コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第30回
2002年6月1日更新
ぼくはかなりの記憶喪失である。それも、俳優の名前を思い出せなかったり、親しい人の誕生日を忘れたりとかといった生やさしいレベルのものではなく、今日が何曜日であるとか、朝食になにを食べたとか(あるいは、食べたのか食べなかったのか)、ひどいときになると、いま自分がなにをしようとしていたのか、いまどこにいるのか、すこーんと抜けてしまうほど重度なのだ。よく日常生活が出来るものだと、自分でも不思議に思うくらいである。
去る5月5日、あるお屋敷の試写室に入ったときも、シートについたとたん、普通の映画を観に来た気分になっていた。ペットボトルの水をぐびぐびっと飲みながら、前の背もたれに両足を載っけて、いつもの態勢を確保。劇場内を見回して、サミュエル・L・ジャクソンやヘイデン・クリステンセンらの姿を見つけても、とりたてて疑問に思わなかった。セレブだって映画くらい観に来るだろう、と思ったくらいだ。
しかし、後方にジョージ・ルーカス監督の姿を見かけたとき、我に返った。そうだ、これは全世界待望の「エピソード2/クローンの攻撃」の先行試写。しかも、いまぼくがいるのはルーカスフィルムの本拠地、スカイウォーカー・ランチ内の試写室だったのである。自分の恵まれた状況を認識したぼくは、すぐさま両足を降ろした。
子供を連れてきたルーカス監督は、その子の肩に手をまわして、ぼくらジャーナリストを満足そうに眺めている。その姿はまるで、オリジナルの「スター・ウォーズ」のエンディングで、チューバッカがハン・ソロの肩に手をまわしていたときのようだ。はじめて目撃するルーカス監督はまさにイメージ通りで、やはりチェックのネルシャツにジーンズ姿だった。噂ではジャバ・ザ・ハット並に太っているという話だったけど、それはむしろプロデューサーのリック・マッカラム氏のほうだ。「エピソード1」のときよりも明らかに巨大化しており、プロデューサーとしての苦労とストレスを物語っていた。そのマッカラム氏がかすれた声で簡単な挨拶をしてから、「エピソード2」の上映が始まった。
約2時間20分の上映時間が終了し、エンドクレジットになるとぼくは席を立った。いつもの何気ない行為だったのだが、しばらくして異常に気づいた。だれも席を立たないのだ。これは、アメリカ人観客には珍しいことだった。こっちの映画館でエンドクレジットが終わるまで座っている人はほとんどいない。ぼくも渡米して間もないころは抵抗があったけど、いつのまに、クレジットが出ると席を立つ癖がついていた。
数歩進んだところで、ハッとして、近くの席に倒れこんだ。後ろのルーカス監督に見られてなかったらいいんだけど……。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi