コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第309回
2021年5月24日更新
ゴールデングローブ賞を主催するハリウッド外国人記者協会(HFPA)に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリストの小西未来氏が、ハリウッドの最新情報をお届けします。
ワクチン接種後に起きた心身の変化とロサンゼルスのいま
2回目のワクチン(ファイザー社製)を接種してから、しばらく経つ。体に抗体が出来るまで2週間ほどかかると聞いていたけれど、すでに20日も経過している。でも、変化はなにも感じられず、効いているのか分からずモヤモヤしている。たとえば、マリオがスターを取って無敵になったときのような、そんな効果を勝手に期待していたからだ。
それに引き替え、1回目のときは明らかな変化があった。カリフォルニア州では4月15日、全成人を対象にワクチン接種が解禁となった。でも、直前の4月7日、ロサンゼルス・タイムズ紙に、ベーカーズフィールドというところにある大型接種場に、ロサンゼルスから若者が詰めかけているという記事が掲載された。ベーカーズフィールドがあるカーン郡は、キリスト教福音派の人が多く暮らしていて、彼らは科学を否定しているので摂取率が低いらしい。そこで、カーン郡は50歳以上という接種条件を撤廃。他郡からの接種希望者を拒む規則も存在しないので、ベーカーズフィールドの大型接種場にはロサンゼルスから若者たちが駆けつけているというのだ。
翌朝、ぼくは家族を引き連れて車を飛ばしていた。ベーカーズフィールドは、ロサンゼルスとラスベガスとの中間にあり、およそ2時間の距離だ。1週間待てばロサンゼルスでも接種できるため、時間とガソリンの無駄遣いと思う人もいるだろう。でも、昨年12月に緊急使用許可が下りてからというもの、ワクチン接種を待ちわびていたぼくに迷いはなかった。基礎疾患があるとか、エッセンシャルワーカーだと嘘をついて、行列に横入りするわけでもない。誰かの腕に投与されるのを待っているワクチンが大量に存在し、それがちょっとばかり遠いところにあるだけなのだ。
朝8時の予約に合わせて、6時ちょっと前に出発。渋滞に巻き込まれることもなく、少し早く到着した。すでに長蛇が出来ていて焦ったが、会場がまだオープンしていないためだと分かる。しかも、列を作っているのはウォークインと言われる飛び込みの人たちで、予約を済ませてきたぼくらは10名程度の専用列に通された。
8時に開場した。くねくねした経路を通っていくときの気分は、さながらテーマパークのアトラクションに乗るときのようだ。あっというまにチクッと刺され、気づいたときにはアレルギー反応確認のための待機室に座らされていた。
1回目のワクチン接種を終えたという事実にようやく認識が追いつくと、痺れるような興奮が全身を駆けめぐった。そして、帰路の運転中、興奮は安堵に変わっていった。計4時間のドライブだから、体はそれなりに疲れている。でも、気持ちはフロントガラス越しに広がる青空のように晴れやかだった。Withコロナの生活様式にすっかり慣れたつもりでいたが、無意識のうちに張り詰めていたに違いない。自分を押さえつけていた重しが消え去ったような感覚だった。
その後も変化は続いた。数週間先、数カ月先と、計画を立てることができるようになった。コロナ禍では先を読みづらいし、出来ないことばかりに目が向いて、気持ちが塞がってしまいがちだ。でも、1回目の接種をきっかけに展望が開けたのだ。
だが、2回目の接種では、同様の感覚は得られなかった。考えてみれば当たり前だ。新型コロナウイルスのワクチン接種はもはや未知のものではない。続編を見たとき、オリジナルと同じ感動を得らないのと同じだ。
おまけに2回目は副反応がきつかった。当日はなんともなかったが、翌日、高熱が出て、しばらく微熱が続いた。その後も、時差ぼけのような倦怠感が続いて、とても喜ぶ気分にはなれなかった。
でも、いまは20日も経過した。おそらくいまのぼくは「スター状態」なのだ。ならば、お祝いをしても悪くないだろう。かくして、おそらく1年半ぶりに映画館に出かけることにした。
カリフォルニア州は郡の感染者数、陽性者数にあわせて、規制が定められている。かつてアメリカで最悪の感染地だったロサンゼルス郡は、現在はもっとも低い「黄色」で、映画館は定員の50%となっている。近くのショッピングモールにある映画館の当日券をオンラインで購入し、入館時は購入確認メールのQRコードを提示した。タッチレスでとてもスムーズだ。
なお、選んだ映画は「Mr.ノーバディ」。「ジョン・ウィック」シリーズの製作陣が手がけたアクション映画だ。とくに見たいわけではなかったけれど、上映作は「トップガン」や「ジュラシック・ワールド」などの旧作が多く、新作の選択肢が乏しい。ちなみにここでは、「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」も上映している。
「Mr.ノーバディ」のスクリーンには、男女のカップル1組しかいなかった。つまり、自分を含めてたった3人。月曜の午後だし、「Mr.ノーバディ」がすでにPVOD配信されていることもある。でも、最大の理由は、映画館に戻ることに抵抗を感じている人が多いからなんじゃないかと思う。ぼく自身、チケット購入時にほかに観客が2人しかいないと知って、安心したほどだから。
自分でも信じられないほど、「Mr.ノーバディ」を満喫した。物語は、郊外で暮らす平凡を絵に描いたようなお父さんが、空き巣に入られたことをきっかけに、長年にわたって抑制していた部分を目覚めさせるというもの。冴えないおじさん版「ジョン・ウィック」と言えば分かりやすいかもしれない。既視感のある要素だらけだけど、「ベター・コール・ソウル」のボブ・オデンカークにアクションヒーローを演じさせるというアイデアの勝利だと思う。誰にも邪魔されず、ひさびさに映画をまるまる鑑賞できたこともあって、心の底から楽しむことができた。
高揚した気分のまま、ショッピングモールを散策した。半年前に来たときはほとんどのショップが閉じていてゴーストタウンのようだったのに、いつのまにか新しいショップがいくつも出来ていて、活気を取り戻している。広場やフードコートには、お互い距離を保ちながら、マスクをはずしてお喋りを楽しんでいる人たちがいる。ロサンゼルスに、かつての日常が戻りつつあるようだ。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi