コラム:ニューヨークEXPRESS - 第9回
2021年12月27日更新
ニューヨークで注目されている映画とは? 現地在住のライター・細木信宏が、スタッフやキャストのインタビュー、イベント取材を通じて、日本未公開作品や良質な独立系映画を紹介していきます。
第9回:トランプ政権下で訴えた国民健康保険の重要性――ALS診断を受けたアディ・バーカンの活動に迫る
毎年、テキサスのオースティンで開催されている音楽・映画の祭典「SXSW」(サウス・バイ・サウスウエスト)。2021年開催時、長編ドキュメンタリー部門で観客賞&審査員賞を受賞した注目の作品がある。それが「Not Going Quietly(原題)」だ。
映画批評サイト「RottenTomatoes」で100%フレッシュを記録した同作は、アメリカの弁護士でリベラルな活動家でもあったアディ・バーカンの姿をとらえたもの。2016年、32歳の時にALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されたバーカン。保健医療を利用した治療を受けることができず、徐々に体の自由を失っていった。時はトランプ政権下――バーカンは、国民健康保険の重要性を政界に訴えていく。
ジョー・バイデン米大統領、カマラ・ハリス米副大統領、大統領選の候補者だったバーニー・サンダース、エリザベス・ウォーレンらもバーカンの活動を称賛しており、本作に登場。数々の映画祭で高い評価を受けた注目のドキュメンタリー映画となっている。今回は、監督を務めたニコラス・ブラックマンに話を聞くことができた。
本作では、バーカンの活動家としての姿だけではなく。パーソナルな部分までとらえている。どのように彼にアプローチし、映画化へとこぎ着けたのだろうか。
「僕の制作会社『People’s Televison』では、長編映画のほかにも、我々が信用できる社会運動やブランドのビデオコンテンツを制作してきました。18年初期、アディはアメリカ・アリゾナ州の元上院議員ジェフ・フレイクと飛行機の機内で出会っています。その出会いの瞬間を撮影し、後に彼にまつわるキャンペーンの戦略家となったリズ・ジャフから電話連絡を受けました。そこで『Be a Hero Campiagn』(世界中の困難な問題に立ち向かうためにボランティア活動をする団体。バーカンが立ち上げた)設立に向けたビデオの制作を頼まれたんです」
オファーを引き受け、サンタバーバラに向かったブラックマン監督。バーカンとは、そこで初めて対面した。
「彼と会った直後、短編映画だけでは語りきれない“大きな物語”があることに気づかされました。その時に、彼の人生をとらえたドキュメンタリーのアイデアが思い浮かんだんです。彼の声は、既にALSの影響でかすれ始めていたため、無駄にする時間はありませんでした。アディ自身も、子どもたちのために“タイムカプセル(=本作)を作りたかった”ということで同意してくれました」
バーカンはどのような人物なのだろうか? ALSと診断される前に働いていた「The Fed-Up Campaign」のディレクター時代の活動についても聞いてみた。
「彼はALSと診断される前、約10年間のボランティア活動の経験があります。しかし、そのほとんどが、本作には含まれていません。『The Fed-Up Campaign』時代も、彼の多くの革新的な政治思想のひとつに過ぎません。これは米国連邦準備制度理事会のある場所に労働者を連れて行き、低賃金労働者の経済をより良くすることを提唱するためのものでした。その他にも、ニューヨークで最低賃金を引き上げる戦いに協力して成功を収め、『Make the Road』という機関を通じて、移民の権利を擁護。こうして著名な人になっていったんです。ALSと診断されたことで、急に活動家になったわけではありません」
ALSの診断――これがバーカンにとって、医療における焦点の問題となっていった。彼は、これまで他人の話を通じて、社会のシステムを変えようとしてきた。しかし、今度は、自らの体を通じて主張することが、社会のシステムを変えることになっていく。そしてその後立ち上げた「Be a Hero」という機関によるキャンペーンは、公正な医療制度、政府の説明責任を求める国民的運動へと発展していった。
バーカンには、妻レイチェルとの間に授かったカールという息子がいる。ALS診断後、アメリカ国内でスピーチキャンペーンを展開したバーカン。夫を支え、子を育て上げるレイチェルについて、ブラックマン監督はどう思ったのだろう。
「レイチェルはアディの介護者でもありましたから、米国の医療システムがいかに崩壊しているのかということを直接理解していました。だからこそ、人々が破産することなく、必要なヘルスケアを受けることができるような、公正で公平なシステムを作らなければならなかったんです。レイチェルは、アメリカ国内の他の家族を助ける方法として、アディの政治的信念と使命を支持しました。彼女がその大義を前進させるために払った犠牲は、アディが活動家として現場で行う仕事と同様に、英雄的なことだと思っています」
バーカンの肉体機能は、徐々に低下していった。ある時は「撮影をしたくない」と申し出る日もあったそうだ。ブラックマン監督は、撮影時に困難だったことを明かしてくれた。
「最大の課題は、我々が撮影に出掛けた時のこと。インタビューでは、可能な限りアディの言葉を引き出したかったんですが、声を出せる時間が限られていました。30分しか撮影できない時もありましたね。だから、私たちはインタビューも控えるということも考えなければなりませんでした。なぜなら、彼は各地でスピーチをしなければいけませんでしたし、レイチェルやカールとビデオ通話ができる余力を残してあげたかったんです。クリエイティブな面では、シネマ・ベリテ(監督によるコントロールなしに、実際に活動している普通の人を描く映画)のアプローチで制作しました。彼が他の人と話している時は、いつでも、どこでも追いかけるようにしたんです。最終的には、それが映画的にも役に立ったと思っています」
バーカンの人生の岐路となったのは、アリゾナ州の元上院議員ジェフ・フレイクと飛行機で出会ったこと。この経験が、彼にどのような影響を与えたのだろう。
「映画は、アディの人生のごくわずかな部分に触れています。ALS診断後は、彼は絶望の状態にありました。それにこの個人的な知らせを受けたタイミングと同時期に、ドナルド・トランプが大統領に選出されています。それはアディが10年以上にも渡って戦ってきた活動を大きく脅かすものになりました。最初にワシントンDCへ行った際、彼の体は弱り、声はかすれていたため、活動家としての人生はもう終わったと思われていました。アディがジェフ・フレイクと飛行機で対峙した瞬間をとらえたビデオ映像は、アメリカ国内に広がり、人々の心に共鳴しました。彼の心の声がもたらした力です。ALSが彼の希望を奪うことなく、彼の声を多くの人々に聴かせたということを、僕自身も認識した瞬間でした」
バーカンは、議会公聴会の場で、国民のための国民健康保険を訴える。この感動的なスピーチについて「議会公聴会の部屋にいて、あのスピーチを目撃できたことは、一生忘れることはないでしょう。スピーチを終わった後、彼の言葉が部屋中に、そして全国に響き渡り、美しい沈黙の瞬間がありました。彼のスピーチの後は、誰も話したがらなかった。今日、アメリカの大多数は国民健康保険を支持しています。あの日、彼の言葉は世論に直接的な影響を与え、その仕事がいつの日か実を結ぶことを信じています」
では、映画の製作中、バーカンから最も学んだことは何だったのだろう。
「アディは常に僕らを笑わせてくれました。彼の活動主義は楽しい経験だったということも思い出させてくれました。アディは『個人的な状況に関係なく、より良い社会のために戦うことができる』『あらゆる逆境にもかかわらず、偉大な父親になることもできる』と教えてくれました。僕もその両方を心掛けていきたいと思っています」
最後に尋ねたのは、観客に「何を感じ取って欲しい?」というもの。
「観客が元気になり、エネルギッシュになり、アディのメッセージを心に留めることを願っています。希望は心の状態ではなく、行動の状態にあります。希望は私たちがより良い世界を構築するために使用するハンマーで、政治を超えたメッセージでもあるんです。だから、観客にはソーシャルメディアを通して会話を続けて欲しいと思っています」
筆者紹介
細木信宏(ほそき・のぶひろ)。アメリカで映画を学ぶことを決意し渡米。フィルムスクールを卒業した後、テレビ東京ニューヨーク支社の番組「モーニングサテライト」のアシスタントとして働く。だが映画への想いが諦めきれず、アメリカ国内のプレス枠で現地の人々と共に15年間取材をしながら、日本の映画サイトに記事を寄稿している。またアメリカの友人とともに、英語の映画サイト「Cinema Daily US」を立ち上げた。
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