コラム:若林ゆり 舞台.com - 第87回
2020年3月3日更新
逆に、レイチェルと柚希で天と地ほども違うのは、ファンとの関係ではないだろうか。レイチェルはものすごい数のファンに愛されながら、ファンによる脅威に怯え、それゆえ不自由に耐えざるを得ない。一方で柚希はファンと繋がり、ファンの愛情を力に変えて歩んできた。
「私にとってファンの方々というのは、家族のような、親戚みたいな感じです(笑)。温かい応援団がいてくれるから、頑張れる。『感謝を返したい一心で舞台をお届けしたのに、またファンの方々から感謝が届いたー!』という感じの繰り返しですね。私が舞台に立つときは、ファンの方々に『こんな私を見てほしい』というのが大きなモチベーションになっているんですけど、それを見たファンの方々も『これこれこうでよかった!』って気持ちを届けてくださるので。一方通行ではない、幸せな関係が築けているんです。レイチェルはすごくたくさんのファンがいるのに、私とファンの間にある関係性みたいなものは全然ないんですもんね。かわいそうだと思います。それに『私と違うなー』と思うのは、男性のストーカーがいるということ(笑)。男役にはまず、あり得ないですから」
そうしたファンの愛情に支えられてなお、スターであることの孤独を感じることも?
「ありますよ、孤独を感じますよぉ(笑)。つい笑っちゃいましたが、宝塚にいたときから孤独はよく感じていました。例えば宝塚生活最後の日、あの大千穐楽。正装の袴姿であれほど多くのみなさん(公式発表では史上最多の1万2000人)に見送られた後、袴を脱いで、家の近くにあるラーメン屋さんに行ったんです、夜ひとりで。ものすごく疲れていて、華やかな場所にはもう行けない。でも、家でカップラーメンは嫌。だけど30分以内で食べ終わりたい。それで、その選択でした。とても華やかな日に限って、意外にもそんな地味な(笑)。だからレイチェルの孤独はよく分かります。自分との闘いは誰にでも言えることじゃないですし。よく飼っていた犬に言ってましたね(笑)」
そんな柚希が今回、「人生で最大のハードルかも」と感じているのが“歌”のパートだという。宝塚を退団してすぐ単身ニューヨークに乗り込んで稽古に励み、ブロードウェイの超一流スターたちと共演し(本コラムの第36回で取材)、昨年の芸能生活20周年イヤーには「守りに入りたくない」と、アングラ演劇やひとりミュージカルに挑戦した強者が、そこまでプレッシャーを感じるとは。
「こういうお仕事をいただけたことは『感謝だな』と思うんですけど、私にとってはどう頑張っても高すぎるハードルなんです。ショー場面は、これまでにやってきたショーやコンサートの経験を生かしながらできるかな、と思います。でも、歌は……。世界最高のスターのみなさんと『Prince of Broadway』で共演したときにも負けないハードルの高さですよ。だって、みんなホイットニーさんの歌を覚えているじゃないですか! なるべく頑張ってホイットニーさんに近づけた上で、情緒的なところは私の歌い方、感情でレイチェルをつくりたい。でもキーがすごく高いんです! 何もかもが、お稽古を死ぬ気で頑張らないと太刀打ちできない役なんです」
柚希礼音は高すぎるところにハードルを置き、なんとか越えようとチャレンジしないではいられないスターなのだ。挑み続けるのは、なぜ?
「本当の自分は、怠け症なんですよ。でも、ありがたいことにこんなチャレンジの機会をいただけて、自分のまんまではできないから、なんとかやるしかないんです。ゆっくり、まったりとしている時間も大好きなんですけど、自分が生き生きするのは、手の届かないようなことに向かって必死になっているときなのかも、とも思うから。今までだって、全部のハードルを乗り越えられたとは思っていません。でも、それに向かってもがき苦しんだ日々は、確実に身になっていると思う。そうやってちょっとずつ、これからも柚希礼音を磨いていきたいですね。今思っているのは、もう少しだけ丁寧に毎日を生きて、ひとつもやっつけ仕事がないようにしよう、自分が喜びながら舞台をできるようにしよう、ということ。この作品はほろ苦かった映画とは違って、最後に『ああー、楽しかった!』『よかったねー』と思っていただける作品です。だからひとりでも多くのお客様に、私が客席で感じたのと同じ感覚を味わっていただきたいと思っています」
ミュージカル「ボディガード」日本キャスト版は、3月19~29日に大阪・梅田芸術劇場メインホール、4月3~19日に東京・東急シアターオーブで上演予定だったが、大阪公演の一部(3月19~22日、28日、29日)と東京公演の全日程が、コロナウイルス感染拡大を受け中止となった。チケットの払い戻し方法など、詳しい情報は公式サイト(http://bodyguardmusical.jp)へ。
筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka