コラム:若林ゆり 舞台.com - 第60回
2017年10月13日更新
第60回:赤裸々な言葉を遺して逝った小説家役のため、とことん自分と向き合う松雪泰子の激情!
アルカンは、小説を翻訳した松本百合子によれば「非常に生真面目で不器用な人間」。父親から言われた「大人になってはいけない。愛されなくなるから」という言葉や、母親が自分を産んだために女としての美しさを失ったことへの罪悪感、若さや美しさを保たなければ愛されないという強迫観念などにがんじがらめになり、自分を追い詰めていった。こうした複雑な感情、崖っぷちの葛藤を体に入れていくという女優としての作業は、それはそれは想像を絶するたいへんさなのではないだろうか。
「それはやはり、すごい領域まで行きますね。この間も立ち稽古のときに自分のパートをやっていて泣いてしまって、しゃべれなくなってしまったんですよ。『なんでそこまで行ったかな』と思うと、もちろん彼女の痛みを感じたこともあるんだろうけど、自分の中の苦悩している領域と彼女のそれがリンクし過ぎちゃった、『バチッ』とはまっちゃった瞬間があったんだろうと思うんですね。息ができなくなって、言葉が出なくなっちゃったんです。流されずにもっと感情を咀嚼していけば、超えたところに彼女が死を迎える瞬間というのが見つかるのかな。何て言ったらいいか難しいんですけど……死を選択するだけの強さ。マリーさんはとにかく『強さを持ってほしい』とおっしゃるので、どういう強さを見つけられるか、これから稽古を通してまだまだ見つけていきたいと思っています」
強さ。それはきっと、女優という職業をやる上では絶対に欠かせないものだ。この仕事をやってみたいと松雪に思わせたのは、「ネリーの書いた言葉を私たちがセリフで表現することになれば、もっと深いものになり得るんじゃないかな」という思いだったという。
であれば、とことん自分に向き合い続けたネリー・アルカンを演じる女優もまた、いやと言うほど自分と向き合うことは避けられない。
「自分が生きている中で、ここは越えなくちゃいけないなと思っている課題のようなものがあって。年を重ねるうちに乗り越えてきたと思っていたのに、この稽古を通して『あ、まったくダメだったんだ』と改めて突きつけられました。自分と向き合うってすごく苦しい作業なので、向き合ったら次の段階に行けるように手放してきたつもりだったものを、まだまだ奥底のほうで持ち続けていたんですね。でも、逆に向き合いきれずに死を選択してしまったネリーの姿を見ていると、『そういう道を選ばなくても生きる方法はある』と思える。それがマリーさんの言う、この作品がもつ“希望”なのかな、と思います。彼女が苦悩しているのを『すごいことだな』と思うのと同時に『とてもバカげてるな』と思ったりもする。『なぜそこに囚われちゃったんだろう、そんな風にならなくても生きられたはずだ』って。でも、憂鬱の中にいる瞬間は、人ってそういう思考のループから逃れられないんですよね。たとえば老いに対する恐怖って女性なら誰でも持っていて、それを受け入れていると口では言っても、そのことに対していつも憂う気持ちがぬぐえないことってあると思うから」
360度回転する劇場での『髑髏城の七人』という非常にエネルギッシュな舞台(極楽太夫を好演!)の直後に、別の意味で精神的にもタフさが要求される「この熱き私の激情」を選んだ松雪の激情。彼女にとって舞台の魅力とは?
「カンパニー全員でクリエーションしていくというのは映像の世界でもあるんですけど、もっと密度が高い経験ができるというところかな。稽古の時間を重ねるうちに、アイディアや表現を共有しながら生みだしていく過程というのがものすごく好きですね。幕が開いてからも日々、変化していきますし、役者同士でセッションできるので。純粋にお芝居に向かえる演劇の仕事はずっと大好きです」
「この熱き私の激情~それは誰にも触れることができないほど熱く燃える、あるいは、失われた七つの歌」は、11月4~19日 天王洲銀河劇場で上演される。広島、北九州、京都、豊橋公演あり。詳しい情報は公式サイトへ。
http://www.parco-play.com/web/play/gekijo2017/
筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka