コラム:メイキング・オブ・クラウドファンディング - 第12回
2017年12月7日更新
■グローバル化する世界で、ローカルが持つ希望
大高 本作を語る上で、この質問は外せないかなと思っているのですが、『ビジランテ』というタイトルの由来はなんでしょうか?
入江 「ビジランテ」を日本語にすると「自警団」という意味になります。
自分は集団やコミュニティといったものに苦手意識があるのですが、その中で自警団という存在に興味がありました。日本にはあまりありませんが、アメリカでは自治組織として存在しています。街の治安だったり自治を守ったりしていますが、一歩間違うと怖い集団にもなりうるのではないか。その様な観点も含めてコミュニティにまつわる話を映画にしたいと思ったのです。映画の中の三兄弟にしても、結局は自分が大切なものを守れるかどうかという自衛の話です。
大高 まさに安全保障と自由の問題ですね。「自警団」の負の側面の話がでましたが、吉村界人さんが演じるキャラクターにその表現を託しているように感じました。
入江 あのキャラクターは、生まれてから地元を出ていないがもっと広く誰かとつながりたい、だけれども就職先もなく、排他的な思想をもって自警団に入る人間として描きました。
大高 まさに、グローバル化する世界の中で、世界各地のローカルで起きている現象かもしれないですね。一方で、東京も含めての”ローカル”においての希望や未来についてどうお考えですか?
入江 未来について自分は悲観的な方だと思いますが、桐谷健太君の演じた三郎が理想像です。お金とか権力とかに惑わされずに自分のいちばん必要なものを直感的につかんでいる役です。人間らしさを失わない為に闘っています。我々のまわりは情報が氾濫していて日々忙しく生きている訳ですが、本当はそういうもののほとんどは必要ないのだという感覚を忘れないようにしたいと思います。
大高 三郎は本当に魅力的で、そして強い人ですよね。一方で鈴木浩介さん演じる二郎は三郎とは対称的な存在ですね。”社会人”の複雑さを感じます。
入江 文科省の前事務次官の前川さんではありませんが、建前と本音を使い分けて生きざるを得なくなりますが、それがどんどん本当になってくると怖いですよね。自分もそうなりつつある自覚があって、三郎のように貧乏くじを引いても大事なものを忘れないでいたいです。自由を得るための闘いを忘れずに続けたいと思っています。
大高 大森南朋さん演じる一郎には何を託しましたか?
入江 ”性善説”ですね。地元から出て、都会で汚れてしまっても心の奥底には善なるものが宿り続けている。
最近フローベールの「ボヴァリー夫人」を読み直しました。女性が不倫をして最後に死にますが、フィクションの中の死は救いになることもあります。一郎もおなじように、兄として道を示すという救いの存在です。
大高 1人1人のキャラクターが深いですね。何度観ても新しい発見がありそうです。その深いキャラクターを演じた骨太なキャスト陣も魅力の1つですが、キャスティングはどう決められたのですか? ラッパーの般若さんの出演シーンなどとても印象的でした!
入江 ラッパーの般若さんは役者としての説得力がありましたよね。演じてもらった役に必要だった「ヤカラ感」「すごみ」がありました。そういうキャスティングが出来た事は幸福でしたね。
一方、ヤクザ役や自警団役もたくさんオーディションをしていろいろな方にお会いしましたが、かなりの人数が地元の人です。東京から俳優さんを連れてくるよりも地元で生活をされている人の方がリアリティが出ます。そういう遊びやチャレンジができる環境だったのも良かったです。中国人役も地元の方です。実際に昭和の時代、戦中・戦後を知っている人が出ています。
今のプロの役者の人はすっとしたきれいな顔の人が多いので、作品によってはリアリティを出すのが難しい。実際にその土地に住んでいる人に出演してもらう方が圧倒的なリアリティがあっていい場合もありますね。
■人を刺す時はこんなに痛い
大高 確かにそうですね。プロの役者の持つリアリティと、その土地に済むプロではない一般の生活者がもつリアリティがとても上手に融合している作品ですよね。
プロの役者という意味では、桐谷健太さんの演技も圧巻でした。手を刺されるシーンがありましたが、刺された後に自分で刃物を手から抜くところまでをとても時間を掛けて描写していて迫力と緊張感が凄かったです。あそこまで”暴力”や”痛み”を真正面から描く作品も最近珍しいように思います。
入江 人を刺す時はこんなに痛いんだよということを提示するような作品をやりたいと思っていました。北野武監督がご自身の映画などでされていたような。誠実に本物の痛さを追求していくとそういう表現になると思います。ですから桐谷さんのシーンも時間を省略しないでしゃべっているだけで刺されるのをワンカットで撮りました。
大高 好きなシーンを挙げたらきりがないですが、主役の3兄弟のシーンでいうと、川のシーンはとてもかっこ良かったですね。引きでバンッとかっこいいショットで始まりそこを3人が一連で動いていく。
入江 前作『22年目の告白 私が殺人犯です』は予算があり、街をどう見せるかという点で色々とチャレンジが出来て、ドローンを使ったり雨を降らしたりを経験出来ました。その経験があれば、『ビジランテ』の規模でも「ここは作ろう。後から削ろう」ということが計算できる様になりました。単純にさまざまな規模の作品を作ってきて、最大効果を発揮できる方法がわかっているのです。
そうなると、予算が少ない=マイナスでもなくて、スタッフが減った分フットワークを軽くできる利点も出てきます。それがよいバランスをもたらしてくれるとよい作品が出来るのではと感じます。
■オリジナル企画の映画作品は求められている
大高 今後について教えてください。
入江 今後も原作の映画化作品を撮りつつ、自分のテーマをすこしずつ見つめていきたいと思います。今回『ビジランテ』を撮影してみてローカルが自分にとってテーマだとわかりました。地方からの視点です。今回は戦後、祖父母などの時間軸を見たので、新しいものが見えたらオリジナルのものができると思います。これでとなったら書くのは早いのですが、ため込むまでに時間がかかるので大変だろうと考えています。
『ビジランテ』は外国人集落の問題だったり、家族の問題だったり、土地と権利などさまざまなものをごった煮にしていますが、そういう盛りだくさんにした作品が好きなので時間がかかりそうです(笑)。
また、『ビジランテ』自体の動きとしてもこれからの劇場公開や海外展開で多くの人に見て頂きたいです。埼玉県のある町を舞台にしてはいますが、すごくグローバルな話だと思います。現代の日本を切り取りながら世界共通のテーマにできているので、海外の方の反応も見てみたいです。
大高 インディーズから商業まで幅広い経験をされてきたと思いますが、そこで感じた事など、若い映画監督へのメッセージがあればお願いします。
入江 いま、オリジナルの企画が通りにくいと言われていますが、そんなことはありません。知り合いのプロデューサーに「オリジナルの脚本がどれくらい持ち込まれたか」と聞くと「ほとんど無い」という答えが返ってきます。企画を出す前から諦めている人が多いようです。僕は20代の頃から制作会社に企画を持ち込んでいたりしましたが、その時その企画が通らなくても10年たってその会社と別の仕事をしている事もあったりしますし、無駄になる事はありません。なので、企画を出す前に諦めるのはもったいないことです。オリジナルを書いたなら、もちろん僕のところでもよいですし、どんどん持っていくべきです。あきらめずにトライするだけで全然違います。
今回の『ビジランテ』までの間に色々な映画作品をたくさん監督してきましたが、やはりオリジナル作品は違います。応援してくださる人も取材してくれる媒体さんも違います。オリジナル、なかでも若い人のオリジナル企画は求められています。チャンスはいっぱいあると思います。ライバルが出てくるのは怖いですが、楽しみに待っています。