佐藤泰志、初の本格評伝が完成! 中澤雄大氏が10年以上の歳月をかけた渾身の力作

2022年4月11日 10:00


中澤雄大氏、渾身の一作
中澤雄大氏、渾身の一作

夭折の作家・佐藤泰志の初の本格評伝「狂伝 佐藤泰志-無垢と修羅」(中央公論新社刊)が、4月19日に発売される。「戦後生まれ初の芥川賞作家になる」と宣言し、狂おしいほど文学に情熱を傾けながらも力尽き、長く忘れ去られた作家がなぜ現代に蘇り、令和の時代になっても新たな読者を獲得するのか――。ノンフィクション作家の中澤雄大氏が10年以上も続けた調査、研究を通して、当時の文壇の状況や世相を踏まえながら佐藤の抱えた「無垢と修羅」に迫る、608ページに及ぶ渾身の一作だ。(取材・文/大塚史貴)

芥川賞に5回、三島由紀夫賞と野間文芸新人賞に各1回ノミネートを果たしながら受賞を逃した佐藤が、失意のなか1990年10月に41歳で自死してから32度目の春、佐藤文学を研究し尽くした1冊が発売される。07年10月に発売された「佐藤泰志作品集」(クレイン刊)は“出版界の奇跡”と言われ、その後の復刊ブーム、「海炭市叙景」(熊切和嘉監督)を皮切りに「そこのみにて光輝く」(呉美保監督)、「オーバー・フェンス」(山下敦弘監督)、「きみの鳥はうたえる」(三宅唱監督)、「草の響き」(斎藤久志監督)という著作の映画化と、佐藤の名を広く世に知らしめたが、本書では全作品の背景分析をするため、一族の歴史をはじめ、佐藤が遺した函館西高校時代から晩年までの膨大な手紙類を読み解いている。

佐藤の故郷、北海道・函館の街並み
佐藤の故郷、北海道・函館の街並み

中澤氏が書き下ろした1500枚には、文学賞選考の内実、「海炭市叙景」連載中断の背景、自殺の真相にも迫っている。そのため、親族だけでなく幼なじみ、大学の同期生、恩師、文学仲間、かつての恋人まで実に多くの関係者にインタビューすると同時に、膨大な資料を分析。佐藤の実像と言動を浮き彫りにするとともに、巷に流布する誤った情報を正すことにも注力したという。

取材対象は多岐にわたり、佐藤に多大な影響を与えた大江健三郎をはじめ、函館西高校OBの辻仁成、元「文藝春秋」編集長の半藤一利ら芥川賞選考関係者、佐藤が思慕の念を抱いた直木賞作家ら多数の文人、評論家など。さらに当時の「新潮」「文藝」「文學界」「すばる」など、各誌編集長にも真相をただしている。

また、佐藤は映画好きだったことにも触れられているそうで、当時の世相を伝えるためにも佐藤が感銘を受けた「裸の島」「夕陽の丘」「アルジェの戦い」「ミツバチのささやき」「赤線地帯」「飢餓海峡」「突然炎のごとく」「冒険者たち」「スケアクロウ」「ラスト・ショー」「三里塚の夏」といった作品や、映画館についても詳述している点も見逃せない。映画.comでは、本書を完成させたばかりの中澤氏に取材を敢行した。

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――10年以上の歳月をかけて調査、研究を続けてこられたそうですが、そんなにも惹きつけ、突き動かした佐藤泰志という作家の最大の美点はどこにあると思いますか。

中澤氏:私が佐藤泰志という未知の作家の作品と出会ったのは20歳の時(1987年)でして、大学入学を機に上京して1年半が過ぎた頃でした。たまたま新宿の紀伊國屋書店本店で手にした「文藝」に掲載されていた「大きなハードルと小さなハードル」を読んだのが最初です。アルコール中毒を己の力で治してみせると誓う夫と、別れて静岡の実家に帰ろうか逡巡する妻──離婚の危機にある夫婦が娘を連れて、近くの河原を訪れて交わす言葉の切実さに、世間を知らない私は、家族というありようがいかにもろいものなのか、現実生活の厳しさを初めて突きつけられました。

ちょうどバブルの絶頂期にあり、地方出身の一学生にとって、当時の世相は違和感を覚えるものでした。書店では村上春樹の「ノルウェイの森」のクリスマスカラーが目立っていました。話題に乗り遅れないように読んでみましたが、現実離れしたスマートな社会風俗の描写などになじめませんでした。

一方、泰志の小説は浮ついた世相に翻弄されることのない確かさを感じました。時代に取り残されながらも、あきらめずに愚直に生きようとする汗と息遣いを、その畳みかけてくるような筆致から実感できたわけです。都会の生活に足場のない私の不安をなだめてくれるような気もしました。それ以来、家族の再生や社会の底辺で生きる同時代の人々の哀歓を淡々と描いた作家の小説が載っていないか、文芸誌を書店で探し求めるようになりました。

ちょうど新聞社に入った年に泰志が自死したことを記事で知り、言葉を失いました。その後出版された単行本「移動動物園」などを読み、その作品の魅力を周囲に分かってもらおうとしましたが、相手の反応は芳しくありませんでした。それだけマイナーな、知る人ぞ知る純文学作家だったわけです。

この世に未練を強く残したまま逝った作家の佳品を、もっと多くの人に知ってほしいという想いが、「出版界の奇跡」と呼ばれた「作品集」の刊行、「海炭市叙景」映画化の成功によって、再び火がつきました。突き動かされるように10年以上、取材・執筆を進めてきましたが、新聞記者の仕事との両立は困難で、この評伝を書き上げるために丸2年前に退路を断ち、執筆に本腰を入れました。

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――きっと本書には様々な検証から今まで知る由もなかった佐藤の実像が見えて来るかと思います。取材中、執筆中に知った、気づいたことで驚きを禁じ得なかったことをひとつ挙げるとするならば、どんなことでしょうか?

中澤氏:この30年余りを振り返ると、全てがこの評伝を仕上げるという一点につながっているように感じます。本書を手にとっていただけるとお分かりになるかと思いますが、偶然や奇遇、奇縁、巡り巡って……という普通ではあり得ない出来事、神の配剤に感謝する場面が相次ぎました。

喜美子夫人から「『俺のことを、中澤さんに書いてもらえよ』ってウチの人が言っているようだねぇ」と言われたこともあります。冷静な読みが必要とされる担当編集者からも「内容が濃くて、削ってほしいとは頼めない」と言われ、600頁超という分厚さでの出版に至りました。

その誕生から自殺に至るまで、驚きの連続、新事実のオンパレードとなった最大の要因は、多くの資料と格闘するとともに、あらゆる関係者に話を聞くことができたことに加えて、作家が遺していた膨大な手紙と手帳類とを突き合わせて再確認することができたためです。

創作の背景にあるさまざまな要因がどのように交錯して、その筆に影響を与えていたか、如実に浮き彫りになりました。まさに見たもの、聞いたこと、全てを創作に生かす「私小説作家」でした。さらに執筆にこだわるがゆえに苦悩し、煩悶したリアルな“肉声”もふんだんに盛り込んだ結果、その実像が行間から動き出すようになりました。結果的に、巷間伝わる誤った情報を訂正することにもつながりました。有島青少年文芸賞、北方文藝賞、芥川賞、三島賞……選考の内実の一端も初めて明らかになります。

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――「海炭市叙景」が映画化された後、まさか「移動動物園」など絶版になっていた小説群が復刊するとは思いもしませんでした。佐藤の著書の中で、最も中毒性を持って読み返してしまう作品を教えてください。

中澤氏:やはり等身大の泰志と夫人の姿が描かれている「大きなハードルと小さなハードル」でしょうか。同じ理由で「水晶の腕」も好きです。また、人生という長いレールの意味を深く考えさせてくれる「海炭市叙景」の一篇「週末」も、こうあるべきだという、作家の本質の一端をよく表しているので読み返すことが多いです。

佐藤泰志は、何事においても白黒つけようとする世の中の欺瞞を嫌っていました。家族を愛する一方で、昂る恋情や欲望を抑えることができない正直な人でもありました。「狂伝-無垢と修羅」というタイトルは、狂おしいほどに文学に情熱を傾けるという無垢な性向と、どこまでも自由でありたいと願い、修羅を抱えることも厭わなかった生き方から名付けました。各章を順に読んでいただけると、泰志の心の移ろいがよく理解していただけると思います。

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――「海炭市叙景」に始まり、佐藤作品が5本も映画化されるとは10数年前は誰も想像できなかったと思います。佐藤の再評価という奇跡的な出来事に触れたとき、この映画化という動きはどのような役割を果たしたとお考えでしょうか?

中澤氏:これまで一連の作品を企画・制作された「シネマアイリス」の功績は本当に大きいです。しかし、忘れ去られていた作家の再評価につながったのは、単に映画と小説というメディアミックス効果とSNSの拡散力だけでは説明できないと思います。シネマアイリスの菅原和博さんが「映画化したい」と願ったように、小説本来の力抜きではあり得なかったと考えます。作家が生きた時代よりもさらに格差が拡大し、生きづらいと感じる若年世代が少なくないと聞きます。生への渇望を強く持つ彼らに、佐藤泰志作品の存在を伝える映画がこれからも作り続けられることを願っています。菅原さんも次回作のプランを検討されているそうです。映画作品に合わせて、ぜひ「狂伝 佐藤泰志-無垢と修羅」を手に取って、その作品世界をよく知っていただければ有り難いです。

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中澤雄大氏略歴
昭和42(1967)年、新潟県長岡市生まれ。ノンフィクション作家。全国紙記者として政治や外交・安保、歴史問題、論壇、書評、映画などを担当。現在、早稲田大学総合研究機構招聘研究員、大正大学非常勤講師。単著に「角栄のお庭番 朝賀昭」(講談社、加筆・別題名で講談社+α文庫)、編著に「回顧百年 相沢英之オーラルヒストリー」(かまくら春秋社)、共著・分担執筆に「佐藤泰志 生の輝きを求めつづけた作家」(河出書房新社)他多数。また、WOWOWとHBO Max制作のドラマ「TOKYO VICE」(主演アンセル・エルゴート、共演渡辺謙菊地凛子伊藤英明ほか)の監修を務める。

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(執筆者:大塚史貴)

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