コラム:若林ゆり 舞台.com - 第51回
2016年12月27日更新
第51回:『新春浅草歌舞伎』で男の色気を発揮する若手二枚目、尾上松也の勢いがすごい!
受け継がれてきた伝統を守りつつ、新たな試みや冒険で観客を魅了し続ける歌舞伎界で、いま最も目が離せない若手の1人。それが尾上松也だ。端正な容姿とよく通る美声、情感あふれる演技を武器に、歌舞伎俳優として目を見張るほどの急成長を遂げているだけではない。テレビのドラマやバラエティ、「ロミオ&ジュリエット」(ベンヴォーリオ役)や「エリザベート」(ルキーニ役)といったミュージカルの世界にも果敢に挑戦、確実に結果を出している。そんな松也にとって、2017年1月で3年連続リーダー的な立場で若手を率いる正月の恒例公演「新春浅草歌舞伎」(以下「浅草歌舞伎」)は、とくに思い入れの強い、特別な公演だ。
「『浅草歌舞伎』は僕にとって、以前から目標とする公演であり、憧れでした。“若手の登竜門”という意味を持っていて若手を中心に構成されている公演で、僕らよりひと世代前の猿之助さんや愛之助さん、獅童さん、勘九郎さんに七之助さんたちが勤められていたころにいつも見ては『僕も出たいなぁ』と思っていましたから。ここには若手にとってのチャンスが多く、大役を経験させていただける公演なんです。『自分も大きなお役を経験したい』という思いで、ひたすら目指していましたね」
というのも松也は、つねに大役がもらえる名門の出身ではない。つまり実力で役を勝ち取っていく必要があったからだ。そんな松也がステップアップのチャンスをものにし、成長の足がかりとしてきた公演こそが「浅草歌舞伎」というわけ。
「東京で1カ月間、自分が真ん中を勤めるのは浅草が初めてでした。それが2013年、『寿曽我対面』での曽我五郎というお役。そのときの嬉しさというのは、いまだに忘れられないものですね。また、それを経て2015年、僕らの世代に代わっての初年度というのも感慨深かった。ですが、いざ望んでいた立場になってみると、理想と現実とは大きくかけ離れているもので。不安のほうが大きかったですね。嬉しくもあり、両極端な気持ちだったのも思い出深く残っています」
日本のお正月らしい華やぎをまとった1月の浅草で、若手による華麗な伝統芸能を満喫する醍醐味はたまらない。今回も魅力的な演目が並ぶが、なかでも松也にとって大きな挑戦は、第一部「義経千本桜」からの「吉野山」。この演目での佐藤忠信実は源九郎狐(通称:狐忠信)は初役だが、とにかく格好いい男っぷりには惚れ惚れするはずだし、初心者でも楽しめる設定が隠された作品だ。
「歌舞伎の上演形態というのは、実は非常に荒っぽいというか(笑)。この『浅草歌舞伎』の演目も、『棒しばり』以外はすべて通し狂言(全幕芝居)からの一場面なんですよね。その場面の前や後ろの話をお客様が知っている、という前提で上演されているんです。たとえば『吉野山』は佐藤忠信という武将が、主である源義経の恋人、静御前を守護して義経の元へ向かっている道中の物語。眼目としては役名からわかるように、実は忠信は本物ではなく、狐が化けている。忠信は鼓を打つと現れるんですが、実はその鼓が源九郎の両親の皮でできているという裏を知っておくと、より楽しめると思います。でも『吉野山』では最後に華やかで歌舞伎らしい立廻りもご覧いただけますし、狐っぽさがつい出てしまう動きの面白さなど、初心者の方でも目と耳で楽しむことができる作品だと思います」
松也は1990年、5歳のときに初舞台を踏んだ。歌舞伎の舞台での子役時代を経て、高校在学中に歌舞伎俳優として再始動するが、「歌舞伎の世界で生きていこう」と決意したのは20歳を過ぎて、父(六世尾上松助丈)を亡くしてから。実は高校時代はアメリカ映画に夢中で、渡米の道を考えていた。
「僕はずっと洋画が好きだったものですから、『アメリカに渡って演劇学校に通いたい。たとえ有名になれなくても、映画俳優の仕事でご飯を食べていけるようになればそれで満足なんだ』と、10代のころ、父にも相談したことがありましてね。父からは『構わないが、高校は日本で卒業してほしい』と言われたので、高校卒業後は自由にさせてもらおうと思っていました。そんなころに歌舞伎復帰のお話しをいただいて。僕は渡米する前に経験させてもらおう、というつもりでお受けしたんです。ですが、改めて舞台を勤めさせていただいたら心から楽しかった。『もっと、もっと』という気持ちになって『海外に行こう』なんて気持ちは、いつの間にかどっかに飛んで行ってしまいました(笑)」
筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka