コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第85回
2020年7月31日更新
第85回大海原のソングライン
酔い痴れる、とはこういう音楽映画のことをいうのだろう。最初から終わりまで、曲のあいまに短い字幕がさしはさまれる以外にはナレーションもいっさいなく、ただひたすら歌い、演奏する様子だけが紹介されている。ただそれだけの作品なんだけど、ひたすら惹き込まれる。
出てくる楽器の数々が面白くて、それだけでも楽しめる。海辺に漂着した廃プラスチックなどでつくったマダガスカルの楽器。竹筒を束ねて横に寝かせ、シャモジみたいなのでペタペタ叩くパプアニューギニアの楽器。さらに驚いたのは、バヌアツの女性たちが奏でる楽器。これを楽器と呼ぶのかどうかもわからないのだが、川の中に一列に並んで水面をいっせいに手のひらで叩き、さざなみのような打楽器になっている。
アフリカの大地の音とは違い、本作で奏でられていく音楽はまるで海を渡っていく波のように軽快だ。すべては「海の民」によってつくられている音だからだ。演奏する人々はマダガスカル、マレーシア、オーストラリア、イースター島、そして台湾と太平洋からインド洋まで広大な海に沿って暮らしている人たち。
本作はバックグラウンドをまったく知らなくてもじゅうぶんに楽しめる。しかし、より深く本作の意味を知るためには、その背景を学んでおきたい。本作に出てくる音楽家たちは、すべてオーストロネシア語族に属している。もともとの出自は東アジアのモンゴロイドで、おおむね6000年前に中国から台湾に移住した。彼らはここから舟で太平洋に漕ぎ出て、フィリピンやインドネシア、マレーシアに広がる。
一部の人たちは西に向かい、なんとインド洋をわたって、アフリカ東岸のマダガスカルにまで長駆した。東に向かった人は、ニューギニアからフィジーなど南太平洋に広がり、いちばん遠くはハワイやイースター島にまで到達した。アフリカのマダガスカルから、ほとんど南アメリカに近いイースター島まで……ほとんど地球を半周するぐらいの距離だ。
ちなみに本作には出てこないが、台湾から出たオーストロネシア族のなかには、黒潮にのって日本までやってきた人たちもいると考えられている。沖縄や九州、和歌山などにいた隼人(はやと)や海人族と呼ばれていた人たちがそうだ。
大航海時代になって西欧の白人たちが南太平洋に探検にきて、彼らはひどく驚いた。こんなに広いエリアに島々が遠く点在しているのに、離れた島のひとたちは一様に明るい褐色の肌とゆたかな黒髪を持ち、立派な体格で、高度な航海技術をもっていたからだ。広大な太平洋に生きる人たちは、遠く離れていてもつながっているのだ。
本作は、このオーストロネシアの人たちの音楽を、もう一度ひとつに結んでいくという壮大な試みの映画なのである。原題は「Small Island Big Song(小さな島、大きな歌)」だが、これにソングラインという単語を当てた邦題は秀逸だ。ソングラインは、英国の旅行作家ブルース・チャトウィンが書いた同名の書籍で有名だが、オーストラリアの先住民族アボリジニの移動路のことである。
アボリジニには、現代のわれわれが見慣れているような地図は存在しない。そのかわりに語り継がれた歌「ソングライン」があり、その歌のとおりに歩いていけば、水場があり、食料になる植物があり、獲物がいて、目的地にたどり着くことができる。ソングラインによって、アボリジニは広大なオーストラリア大陸を自由に旅することができるという。
アボリジニのソングラインと同じように、台湾から広がったオーストロネシアの人たちは音楽で海の道をつくっていった。そういうイメージが邦題「大海原のソングライン」には込められている。
本作の演奏シーンはそれぞれの島で別々に収録され、編集によって音も映像も重ね合わされて、アンサンブルを構成している。それはまるで、新型コロナの渦中でよく見た音楽家たちの合奏シーンのようだ。ふりかえれば2013年のファレル・ウィリアムス「HAPPY」のころから、さまざまな土地でさまざまな人々が歌い演奏し踊る姿を、YouTubeで重ねていくようなスタイルは、SNSのこの時代に定着している。本作は太古の昔を思い起こさせる音楽を伝えつつも、映画としての手法はまさに21世紀的なテクノロジーを映し出しているのだ。
数万年以上も前に人類がアフリカを出て、そしてオーストロネシアの人々が中国大陸を出た。これらは太古のグローバリゼーションである。植民地と帝国主義に拠った西洋近代のグローバリゼーションが、プランテーションやキリスト教の布教に見られるようにローカルという多様性の否定だったのに対し、太古のグローバル化は多様性は否定しなかった。マクドナルドやキリスト教のように世界を一色に染めるのではなく、アフリカの小さな単一の集団から徐々にローカル性を増し、言葉も変わり、多様性を逆に高めていったのだ。
ローカルな文化がグローバルなプラットフォームによって交流されることを「グローカル」というが、太古のグローバリゼーションはまさにグローカルの実現であり、本作はそのグローカルの有り様を現代のプラットフォーム時代と結びつけているという意味でも、非常に面白い現代的な構図を持っている。21世紀の私たちはインターネットに拠って、このような太古のグローバリゼーションへと再回帰しつつあるのかもしれない。
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■「大海原のソングライン」
2019年/オーストラリア=台湾
監督:ティム・コール
2020年8月1日から、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
筆者紹介
佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。
Twitter:@sasakitoshinao