コラム:若林ゆり 舞台.com - 第55回
2017年4月27日更新
第55回:夢咲ねねが「グレート・ギャツビー」の難役ヒロインで元宝塚の本領を発揮!
アメリカ文学史上で最も愛される作品の1つであるF・スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」は、映画ファンにもおなじみだ。これまでに何度も映像化されており、なかでもフランシス・フォード・コッポラ脚本、ロバート・レッドフォード主演の1974年版「華麗なるギャツビー」、バズ・ラーマン監督でレオナルド・ディカプリオ主演の2013年版「華麗なるギャツビー」は多くの観客たちを魅了した。
この作品が世界で初めて舞台ミュージカル化されたのは1991年、日本の宝塚歌劇団による上演だった。脚色・演出を手がけた小池修一郎は高い評価を受け、菊田一夫演劇賞に輝いている。そして2017年5月、宝塚版をさらにブラッシュアップした新版「グレート・ギャツビー」が、井上芳雄の主演で幕を開ける。そして井上ギャツビーを虜にし、尋常ならざる執着を抱かせ、破滅へと導く“運命の女”、デイジー・ブキャナン役を演じるのが、夢咲ねね。可憐な持ち味で宝塚のトップ娘役として抜群の人気を誇った夢咲にとって、「グレート・ギャツビー」はとても思い入れの強い作品だという。
「宝塚で再演された月組公演(2008年)を見たとき、すごく印象深かったんですね。宝塚ではそれまで『楽しいな、華やかで綺麗だな』という作品が好きだったんですが、そういう作品とはちょっと毛色が違っていて。カラフルではなく、セピアに退廃しているような感じがしました。登場人物もそれぞれが『どうしたらいいんだろう?』ともがきながらたどり着いてしまうゴール地点がもの悲しく、結ばれない悲恋というのも新鮮で、『あ、宝塚にもこんな作品があるんだな』というのが印象的でした。それで原作を読んだり、映画を見たりしてずーっと興味を持ち続けていたんです。映画ではバズ・ラーマンさんの監督された作品が好きでしたね。毒々しいというか、強烈な20年代の狂騒の中でみんなが浮かれてパーティをして、でもその中にすごく大きな虚無感が感じられて。すごく面白い作品だなぁと改めて思いました」
しかしデイジーは難役だ。ギャツビーを狂わせるだけの魅力を納得させられなければ作品が台無しになるのはもちろんだが、なかなか共感を呼びにくい役。謎が多く、どこか身勝手さ、無情さを感じさせる女性なのだから。
「デイジーをやらせていただけると聞いたときはすごく嬉しかったんですけど、実際に脚本や曲をいただいたらそのプレッシャーに押しつぶされそうになりました。私も原作や映画を見ていて、どうしてもデイジー目線では見られなかったんです。ギャツビーやニックの目線で描かれていることもありますが、デイジーってまるでつかみどころがなくて。彼女の考えはあまり描かれていないから『何を考えて生きてるんだろう?』って不思議で(笑)。ただ、ディカプリオさんの相手役だったキャリー・マリガンさんはすごくかわいくて、『これはしかたがないんじゃないか』みたいな(笑)、説得力はありましたね。きっと本人はいたって真剣に生きているんですけど、まだ成熟していない、未熟な女性だと思うので、周りが振り回されてしまうのかなと。どの時代でも、綺麗なおバカさんっていうのはしょうがないんじゃないかな(笑)」
ウィーンミュージカル「エリザベート」やブロードウェイの「THE SCARLET PIMPERNEL(スカーレット・ピンパーネル)」、フレンチロックミュージカル「ロミオ&ジュリエット」「1789 -バスティーユの恋人たち-」などなど、宝塚歌劇団に籍を置きながらいまやミュージカル演出家の第一人者である小池は、海外のストーリーテリングを丁寧に解きほぐし、日本人が満足できるように再構築する天才。今回のデイジーについても、そこはもちろんぬかりない。
「原作のままだとデイジーは非情で打算的にも見えかねませんが、この日本版では違うんです。小池先生はロマンスを描くのがお上手で、デイジーに関してもその辻褄をちゃんと合わせてくださっているんですよ。だから共感できるところも見つけやすくて。たとえばギャツビーと再会した後のシーンで、一応ちょっと理性を保っているデイジーが描かれているんです。それでもギャツビーに押されて、トムから想ってもらえないさびしさも描かれつつ、どうしても抑えきれなくなるという気持ちの流れがわかる。そりゃあ女性だったら、そんなに愛してくれる男性が目の前に来たら、しかも初恋の人だったら行っちゃいますよ!(笑) そう感じられるような描き方をされているんです」
筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka