コラム:若林ゆり 舞台.com - 第64回
2018年2月1日更新
第64回:「ジキル&ハイド」で女優人生の転調を迎える笹本玲奈のミュージカル愛が爆発!
作曲家フランク・ワイルドホーンの代表作であるミュージカル「ジキル&ハイド」は、言わずと知れたスティーブンソンの小説を大胆に脚色したエンターテインメントだ。ベースとなるのは、人間の心に潜む“悪”を切り離そうとした科学者のヘンリー・ジキルが、自分自身の“悪”=ハイドによって自滅していくという悲劇。転調を重ねる力強い楽曲にあふれ、血なまぐさい連続殺人、妖しいエロティシズム、善と悪との闘いが、人間の本質をあぶり出してゾクゾクさせる。日本でも繰り返し再演が行われているこの人気作、なかでも出色なのが、ジキルをめぐる2人の女性を登場させているところ。原作では「快楽を抑制できないのが欠点」と告白するジキルなのに、女性が登場しないのは不可解だからだ。
育ちもキャラクターも正反対なその2人とは、上流階級の令嬢でジキルの婚約者・エマと、娼館「どん底」で身を売る娼婦・ルーシー。そして面白いことに今回のルーシーを演じるのは、ジキル役に石丸幹二(今回も)が登板した2012年版、2016年版でエマ役を演じていた笹本玲奈なのだ!
過去に2回、純白のエマ役(今回は宮澤エマ)を演じながらも「いつかルーシー役をやってみたい」と憧れていた、と笹本は言う。
「私の中で、ルーシーといったら濱田めぐみさん(2012年版&2016年版)の印象が強いです。歌の上手な方ですし、妖艶な大人の女性というイメージが強く残っていて、いつかやってみたい、けれどもできないだろうと思っていました。それでも、自分のコンサートでは必ずと言っていいほどルーシーのナンバーを歌っていたほどなんです。ただ、ルーシーという人物は原作に出てこない役。それってすごくありがたいことで。年齢設定とか生きてきた背景などを、ある程度は自分の考えでできるということなんです。これまで演じてこられた方々とはガラッと違うものを作れるんだという期待感がすごくあります」
では、笹本が捉えるルーシー像とは?
「ルーシーがヘンリーのことを『あの人は私に優しかった』と言う台詞があるんですね。私はその言葉ってすごく哀しいなって思うし、その言葉がルーシーの人生すべてを表しているな、とも思ったんです。それまでに計り知れない苦労を味わって残酷な人生を歩んできたんだな、きっと親の愛を受けてこられなかったんだろうな、というのがわかる。もちろん男性に心から愛されるということもなかったでしょうし、娼婦ですので体は求められても心を見てくれない、そういう扱いをされてきたんだろうなと思います。私は家族みんな仲よく幸せに暮らしているので、正直、ルーシーの不幸が想像できない。でも、女性って愛されていたいとか、さびしさを埋めてもらいたいという気持ちが少なからずありますよね。そういう部分が、きっとルーシーに対して女性が共感できるところなのかな」
ルーシーが女性たちの共感を呼ぶ要素が、実はもう1つある。
「これまでに悲惨な生活を送ってきたなかでも、ルーシーってすごくピュアな部分を持ち合わせている女性だと思うんですよ。いくら男性たちに体を売っても、芯の部分は純粋で、少女のような気持ちを持っている。だからヘンリーに優しくされたときに、ガチガチに鍵をかけられていたそういう部分が少しずつ解かれていくんじゃないかな。その段階がうまく表現できたら、と思っています。『あんなひとが』とか『新たな人生』という曲の歌詞は、彼女がピュアな部分を持っているからこそ出てくる言葉だと思うんですよね。『私は人生を捨てた、もうどうでもいいの』と口では言いながらも、憧れとか希望、夢というものを固ーい箱に閉じ込めて生きてきたんだなっていうのが、どこかで見せられたらと思っています」
筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka