「来年の正月は俺たちに宇宙旅行を配ってくれ」僕が宇宙に行った理由 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
来年の正月は俺たちに宇宙旅行を配ってくれ
金持ちは宇宙に行くべきだと俺は思う。そんな金があるなら本当に金を必要としているところに寄付しろ、という批判は最もだが、夢がない。夢を見ることはこの世界で人間だけに与えられた唯一にして最大の特権であり、それを行使することで人間は進化を続けてきた。
ただし、宇宙へ行くには莫大な金がかかる。人間として生を受けるという奇跡みたいな条件を満たしたうえ、なおかつ人類の上位0.01%に入るほどの富を有している必要がある。俺だってできることなら宇宙に行きたいけど、後者の条件をこの先一生かけても満たせる気がしない。
前澤友作は言うなれば「夢を見る権利」を有している数少ない人間だ。そして彼が宇宙へ行くことは人類にとって底知れぬ価値があると思う。
前澤はロシアの宇宙開発研究センターで何ヶ月にも及ぶ訓練を受けた。グルグル回る椅子に座らされたり、緻密な宇宙船内構造を覚えたり。宇宙旅行という商品を買った「お客様」にしてはあまりにも身を粉にしているといえる。その双眸の先には未知なる宇宙に対するひたすら純粋な憧憬、つまり夢があった。
彼のこうした努力に対して冷笑を浮かべる者があれば、俺はそいつを卑しい奴だと思う。お前はその悟り切った表情を映画や文学をやっている人間に対しても同じように浮かべるのか?と思う。
…とここまで仰々しく述べてきたものの、前澤に対するある種の畏敬の念は次第に落胆へと変わっていく。
「世界平和」みたいな単語が明滅したあたりでちょっとヤバいな、とは思ったが、案の定だった。
遂に宇宙ステーションへと辿り着いた前澤が遥か下方の地球を見た感想は「地球には国境はない」というものだった。このセリフ自体、使い古されていて陳腐といえば陳腐なのだが、それ以上に、宇宙にまで行ってお前は何を見とるんやという気持ちになった。
宇宙に行ったんだから宇宙を見ろよ。地球なんか見なくていいだろ。
ここへきて前澤が純粋に宇宙を目指していたのではなく、あくまで宇宙から見た地球を目指していたことがわかってしまう。あまつさえ彼はそこに地表上で展開される政治問題を読み込んでいる始末だ。
やれ戦争だの政治だの、宇宙速度を振り切った人間の言うことじゃないだろ、それは。
こうなると前澤もその辺によくいる悪どい成金にしか見えなくなってくる(最初からそうだったんだろうけども)。地球的価値観でいえば「恵まれた人間」しかいない宇宙ステーションの中で「ここは人種や国の壁もなくて平和なのにな」などとのたまう彼はさながら「パンがなければお菓子を〜」のマリー・アントワネットの如しだ。
彼のイマジネーションの矛先は、宇宙という未知の荒野ではなく、結局のところ地表にあった。そんなんだったら最初から全額募金に回せや、と思ってしまう。
放蕩の代償はせいぜい個人資産が減ることくらいだが、人類の夢を潰した罪は重い。
たぶんそのへんは彼自身も少なからず自覚していたようだ。「ここ(宇宙)に芸術家とかが来たらすごいものが生まれるんじゃないかな」という彼のセリフにそれは端的に表れている。
というわけで来年の正月はパチンコで雲散霧消するようなハシタ金ではなく宇宙旅行を配ってくださいね、前澤さん。