コラム:メイキング・オブ・クラウドファンディング - 第14回
2018年7月19日更新
「菊とギロチン」瀬々敬久監督の今なお抱き続ける映画作りへの初期衝動
7月7日よりテアトル新宿他で公開中の映画「菊とギロチン」は、瀬々敬久監督による構想30年の入魂の青春群像劇です。「やるなら今しかない!」と、監督自らが語っているように、時代背景は大正時代でありながらも、現代の社会情勢や閉塞感を鮮烈に反映しています。瀬々監督の熱意に賛同して集まった多くのスタッフやキャストもまた、アナキストや女相撲力士のごとく、心のうちに燃えたぎるものを抱えていました。Motion Galleryでは本作の配給宣伝費のクラウドファンディングを行い、188人から330万円を超える支援をいただきました。このようにして公開へ至った「菊とギロチン」は、近年の日本映画では滅多に見ることのできない異様な熱気に満ちています。
瀬々監督は商業映画と自主映画の垣根を意識することなく、そのどちらでも精力的に作品を発表し続けています。今の日本映画界では稀有な存在である瀬々監督は、果たして映画制作に対してどのような思想と矜持を持っているのでしょうか。映画の公開日でもある7月7日に渋谷ヒカリエで行われたイベント「渋谷真夜中の映画祭 リターンズ」のトークショーにて、映画に憧れて監督を志したきっかけ、「菊とギロチン」の着想から実現まで、映画作りのモチベーション、そして映画への飽くなき思いについて、映画監督の本田孝義監督を交えてお話を伺いました。
■企画発案から公開までの道のり
司会: 『菊とギロチン』は構想30年ということで、随分前から企画がありましたね。今回ようやく公開にこぎつけたということですが、どういった思いや経緯で映画を作ったのでしょうか?
瀬々: 僕は最初、高校生の時に8ミリで映画を撮り始めました。その頃は大森一樹さん、石井聰亙さん、そういう人たちが次々とデビューしていった時代です。それまでは、撮影所システムの中で助監督経験を何十年も積んでから監督になるというのが日本映画界のシステムでした。そんな中で、自主映画の監督がいきなり商業映画の監督になれるというのが、僕の高校時代に訪れたんですね。映画というものは、若い人たちの手によって常識やシステムを変えていけるのだと知って、映画っていいなと憧れました。それで映画を作ろうと思ったのです。だけど僕自身は自主映画では有名になることも出来ず、ピンク映画の世界に入りました。
25、6歳の頃、ピンク映画の助監督をやってる時に「ギロチン社」というアナキスト集団がいることを知りました。略奪の「リャク」と言っては、企業から金を脅しては巻き上げて、酒と女に使うという人たちなんですね。そんなことをしながらも、世の中を変えるという志をもっている人たちです。大杉栄が関東大震災後に殺された時、復讐のために立ち上がったのもギロチン社でした。魅力的ではあるのですが、それだけではなかなか映画にならないと思っていたのですが、その後「女相撲」との興行が当時、実在したことを知り、この2つを合わせて『菊とギロチン』ということで映画にならないかなと考え始めたのが映画の発端です。でもアナキストというものはだいたい世間からは嫌われるので(笑)、なかなか難しいです。お金を出してくれるところもなく、で、一般の出資者を募るということで出発して、撮影に入りました。それでもお金が足りず、つい昨日まで大高さんのところでクラウドファンディングをして宣伝費を集めて、今日やっと初日を迎えました。
会場: 拍手
司会: 『64 ロクヨン』や『友罪』などといった大作映画を撮った監督でも、今回クラウドファンディングで資金を集めるということをしなければならないんでしょうか?
瀬々: ならないですね。でも正確に言うと、制作費ではなく配給宣伝費を集める際にクラウドファンディングを利用しました。制作費は個人からの出資やカンパという形で募りました。
本田: 『菊とギロチン』にスポンサーをつけて、商業映画として制作することは考えていましたか?
瀬々: 最初は色んな知り合いのプロデューサーに、企画の話を持ちかけたりもしました。みんな女相撲のところは興味を持ったけど、ギロチン社というアナキストのほうには引いてしまうというのが現実でした。
本田: それで、自主映画として自分たちでお金を集めてやろうと決めたんですか?
瀬々:そうですね。僕は8年前に『ヘヴンズ ストーリー』という映画を作っています。その時は、中小の映画関連会社やDVD販社がまだ元気のある時代だったので、そういうところからの出資が募れました。今の映画業界は、大メジャーのシネコン映画か、製作費一千万円以下の映画という風に二極化されていて、その中間の規模や予算の映画に出資をするのがすごく難しい状況になっています。今回は『ヘヴンズ ストーリー』のような出資の集め方は難しいだろうと考えた時に、一般の人たちから出資を集めるという形を考えました。『菊とギロチン』は、今の政治状況を何とかしたいという思いにもつながる映画だと思ったので、そこに賛同してくれる方にお願いできるのではないかと思ったんです。
■全ての映画は平等である
大高: 『菊とギロチン』は監督や役者の熱量が伝わっているから、あれだけのお金とファンが集まったんだと思います。さっき監督がおっしゃったように、アナキストを描くと、人格がない会社はお金を出し渋るので、なかなか映画は作れなくなります。クラウドファンディングはそれとは違い、個人の意思の総場として物語が紡がれていくという仕組みがあります。それはこれからもっと必要とされていくし、やっていく意味もあるんだなと、今回改めて感じました。監督はクラウドファンディングをやってみて、どういう印象を持ちましたか?
瀬々: クラウドファンディングの、イベント的なところがすごく楽しかったですね。みんなが参加してくれて、そのイベントの中で映画作りが盛り上がっていく。それも映画作りの過程であるというのが新しいと思いました。そういったことを今回は経験させてもらってよかったです。
本田: 僕もクラウドファンディングを使って映画を撮ったことがあるんですけど、お金を出してくれた人への責任感が生まれてくるんですよね。それは大きなスポンサーというわけではないので、一人一人の顔というか、第三者が支えてくれているんだなというのがすごく刺激になっていました。瀬々さんは『64 ロクヨン』や『8年越しの花嫁』などのメジャーな映画を撮っている一方で、今回の『菊とギロチン』みたいな自主制作で、本当にやりたいことを徹底的にやっている。その両方をやれるのは、とてもおもしろいと思っています。
瀬々: 僕はピンク映画から出発した身です。当時のピンク映画っていうと高橋伴明さん、廣木隆一さん、滝田洋二郎さん、周防正行さん、井筒和幸さん、他にもたくさんの人がいて、安い予算のなかで自分の本当に作りたい映画を作っていたんですね。。そしてピンク映画を経た後に、メジャー映画を撮っていった。僕たちがやっていた1980年代後半はアダルトビデオが隆盛を極めていて、ピンク映画もどんどん少なくなっていって、日活ロマンポルノは1988年にはなくなっていました。それに一般的には、成人映画はどこか下劣なものだと思われたりする。でも当時の僕自身は、ピンク映画はそういう媒体であっても一般の映画と変わらないおもしろさがあると思って、ずっとやっていました。だからその時の思いが今でも残っています。映画の前にはどんな映画も平等だという考えがあります。自主映画を撮ったとしても『ハン・ソロ』と同じなんですよ(笑)。映画っていうのは、スマホで撮ろうが、15分だろうが8時間だろうが、全部平等。同じ並列で語られるべきだと思います。僕はそういう思いで今もやり続けています。
でもそのなかで、商業映画になりにくい企画というのは当然あります。例えば『菊とギロチン』で言うと、アナキストであるギロチン社の部分です。彼らは最終的には天皇制を打倒するということを画策している。そういう人たちや内容に対して、やっぱり普通の企業は出資しにくいというのは当然あって、それはしょうがないと思います。しかしそれが映画にならないという訳ではなく、どこかに映画にできる方策といのはあります。そういうなかでやるというのも、映画のおもしろさだと思っています。