コラム:若林ゆり 舞台.com - 第54回
2017年4月4日更新
第54回:中村屋兄弟が赤坂で挑む新作歌舞伎の斬新さにワクワク!
歌舞伎という新しい世界に飛び込んだ蓬莱にとって驚きだったのは、歌舞伎がもつ懐の深さだった。
「『歌舞伎はこうでなきゃいけない』という枠が、本当にないんだなということに驚きました。習わしとか、これがあってこそ歌舞伎、みたいなものがあまりなくて、逆に困るくらい。もっとあってくれたほうが楽なんですよ。でも定番みたいなものを全部取っ払っちゃうと、逆に僕が歌舞伎に挑んだ意味がなくなるでしょう。でも歌舞伎役者のみなさんは、今回は定番みたいなことはやりたくないという気持ちがあるみたいで、より小劇場寄りの“ザ・演劇”という方に向かってきている(笑)。僕は僕で、いかに歌舞伎的なものをこの芝居に入れ込むかを考えている。この間もお酒を飲みながらそういう話をしていて、『見得ももう全然切らない方がいいんじゃない?』なんて言うんです。でもお客さんからしたら、見たいじゃないですか。彼らは『歌舞伎に逃げた、みたいなことになるのは嫌だ』と言う。『この芝居が歌舞伎の手法とかに安直に逃げたと思われたくない』と。でも僕からしたら、歌舞伎をやるからには『演劇に逃げた』とは言われたくない(笑)。『歌舞伎に挑んだ』という何かは残したいですからね。いまやっているのは、そこのせめぎ合いです」
自由に意見を交換し合い、触発し合えている稽古場は、「意外なほど劇団でやっている感覚に近い」のだとか。
「それとやっぱり思うのは、歌舞伎役者はここ一番の集中力がすごいな、ということ。いつも稽古期間ほぼ無しで次の公演をこなしていますからね。それでも勘九郎さん、この役は『しんどい』って言ってます。ずっと出ずっぱりでいろんな人生を生きてきて、いちいち不幸になっていくので(笑)、『楽しいけどしんどい』って。でも、いきなりトップギアに入るという感じの集中力で出てくる音に、こっちも触発されるんですよ。『あ、それならもっとこうしたらいいんじゃないか』とか、『もっとこういう動きになったほうがいいんじゃないか』と、どんどん触発させてもらえるので、よくなっていくのが見えるんです」
3月某日の稽古場を覗かせてもらったのだが、本当にワクワクさせられた。台本ではまるで現代劇のようだった台詞が、歌舞伎俳優の口を通せばアラ不思議。江戸の世を生きる人々の、歌舞伎の台詞になっている! そしてまさにここでは、自由で新しい歌舞伎への試行錯誤が行われていたのだ。片岡亀蔵扮する歌の父、善次郎に動きをつけていた蓬莱が、突然、ゴルフの素振りのような動作をしてみせた。すると稽古場に笑いが起こり、これを取り入れるかどうか、意見が飛び交う。
「なしだと思う?」
「ありだと思います!」
「枠超えてるほうが面白いよね」
「こんなことであれこれ(文句を)いう人いないよね」
「それ傘じゃなくて杖にしたらどうかな?」
「ああ、ステッキの振りみたいな感じでいいかもね!」
「じゃあ杖で考えてみようか」
こうした自由なせめぎ合いの中で生まれつつある、新しい歌舞伎。しかし何よりこの作品が観客に訴えるのは「人間ドラマとしての力」だと蓬莱は言う。
「たどり着くのは、人間がどのように人生を営んでいるかということ。ここに究極、心を打つものがあるんだなということが、この作品を見るとよくわかるんです。歌舞伎の型じゃないし、演劇の型でもなく、人間というものがいるんだ、ということでやると、そこはジャンルを超えて、新しいものであったり普遍的なものであったりする何かが届くんじゃないかな。その手応えを、僕も役者たちもお互い感じているところです。歌舞伎を見慣れている人も見慣れていない人も、初めての人も久しぶりの人も、この劇場に来れば“人間ドラマ”が見られる。それを見るのは絶対に楽しいことなんだ、と僕は思っています」
赤坂大歌舞伎「夢幻恋双紙 赤目の転生」は4月6~25日、赤坂ACTシアターで上演される。詳しい情報は公式サイトへ。
http://www.tbs.co.jp/act/event/ookabuki/
筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka