コラム:映画館では見られない傑作・配信中! - 第3回
2019年6月27日更新
映画何本分もの満足度!ドラマを“娯楽”から“芸術”に昇華させたN・W・レフン監督作を説く
映画評論家・プロデューサーの江戸木純氏が、今や商業的にも批評的にも絶対に無視できない存在となった配信映像作品にスポットを当ててご紹介します!
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Netflixが世界各国でオリジナル作品を製作し、新作、話題作を独占配信用に獲得している一方、Amazonプライム・ビデオも製作会社アマゾン・スタジオを通じて世界中の作品に出資、配信権の獲得を行って映像業界を活気づけているなど、配信各社の積極的な取り組みは、映像業界を大きく揺り動かしている。
独占配信される新作に関しては、本数もバラエティの豊富さもNetflixが一歩リードしている感があるが、基本的に限定配信を売りにするNetflixと違い、Amazonは劇場での上映も重視しており、映画作品の配信先行はまだ数少ないが、シリーズものに関しては、独自の視点で有名クリエーターたちとコラボレーションを行い、注目すべき企画を数多く発表している。
6月14日に配信が開始された「トゥー・オールド・トゥー・ダイ・ヤング」(全10エピソード、計約13時間)は、「ドライブ」(2011)、「オンリー・ゴッド」(13)などで知られるデンマーク出身の映像作家ニコラス・ウィンディング・レフンが企画、制作総指揮、共同脚本、監督を手がけた注目の新シリーズ。観客へのサービス精神やプラットホームへの配慮、レイティングなどはまったく無視(10話中8話がR18+相当、2話がR16+相当)、1話ごとの尺も31分から97分までバラバラな上に、セックス、バイオレンス、ドラッグ、殺人が渦巻く裏社会を舞台に、自らの美学と作家性のみを、過激なまでのやりたい放題で貫き通して見せる、壮絶かつ徹底的な“レフン・ワールド”。ここまで自由で、制約を感じさせないドラマはこれまでになかったのではないだろうか。
レフン監督自ら「13時間の映画として見てほしい」と言っているように、他の多くの一般的なドラマシリーズと異なり、全エピソードの演出をレフンだけが担当し、各話ごとの揺らぎは一切ない。レフン監督ならではの、静寂と静止、独特なスロー・テンポのなかに、突如投げ込まれる強烈な暴力描写とそこはかとなく漂うユーモア、感情移入や予測が不可能な一筋縄ではいかないキャラクターや、あえてカタルシスを避ける展開など、いつもの配信ドラマと思って見るとなかなか手強く、表面的な面白さだけを求める向きには、まったく理解されないかもしれない。だが、この刺激的なレフン節にうまく乗ることが出来れば、アッと言う間の13時間だ。
ドラマは、マイルズ・テラー(「セッション」)演じるロサンゼルスの警察官マーティンと、アウグスト・アギレラ(「ザ・プレデター」)演じるロスの麻薬取引を仕切っていたメキシコ・カルテルの女ボスの息子ヘススを中心に語られる。マーティンは警官でありながら黒人マフィアのボス、ダミアン(バブス・オルサンモクン)に雇われて殺人を請け負う殺し屋の顔も持っており、交通事故の処理で知り合った未成年の少女ジェイニー(ネル・タイガー・フリー)と関係を持っているクズ人間。マーティンがダミアンと敵対するカルテルの女ボスを殺したことから、ヘススによる血で血を洗う凄惨な復讐劇がはじまる。さらに、正義のために凶悪犯たちを殺し続ける女預言者(ジェナ・マローン)と余命わずかな殺し屋ヴィゴ(ジョン・ホークス)のコンビ、さらにある目的を持ってカルテルに入り込み、ヘススの妻となる謎の女ヤリッツァ(クリスティーナ・ロドロ)らの登場で物語は想像を絶する方向へ進み、予期せぬクライマックスへと暴走していく。
「若死にするには擦れた奴ら」といった感じの意味の題名を持つこのドラマには、要するに“のたれ死にの挽歌”。まともなモラルを持った登場人物はひとりも出てこない。各エピソードとも、ストーリーのドライブ感で次のエピソードに引っ張っていくというより、どんな刺激を見せてくれるのかという好奇心で見る者の興味を引き寄せる。注目したい見どころはズバリ、腐れ外道たちのあまりにも無様な死にざまの数々。後半に訪れる彼らや彼女らの様々な自業自得の最期は、おそらくまったく予想できないだろう。
全体的にはかなり陰鬱で、爽快感とは無縁なのだか、ラストはあるハッピーな結末と続編の可能性を示唆して終わるこの13時間は、完走後、映画何本分もの満足度をしっかりと与えてくれる。ぜひとも第2シーズンも制作して欲しい。
ちなみに第4話「塔」には、最新作「デス・ストランディング」にレフンを出演させたゲーム・デザイナーの小島秀夫が日本のヤクザ役で特別出演。「リトルトウキョー殺人課」(1991)もビックリのトンデモ・ニッポンを見せてくれるのもご愛嬌。
いずれにせよ、ドラマシリーズをネットで気軽に見られる“娯楽”ではなく、映画と同等の“芸術作品”として捉え、配信ドラマの可能性をさらに広げようとするレフンの野心的な試みは十分成功しているといえるだろう。こうした作家性重視のドラマもどんどん増えて欲しいものだ。
レフンのようにすでに世界的な知名度を獲得した作家たちにとって、配信は新しい創作の場となり、刺激的な作品が次々と誕生している。しかし、配信各社にとっては、すでに名前の通ったクリエーターやアーティスト、原作、スターの起用ばかりでなく、新しい才能や斬新なクリエーターの発掘、育成が今後の課題といえるだろう。Netflixはアニメーションのジャンルにおいてその模索をすでに始めている。配信各社の映画やドラマから、新しい才能が次々と生まれるようになれば、劇場映画が映像業界の中心で居続けることは困難になってくるかもしれない。そんな時代、実はそう遠い未来ではないかもしれない。
筆者紹介
江戸木純(えどき・じゅん)。1962年東京生まれ。映画評論家、プロデューサー。執筆の傍ら「ムトゥ 踊るマハラジャ」「ロッタちゃん はじめてのおつかい」「処刑人」など既存の配給会社が扱わない知られざる映画を配給。「王様の漢方」「丹下左膳・百万両の壺」では製作、脚本を手掛けた。著書に「龍教聖典・世界ブルース・リー宣言」などがある。「週刊現代」「VOGUE JAPAN」に連載中。
Twitter:@EdokiJun/Website:http://www.eden-entertainment.jp/