コラム:佐藤久理子 Paris, je t'aime - 第127回
2024年1月25日更新
名優ジェラール・ドパルデューの#MeToo問題 仏映画界にワインスタイン事件以上の衝撃走る
フランスで誰もが知る俳優、ジェラール・ドパルデューが複数の女性から#MeTooで訴えられ、激震をもたらしている。昨年末、このニュースがメディアを賑わせると、エンターテインメント業界は彼を擁護する側と糾弾する側の真っ二つに別れた。
もっとも、事の発端は2018年に遡るので、ここで経緯を簡潔にご紹介しよう。まず同年8月に、ドパルデューと父親が友人で長年家族ぐるみの付き合いがあったという22歳の女性が、彼の自宅を2度訪れ、2回にわたって性的被害を受けたと警察に被害届を出した。一旦は不起訴になるが、彼女は再び2020年に訴え、起訴に至る。もっとも当時は、メディアでこの件はあまり話題にされなかった。それが昨年、一挙に注目を浴びるきっかけになったのは、9月に別の女性が「DISCO ディスコ」(2008)という作品でエキストラとしてドパルデューとダンスを踊った際、現場で体を触られるなど不適切な行為をされたと被害届を出し、これを機に過去に似たような体験をした女性たちが声を上げ始めたからだ(被害届は出さないながらも声を上げた女性は13人とも15人とも言われる)。
また「ソフィー・マルソーの刑事物語」で彼と共演したマルソーや、アヌーク・グランベールも、そこまでの被害は遭っていないものの彼の下品な言動を批判する発言をし、注目を浴びた。さらに追い討ちをかけるかのように、ドパルデューが出演した未完のドキュメンタリーの一部がテレビで放映され、乗馬をする少女を見学しながら卑猥な言葉を発したり、通訳の女性に下劣なジョークを飛ばす様子が報道され、フランスを代表する国民的名優の品格のなさに視聴者がショックを受けた。
だがドパルデュー・バッシングが大きくなると、今度は実娘で女優のジュリー・ドパルデューや、元妻のキャロル・ブーケを始めとした擁護派が、「メディアのリンチから偉大な名優を救おう」と声を上げ、56人が彼を擁護する署名を新聞に掲載する。さらに記者から質問を受けたマクロン大統領が、「疑わしきは罰せず」を原則に、フランス文化の象徴である彼の才能を賞賛する発言をしたため、フェミニスト団体から激しく批判される事態を招いた。
もっとも、年が明けると流れはいささか変化し、新内閣の発足に伴い会見をしたマクロン大統領は、「年末の発言を後悔していない」としつつ、被害者の声が十分に聞かれるような社会を目指すこと、DVや女性に対する暴力の取り締まりを強化することを強調した。さらに上記の56人の署名者のうち、パトリス・ルコント監督など何人かが、性急に署名してしまったことを後悔する発言をしている。
係争の行方は法の裁きに拠るとして、いま業界人が頭を抱えている問題は、ここまで来てしまった今、ドパルデューの出演する作品を今後も観たい人がいるだろうか、ということだ。たとえ結果がどうであれ、彼にとって今回の事件は致命的と言える。
だがもちろん、社会的に見ればこの件が業界にもたらすポジティブな側面はある。実際、ベッドシーンなど親密な撮影の現場で、フランスもアメリカのように「インティマシー・コーディネーター」と言われるスタッフを付ける傾向が増えていること。またCNC(フランス国立映画映像センター)は、公的援助を受ける作品のスタッフは、あらかじめセクシュアルハラスメントに関する講義を受けることが義務となり、現場で疑惑を持たれた人物はたとえそれが監督であっても、その時点でスタッフとの共同作業をやめなければならない(遠隔操作ができる場合、撮影の続行は可能)、という新たな規定を発表した。
じつはこれにもとづいて現在、遠隔操作を余儀なくされているのが、「落下の解剖学」に出演している夫役の俳優で監督のサミュエル・テイスなのだが(現在撮影中の監督作で、男性のスタッフから性的被害で訴えられた)、この件は長くなるのでまた別の機会に譲りたい。
ともあれ、ドパルデュー事件はフランスでは、ハーベイ・ワインスタインの衝撃よりもさらに大きな影響をもたらすことになりそうだ。(佐藤久理子)
筆者紹介
佐藤久理子(さとう・くりこ)。パリ在住。編集者を経て、現在フリージャーナリスト。映画だけでなく、ファッション、アート等の分野でも筆を振るう。「CUT」「キネマ旬報」「ふらんす」などでその活躍を披露している。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
Twitter:@KurikoSato