コラム:FROM HOLLYWOOD CAFE - 第23回
2001年11月1日更新
メキシコになんて行くつもりじゃなかった。いや、とくにメキシコという国に反感を抱いているわけじゃなくて、旅行そのものが苦手なのだ。ぼくの理想的な一日といえば、エアコンのきいたカフェで仕事をして、夕方から映画でも観て、そのあとはレストランでゆっくりとディナーを楽しむっていう平凡でありきたりなものだ。エキゾチックな場所に行ったり、ワイルドな体験をしてみたいという気持ちがまったくないわけじゃないけれど、荷物のパッキングやら飛行機やホテルの予約、そして移動にかかる時間やら手間など考えてしまうと、ぼくの冒険心もへなへなとしぼんでしまうのだ。いつか取材で海外出張に行くことがあるかもしれないと心の準備はしていたものの、それがフランスやイタリアではなく、まさかメキシコになるとは。だって、「トラフィック」で麻薬取引の舞台となり、「ザ・メキシカン」でブラピがさんざんな目にあっていた国だよ。
ことの成り行きはこうだ。ぼくはロサンゼルスで「アモーレス・ペロス」というメキシコ映画のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督にインタビューする予定だった。が、インタビュー寸前になって、監督が「家庭の事情」を理由に、メキシコの実家に帰国。当分ロサンゼルスには戻らないという。雑誌の方ではすでにインタビューにページを割いていて、締め切りも迫っている。電話インタビューで済ますこともできるけど、ページにのせる監督の顔写真も存在しないので、ぼくがライター兼カメラマンとしてひとりメキシコに乗り込むということになったのだ。
これが予想をはるかに越えたハードな旅となった。ロサンゼルスからメキシコ・シティまでは飛行機で約4時間。空港で入国審査前に用を足そうと男子トイレに入ったら、警備員が待ちかまえていて、いきなりパスポートの提示を求められた。矢継ぎ早に質問してくるのだが、なにを言っているのか、そもそもなんの容疑なのかわからない。ぼくは自分がいたってノーマルな観光客だと英語で説明するのだけれど、力説すればするほど怪しまれ、ついには上官のいるオフィス連れていかれてしまった。このまま刑務所かなんかに連れていかれたらシャレにならないよなあ、なんて思っていたら、その上官はぼくのパスポートと航空券を一瞥すると、なんでこんなところにいるんだ、と、入国審査場に連れていってくれた。いまだに呼び止められた理由はわからないままだ。
イニャリトゥ監督の住むサンミゲール・デ・アジェンテという村までは、空港から車で片道4時間もある。到着当日はメキシコ・シティに1泊して、翌日早朝に出発した。運転は監督のアシスタントのカシオというおじさんがしてくれた(ちなみに腕時計もちゃんとカシオだった)。とってもいい人なのだがサービスが過剰で、うんざりするほどだった。車のなかではやたらと話かけてくるのでこっちは眠れないし、目的地に着くと、車酔いで吐き気を催しているばくに、「ちょうしょく、だいじ、イート、イート!」と、無理矢理朝食を食べさせようとする始末。ぼくは必死に自分の体調を説明するのだけど、カシオには英語がほとんど通じないのでどうしようもない。卵を3つも使って、アボガドを載せたチーズ入りオムレツを平らげるしかなかった。
イニャリトゥ監督とのインタビューは1時間で終了。その後、帰りの飛行機に間に合うように、とんぼ返りとなった。さすがのカシオも疲れたのか、帰りは話しかけないでくれたのだが、空港間近に来て車がガス欠でストップ。たまたま近くにガソリンスタンドがあったからいいものの、もし、僻地だったらどうするつもりだったのだろう? 午後8時のフライトにぎりぎりでチェックインし、カシオと別れの挨拶を交わした。カシオにとってこの旅行はとても楽しいものだったらしく──どうしてか理解に苦しむのだが──今度はいつ来るんだ、としつこく訊いてくる。仕方がないので「今度メキシコに来るときは、必ず電話するから」と言ってゲートに向かった。たぶんメキシコに来ることはもう2度とないだろうし、そもそも彼の電話番号も知らないんだけどさ。
筆者紹介
小西未来(こにし・みらい)。1971年生まれ。ゴールデングローブ賞を運営するゴールデングローブ協会に所属する、米LA在住のフィルムメイカー/映画ジャーナリスト。「ガール・クレイジー」(ジェン・バンブリィ著)、「ウォールフラワー」(スティーブン・チョボウスキー著)、「ピクサー流マネジメント術 天才集団はいかにしてヒットを生み出してきたのか」(エド・キャットマル著)などの翻訳を担当。2015年に日本酒ドキュメンタリー「カンパイ!世界が恋する日本酒」を監督、16年7月に日本公開された。ブログ「STOLEN MOMENTS」では、最新のハリウッド映画やお気に入りの海外ドラマ、取材の裏話などを紹介。
Twitter:@miraikonishi