コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第71回
2005年11月4日更新
「キング・コング」の脚本翻訳のオファーが来たのは、今年の5月上旬のことだった。「スター・ウォーズ エピソード3」が全米で封切られる直前とあって、ライターとしては慌ただしい時期だったけれど、超大作の脚本を翻訳できるチャンスなんて滅多にないし、しかも、それがピーター・ジャクソン監督の期待の最新作とあっては、断るわけもなかった。
さすがトップシークレットの脚本というだけあって、条件はかなり厳しかった。内容を外部に漏らしませんと誓った契約書にサインさせられたのはもちろん、翻訳作業ができるのはユニバーサル・スタジオ内の指定された部屋のみで、脚本の持ち出しは厳禁。いつものように気軽にスターバックスで作業するなんて問題外なのだ。
初日、ユニバーサル・スタジオでの生の脚本と対面して、ことの重大さを再認識した。3穴ファイルに綴じられた脚本はすでにボロボロの状態で、全てのページに社長の名前が大きく印刷されている。このファイルこそ、ユニバーサル・スタジオが所有する唯一の脚本だったのだ。秘密漏洩防止のために脚本は社長室が保管し、必要な部署に対して貸し出しを行っている。貸し出し時間は午前10時から午後5時までで、翌日返却は認めないという徹底した管理体制だった。
翻訳用に空きオフィスを与えられたぼくは、さっそく翻訳作業をスタートした。本来ならいったん通読してから訳しはじめるべきなのだが、スタジオ内で脚本の需要が非常に高く、貸し出しできる日数が限られているため、さっそく1ページ目から翻訳していった。
正直、労働環境は最悪だった。翻訳室という名の殺風景なオフィスに監禁され、しかも扉を閉じることすら許されないので、ずっと監視されているような気分だった。おまけに、こっちは猛スピードで作業しているのに、担当者には「その脚本を借りるのに、こっちがどれだけ苦労したのか分かってるの?」とせっつかれた(どうやら担当者の部署はスタジオ内における地位が低いらしく、そのくせ貴重な「キング・コング」の脚本を借り出したことで、製作部や宣伝部などからクレームを受けているらしかった)。
そんななかでも仕事に没頭することができたのは、「キング・コング」が圧倒的に面白かったからだ。詳しい内容については書かないけれど、これほどハートがたっぷりと込められながら、娯楽性に満ちた作品はめったにないと思う。ナオミ・ワッツやジャック・ブラックらの顔を想像しながら読んだら、まるで映画を観ているようで、いちいち日本語に訳さなくてはいけないのが、もどかしく感じたほどだ。6日かけてついに脱稿したときは、涙がこみ上げてきた。
そんな「キング・コング」も、あと数週間で劇場公開される。今後はぜひあの感動を映画館で味わいたいと思う。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi