「キナコにも、アンさんにも、共感することができない」52ヘルツのクジラたち tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
キナコにも、アンさんにも、共感することができない
はじめは、児童虐待をテーマにした物語なのかと思っていたが、トランスジェンダーであることに苦しむアンさんの生き様が、むしろ強く心に残った。
ただ、彼が、キナコの52ヘルツのSOSを聞くことができたのは、彼自身に、家族のことを「呪い」と感じ、逃げ出した過去があったからだろうと想像したのだが、母親との再会のシーンで、そうしたことが明確に示されなかったのは、やや物足りなかった。
それに、いくらキナコのことを思っての行為だとしても、彼が、キナコの恋人にした仕打ちは、単なる「告げ口」でしかなく、あまり同情することができない。
さらに、彼の最期にしても、いくら想いを寄せる人と結ばれないということに悲嘆したのだとしても、あるいは「告げ口」をしてしまった自分自身を許せなかったのだとしても、自死という選択には、どうしても同意することができなかった。
主人公のキナコにも、なかなか感情移入することが難しい。
キナコは、アンさんのことを好きなはずだったのに、いくら一度振られたからと言っても、そのアンさんから「不幸になるから恋人と別れろ」と言われて、逆ギレするとはどういうことだろう?
社長の御曹司である恋人には、あれほど「嫌な奴」フラグが立っていたのに、それでも「私は彼と幸せになる」と言い切ってしまうキナコには、まったく男を見る目がないと言わざるを得ず、セレブな生活に目が眩んでいるとさえ思えてしまう。
案の定、恋人が暴力を振るい始めても、キナコの自業自得にしか思えないし、ラストで、キナコが、「真実を知っても、アンさんへの気持ちは変わらなかったのに•••」と呟いても、「何を今さら」と、白々しさしか伝わってこない。
愛(いとし)を救い出そうとするキナコの行動にしても、同じように親から虐待されていた自分と彼とを重ね合わせる気持ちは理解できるものの、児童相談所にも相談せず、どうして自分だけで問題を解決しようとするのだろうか?
この手の物語にはよくあることなのだが、社会には(決して十分とは言えないかもしれないが)それなりのセーフティ・ネットが整備されているのに、それを知らなかったり、信用していなかったりで、個人的に突っ走る主人公の姿には、やはり違和感を覚えざるを得ないし、場合によっては観客をミスリードする恐れさえあると思えるのである。