コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第77回
2006年5月12日更新
「ユナイテッド93」を観るのは、正直気が進まなかった。01年9月11日ペンシルバニアの郊外に墜落したユナイテッド93便を題材にしたドキュメンタリー的映画である。
日本に住んでいたら、もしかしたらもっと前向きな気持ちになっていたかもしれない。でも、93便を含むあの日の出来事は、アメリカに暮らす大部分の人と同様、ぼく自身にとっても忘れ去りたい類の記憶である。第一、悲惨な結末を迎えるとわかっている映画を、どうして観なきゃいけないのか、と思ってしまう。
それでも映画館へ足を運んだのは、「ブラディ・サンデー」や「ボーン・スプレマシー」のポール・グリーングラスが監督と脚本を担当していたからだ。
映画は、9月11日の朝からリアルタイムで進行する。小型のスーツケースを引きずって機内に入っていくパイロットたち、待合室のシートに腰掛け、愛する人に携帯電話で話す人たち、フライト時間ぎりぎりに機内にかけこむ乗客……。今とまるで変わらない日常が、グリーングラス監督得意の手持ちカメラでゆらゆらと描かれていく。しかし、そびえ立つツインタワーが背景に映しだされたとき、これがテロ以前の世界であることを思い出させられる。
着実に離陸準備が進められていくユナイテッド93便の様子と平行して、管制塔などの航空機関や空軍本部のドラマが描かれる。連絡が途絶えたジャンボ機がレーダーから突如姿を消し、CNNがもくもくと煙をあげる世界貿易ビルの映像を映し出す。航空関係者が未曾有の航空テロが進行中だとようやく気づいたときには、テロリストを乗せたユナイテッド93便は離陸してしまっていた……。
もし下手な監督や偏った政治思想を持った人がこの映画を手がけていたら、きっと空の「ダイ・ハード」になっていただろう。テロリストを悪党、乗客たちを英雄と決めつけ、エンディングでは愛国心を煽るに違いない。しかし、グリーングラス監督は、登場人物を決して単純化しない。リアルな危機に直面したリアルな人間たちの葛藤を、躍動感たっぷりに描いていく。有名俳優を一切起用しなかったのも、リアリティを重視したからだ。
あの日、ハイジャックされた飛行機のなかでなにが起きたていたのか、阻止できなかったのはなぜなのか、「ユナイテッド93」はさまざまな情報を露わにしていく。しかし、この映画が再現ドキュメンタリーには留まらず、心を揺さぶる芸術作品になっているのは、人間の尊厳を可能な限りありのまま描いているからだ。
2時間に及ぶ上映時間のあいだずっと胸が締め付けられていたけれど、映画館をあとにするときは、足取りは軽く、気分は高揚していた。いい映画を観た証拠だと思う。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi