コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第107回

2023年5月15日更新

佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代

第107回:ライフ・イズ・クライミング!

最高にハッピーなドキュメンタリ。視力を失ったクライマーのコバこと小林幸一郎さんと、彼の目となって支える視覚ガイドのナオヤこと鈴木直也さんの物語。

視力を失ったクライマーの小林幸一郎さん(左)と、視覚(サイト)ガイドの鈴木直也さん(右)
視力を失ったクライマーの小林幸一郎さん(左)と、視覚(サイト)ガイドの鈴木直也さん(右)

わたしは30代のはじめごろまで岩壁登攀をしていたので、目の見えない人がクライミングするということがどれほど困難なことかはよくわかる。そもそも岩壁に取りつくため、整備されていない踏み跡のような登山道を歩くことでさえもたいへんだと思う。登山道には浮き石や木の根っこや崩れやすい砂の斜面など、足を踏み外してしまう障害物が無数にある。それらを目視しないで注意深く避けなければならない。

登攀を開始してからはさらに困難だ。クライミングは全身のバランスと握力がカギを握っている。難しいポイントに来ると、わずかな岩の出っ張りを2本の足と1本の指で支え、無理な姿勢のまま、残る片方の手で上方のホールド(手がかり)を探す。目を皿にして岩壁を凝視し、手を伸ばして探すのである。

視覚と触覚をフルに駆使しなければならない。ここで視覚が使えないのは、ものすごく厳しい。ときには思いきり手を伸ばした、その指先の本の数センチ先に良さそうなホールドがある場合もある。思いきってジャンプしてでもつかむかどうか。きつい判断だ。こういう局面で視覚が使えないのはつらすぎる。

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こういう苦難を乗り越えてクライミングを楽しむために、視覚(サイト)ガイドという存在があるのだという。岩壁をよじるコバさんに向けて、ナオヤさんは大声で呼びかけ、次のホールドを指し示し、どういう姿勢なら届くかを伝える。室内でのクライミングウォールでの練習から、視覚や身体の機能障害を持つ人たちのスポーツクライミングであるパラクライミング大会。コバさんはパラクライミングの世界選手権で4連覇しているレジェンドなのである。さらには競技から出て、困難なアメリカの大岩壁にまでふたりの旅は進んでいく。ユタ州のフィッシャータワーズにある奇妙奇天烈な岩頭コークスクリューでのクライミングは、圧巻かつ最高だ。

そしてこの作品が最もすばらしいのは、「かわいそうな障がい者とその支援者」という古びたステレオタイプを脱ぎ捨てているところである。28歳で難病を発症して視力を失っていったコバさんにはさまざまな苦労があったはずだが、物語ではあえてそれを描かない。視力がないという状態を悲観的に描くこともしない。

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世界7大陸最高峰を登頂した全盲のクライマー、エリック・ヴァイエンマイヤーの家をコバさんとナオヤさんは訪ねる。知り合ってもう20年近くになるというふたり。エリックがコバさんに聞く。

「いまの視力はどのぐらい?」
「完全に何も見えない。昼も夜もわからない」
「全盲か。ついに完全なる盲人だな。イエーイ」
「イエーイ。ようやくだ」
「これで本当の友だちになった。前は半分だけ友だちだった。見えてたからね」

3人は笑いころげる。そこからエリックは真顔に戻って、自分が全盲になった14歳のころの話をする。カフェテリアで昼食をとっていて、自分だけが輪の外に置き去りにされていたと感じたのだという。こう続ける。

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「孤独を好むクライマーもいる。でもぼくは、全盲だからこその恵みもあるんだ。お互いを信頼しあっているから、命を仲間に託せる。仲間とつながる感覚がぼくは大好きだ。仲間がいるから冒険ができる。君たちも同じだろ?」

これこそが、本作のもっとも深い部分にある哲学だと思う。全盲のクライマーと視覚ガイドのバディとの、深く優しい関係。それはコバさんの困難に端を発し、そしてその困難を乗り越えることで光り輝いている。

音楽と美しい映像にあふれたこのハッピーきわまりない作品を、ぜひ楽しんでほしい。

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■「ライフ・イズ・クライミング!
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2023年/日本
監督:中原想吉
5月12日から新宿武蔵野館、シネスイッチ銀座、 YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開

筆者紹介

佐々木俊尚のコラム

佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。

Twitter:@sasakitoshinao

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