52ヘルツのクジラたちのレビュー・感想・評価
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タイトルの意味
原作ファンで楽しみにしていた映画。
映画は原作を凄く忠実に再現されていました。
まずタイトルの意味から説明しておくと「52ヘルツのクジラ」とは、非常に高音な52ヘルツの周波数で鳴くため周囲のクジラたちにはその声は届かない、「世界でもっとも孤独なクジラ」と境遇を重ねているということ。
複数の視点の「52ヘルツのクジラ」な人たちが描かれ、全体的に胸が痛むような暗く重いシーンが多い。
毒親、ヤングケアラー、児童虐待、DV、トランスジェンダーなど、現代社会において問題視されているような、誰しもが抱え得る悩みを、過去に抱えてた人達がそれぞれ描かれ、タイトルの意味が複数形であるのが腑に落ちる。
ストーリーとしては、きなこをどん底から救ってくれたアンさんが、きなこの事が引き金となり自死を選び、漸くきなこは気づき、専務との関係に幕を閉じようとしたが、人生・社会経験が浅いきなこは、自分の命を落とそうとすることでしか幕を閉じられない、そんな歯痒さも感じた。
恋愛だけではない「愛」も世の中にはある。
ただ、世間のジェンダー感は、男と女、一刀両断。性別の壁は高い壁なんだよな、と表現されているように感じた。
アンさんがきなこを尽くしてくれたように、「時間を」貰い、きなこが52(愛)の社会復帰に尽くす、「愛(あい)」の繋がりの表現は凄く好き。
登場した俳優については、宮沢氷魚や西野七瀬らのクズ役。結構見応えがあり、惹き込まれた。宮沢氷魚さんは特に、育ちの良さもありつつ、冷徹な感じを持っていて、傍から見て非常に嫌〜な人(笑)を演じるのがが上手すぎた。
どこが嫌かと言われるとまあ言語化は難しいけど、誰しもが心から友になりづらい感じを醸し出してる感じ。(笑)
2時間を超えても緩む様なシーンが無く、また、過去との回想シーンも分かりやすく、入り込みやすい作り。
難点を挙げるとするならば、美晴との関係。
初期の関係値を考えると、少し、急展開さや無理矢理さを感じざるを得ない気はしないが、物語には必要不可欠な存在の為、仕方ないのかな。
ただ、最後のクジラに出会うシーン。
あれめちゃくちゃ要らない演出で浮いていた。
きなこと52(愛)をクジラと出会わせるのは、感動的な表現で良いが、水飛沫などの演出がとてつもなく安すぎて一気に冷めた。
責めて、沖の方でクジラに潮を吹かせて、水飛沫が届かない距離で描けば良かったのに。。。
私は好きでは無かった
私が無知なだけかもしれないが、
日本映画では珍しくトランスジェンダー男性(FTM)が主要キャラクターで、
とても嬉しく思って見ていた。
死んでしまうまでは。
もういいよ、失ってから気づくとか。そんな話。
ラストとか、シスジェンダーのみんなで海見てて、
すごく寂しかったよ。
未だに死を持って、分からせないとダメなのかな?
また、主税や安吾の母親の無知による差別が本当に痛い。
アップデートされていない人が余りにも多い。(し、その割に罰はない)
あと、キコが虐待されていたことを知っているにも関わらず、
友人が殴ったり、馬鹿だの何だの言っているので、
フラッシュバックとか大丈夫?と気になったし、
(例え安吾との対比を示す為としても)無神経過ぎると思った。
ただ、トランスジェンダー監修も入っていたし、
インティマシーコーディネーターもいたようで、
制作という面では少しずつ変わっていっていると思った。
また、杉咲花を始めとする俳優陣が良かった。
特に、小野花梨、池谷しのぶ、余貴美子。素晴らしかった。
実際にトランスジェンダーである若林佑真のナチュラルな演技もよかった。
あと少し気になったのが、主税のキャラクター。
最後には、キコに暴力まで振るうけど、
なんかそれって、あえて安吾を立たせるためにそうしているように見えて、
逆に安吾を成人男性として平等に扱ってなくない?と思ってしまった。
別に、対立構造として、悪人を立たせなくても良くないか?という。
そんな差異作らなくても、安吾は素晴らしい人だしさ。
52ヘルツの葛藤
救い救われて壊して壊されて
あの時こうだったら、こうしていたら…
過去から未来へ
恩を感謝を次に繋げる為に聞こえない声を聴く
現代の問題が詰め込まれた感じがした
自分の悩みを誰にも言えなかったり
気付いても見て見ぬ振りをしたり
権力でなかったことにしたり
タイミングが違っていたらどんな未来になっていたのか
悔いる場面もあったけど、なくした命があったから
助けられた命もあったんだと
魂の番は
距離、性別、年齢関係ない
見返りを求めず相手の為全力を尽くして力になれる関係
相手の幸せを心から願える関係
だと思った
個人的にクジラのシーンはとってつけた感あってちょっと冷めた
意味のある描写だったけど、もっと遠めだったら良かったなと
人間の心の叫びを52ヘルツに例えて
52ヘルツのクジラで孤独を意味して
でも“たち“の一言で寄り添い合ってる感じがするのが良いな
杉咲花ちゃんはすごい、本当に
あの無邪気な可愛い笑顔からすごく陰が、闇がある表情の振り幅
志尊淳くんの肩をすぼめる仕草とか細かい所まで安吾の思いを葛藤を表現してすごかった
原作は分からないけど映画では
ただただ元気で明るくて友達想いの美晴に救われた
小野花梨ちゃんで良かった
宮沢氷魚くんと真飛聖さんは胸糞悪くて嫌になるほど役に入り込んですごかった、
褒め言葉として2役、すごく嫌いでした
聞こえないかもしれないが
発した声は聞こえないかもしれないが
存在はたしかにあるので、その「存在」から影響を受ける他者もいる
「存在」自体がなにがしかの影響を誰かに与えていることもある
それは自分では気づけない、わからないものではあるかも
きなこもいっちゃんも、実はその「存在」が周囲を動かして救いに繋がった。
なので、52ヘルツのくじらも、実はまったく孤独ではなかったかもしれない。
諦めずに存在し続けることで、救われる可能性もあるようです。
あんさんが救われなかったのがやるせない。
彼(彼女)にはオトコでもオンナでも構わない、ただ愛してくれる母がいたが、あんさんが欲しかったのはそれではなかったのだ。
あんさんが上げた声を、きこは受け止めてはいたが、希望通りにできなかったのが悲劇だったと思いました。
自分のために他人を利用し、踏みつけるのでない限り、自分第一で良いと私は思います。
人生は自分のものなので。
あんさんもおそらく、そう思っているでしょう。だからこそ、あんなことになったと思う。
ヤング・ケアラー、虐待、ネグレクト、DVにトランスジェンダーと、今の時代のヒトが抱える問題総ざらいみたいで作為的なところ(あざといところも)は多々あるが、ひとつひとつは納得できる示唆を含んでいると思いました。
見晴みたいな都合の良いトモダチは出さないほうがよかったかも
きこを母の呪縛から逃す手伝いはありかもですが、その後もひたすらきこの身を案じるだけの行動するっていう、あんなトモダチは、「哀愁」で一緒に娼婦に身を落とす主人公の親友同様になんか異常だという気がする。私は彼女がちょっと怖いと思った。
杉崎花は頼りなげで受け身っぽく、こういうMっぽい役がはまる。
宮沢氷魚の御曹司は別の人と婚約しても愛しているのはきこだけ、っていうのは本当らしく、たしかに愛しているんだろうが、結局愛人として都合よくそばにいて、というだけのこと。
こういうのは割り切ってお金もらって愛ももらえればそれでいいという女性ならありかも。
女性の方も一生を潰す覚悟があればね。
タイトルなし(ネタバレ)
原作を読んだことがないため、そちらがどうかはわからないが、どう考えても安吾に気がありかつ恋愛慣れしていない主人公が働く会社の会ったこともない専務に会って短期間で告白され、OKするだろうかという疑問が残る。安吾のことは大切に思っているとは言っていたが、手も触れる仲だったのだから、多少は恋愛感情はあったのだろう。それなら尚更、自分を窮地の道から救ってくれた安吾を捨てたりしないと思う。(もちろんこれが主人公が安吾がトランスジェンダーだとわかっていた上での行動ならまた話は別だがどうやら杉咲花の演技を見てるとそうではなさそう)、そして最後の展開が中途半端で終わる。きなこは、女の子(52)とともに暮らすが、職もない状況でどうやって役所から認められるまでになったかが全く説明不足。そして、その後どうなりそうかが全く読めず、終わり方が雑すぎる。正直杉咲花の演技が上手いだけに残念な映画だった。
青い涙
安定の杉咲花
見ながら3年前くらいに読んだ本を少しずつ思い出していく感じでした。暗いけど、そんな中に人の温かさとか強さとかがあって、私は好きな作品です。
ちゃんと圧倒的に悪いやつが出てきてくれるので感情移入しやすいです、笑。
杉咲花は相変わらずさすが。志尊淳もなかなかよかった。西野七瀬も振り切って頑張ってましたねーいい感じ。脇を固める余さんや倍賞さんも含め、素敵なキャストでした。ただやはり宮沢氷魚はどうにも好きになれない、、役が嫌な役だったのもあるが、、なんか演技が好きになれない。
包丁のところは特に演出もリアリティなくて、、せめて止めようとしたけど間に合わないとか、不可抗力でとかにして欲しい。。あの体格差で一度つかまえたら止められるだろ。後ろに回る意味もわからんし。あのシーンはちょっと冷めた。
映画と2時間ドラマの中間ぐらい
風呂敷広げ過ぎたかな?焦点がボヤけ薄味な仕上がりに感情が盛り上がらず。面白いことは面白いけど。
ムシと呼ばれる子役の演技が良かった。愛と書いて”いとし”、元夫が付けた名前とのことだが、愛に満ちた人生の始まりになるはずだったのに皮肉…
杉咲花さんの髪型でオーラが変わる演技がいい。ロング→ボブ→ショートと短くなるにつれ、彼女の強さが増してくる。
ワザとらしい不幸の連鎖、杉咲花の薄幸デパート役は正直もう飽き飽き
社会の歪による悲惨のオンパレードが描かれる。原作もののようですが無論読んでません、独立した映画作品としてのレビューです。既に大ベテランの地位にある成島出監督、登場人物を取り巻く周囲の状況までも仔細を刻み、空気感や環境音もくっきりと画面に定着し、悲劇を造形する。さすがの力量には舌を巻くほない。近頃の勢いだけの若手監督には是非見習って頂きたい程。そして主演が「湯を沸かす・・」以来お気に入り女優・杉咲花とあらば観るのに躊躇はなかった。
ところがどうでしょ、このワザとらしい悲惨の連続は、可哀そうよりあざとさが先に立つ。数多の衝撃シーンに導く誘導カットがまるでなく違和感のみが増殖する始末。これが原作由来なのか脚本の未熟なのか判断つきませんが、作劇のプロセスに人間の生理がまるで入っていないと思われるのが致命的。当然に本作は愚作と言うべきで、以下箇条書きにて失礼。ご贔屓の方には不愉快をお詫びします。
工務店員の失礼な質問を馬鹿となじったくせに、その詳細を喋るクソ設定。
半分当たっていると言うけれど、大半は全く当てはまらないのに。
芸者だったお婆ちゃんとの接点もまるで描写なし。
父親の介護を一身に担ったのは自分の意志なのか母親の強制なのか不明。
母親が何故「あんたが殺そうとした」なんて娘に言うのか伏線ゼロ。
病院で医師を前にあの興奮騒ぎぶりには笑うしかないでしょ。
トラックに突っ込み自殺を図った女を慰めるのに、居酒屋なんぞに行くか?
初対面の男に「新しい人生を生きよう」なんて説得会話はあり得ない。
少年の暴行母親の理由も状況も一切なんの描写もない。
少女だったはずが実は少年だったと言うエポックがまるで活きてない。
友人が会社も辞めて参上するが、状況なにも分かってなかったはずなのに。
土砂降りの雨にボロ傘差し出す少年こそずぶ濡れのなのに、呑気に御礼?
家に着いたらまずタオルでしょ、それを「湯が沸く」同様に脱ぎだすとは。
平気で自分の家に子供を連れ込む無神経、セリフの通り誘拐です。
少年の昔の住まいに辿り着き、お向かいさんが赤の他人を家に上げます?
東京・小倉・大分の距離感がまるで伝わらない。
社長の御曹司と判った途端の高級フレンチの超ステレオタイプに呆れる。
御曹司がそこまで惚れる「きなこ」の魅力を一切描いてない手抜き。
貴湖の恩人招いてのレストランも御曹司でも選びませんよ、こんな店。
好きな人の恩人に会ってみたいなんて厭らしさ全開ですよ。
今時、政略結婚にじたばたする話なんて、演ずる宮沢君が可哀そう。
それでも貴湖が好きだと言えばまだしも、とことんクズ男にして情けない。
安吾は暴露手紙を婚約者側にまで送る異常さ、新名1人に言うべき。
トランスジェンダーとして生きるなら、微妙な域で言うべきでしょ。
安吾が悪意の手紙を送ったがための混乱に、どうしてご本人が自殺ですか?
男にトランスしたのだから貴湖が大切以上に大好きと言うべきでしょ。
言えないのなら、黙って身を引くのみでしょ、それが常識ってもの。
その暴露手紙と遺書が被る作劇の未熟。
ご丁寧に安吾の母親まで引きずり出し、どぅやって調べたの?
土下座して何を謝るって言うの? 母親が。
自殺経験者が二度目の自殺にわざわざ御曹司の前でする不自然。
唐突に登場する余貴美子、さらに大御所・倍賞美津子の登場に意味ある?
村中の貴湖に対する淡い恋心を倍賞が察すればまだましでした。
トドメは52ヘルツなんて特殊能力のようなモチーフに嫌悪感しかない。
伝わらないのではなく伝わるヘルツで言えばいいじゃないの!
すべてが、後出しで不幸をブロックのように繋げれば、壮絶な物語が生まれると勘違いしてないだろうか。プロセスを導き出す説得力なしに、こんな破天荒は呆れるしかない。人間には感情があり、観客の生理に沿って描くのは映画であけば当然のこと。こうして列記するといよいよもって愚作なのが明確に。成島出監督としてまともな対処は出来なかったのか?
描く時代は交錯するが杉咲のヘアスタイルで明確となり、混乱はしない。志尊淳が準主役でご出演で目出度いと思ってましたが、LGBTQのTの役はいいけれどタイプキャスティング色が強過ぎ、女優がマニッシュに演ずる手もあったろうに。彼をイケメンとして扱って欲しいのです。前述した通り宮沢氷魚にこの役を宛がう無神経に腹が立つ。主役を張る役者でなく、実力派の脇中心の役者を使うべしですよ。
「市子」とかなり被る役で、彼女が絶叫するなんぞもう観たくないと思うのです。
杉咲花の演技に圧倒される!
予告で観た杉咲花さんの演技に誘われて、先に観た「コットンテール」に引き続き、泣く気満々でハンカチ片手に鑑賞してきました。
ストーリーは、母親から虐待を受け、継父の介護まで押し付けられて育った三島貴瑚が、東京から海辺の一軒家に引っ越してきたある日、母親から虐待を受けて声を出すこともできない少年と出会い、かつての自分の声なき悲鳴に耳を傾けて救い出してくれたアンさんこと岡田安吾のことを思い出し、自身も同じように少年に寄り添っていこうとする姿を描くというもの。
近年、子どもたちの家庭環境が問題視される事案をたくさん目にするようになりました。親からの暴力はもちろん、ヤングケアラーやネグレクト等、そのケースもさまざまです。それら全てが明らかな虐待であるにもかかわらず、子どもたちがSOSを発信できないところに、この問題の根深さがあります。親が怖い、でも親が好き、だから親と離れたくないという思いや、家事や介護がつらい、でも親に嫌われたくない、だから素直に従うなど、親を慕う子どもの心を踏みにじるような虐待行為には強い憤りを覚えます。
本作でも、継父の介護に無自覚に苦しめられた挙句、母から罵られた貴瑚が、思考停止状態から死を選ぼうとする姿に、胸が締め付けられそうでした。そこから安吾や美晴に苦しい胸の内を吐露する場面は、涙を禁じ得ませんでした。杉咲花さんの圧巻の演技が、観客の心を深く抉ります。また、安吾の「家族が呪いになったら逃げ出していい」という言葉が胸に突き刺さります。
でも、終わってみれば、自分の中ではここがピークでした。その後、作中では、少年への虐待、親にも言えない安吾の悩み、大人になった貴瑚が受けるDVなど、息もできないような苦しい生活を描きます。そして、その苦しさを声にすることもできない、声をあげても届かない、そんな絶望の淵に立たされた人々の姿を通して、声なき悲鳴に耳を傾けることの大切さを重層的に描こうとしています。それはよくわかります。
しかし、正直言ってそれがかえって散漫な印象を与えているように感じ、思ったほど泣けませんでした。特に新名に関する場面は、結局また貴瑚に収束するので、まるまるカットしてもいいような気がしました。そのぶん、貴瑚が虐待から子どもを守るために奔走する姿、今度は安吾の声に耳を傾けて寄り添う姿などを描いてもよいのではないかと感じました。家族の呪縛と安吾による救済を経験した貴瑚が、同じような境遇の少年を救いたいと願う姿をもっとシンプルに描くだけではだめだったのでしょうか。
主演は杉咲花さんで、もはや何も言うことはありません。脇を固めるのは、志尊淳さん、小野花梨さん、宮沢氷魚さん、西野七瀬さん、真飛聖さん、余貴美子さんら。中でも、西野七瀬さんは一皮むけたような演技が印象的でした。一方、宮沢氷魚さんは、杉咲花さんと同じフレームに収まったときの演技力の差が気になって、ちょっと気の毒でした。
みんな52ヘルツのクジラだよ
原作は未読。アンさんはキナコを救えたのに、なぜ死んだのか。誰にもアンさんの声が届かなかったから?
キナコがムシを救おうとするけど、その前に街の人や行政は何もしなかったのか。
時間を抑えるために、脚本に無理があったと思う。クジラの声は、癒やしよりも孤独が強くなるようだ。
虐待などがなくても、自分の孤独や辛さを周りが分かってくれるわけではない。それでも生きていくから、みんな52ヘルツのクジラたちだよ。
おばあちゃんも52ヘルツクジラだったの?
ヤングケアラー、ネグレクト、トランスジェンダー、ドメスティック・バイオレンス…。
いろんな要素が盛り込まれており、きちんと整理されてなければとっ散らかりそうなストーリーでしたが、とっても上手にまとまっていました。
複雑な時系列を用いずに進んでくれていたからだと思います。また、キナコの髪型が彼女の置かれてる状況に合わせて変わってくれていたので、とてもわかりやすかったです。
「家族」が時には呪縛・呪いとなる
そう感じたら、家族と離れてもいい
アンゴがキナコに語るこのセリフ、物語後半のアンゴと母親(余貴美子)との再開してしまったあの場面に、私の頭にフラッシュバックしてきて心が締め付けられました。
社会の構成要素の最小単位は「個人」なのか「家族」なのか?
家族が出てくる物語をみると、このテーマを考えてしまいます。
どうも我々日本人は「家族」である場面が多いのでしょう。
おそらく、アンゴがそうだったように、いつの日か母親が絡め取って来るんだと思います。
でもそんな時には、キナコや愛が、母親の呪いから逃れられるといいな。
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