車軸のレビュー・感想・評価
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フォークトはいいね
持たなくてもいい出自コンプレックスを解消するために2人の粋人と同じ世界に入ろうとして彼等を傷つけた挙句失敗して堕ちた遷延性中二病患者の話という事でOK?
数年前、SNSでバズりまくった動画に、三歳児が叔母の結婚式で乾杯の音頭をとる、というのがあり、その子は「僭越」「恐縮」「唱和」などの常套句を正しく発音しているのであるが、当然意味を理解しているとは思えない。作中、神社で真奈美が『マダム・エドワルダ』を誦じるシーンを見てこの動画を思い出してしまった。表面だけなぞって本質に迫っていないのだ。象徴的場面と言えるが、これはそういう意図に基づいた演出なのか、演者の力量不足なのかわからない。
ところで、「ブスの美容外科医」って、ほとんど名指しだな。
小難しく考えずに浸るとよい
金持ちの潤と真奈美
二人は苦悩を抱えているが、それがどういうものかは最後まで言語化されない。
しかしお互いに、その苦悩が同じものであることを直感する二人を結ぶものは、美しいだけで凡庸なホストの聖也。
潤が最後、勃起しないのは自分の欲しいものが真奈美の中にあることを理解したからであろうか。
ゲイである潤は真奈美に欲情することはできない。
求めるものとセクシュアリティが乖離するすれ違いが美しい。
二つの車輪を同期させていた車軸は失われたのであろう。
真奈美は親の金を蕩尽し、自分を破壊しようと夢見るが、結局親掛りであることから降りられない。
最後に身体を売ることになるのが清々しいのはバタイユっぽくて好きです。
潤はどうなるのか心配。
劇中劇の朗読劇がずいぶん長いなぁと心配になるが、最後のリフレインで回収されてよかった。
水石亜飛夢は老ナルキソスに続く男娼役、女性に決して不快な想いをさせないという原理だけで深いところには届かない凡庸さがよかった。
真奈美と潤が流す涙が、二人が共有したものと、どうしても超えられない壁を思わせ、絶望と喜びが混じり合い素敵でした。
短歌は良いのだが小説でちゃんと読みたい。
映像化するのが難しいテーマだよね
こういった”性愛”と”愛“をテーマにした映画にありがちな、きっと原作ではもっと深い部分について触れているのに映像化する過程でただの陳腐なエロ作品に成り下がってしまうのではないかと感じる。
これもまさにソレ。
裕福な親の家族カードを使ってホスト遊びに明け暮れ、それでいて“本物とは何か”を語り、人に押し付け、他人を否定する。そんな女の話をいったい誰が観たがるのか……。若気の至りとしてしまえばそれまでだけど、何かを得ようとしてするSEXは自分自身をすり減らすだけだからそこで踏み止まれるか、それとももう一段堕ちるのか、そこが大きな瀬戸際かと。マナミは完全に後者。自分で選択してそうしてる、ときっと人に言われたら答えるんだろうけど、それがそうでない時がつけるのはまっと歳をとってから。そして気が付いた時にはきっともぉ遅い。はぁー、そんな若者を見なければならないこの映画はちょっと観ていて苦し過ぎた😭
きっと原作の本質はそこぢゃないんだろうなー、と思うけどこの映画からは伝わらなかったな。かろうじて素晴らしく演じられた潤さんの存在が映画を最低最悪のものにせずに済んでるような印象。潤さんとノブオママには心から幸せになってほしいと思う💜
このテの映画で同列に扱われ、内容的に誤解されがちな『夕方のお友達』と比べるとあちらの方は映像からも素敵な愛が伝わってきたので全然違うな。
新宿に嵌った男女が3Pする物語
新宿に嵌った男女が3Pする物語。
少し前の「ABYSS」は渋谷に嵌った男の話だったが、それと対をなすような物語と思う。決して派手なストーリーではない分、カメラワークやロケーションで見るものを飽きさせない工夫が感じられる点も「ABYSS」に似ている。
一見一番強そうに見えた潤が早々にヤラレ、これ、新宿版「まなみ100%」か、まなみしか勝たんな、と思って見ていたら最後はまなみも嵌ってしまい、結局空疎な中心 (車軸) の聖也が一番強いということか。
バタイユの引用とか正直よくわからないのだが、まなみがマダム・エドワルダに重ねられていることは、終盤にまなみが新宿の街に向かって行う淫らな行為が、朗読劇中のマダムの行為に重ねられていることでも分かる。
難しいことは抜きにしても、本当にいそうな主役三人 (とくに 錫木うり) の佇まいと、心地よい音楽と、新宿夜職の雰囲気だけでも見ていられる作品。好物です。
キャストとスタッフはアバンタイトル部で掲示され、昔の映画にようにエンドロールが無いのも良い。昼のTOHOシネマズ新宿で見たが、夜の回で見てそのまま外に出たらもっと終映後の雰囲気が増すと思う。
パンフは製作されていないとのことで、代わりに新宿紀伊国屋書店で原作本 (薄くて ¥517、パンフより安い) を購入、これから読む。
監督 鈴木宏侑、脚本 新井秀幸、撮影 近藤康太郎 の座組みは、近日公開予定の「めためた」も一緒なようで期待値が上がる。
無意識のなにか。
冒頭のタクシーから映り流れていく長い長い歌舞伎町の映像にジャズがハマりまくりで、痺れてしまう。と思いきや、バタイユの朗読劇で、突き放され、男と女と男の3人の予測しない会話や行動に惹かれていくのだが、女の変容に、身を乗り出していたら、むくっとバタイユが現れる。渇いていた女がじわりじわりと解放されていくさまはとにかく素晴らしい。なんなんでしょうこの感覚。言葉ではなかなかしづらいので、とにかく劇場で観てもらいたい。出来れば新宿で。無意識の何かが解放してくれる。
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