コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第106回

2022年11月24日更新

佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代

第106回:画家と泥棒

驚くべきドキュメンタリーである。ノルウェー・オスロで、チェコ出身の女性画家の絵画が盗まれる。すぐに二人の泥棒が捕まり、75日間の懲役の実刑判決を受ける。画家はなぜか、泥棒のひとりに「あなたをモデルに絵を描かせてほしい」と頼む。

絵を盗まれた画家と盗んだ犯人の事件後の意外な交流を追ったドキュメンタリー
絵を盗まれた画家と盗んだ犯人の事件後の意外な交流を追ったドキュメンタリー

そこから物語はスタートしている。制作ノートによると1989年生まれの監督ベンジャミン・リーは、インターネットの検索でこの事件を知り、興味をもって画家と連絡をとって撮影を始めたのだという。その時点では監督も「これから自分が撮ることになる物語が驚きの展開を見せるなんて思いも寄らなかった」と語っている。

この作品を見はじめた時は、モキュメンタリー(フィクションをドキュメンタリー風に演出した映画のこと)かと思った。それほどまでに本作はびっくりするようなドラマ的展開をしていくし、大事な瞬間のほぼすべてがカメラに収められているのも信じられない。あらゆる時間を密着して撮影していないと、こんなドキュメンタリーは撮れないだろう。監督はこうも語っている。「3年以上をかけて実に満足のいく撮影ができたと思っている」「彼らはとても情熱的で、率直で、繊細で、様々な表情を包み隠さず見せてくれた」

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泥棒ベルティルの肖像を、女性画家バルボラは描く。まだほんの序盤、作品がはじまって17分ぐらいのところでバルボラが完成した肖像画をベルティルに見せる。ベルティルは突然、堰を切ったように声を立てて泣き始める。ひとりの荒くれた男が声を出して泣くのを描いて、わたしはこれほど感動的なシーンはこれまでに観たことがない。このシーンだけでも、ドキュメンタリーの歴史に記録される一作と呼んでもよいのではないかと思う。

ベルティルは極悪人でもなく、かといって善人でもない。絵画を泥棒してすぐに捕まったことでもわかるように、ちょっと憎めないダメな悪人だ。自堕落で未来のない下層の生活を送り、犯罪から足を抜けられない。その彼が、アートという高尚な文化資本と向き合う。それはいったいどのような衝突になるのか、それとも融合になるのかという疑問が、本作の隠されたメインテーマとなっている。

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それがどのように解き明かされるのかはぜひ本作をじっくり観てほしい。このような素晴らしいドキュメンタリーが、Amazon Prime Videoで追加料金なしに鑑賞できるというのは、実にサブスク時代の素晴らしいできごとである。

画家バルボラと泥棒ベルティルは、撮影が始まる以前からの宿命の出会いだったようにも思え、そして性愛でも友情でもない、何かもっと異なる情愛がふたりの間にもたげてくることに神々しささえも感じる。そしてラストシーンまで観客は運ばれていき、最後の最後に「あっ」と声を上げてしまうような絵画作品が紹介されるのである。これはまるで、ドキュメンタリー映画に名前を借りた「奇跡」のようではないだろうか。

人間という存在の奥深さ、人間関係の不思議さをじっくりと味わいたい人にはとてもオススメできる作品である。

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■「画家と泥棒
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2020年/ノルウェー
監督:ベンジャミン・リー
MadeGood、Amazon Prime Video、U-NEXTで配信中

筆者紹介

佐々木俊尚のコラム

佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「レイヤー化する世界―テクノロジーとの共犯関係が始まる」(NHK出版新書)など。

Twitter:@sasakitoshinao

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