「もの凄い満足感」Ryuichi Sakamoto | Opus moviebuffさんの映画レビュー(感想・評価)
もの凄い満足感
ドルビーアトモスで鑑賞。多分教授のファンの方が見に行っている映画だと思うので、ここにいたるまでの経緯とかは、はしょって自分の雑感を書く。
ZAK氏の録音、ミックスがものすごく繊細な音、例えば鍵盤が沈んだ時の低音まで拾ってるので、そういうところは好き嫌いはあるのかもだが、2010年以降の「音の響き」自体を作品の一部として重要視して来た教授の作風を考えればマッチしているし、時に体力不足の影響からか、ほんの若干あるミスタッチも、ある意味そのような要素の一部として捉える事が出来、私的には気にならなかった。(ちなみにzak氏はambient kyotoというイベントのためにasyncのリミックスも担当されている)
それよりも教授が最晩年に残しておきたいと選んだ楽曲をその最晩年のアレンジで、映画館で聴いている満足感。一曲一曲の濃密さ、豊潤さに物凄い満足感を得た、とてもリッチな時間だった。
私にとって坂本龍一はもちろんYMO等80年代に名声を得たあの坂本龍一でもあるのだけども、その頃のイケイケの教授よりも実はalva notoらと共作しだした、エレクトロニカを経てからある意味新しい音楽の聴き方を手に入れた2000年代以降の彼の楽曲の方が、必死でポップミュージックやR&Bを取り入れようとして、もがいていた90年代よりも、彼が持っていた現代音楽の資質や教養と電子音楽出で経た経験の融合を作品として具現化出来ているように思っている。
もし90年代ぐらいで坂本龍一の作品を追いかけるのを止めてしまった人がいたとしたら、そこは非常にもったいない。私は彼の全盛期は最後の10年だったと本当に思っている。(それ故に、「ガンなのに命を削って作ってたから凄い」だとかそういう所でしか作品を語れないマスコミを残念に思っている。結局ゴッホやピカソの何が凄いのかわからないから、人生が壮絶だったとか言って、浪花節の物語として消費して評価しているのと同じだ。そういう部分にももちろん私は人間としてもちろん感動するが、それよりなにより、作品として凄いという事が残念ながら一般の人にあまり伝わっていないように思う。同様に現役で最重要の音楽家の一人であった事の方が何十年も前に戦メリ作った人、であるよりも遥かに凄いがそれを語れる音楽担当がマスコミにいない。未だに語るのはそこだけかよ、とうんざりする。)
映画に話を戻すと、鑑賞していて、なぜ私がこれほど坂本龍一の演奏、楽曲を素晴らしいと思うのか、というのを改めて理解する事ができた。例えば中期のシェルタリングスカイにしても、本当に必要な音の要素だけをミニマムに時間軸に置いていく、なにかミニマルな建築の柱が並ぶようにフレーズの繰り返しが続く楽曲の構造であるにも関わらず、その必要最低限の一音一音が同時に凄まじくエモーショナルに響く楽曲構成になっているという事が彼の楽曲を特別にしているのだと思う。大友良英氏も確か同じような感想を追悼等で述べられていたと思うが、その両方が同時に成り立っているという事が凄いのだと思う。
エモーショナルな楽曲を作ろうと思えば作れるが、それが坂本龍一の場合ドラマチックに楽曲が展開しているわけではなく(もちろん、ラストエンペラー等の例外もあるが)、限られた音の繰り返しによってなりたっているのだ。そしてそのような彼の資質が最初に述べた「音の響き」そのものを楽曲に取り入れるという引き算的な発想につながり、晩年のasyncやレヴナントのサウンドトラックに結実しているのだと思う。
そのような楽曲であるが故に、最晩年の一音一音の音を丁寧に響かせて聞かせる彼のピアノのスタイルが当然のように合うわけで、私にとっては本当に至福の時であった。本当に最後のライブを目の前で拝見するかのように一音一音を噛みしめて味わう事が出来た。映像、カメラワークも美しかった。終わってから、家に帰るまでの時間もずっと心が満たされていた。
今作に限らず、asyncのライブや彼のピアノ演奏を劇場のしっかりとした音響設備で定期的に聴けたらなと思った。あ、それと、教授が審査委員長だった大島渚賞を「セノーテ」で受賞された小田 香さんが撮影班に(メインの撮影担当ではないが)いらっしゃったことを最後のクレジットで知り、それもうれしく思った。
>本当に必要な音の要素だけをミニマムに時間軸に置いていく、なにかミニマルな建築の柱が並ぶようにフレーズの繰り返しが続く楽曲の構造であるにも関わらず、その必要最低限の一音一音が同時に凄まじくエモーショナルに響く楽曲構成になっているという事が彼の楽曲を特別にしている
これだ!正体はこれなんだ。削ぎ落した音で、凄まじいエモーショナルを実現していること。
ああ、言語化していただき、ありがとうございます!