンポも悪く感じてしまったし、強メンタルな上にオカルトを信じない自分には合わなかった。
西野七瀬は少ししか観られない
【”見えなくても、近くにいてね。”今作は愛する人を亡くした男の生き様を描いた喪失と再生の物語である。名脇役津田寛治、岡田義徳、南果歩が脇をガッチリ固め、派手さはないが見応えある小品だと思います。】
■昴(坂東龍汰)は、結婚間際に恋人のミキ(西野七瀬)を事故で失う。平静を保っているが、仕事である雑誌のインタビューでも失礼な言動をしてしまい、一時郷里の飛騨に帰郷する。だが、そこにも愛する人を通り魔事件で失った母(南果歩)を始め、喪失感を抱える人達が生きて居た。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作は、映画の王道である”喪失からの再生”をテーマにしているが、哀しみを抱える夫々の人々の喪失のシーンは描かれない。敢えての演出だろうと思う。巧いと思う。
・昴はミキに教えて貰った日本酒を少し隠し味として入れたカレーを頻繁に作る。彼なりのミキへの想いが伺えるシーンである。
■飛騨にも、母を始め、妻を事故で失ったイケウチ(岡田義徳)やグリーフケアの会を開く温和な男(津田寛治)が住んでいる。
イケウチは、妻が傍にいるフリをして生きており、温和な男は自分と同じように心に傷を抱える人達のために、グリーフケアをしている。
ここで、見えるのは夫々の喪失を抱えた人たちの描き方であろう。特にイケウチの姿は痛々しいが、彼の妻に対する深い愛が伺えるのである。それは、温和な男もそうである。
・母が自分の家に、便利屋吉田&牧田(円井わん&小久保寿人)を呼んで、夫が亡くなってから溜まっていた荷物を片付けて貰っている理由が分かるシーンは哀しいが、母が牧田が持病の喘息を拗らせた時に注射を打つ振りをし男を病院に運ぶ車内で昴が”それでいいのか!”と言った際に、母は憑き物が落ちたかのように再生していくのである。
・イケウチも又、昴の問いかけにより、再生の一歩を歩んで行くのである。
<そして、昴も自分の傍に現れたミキを優しく抱きしめた後に、冷蔵庫に入れていたカレーを捨て、再生していくのである。
今作の映画タイトルは「君の忘れ方」であるが、私は時が過ぎれば忘れがちになる大切な人の「思い出し方」を描いた作品であるのではないかなと思ったな。
昴も、ミキの事を想い出すには、”日本酒を少し隠し味として入れたカレー”を作って食べれば良いのではないかな、と思った、派手さはないが佳き小品である。>
今年最初の
全50件中、21~40件目を表示