コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第84回

2020年6月26日更新

佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代

第84回:ハニーランド 永遠の谷

北マケドニアはギリシャとアルバニア、ブルガリアに囲まれた国で、以前はユーゴスラビアに属していた。バルカン半島の奥部のこのあたりは、遠く極東に住む日本人にとってはファンタジーの世界のような、魅力的な異国情緒を持つ一帯である。しかもその土地で、「ヨーロッパ最後」と言われる自然養蜂を行っている女性が主人公。その設定だけで、厳しく美しい自然と古い村の風景を期待してゾクゾクしてくる。

北マケドニアで自然養蜂をして暮らす女性を追ったドキュメンタリー
北マケドニアで自然養蜂をして暮らす女性を追ったドキュメンタリー

冒頭からその期待は裏切られない。細い山道をたどり、強風が荒れる峨々とした岩稜のすきまにミツバチの巣はあり、主人公のハティツェ・ムトラヴァは蜜を採集する。すべては採らず「半分はわたし、半分はあなた」とハチに語りかけるその姿は、まさに自然と共生し、持続可能な暮らしを生きる象徴のようだ。老いて目の見えなくなった母親との暮らしは、まるで中世の時代の風景のようにも見え、すべてが愛おしい。

彼女の土地はどこか遠くにあり、誰にも到達できないように感じる。しかし、実は首都スコピエからわずか20キロの場所にあることが明かされる。都市文明から至近距離で、実はとても壊れやすくはかない風景なのだ。それを裏付けるかのように、本編が始まってすぐに美しい暮らしは破られることになる。トルコからやってきたという騒々しい大家族が、ハティツェの家のそばに移住してくるのだ。

大家族は騒々しいだけでなく、いつもトラブルに巻き込まれている。中年の夫婦はいつも喧嘩し、そういう両親に子どもたちは鬱屈を抱いている。彼らは持続する地味な生活よりも、得られるものはなんでも収奪して生き延びていくようなライフスタイルを選択している。だから最初は一家と仲良くしていたハティツェも、だんだんと彼らと向き合うのがつらくなってくる。

アカデミー賞史上初、長編ドキュメンタリー部門&国際映画賞にダブルノミネートされた
アカデミー賞史上初、長編ドキュメンタリー部門&国際映画賞にダブルノミネートされた

一家はハティツェを真似て、養蜂をはじめる。自然養蜂ではなく、業者から蜂箱を購入していきなり大きな商売を始めようとする。新しい蜂たちは闖入者であり、おかげでハティツェの蜂たちは蜜をあまりとれなくなってしまう。彼女は抗議するが、聞き入れられない。彼女の仕事ぶりに影響を受けてきた一家の幼い息子たちも、父親に「半分しかとっちゃいけないんだ」と助言しようとするが、まったく受け入れられない。

このあたりの展開は、とてもドキュメンタリーとは思えないほどドラマチックだ。撮影に3年もかけ、400時間以上もカメラに収められたという制作の厚みがガッチリと骨組みを作り出していることが伺える。

画像3

映画の冒頭では確固としていたように見えていた持続性は、急速に失われていく。失われていくものを前にただ佇むしかないハティツェは、ひたすら無力である。だがその無力さこそが、とても強く胸を打つ。彼女には抗議の言葉さえない。はかなく美しく厳しい風景の中を、ただ歩いていくしかないのだ。

失われる持続性は、地球温暖化や廃プラスティックなどの問題も含めて21世紀の社会の最重要問題のひとつである。これを強い言葉ではなく、ただ切なくはかない物語として本作は描いている。その物語性は、言葉よりも強く観客の胸に突き刺さるだろう。

----------

■「ハニーランド 永遠の谷

画像4

2019年/北マケドニア
監督:リューボ・ステファノフタマラ・コテフスカ
2020年6月26日から、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

筆者紹介

佐々木俊尚のコラム

佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。

Twitter:@sasakitoshinao

Amazonで今すぐ購入

映画ニュースアクセスランキング

本日

  1. 第48回日本アカデミー賞優秀賞発表 「正体」が最多12部門13の優秀賞【受賞者・作品一覧】

    1

    第48回日本アカデミー賞優秀賞発表 「正体」が最多12部門13の優秀賞【受賞者・作品一覧】

    2025年1月21日 16:35
  2. 話題沸騰のドキュメンタリー映画「どうすればよかったか?」興収1億円突破! 全国100館以上に拡大上映

    2

    話題沸騰のドキュメンタリー映画「どうすればよかったか?」興収1億円突破! 全国100館以上に拡大上映

    2025年1月21日 15:00
  3. 第48回日本アカデミー賞、新人俳優賞の受賞者8人発表 齋藤飛鳥、赤楚衛二、板垣李光人、森本慎太郎らが受賞【受賞作品・役どころ紹介】

    3

    第48回日本アカデミー賞、新人俳優賞の受賞者8人発表 齋藤飛鳥、赤楚衛二、板垣李光人、森本慎太郎らが受賞【受賞作品・役どころ紹介】

    2025年1月21日 17:18
  4. 山田裕貴主演でミステリーランキング2冠「爆弾」映画化! 伊藤沙莉×染谷将太×渡部篤郎も参戦【超特報映像もあり】

    4

    山田裕貴主演でミステリーランキング2冠「爆弾」映画化! 伊藤沙莉×染谷将太×渡部篤郎も参戦【超特報映像もあり】

    2025年1月21日 05:00
  5. IMP.佐藤新×渡邉美穂「青春ゲシュタルト崩壊」 瀬戸朝香、戸田菜穂ら追加キャスト発表

    5

    IMP.佐藤新×渡邉美穂「青春ゲシュタルト崩壊」 瀬戸朝香、戸田菜穂ら追加キャスト発表

    2025年1月21日 12:00

今週