「やはり恐ろしい映画だった(承前)。」デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 後章 街のカモメさんの映画レビュー(感想・評価)
やはり恐ろしい映画だった(承前)。
(原作未読です)
まず、序盤で「前章」からの伏線回収がある。凰蘭がパラレルワールドからのトラベラーであるということが明かされた。門出の突然の死に打ちのめされ、その復活を懇望する凰蘭は、みずからの意思で「門出が死んではいない」世界へと移行する。そこは「門出が死んではいない」こと以外、前に住んでいた世界と何ら変わることはなかったが、数年間にわたり東京上空に居座りつづけていた<母艦>に、ある日突然異変が・・・。
後章では、主役は門出(当然のことながらこの世界では過去へのトラウマはない)から凰蘭へと変わる。
自分にとって絶対の存在である門出を死から甦らせたため、意図せず地球を破滅一歩手前まで追いやることとなった凰蘭。凰蘭が寝床で見る悪夢=抑圧された前世界での記憶(事実)-「嘘」が「本当」なのであった。
そして国家権力、国際政治、軍産複合体等の思惑に翻弄され、絶望と諦観が支配する日々のなか、唐突で理不尽な死を強いられる市民たち。人々は破滅の瞬間まで、それを感じることも、信じることもできず、何が正義なのかもわからないままに死んでゆく。
ラスト。宇宙人たち(実は「原地球人」の子孫であることが作中で明かされる)との戦争は終わった。日本では首都圏を中心に数百~数千万、世界で数億人にも達するであろう犠牲者が出た戦争。その戦後は、❝Ocean❞=ノアの箱舟、に乗り一時退避した「上級国民」らの手によってどのような姿に「復興」することになるのだろうか。はたまた、生き残った侵略者達との今後は-徹底的な殲滅?あるいは和解・共存することは可能なのか?すべてにおいて興味が尽きない。
『 「絶絶絶絶対聖域」ano feat.幾田りら』のMVが暗示するような、生き残りをかけて人類が相争うという結末にならなかったことだけが、わずかな救いだ。
ps.明日(26日)、amazonから送られてくる予定の全12巻を一気読みして、さらに理解を深めたい。