「安城家の舞踏会」「隣の女」 : 芝山幹郎 テレビもあるよ

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コラム:芝山幹郎 テレビもあるよ - 第33回

2012年1月30日更新

映画はスクリーンで見るに限る、という意見は根強い。たしかに正論だ。フィルムの肌合いが、光学処理された映像の肌合いと異なるのはあらがいがたい事実だからだ。

が、だからといってDVDやテレビで放映される映画を毛嫌いするのはまちがっていると思う。「劇場原理主義者」はとかく偏狭になりがちだが、衛星放送の普及は状況を変えた。フィルム・アーカイブの整備されていない日本では、とくにそうだ。劇場での上映が終わったあと、DVDが品切れや未発売のとき、見たかった映画を気前よく電波に乗せてくれるテレビは、われわれの強い味方だ。

というわけで、毎月、テレビで放映される映画をいろいろ選んで紹介していくことにしたい。私も、ずいぶんテレビのお世話になってきた。BSやCSではDVDで見られない傑作や掘り出し物がけっこう放映されている。だから私はあえていいたい。テレビもあるよ、と。

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「安城家の舞踏会」

奇怪な映画である。奇怪と書くより奇っ怪と書きたいくらいだ。

まず設定がものものしい。時代は、新憲法制定直後の昭和22年。華族制度は廃止され、これまで数々の特権を享受してきた安城家も苦境に立たされている。かたくなな態度を崩さない当主の忠彦(滝沢修)、女とピアノが好きな放蕩息子の正彦(森雅之)、気位だけ高い長女の昭子(逢初夢子)、ひとり冷静で、現実感覚を失わない次女の敦子(原節子)。

よくもまあ、クッキーの型から抜いたような人物ばかり集めたものだが、彼ら安城家の人々を取り巻く群像もすさまじい。忠彦に大金を貸し付け、邸を乗っ取ろうとしている新川(清水将夫)、もとお抱え運転手で成金の遠山(神田隆)、正彦と身体だけでつながっている小間使いの菊(空あけみ)。

きりがないから人物紹介はもうやめておくが、驚くべきは、陰翳を伴う登場人物がもののみごとに見当たらないことだ。まあ、脚本が新藤兼人だから、ある程度は仕方がない。監督の吉村公三郎も不思議なフレーミングや大胆なつなぎで見せる人だが、ニュアンスのある芝居の演出が得意なわけではない。

にもかかわらず、「安城家の舞踏会」は退屈な映画ではない。味つけがあくどく、設定や芝居が大げさな分、意図していなかった諧謔味やグロテスクな断面がいきなり露出して、見る側の眼を惹きつけてしまうのだ。文字どおり体当たりを見せる原節子や、砂浜を転げ落ちる逢初夢子の姿も強烈だが、思わず口笛を吹きたくなるのは森雅之の腐り方だろう。投げやりで、冷淡で、だらしなくて、ずうずうしくて……没落華族の負の部分をこれだけ体現できたのは、持って生まれた資質のなせる業というほかない。

そう、「安城家の舞踏会」は劇画的映画の走りのような作品だ。1947年、この映画がキネマ旬報ベストテンの第1位に輝いたとき、世間には劇画という観念が流通していなかった。

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安城家の舞踏会

BSプレミアム 2月2日(木) 13:00~14:31

監督・原作:吉村公三郎
脚本:新藤兼人
撮影:生方敏夫
音楽:木下忠司
出演:原節子滝沢修森雅之逢初夢子神田隆清水将夫
1947年日本映画/1時間31分

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「隣の女」

ファニー・アルダン(左)とジェラール・ドパルデュー ファニー・アルダン(左)とジェラール・ドパルデュー (C) 1980 LES FILMS DU CARROSSE [拡大画像]

トリュフォー後期の映画といわれると、私はなぜか「隣の女」を反射的に思い浮かべてしまう。

傑作ではない。話は広がらないし、登場人物の体験するなりゆきにも予定調和を思わせるところがあるからだ。

だが、不思議な味がある。待てよ、あれはもしかすると、予定調和に見せかけて、とんでもない化学変化を画面の裏側に潜ませていた映画ではないだろうか。

郊外の家にベルナール(ジェラール・ドパルデュー)という妻帯者が住んでいる。ある日、隣の家に新婚の夫婦が越してくる。隣家の妻マティルド(ファニー・アルダン)は、8年前、ベルナールと恋仲だった。

もちろん、再会するなり、ふたりは意識する。そわそわと振る舞い、たがいの配偶者に過去を告白することを避ける。となれば、なりゆきは決まっている。ふたりは町の小さなホテルで逢瀬を重ねる。じっとりと汗ばみ、最後は焦げついてしまうような情事。だが、奇妙な感じも伝わってくる。情事の温度は高いのだが、相手に対する愛情は果たして存在しているのだろうか。

とんでもない化学変化、と最初に書いたのはこのためだ。かつてスタンリー・カウフマンという映画評論家は《トリュフォーの映画に出てくるのは3つの要素だけだ。恋に恋する男と、男を殺す女と、子供の3つ》と荒っぽく分析した。大ざっぱにいえば、「隣の女」もこの法則の例外ではない。

が、忘れてならないのは、トリュフォーにしか出せない微妙なタッチだ。題材は「黒い事件簿」かもしれないが、「隣の女」は悲劇や陰惨な出来事に焦点を絞らず、情事の裏側で地下茎のように育っていく狂気のありようを細い筆で描き出そうとしている。ここが急所だ。情事は迷宮なのだ。トリュフォーは迷宮に分け入るのが好きな作家だった。

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隣の女

WOWOW 2月25日(土) 10:15~12:10

原題:La Femme d'a Cote
監督・製作:フランソワ・トリュフォー
原案・脚本:シュザンヌ・シフマンジャン・オーレルフランソワ・トリュフォー
撮影:ウィリアム・リュプシャンスキー
出演:ジェラール・ドパルデューファニー・アルダンアンリ・ガルサンミシェル・ボームガルトネル
1981年フランス映画/1時間46分

[筆者紹介]

芝山幹郎

芝山幹郎(しばやま・みきお)。48年金沢市生まれ。東京大学仏文科卒。映画やスポーツに関する評論のほか、翻訳家としても活躍。著書に「映画は待ってくれる」「映画一日一本」「アメリカ野球主義」「大リーグ二階席」「アメリカ映画風雲録」、訳書にキャサリン・ヘプバーン「Me――キャサリン・ヘプバーン自伝」、スティーブン・キング「ニードフル・シングス」「不眠症」などがある。

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