52ヘルツのクジラたちのレビュー・感想・評価
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次は誰かの聞こなえない心の叫びを聞く番になる
昔からよく言葉があります。子供は親を選べない。虐待やネグレクトは今も根強く存在しています。ヤングケアラーの方々のメディアでの特集も多くなり、とても辛い気持ちになることもあります。本人が助けを求めなければ周りは気付けない時があるし、気付いても残念ながら見て見ぬふりをしてしまう人が多いような気がします。
誰かを助けたいと思う時、周りはどういう選択肢をすれば正解なのかが分からないから下手に行動できないし、動いた結果それが悪い方向に転ぶこともある。
それでも助けてくれる誰かが目の前に現れたら、それが救いになるかもしれない。
誰かに手を差し伸べられると、自分が見えていなかった世界が広がって希望が見える。
そして有難みを感じる。
しかし時間が経つにつれて自分が独り立ちできたように錯覚してしまい、大切な誰かを無意識のうちに傷つけてしまう。
本当に自分を見守ってくれている人がもう一度差し伸べてくれた手を払い除けてしまうんですよね。
この作品には様々な人間の生きづらさが詰め込まれています。
セクシャリティについても。
私はこの作品における登場人物の痛みに共感しました。
幼い頃登場人物のいっちゃん(別名:52)と同じような経験があり今でも記憶に残っています。しかし幸い私の場合助けてくれる人がいました。
セクシャルマイノリティについても、自分がそうであることで苦しみ家族の理解を得られなかった人間なので感慨深いものがありました。
理解を得るとか得られないとかじゃなく、好きなように生きるしかないと自分の道を決められるようになったのがいい大人になってしまってからだったことが唯一後悔している事です。
案外わがままなもので理解されなくていいと言うくせに、どこかで理解されることを願っているんですよね。
そして同等に他人を理解することの難しさを考えさせられます。
とにかくあんちゃんには生きていてほしかった。
杉咲花さんのお芝居にはいつも胸を打たれます。素晴らしい女優さんです。
個人的には頂けない作品でした‥
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
個人的にはこの映画は2点の問題があって、正直頂けない作品だと思われました。
1点目の問題は、傷つけられた善意の人(主人公・三島貴瑚(杉咲花さん)、岡田安吾(志尊淳さん)、少年(愛)(桑名桃李さん))と、傷つける悪意の人( 三島由紀・貴瑚の母(真飛聖さん)、新名主税(宮沢氷魚さん)、品城琴美・少年(愛)の母(西野七瀬さん)など)が、明確にきっぱりと分かれている点です。
個人的にはこのように、善意の人と悪意の人がほぼ0or100できっぱりと分かれるだろうか?そのような人間理解の浅いステレオタイプの人間の描き方は決して映画表現でやってはいけないのではないかと強く思われました。
2点目の問題は、この映画は幼児虐待や家庭内介護や性同一性障害の人や問題を扱っていますが、それぞれが個々に持たされてしまった持っている傷は、当事者の人達は本当の深い意味では理解されないと思っているのではないか、そのことがきちんと描かれていないのではないかとの疑念でした。
当事者の傷はそれぞれ違っているので、安易に自身を理解したつもりになってもらっては困る/安易に相手を理解できると思ってはならない(それぞれの相手に丁寧な距離感で接する必要がある)、と感じていました。
そのような私のような人間理解の人が見ると、この映画の饒舌に語る登場人物たちに、個人的には最後には【うるさいよ】とすら感じる場面も少なくなかったです。
この、善悪をきっぱり分けて人間を描いてしまう問題と、善意の心があれば饒舌に相手の傷にも踏み込めるのだという(私的感じた)傲慢さは、個人的には人間理解の一面的な(一部)新人監督にありがちな日本映画の問題と感じてはいます。
しかし、良く調べもせずにこの映画を見て監督がベテランの成島出監督だということを後から知り、個人的には大きなショックを受けました。
成島監督はこんな浅はかな人間理解の映画をあなたは撮ってはいけない、と僭越ながら強く思われました。
もちろん主人公・三島貴瑚を演じた杉咲花さんをはじめとする俳優陣の演技力に疑問を差し挟む余地はないと思われます。
この俳優陣でこの題材でこのような作品に仕上がってしまったのは、個人的には残念に思われてなりません。
とても良かった
原作が本屋大賞をとっていたため原作を読んでからの視聴となった。結論から言うととても良かった。女優の演技はとても良かったし、原作を読んでいた者からしてもそこまでの違和感なく物語に集中できた。元が小説なのもあり、これは無理あるだろと感じるところもあったが、それを気にしてはほとんどの映画を楽しむことはできないと思う。物語の内容が少し重いため、同じような環境にいたことがある人には少しきついのかもしれない。作品として見るならとても面白いものだ。見たことない人は是非1度は見て欲しい。
タイトルにそんな意味が
前々から気になってた映画でやっと観に行けました!
傷を抱え、東京から海辺の街の一軒家へと移り住んできた貴瑚は、虐待され、声を出せなくなった「ムシ」と呼ばれる少年と出会う
かつて自分も、家族に虐待され、搾取されてきた彼女は、少年を見過ごすことが出来ず、一緒に暮らし始める
やがて、夢も未来もなかった少年に、たった一つの“願い”が芽生える
その願いをかなえることを決心した貴瑚は、自身の声なきSOSを聴き取り救い出してくれた、今はもう会えない安吾とのかけがえのない日々に想いを馳せ、あの時、聴けなかった声を聴くために、もう一度 立ち上がる
というのがあらすじ!
とてもいい映画でした!
いろいろ考えさせられましたね…
そしてクジラの鳴き声で52ヘルツって仲間には聞こえなくて孤独なのははじめて知りました…
環境や境遇で生きづらい人の感情がリアルに表現されててとてもよかったです
でも安吾が自殺してたシーンは見てて辛かった😔
あとこの映画の雰囲気とキャストがとてもよかったです!
この映画をみて思ったことが相手の声を聴き逃すことが無いようになりたいですね…
いい映画をありがとうございました😊
「酷い」「つらい」「悲しい」魂が揺さぶれすぎて吐き気がした
2024年映画館鑑賞23作品目
4月6日(土)ユナイテッドシネマ フォルテ宮城大河原
入会割引1800円
原作未読
監督は『八日目の蝉』『草原の椅子』『ソロモンの偽証』前編後編『グッドバイ 嘘からはじまる人生喜劇』『いのちの停車場』『ファミリア』『銀河鉄道の父』の成島出
脚本は『小さき勇者たち ガメラ』『ストロベリーナイト』『四月は君の嘘』『ロストケア』の龍居由佳里
ホエールウォッチングの映画ではない
粗筋
三島貴湖は幼少の頃から虐待を受けていた
貴湖は高校卒業後三年間寝たきりになった継父の介護を1人っきりでしていた
介護疲れで大型ダンプカーに轢かれそうになっていたところを塾講師の岡田安吾に助けられた
安吾が働く塾の同僚で高校時代の親友牧岡美晴と再会
貴湖は安吾と美晴の協力で継父を施設に預け就職し新居を見つけ母親から独立した
しばらくして貴湖は社内食堂のトラブルに巻き込まれて怪我で入院する羽目に
それをきっかけに職場の同士で本社から出向していた専務の新名主税と親しくなりやがて男女の仲になる
プロポーズを受け結婚を意識はしていた貴湖だったが主税は親が決めた結婚相手と婚約することになった
主税と別れた方が良いと忠告された貴湖は反発し安吾を突き放す
やっと幸せを掴んだと確信した貴湖だったが主税との愛人関係が主税の両親と婚約者とその家族にバレてしまい縁談は破談し専務は降格されるだけでなく会社をクビになった
腹癒せに暴力を受ける貴湖
じつは安吾はトランスジェンダーで戸籍上は女性だった
男として貴湖を幸せにする自信はなく母にも性転換したことがバレてしまい安吾は自殺した
美晴にさえ連絡もせず祖母がかつて住んでいた九州の海辺の一軒家に引っ越した貴湖
母親から虐待を受けていた長髪の少年を匿うことにした貴湖と彼女を探しにやってきた美晴
貴湖と美晴は少年を連れて少年の親戚の家を訪ねるが優しい叔母はすでに癌で他界していた
少年の名前は「ムシ」でも「52」でもなく「愛(いとし)」だった
愛の母は愛を置き去りにして男と一緒に別の土地に引っ越した
貴湖は施設に預けることはなく親代わりになって愛を育てていくこと決意した
とにかく杉咲花が素晴らしい
こんな凄い俳優になるとは
安吾と美晴と共に大衆居酒屋で飲み食いしてる最中に嗚咽するシーンが特に好き
トランスジェンダーの女性(男性)役の志尊淳も良かった
とても難しい役柄だと思う
母にトランスジェンダーを暴露され奇声をあげるシーンが特に良い
西野七瀬が演じた無責任で自己中で幼い息子をしょっちゅう虐待する母親も宮沢氷魚が演じた専務を解任された途端に豹変し暴力を振るうようになった愛人にも特に「ひどすぎる!」と怒りを感じることはなかった
ああいう大人になってしまう背景は幼少の頃のトラウマであろうことが安易だが想像できる
なにかといえば「生きづらさ」と昨今言われるがそれこそそれが人生だ
みんな違って当たり前だし時には場合によってはぶつかり合うこともあるだろう
それが生きづらさであって当然だ
リアルな人生は削除できないしブロックもできないしテレビゲームみたいにリセットできない
生きづらいのは当たり前だと受け入れてなんとか一日一日乗り切る他ない
星5だがそれでは足りない
なにかといえば魂が揺さぶられたとかほざく映画評論家は世の中にいくらでもいるわけでそれを自分はかねがね大袈裟だと感じていたがこの作品はそれに当たらない
自分のような共感能力がかなり低めな者でも鑑賞はしんどかった
だから無理に観なくても良いけどそうじゃないなら是非観てほしい
配役
東京から九州にある海辺の一軒家に引っ越してきた「きな子」こと三島貴瑚に杉咲花
トランスジェンダーの塾講師の「あんさん」こと貴瑚の職場の岡田安吾に志尊淳
貴瑚の職場の専務で同棲生活を始める新名主税に宮沢氷魚
貴瑚の高校時代からの親友の牧岡美晴に小野花梨
母から「ムシ」と呼ばれ貴瑚からは「52」と呼ぶことを求める長髪の少年の品城愛(いとし)に桑名桃李
美晴の彼氏の鈴木匠に井上想良
貴湖が住んでいる海辺の家を修理した大工の村中真帆に金子大地
愛(いとし)の母の品城琴美に西野七瀬
要介護が必要な貴瑚の継父に奥瀬繁
貴瑚の母の三島由紀に真飛聖
愛の親戚の近所に住む藤江に池谷のぶえ
安吾の母の岡田典子に余貴美子
真帆の祖母に村中サチエに倍賞美津子
家族という呪い、恋という希望
本作で描かれた「壊れた家族」だけが、「呪い」なのではない。
すべての家族は呪いであり、呪われていない家族などないのだ。
そして、恋は希望だが、それは、すぐに愛という名の呪いに転ずる。
室町時代、観阿弥、世阿弥、元雅らが大成した猿楽能では「愛」は必ず「愛執」という名の煩悩だと説かれ、親子の愛ですら、闇の世界の迷妄へと誘う種だとされる。
本作が、アン(志尊淳)の口を借りて、序盤に「家族は呪い(にもなり得る)」というテーゼを明示したのは良かった。
本作の中核に据えられるべきテーマと言える。
そして、やはり杉咲花の圧倒的な力だ。
もはや演技力とか、憑依型の演技とかの言葉では形容が足りない。
あらゆるモノを飲み込むブラックホールのような、逆に、途轍もないエネルギーを発出する超新星のような、圧倒的な存在の力が杉咲花にはある。
だから、彼女だけ、作品のなかで、常に一人次元が違って見えてしまう。
監督は、あまりにも杉咲一人に本作のすべてを負わせ過ぎているのではないかと、疑わざるを得なくなる。
しかし、それは作品の構想段階から意図したものだったのか、はたまた、何ら意図せずして杉咲その人の力によって、そのようになってしまったのか、おそらく監督本人にも定かではなくなっているのではないか。
本作の柱をなす登場人物は、3人ないし4人の「家族によって呪われた」子どもたち=52ヘルツのクジラたちだ。
登場順にあげておこう。
(1)三島貴瑚 ‥‥‥. 杉咲花
(2)少年52=愛 ‥‥ 桑名桃李
(3)岡田安吾 ‥‥‥‥ 志尊淳
(4)新名主税 ‥‥‥‥ 宮沢氷魚
このなかでも、杉咲のキコ=キナコに次いで重要な役割を果たすのが、志尊演ずるアンだ。
表情豊かというより、上述したように無表情でも圧倒的な存在のオーラを放つ杉咲に対して、志尊の演技は、最後の最後で爆発するまで、感情を表に出さないことに徹している。
アンが、トランスジェンダーであることは、序盤過ぎたあたりで観衆には早くも示される。
が、そのあとも何故、彼がその事実を周囲の誰にも、キナコと呼ぶキコにも、伝えないかは謎として残る。
終盤、アンは新名の復讐としての母親(余貴美子)へのアウティングによって、それまで被っていた仮面を剥がされ絶叫する。
そのあとの彼の自死は、このアウティングのショックによるものか、一度は逃れた呪われた母親の呪縛に再び囚われたことへの絶望ゆえか、と観衆に思い込ませる。
ところが、彼の残した遺書によって、それはキナコへの愛が決して成就できないことを自覚したから、自分では愛するキナコを幸せにはできないと悟った、その絶望が選ばせた道だということが明らかにされる。
序盤では、謎に過ぎなかったアンの幻影が、ラストでは、キナコが「魂のつがい」だと真の愛を打ち明ける対象へと姿を変えていた。
中盤までは、杉咲=キナコの圧倒的な強さに対して、志尊=アンの存在感の弱さが気になって仕方がなかった。
が、このラストシーンによって、本作が、キナコによるアンへの鎮魂の物語だったことに気づかされ感動するのであった。
ただ、本作は、どうしてもバランスを欠き、ストーリーも少し欲張り過ぎ、詰め込み過ぎによる消化不良な点も目立つと言わなければならない。
発話障がい(直近でレビューした『ピアノ・レッスン』の主人公もそうだった)のDV被害の少年のエピソードは、プロローグで示されたあと、エピローグで回収される。
キナコが自分を投影せざるを得ない「呪われた家族」の被害者たる少年を救ったのは、
亡きアンが自分を救ってくれたことへの恩返しと、
親友ミハル(小野花梨)とのシスターフッドと、
それを踏まえてのオールドシスター村中サチエ(倍賞千恵子)の助力とであった。
ただ、俳優の演技に着目すると、この少年はキナコやアンに比べて、いかにも添え物的である。
同様の年代の少年を扱っても、是枝裕和なら最新作『怪物』においても、そして大出世作『誰も知らない』においても、少年俳優たちは大人顔負けの存在感と演技の力を発揮していた。
本作において、少年を発話障がいとしたのは、作劇の必然というより、監督の逃げの一手だったと疑われても仕方がなかろう。
そして、ちょっと酷かったのが、宮沢氷魚まわりの諸々である。
宮沢氷魚は、2020年の『his』で藤原季節とゲイカップルを演じ、その誠実で清新な演技に感心したものである。
ところが、本作で、宮沢にあてられたセリフはあまりにも杜撰だ。
DVの深層に「呪われた家族」または「家族の呪い」を見ようとする本作にあって、宮沢の役は、あまりにも類型に堕したクズ男、胸糞男子に過ぎなかったではないか。
かように、本作は、欠点も決して小さくはない、歪つな出来の不良品の側面がある。
しかし、その果たそうとした、目指そうとしたところは、『正欲』の大失敗を見事に克服し、『市子』で杉咲が示せなかった主人公の「その先」の希望を描くことに、いくがしか成功してもいる。
私も含め、シアターでは、終盤、すすり泣きの声が止むことはなかった。
大いなる意欲作だと評価したい。
またも杉咲によって、私たちは人間性の深淵を覗き見ることができたのだから。
本作に出会えたことを、まずは素直に喜びたい。
まとまっているが少しインパクトに欠くため長く感じる
ヤングケアラー、ネグレクト、性同一性障害という社会で孤立し助けの声をあげられない人達を描いた作品で、無理な展開は無くまとまっているが、もう30分、1時間短くてもよいと思う。
トゥルージェンダーは障害者じゃないし、女性はサンドバッグじゃない
前提の話になりますがトゥルージェンダーと言うのは私が独自に考え、勝手に使っている呼称です。非公式のものです。ご存知なくて当然ですので気になさらないで下さい。
使ってる理由としましては、本来はトランスジェンダーと言われてますが、私はその呼称にイラつくのでこう呼んでいます。トランス(超越する、枠を超えるという意味の英単語)は違法薬物でそういった状態になる、という解釈もあります。私が確認した限り、彼女らの大多数は違法薬物でトランスして性別を選択したのではなく、彼女らの自由意志で選択したからと解釈しております。のでこの呼称は彼女らを強く侮辱していると感じ私はこの呼称を使いたくありません。彼女らはただ生きてる内に自身の真の性別(トゥルージェンダー)に気付いただけ。病気でも障害でもおかしい訳でもなく普通の事なんですよ。ただそういった人が少ないからあまり認知されていなくて定番になってないだけ。因みに私は当事者ではないので知ったかぶっているだけですが、部分的には勉強して0.1%でも多く知ろうと出来損ないなりにやれる事はやってるつもりです。話は戻りますが、強いて障害、であると言うならそれは彼らの自由意思に反して医療も法も何もかもが遅れていてそれが彼女らに肉体的精神的苦痛を与えている「障害」があるだけだ。当事者の彼女達はおかしくない!ホルモン注射もタダじゃないし、性転換は激痛が伴うし、20代で更年期障害みたくなるんですよ?有り得ます?
前置きが長くなりました。映画の感想です。今の日本が遅れているというのを表現してるのもあるんでしょうが、トゥルージェンダーの方や女性を釣り餌にして安いお涙頂戴の三文芝居を観せられてる気分でした。これじゃ韓国映画やハリウッドには負けて当たり前だな、と。2021年本屋大賞受賞したらしいけどこの映画見させられて原作読みたいとまではなりませんでした。
監督や原作者のwikipediaを見た限り特に問題あるような感じはしないので、取り扱うテーマが雑多過ぎたのかなぁ、と言うのが率直な感想です。原作者は福岡出身らしいですけど、一食で水炊き、もつ鍋、鉄鍋餃子、豚骨ラーメン等を一気に食べさせられた気分です。郷土料理を深く理解するなら一食一食私なら食べたいです。特にトゥルージェンダー。あれは雑多に混ぜ込める題材じゃない。まだまだ情報が足りないし、解釈が千差万別で定義が固まってないんですから。料理に例えるならヴィーガンの方向けの疑似肉料理?あれと同じだ。可能性の塊だが定着していない。
更に言えば彼女達は客寄せパンダでもない。あんな中途半端な扱い方して欲しくなかったな。まだ「性同一性障害」とか前時代的な呼び方が定着してるから、志尊淳さん演じる岡田安吾氏が余貴美子さん演じる実母の岡田典子氏に「障害者だ、育て方が悪かった」と言ってるのはまぁリアリティある雰囲気は出してたけど…あんな結末ありきたり過ぎだろ。世界の中心で愛を叫ぶのは平成までにして下さいよ。それとも恋愛小説ってまだその領域なんですか?今令和ですよ?違う景色を魅せて欲しかったなぁ…トゥルージェンダーの方の事を勉強したいと思って久方ぶりに映画館に行ったがこれは…酷いとまでは言わないし具体例を出せないのが歯がゆいがもっとこうなかったんですか?またトゥルージェンダーの方を題材にした小説を書かれるのかは不明ですが次作はこういうの無しにしてくださいよ。頼みます。
さて、ここで話題は変わりますが主演の杉咲花さん演じる三島きなこ女史について。彼女出る映画間違えてませんか?タイトルは「ロッキー52」に改名した方がよいのではないでしょうか。それ位殴られてるし入院沙汰になってますよね?え?現代の女性ってイケメン等に殴られて傷だらけになるのがステータスなんですか?港区女子も地雷系女子もパパ活女子も頂き女子も?…だとすれば私精神障害者当事者なのですが、私から見てもあなた方は明らかに異常ですから精神科・心療内科に行かれるかカウンセリングを受けて認知行動療法等で認知の歪みを解いた方がいいですよ…あなた方は「こっち側」だし、死にますよマジで。そういった方はパートナーが居るから魅力的なのでしょうが折角生まれてきたのにそれは勿体ないですよ。破滅願望があるなら恐らく完治は無理なのでそれでも構いませんが…それが多数派だったら日本人は絶滅しますよ。死活問題だ。それ位私はカルチャーショックを受けました。交際経験ないんですけどこれなら独り身の方がいいかなー、と。カップル怖いわ。逆にこれ観れるカップル怖いわ。更に言えばこれが多数派だったら尚怖いわ。女性サンドバッグじゃん。それがリアルでない事を切に願います。
まぁここまでボロクソに書きましたが全部が全部酷いって訳ではない。正直作品としては面白かったし泣けた。私もういい歳のおじさんなので涙もろくなったのですが、杉咲花さん演じる三島きなこ女史の「生きたい…」という細胞一つ一つから出る心からのSOS信号を目にした時は涙が止まらなかった。そうだよな、大半の人間は死にたくて死ぬ訳じゃないよな、辛かったよな、助けてほしかったよな、気付いてあげられなくてごめんな…と。今も思い出して書きながら涙がこぼれてきます。それ位彼女の演技は素晴らしかった。原作者の文章がよかったのか、監督の見事な演出もあるのか双方なのかわからないが素晴らしかった。他にも感動できる所は沢山あるのですが、今回はそこを推します。彼女は凄いと言っても言い足りない位壮絶な経験をして傷つく必要ないのに傷つき過ぎた。でも、それでも、彼女は生きる事を選択し、似たような傷を負って苦しんでいる桑名桃李さん演じる三島愛(いとし)さんを傷だらけの状態で懸命に関わった。彼女は強い女性だ。私では逆立ちしても敵わない。最強だと言っていいね。だからそんな彼女を不必要に傷つける演出には強い殺意が湧いた。彼女前世で一体どんな悪事を重ねたんだ⁉それ位に理不尽だった。
あぁ、それで思い出した。挿入歌にTHE BLUE HEARTSの「リンダリンダ」を口ずさんでいた場面があったが、あれは賛否が分かれるだろうな。使うなら徹底的に使ってほしかったな。あれは良い唄なんだから。
まぁ全部が全部ダメ、という訳ではないけど一言で言うなら「題材の調理方法を間違えたな」という印象です。俳優さんの演技も良かったのですが私は彼らを推して観に行ってる訳ではないので最低評価を付けさせてもらいます。今後は勉強になる映画が出てきてくれる事を切に願います。因みに私が勉強させていただいてるのが(ステマになるかな?)↓
・性別逆転夫婦 みゆ&あゆむ(トゥルージェンダー当事者Youtuber)
・女になる(上記Youtuberのみゆさん主演のドキュメンタリー作品。アマプラ)
です。URLが原因なのか使用できない文字が含まれていたのでそれは削除しました。宜しければ是非。長駄文失礼致ししました。
貴瑚の過去といま
観終わって思ったのは、キナコとアンコの物語で良かったんじゃないかと感じた。
過去を振り返る形で物語は進むのだが、時間軸を振り返るのではなく、時間の流れるまま描いた方がよりアンコとの関係がより際立ったんじゃないのかなと思った。
その方がアンコの選択がより心に響く様に感じ、その後キナコが少年と出会うことで新たな物語へと。
説得力がない
本屋大賞の作品に説得力がないという評価は申し訳ないが。
親の暴力、そういう親への相互依存。
そこからの脱却が、どうなんだろう。
簡単すぎ。
依存からの脱却プロセスにもっと焦点を当ててもよかった
それは男の子についても同じ。
2人の毒親が単純な感じで設定してある。
2人の脱却プロセスもある種単純。
そして志尊淳の役を女性にさせるべきだった。
彼の肉体は男性。
LGBTQとわかってから、
回想の中の二人の姿に説得力がない。
テーマてんこ盛りでお腹いっぱい
虐待とトランスジェンダーを扱った作品。作品として大変見応えがあったのだが、それぞれもテーマとしてかなり重めな上に、両方というのはてんこ盛り過ぎてお腹いっぱい。自分としては少し消化不良に陥りました。
原作は読んだことがありませんが本屋大賞受賞作品?もう少しエンタメ寄りな印象が強い本屋大賞ですが、こういった重い作品も受賞しているのですね。
宮沢氷魚さん、こういうクソな役が本当に上手いです。役とは分かっていても本当に嫌いになりそう😠笑
舞台の九州(大分?)は素敵でした。
泣き要素ありですね😭
ここ最近で久しぶりに当たりました😆いや〜良かったな〜眠くならずに物語に集中できた。
最初はキコと愛(いとし)の物語なのかな〜っと思ってたらキコの過去が中心のお話しでした。
父親の介護と母からの扱いに疲れきって車に無意識に飛び込みそうな所を安吾が助けてくれた所から過去の話がスタート。
介護の生活からキコを助け出す安吾、キコはそんな安吾に惹かれ遠回しに告白するが…。
展開に引き込まれ「えー😱」と思いながら最後まで面白かったです。
後半から出てきた新名は最初は良かったが後半からは豹変し最低男に😢(キコがすごく可哀想でした)。
現代の時間の展開も愛(いとし)くんのために(過去の自分とも重ねていたのかもしれないが)行動してるのも最後まで気になるような流れで現代と過去の話が交互に進みながらも観やすかったです。
演者さんの方々も、元々志尊さんはお顔立ちが美しく役柄にも良い人選でしたね😌。
杉咲さんの演技はとても良かったです😭介護疲れの時代と自由になって表情が豊かになった所などキコに感情移入しやすかったです😆。
お友達の子もこんな親友いたら良いな〜と思いながら見てました。
最後に出てきた倍賞美津子さんは最初お姉さん❓(倍賞千恵子さん)と勘違いして姉妹なのを初めて知りました😳。
とま〜少し日が経ってからのレビューなので、まだ書きたい事があったかもですがこれぐらいであげておきます。
きなこ(キコ)は凄く可愛かったな〜😌。
アンさんのあごひげ
不自然なあごひげにずっと目がいってて、メイクのレベルが低いな〜スタッフ〜スタッフ〜って思いながら見てて、不自然なあごひげの理由がわかった時に自分の考えが浅い事を痛感させられました、わざと不自然にしてるなんてスタッフ〜やりますな!。
秀逸なタイトル
原作未読。
悲しい出来事や境遇がたくさん盛り込まれていてちょっと疲れましたが、見応えのある映画でした。
貴瑚もイトシも安吾も52ヘルツのクジラ。ストーリーにぴったりの秀逸なタイトルだと思いました。
杉咲花さん、市子に続いての難しい役柄を好演ですね。市子も貴瑚もなんか守りたくなるんだよなぁ。
貴瑚と少年の幸せな未来を願わずにはいられません。
詰め込みすぎる
原作本は未読です。
本屋大賞受賞作ということと評価も高かったので期待値上げていったのですが。
私には合いませんでした。
とにかく、詰め込みすぎる。児童虐待にヤングケアラーにトランスジェンダー。DVに死。
これだけ社会問題を詰め込めば力作になるっしょ?と押し付けられているようで、中盤以降ややうんざりしました。
そして詰め込みすぎの弊害として、どれも上滑りな印象なのが残念。
テーマを1つか2つに絞ってその分掘り下げた方が重みのある仕上がりになったと思う。
あと、一番違和感が強かったのはキナコとチカラの恋愛パート。
イケメン専務に見初められてシンデレラの階段を上る、、、って、現代の社会問題に切り込むテーマのはずが、なぜかここだけ昭和の香り。
幸せにするとか俺が守るとかってセリフも、今となってはなかなか古びたものに感じます。
それと、アンコってやっぱり死んじゃうのね。そうなるだろうとは思ったけど。
でも、親に心配かけたくないために自身の告白できなかったのに、結局は一番親に心配かけちゃう道(=自死)を選ぶのね。
それも、違和感。
私、冷たいかしら。
唯一息を飲んだのは主演杉咲花さんの演技です。
すごい女優さんだったのですね。
彼女が、扉をひとつ開けるごとにだんだん髪が短くなって現代パートでは美しいベリーショートに。
薄紙をはぐような変化は、見ていて胸にしみました。
原作に問題ありと私は思った。
皆さんのレビュー評価が高いので鑑賞してみた。本屋大賞受賞したこの映画の原作は未読である。読んでいないので、私の発言は「トンデモ発言」だが、正直な感想を綴ることを信条としているので、許して頂きたい。
原作を読了した方のレビューを読むと、ストリー自体は原作通りらしい。とすると安吾はなぜそこまで主人公を助けるのか私には疑問に思えてしまう。ただの恋愛感情だけではないのか。他人のSOSは耳に届くけれど、自分のSOSは発しないのか。正直に私は女性であると告白しないのか。母親は許してくれたのに、密告の手紙を送るなんて、私にはただの嫉妬感情に囚われたとしかみえない。と、原作のアラを探してもこのレビューはお門違いだ。
ただ、映画化に当たって原作を改変することは良く行われている。ならば、家庭内暴力と毒親と同性愛に絞って脚本を作ったならばと思えてしまう。娘に医学部進学を強要した母親の実話の本がある。これこそ映画化にしてほしい。私は毒親の方に関心がある。
他の方も指摘しているように、伴奏音楽を付け過ぎだ。クジラの鳴き声と自然音だけでも作品は成り立つと感じる。
それにしても、最近の杉咲花の演技力は素晴らしい。先日、開催された日本アカデミー賞の主演女優賞を彼女に挙げないのか、私には不思議だ。安藤サクラは既に貰っているのに。
昨日見たリトル・リチャードのように、晩年になってグラミー賞だったかな。与えるなんておかしいと思った。
映画化に当たって、作者に支払われる印税は高額ではないらしい。出版社はそれで本が売れれば、良いらしい。私が今までに観た映画で、原作に匹敵するかそれを超えてしまった映画は、極めて少ない。
私が生涯ベスト5にあげている「ベニスに死す」はそのうちのひとつ。原作を削っているし、付け加えた場面も1つではない。数少ない成功作だ。
映画料金に見合う映画だから、観て損は無いと思う。
心に傷を抱える孤独な人々
彼らの声が誰かに届くことはない。
ごく一部の例外を除いては。
母親に虐待されて声を失った少年と出会ったキコ(杉咲花さん) 。彼女は少年のSOSに気づいた。
キコにも虐待を受けた過去があった。
母親の暴力に支配されてきたキコ。親友のミハル(小野花梨さん)やその友人のアンさん(志尊淳くん)のサポートを受け母親から逃れた。
そう、キコの声はミハルやアンさんに届いた。
それにしてもアンさん。悟ったような前半とボロボロの後半のギャップはいったい?
アンさんが理解できなかった。
あの流れで何故閉じたのか理解できなかった。
そう、アンさんの声は誰にも届かなかった。
アンさんこそが52ヘルツのクジラだった。
ちなみに演出過多か感情が入り過ぎたのか、志尊くんと宮沢くんはエモーショナル過ぎやしないか。
久々に、心が震えました。
観終わった今は、現代的な課題をよくあれだけ入れて、お話をまとめたなあと、感心しています。
イヤフォンで52ヘルツのクジラの声を聴くだけで、脳内にクジラが雄大に泳ぐ姿がイメージできたので、最後の迷いクジラの出現は不要だったかな。
今作で一番不思議な人物、あんさん。
きこさんへの接し方や、紡ぐ言葉は、すごく優しい。
きっと壮絶な人生を過ごしたんだろうなとは想像できました。
反面、なぜこんな中途半端かつ似合わないひげを生やしているのか、あんさんの表情や言葉、態度に強い違和感を抱くのか、分からなくてもやもやしました。
きこさんの過去の話の方に強く惹かれてどんどん映画の中に没入していきました。
中盤、あんさんの過去が分かった時のカタルシス。
中学生の時に、アガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」で体験した初カタルシス以来のスッキリでした。
なるほど、だからかと、非常に納得しました。
この部分だけでも、ホントに観てよかったと心から思いました。
本当に欲しいものを手に入れたいなら、失うかもしれないというリスクを冒す必要がある。
きこさんもあんさんも、本心を伝えあっていたら、ハッピーエンドになっていたかもね。
「女でも男でも、生きていて欲しかった」
「心からあなたの幸せを祈ります」
まさしくこれらは、子を持つ親の気持ちです。
私も、生きているわが子に、ちゃんと直接伝えなきゃ。
実の親から、こういう言葉をもらえない子どもたちの支援をしている身の上としては、気が引き締まる思いです。
この気持ちを忘れないように、ブルーレイを買って、何度も何度も、この映画を観賞しようと思いました。
非常に濃密で悲哀に満ちた物語。最後は少し希望の持てる終わり方
小説は未読です。序盤から児童虐待、ヤングケアラー、DV、性同一性障害など悲しく重苦しい展開が続きます。2時間30分の映画ですが、すごく濃密でまったく長さを感じさせません。メッセージ性含め改めて邦画の力を感じた映画でした。また、非常に難しい役どころを演じ切った杉咲花さんの演技力も素晴らしかったです。
タイトルの『52ヘルツのクジラ』とは、声をあげても届かない人々を比喩したものですが、劇中にはそんな声を上げられず苦しんでいる人々の姿が描かれています。この映画では声を出すことで救われた人、声を出したけど受け入れられず自死を選んだ人などが描かれており『声に耳を傾けることの大切さ』について改めて考えさせられる良作でした。
ひとつ難点を挙げるなら、連ドラでもいいくらいの内容を2時間30分にギュッと凝縮して詰め込んだため、ひとつひとつの掘り下げが浅く、行間を自分で埋めないとなかなか理解や感情移入が難しかった点については惜しまれます。
ここからはあらすじ
杉咲花演じる貴湖は幼少期から日常的に母親の虐待を受け、ネグレクトの状態にありました。さらに高校卒業後は家から一歩も出ず、継父の介護に追われる日々を送っていました。
そんなある日、介護中に継父が誤嚥性肺炎を起こします。母親はそれを貴湖の責任だと咎め『おまえが死ねばいいのに!』と罵倒し、暴行した挙句、首を絞めて殺そうとします。その場にいた医者に止められ、辛うじて命は取り留めましたが、貴湖は深く傷つき自殺を図ります。
間一髪のところで志尊淳演じるアンに救われますが、アンは抜け殻のような貴湖の精神状態を心配し、美晴(貴湖の元同級生)と共に貴湖に寄り添い、必死に心の声に耳を傾けます。
その後、貴湖は母親と距離を置くため、美晴の家で生活することとなり、徐々に母親からの精神的呪縛が解かれて自我を取り戻していきます。そして、意を決した貴湖はアンを伴い、直談判して母親と絶縁することに成功します。
そんななか貴湖は次第にアンに好意を寄せるようになり、告白します。しかし、アンは(本当は両想いだったのにもかかわらず)『貴湖は心の友だよ』と言って告白を断り、貴湖も落胆はしながらもそれを受け入れます。
そんな貴湖ですが、しばらくして職場の上司である新名に見初められ、恋人関係になります。新名は会社の重役であり、いずれ会社を引き継ぐ社長の跡取り息子というエリートの大金持ち。貴湖と新名は何度も男女の関係を持ち、同棲を始めます。
そして、貴湖はアンと美晴を新名に紹介します。しかし、新名は貴湖とアンとの関係にただならぬ雰囲気を感じたのか、アンに対し強烈な嫉妬心を抱き、それを露骨に顕します。そのことでアンと新名は険悪の仲となります。
そんななか新名には貴湖とは別に婚約者がいたことが発覚します。ショックを受ける貴湖。しかし、新名は貴湖に『これは父親にごり押しされた政略結婚で、本意ではないし愛もない。愛してるのは貴湖だけだ』と言って、貴湖もそれを受け入れ同棲を続けます。
しかし、しばらくして新名の婚約者宛てに、貴湖と新名の同棲を告げ口する手紙が届きます。それにより新名の婚約は破談となり、新名は両親の怒りを買って職も失います。新名は自暴自棄となり、酒浸りの日々を送り、さらには貴湖に暴力まで振るうようになります。
そして、その手紙は貴湖と新名の仲を引き裂くためにアンが送ったものでした。
すべてをぶち壊された新名はアンへの復讐を企てます。新名はアンの身辺調査を行い、アンがトランスジェンダー(心と見た目は男性だが、戸籍上の性別は女性)という事実を突き止めます。
新名はその事実をまずアンの母親に告げます。アンは自身がトランスジェンダーであることを母親に知られ、深く傷つき泣き崩れます。その後、アンは母親と話し合いの場を持ちますが、母親はその現実を受け止めきれません。さらに新名は貴湖にもアンがトランスジェンダーであることを告げます。
数日後、貴湖が母親とともにアンの自宅に入ると、アンは浴槽で自殺していました。母親はアンがトランスジェンダーであることを受け入れなかったために自殺したと自責の念に駆られます。
貴湖は新名にアンの自殺を告げ、新名の目の前で自ら腹に包丁を刺して自殺を図ります。幸い一命は取り留めたものの、傷心の貴湖は新名に別れを告げ、東京を離れて地方の静かな海辺の街の一軒家に移り住みます。
その街で貴湖はとある少年と出会います。その少年もまた貴湖と同様、母親に疎まれ、日常的に虐待され、ネグレクトされていました。貴湖は自分と同じ道を歩ませまいとその少年を保護し、同居生活を始めます。
そこにアンの自殺後、消息不明となった貴湖を案じ、家を訪れた美晴も加わり3人での共同生活が始まります。少年は生活を共にするなか、次第に貴湖と美晴に心を開いていきます。
そんななか少年の行方不明届けが出されていることを知ります。このまま少年を母親の元に返さなければ、貴湖と美晴は誘拐犯となってしまう。それを知った少年は家を飛び出し、自殺を図ろうとします。
しかし、その寸前で貴湖が自殺を止め、事なきを得ます。貴湖と美晴は母親による虐待の事実を訴えることで、役所に少年の保護についての理解を求めます。こうして3人はようやく平穏な暮らしを取り戻すこととなりました。
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