コラム:若林ゆり 舞台.com - 第20回
2014年12月3日更新
第20回:アイリッシュ音楽の繊細さと楽しさが魂を震わせる、ブロードウェイ版「Once ダブリンの街角で」
ブロードウェイやウエストエンドでは、映画からミュージカルの舞台になった作品が年々増えつづけているが、2年前にその独創性で大成功を収めて現在も絶賛上演中のブロードウェイ・ミュージカルが、早くも日本にお目見得した。映画がその地味さにもかかわらず口コミで大ヒットを成し遂げたのと同様に、オフ・ブロードウェイの小劇場からあれよあれよという間にブロードウェイ入り、トニー賞8冠に加えてアルバムがグラミー賞まで獲ってしまった「Once ダブリンの街角で」。これがいま、六本木で来日公演を行っているのである。
さて、この作品のどこが独創的なのか。まずは劇場に入ったところから、それを感じることができる。客席に入ると、開演前の舞台上にアイリッシュ・パブが見える。観客はそこで実際にお酒を買うことができるのだ。まあエールをパイントで、というわけにはいかないが、セットそのままの舞台に上がり、パブの客となれるチャンスを逃すテはないだろう。つまり、早めに来場しないと損。舞台に上がれる人数は限られているので、遅くとも開演25分前くらいには並ぶべし。開演15分前までなら、舞台の写真を撮ることもできる。そしてもし、15分前までにお酒をゲットしても、すぐに舞台を降りてはならない。ここからパブではミュージシャンたちの演奏が始まるからだ。演奏をすぐ近くで楽しみながら、踊ったりもできちゃうのである。
ストーリーは映画とまったく同じ。ストリートで去った恋人への未練を歌う男(ガイ)が、チェコ移民でシングルマザーの女(ガール)と出会い、音楽を通して魂を共鳴させていく。ただそれだけのシンプルな話。なのに、どうしてこうも心震わされるのか。それはやはり、音楽の力を最大限に活かした演出の賜だろう。この作品では、役者たちがそれぞれ楽器を演奏し、歌を歌い、ダンスを踊る。生でこれを聴く至福。アイリッシュ音楽の豊かな魔法が男と女の揺れる心を露わにし、それがダイレクトに響いてくる。ごく近くで、音、言葉、そして振動に感情が乗ってビンビン感じることができるのだ。この心地よさときたら! 哀愁を帯びた名曲たちが染みわたる、染みわたる。実際、うっとりしているうちに睡魔が襲ってきたりもするので注意が必要でもあるのだけれど。
演出の工夫も非常に利いている。舞台は開演前にパブだったセットひとつだけ。壁には古ぼけた大小の鏡が張りめぐらされ、物語の多面性を表すとともに、楽器を演奏する手元や表情までを見せてくれる。脇キャラは出番が終わるとサイドの椅子に着席。彼らは演奏をするだけではなく、セットチェンジや大道具・小道具係(歌舞伎で言う黒子)も担う。冒頭でそのうちの1人が、映画を観た人ならおなじみの、ガイとガールを結ぶ小道具、掃除機を小走りに運んできてガールにガッと渡す姿には、思わず声をあげて笑ってしまう。このアナログ感が作品の肝なのだ。
ストーリーは同じではあるが、微妙な部分で繊細さが増しているところがある。ガールと母親や娘、移民仲間が話すところは、舞台中央にチェコ語の字幕が出る。ブロードウェイではチェコ語のせりふに字幕が出るのだが、チェコ語とアイルランド訛りの英語とをいちいち聞き分けなくてもチェコ語効果を受け取れる、いいアイディアだ。そして、ガイは映画より傷ついている。別れた女をまだずっと引きずっているし、ガールはそれを感じ取っている。惹かれ合いながらも臆病になってしまう2人の心が、劇場を揺らす。
シンプルすぎる物語を埋めるのは、脇キャラの演奏と個性である。たとえば、映画ではただ寡黙な老人だったピアノ店のオーナーは、この舞台ではガールに片想いをしている気のいい独身男・ビリーとなっている。そう、主役の2人に名前がないのに、ちゃっかり名前まで頂戴して大活躍だ。ほかにもレコーディングを一緒にすることになる仲間たちや銀行の支店長らが自然に音楽を取り込み、表現し、セッションする面白さは格別! ブロードウェイまで行かなくてもこの感動を肌で味わえるのだから、いい時代になったもんです。
ミュージカル「Once ダブリンの街角で」は12月14日までEXシアター六本木で上演中。詳しい情報は公式サイトへ。http://once-musical.jp/
筆者紹介
若林ゆり(わかばやし・ゆり)。映画ジャーナリスト。タランティーノとはマブダチ。「ブラピ」の通称を発明した張本人でもある。「BRUTUS」「GINZA」「ぴあ」等で執筆中。
Twitter:@qtyuriwaka