怪物のレビュー・感想・評価
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わからなかったです。
雰囲気でカバーしてる感じ。
視点を変えることで、見え方が変わる…
っていうのをいいことに好き放題やってる感じがした。
いやいや、さすがにそうはならなくないか?
みたいなシーンが多かったな。
時系列に全部並べ替えたら違和感を覚えたことの原因が究明できる気がする。
というわけであまり好みではありませんでした。
「すごい」と感じさせるほどの普通の演技は映画の邪魔になるかどうか?...
「すごい」と感じさせるほどの普通の演技は映画の邪魔になるかどうか?
なぜなら、そういうことを考えながら観てしまうから。
クセがあるのも一周回って普通(リアル)になる。
ものごとの背景はカラフルでクセがあって怖い。
いつも目に入る人々やありふれた景色にも、きっと、なにか幸せや悲しみ、狂気も存在するんだろう。
誰から観て?
ここからの後半か。
すごいです。
映画、面白いなぁ
そしてそのセリフを校長に言わせる。
その人にとっての真実は、その人にしかわからない、なのだとしたら、
「誰にでも手に入る幸せ」とはなんなのか。
もとのまんまで、そして生まれ変わったよ!
是枝監督、坂本先生、全演者、スタッフの皆さん、今回も映画作ってくださってありがとう!という気持ち。
前半と後半の振れ幅
まるで産道かのような暗渠を抜けた先で生まれ変わったかと問われ、「そんなことないよ、元のままだよ」と答えるところ、そのまま美しく走り出すところ、その先に存在していたはずの行き止まりがなく線路が続いているところ、
分かりやすい形で丁寧に紡いでくれている
最初はサスペンスかと思った
飛び降りを試みるシーンで響く場違いな管楽器の音、そこの連なりも好きだった
怖っ!
予備知識無しで鑑賞。
えっ、イジメの映画なんだ。教師の無表情怖っ!と思っていたら、途中から母親の表情も怖くなった。教師の態度おかしいだろと思ったが、途中から視点を変えて、時間も巻き戻しになると、母親にはあぁいう風に見えてたって事?
最後はやっぱり死んだんだろうなぁ。
しかし、なんでクラスメートの女子は嘘ついたんだろう?湊にむかついてたんだろうけど、教師を嵌める必要は無いだろうに。
田中裕子の校長には全然共感出来ないが、田中裕子の演技怖っ!
脚本が緻密すぎる
①麦野早織・湊の母(安藤サクラ)の視点、
②永山瑛太(保利先生)の視点、
③麦野湊の視点、
④星川依里の視点、
⑤田中裕子(伏見校長)の5つの視点を、
⑥是枝監督の6つめの視点で紡いでいく。
①は、③を見ている。次に②を見る。
湊が火事を眺めながら母親に投げかけた何気ない質問、「ブタの脳を移植した人間は…人間? ブタ?」。この情報は、星川依里が虐待するクソな父親から言われていた言葉の暴力だったが、母親にとってこの情報の出どころは、息子の湊が「先生が言ってた」とつぶやいたことで『情報源→星川の父親×、保利先生○』になった。ここで、「①→②を見る」状況が出来上がった。
②は、③④(生徒)を見ている。
保利は、蒲田のイジメから星川を救おうと湊が暴れたら星川も一緒に暴れたところ・トイレに星川が閉じ込められたとき湊とすれ違ったところ、『星川のそばに蒲田がいる』という状況より『星川のそばに湊がいる』状況にだけに出くわす。「蒲田と星川」ではなく「湊と星川」をセットで見る場面に遭遇することが多いから、湊がイジメに関わっているという印象を持つ。
③は、④を見ている。
④は、③を見ている。
⑤は、⑤を見ている。校長だけは、自己保身が強い気がする。学校のためといえば聞こえはいいが、孫の写真を自分にではなく来客用ソファに向けて見せるところ、教師に弁明の機会を与えず、親の意見をのらりくらりかわす姿勢は、世間体第一の利己的な一面しか感じられない。音楽室で湊に吹奏楽のレクチャーをしたところで(なんで自分はこんなになったんだろう)という悲哀は感じられた。
まさに劇中にある「怪物ゲーム」。
①が「私はモンスターペアレントですか?」と尋ねたら、②は「正解」というだろう。しかし①にとっては不正解。
②が「私は暴力教師ですか?」と尋ねたら、①は「正解」というだろう。でも②にとっては不正解。
③と④は、まだ何者かがわからない。だから電車の中で怪物ゲームをして遊ぶシーンがほのぼのしている。
⑤と⑤は、自問自答。もはや生きる意味を見出せない。下駄箱の下で掃除をして汚れを取る自分は、何者なのか。「校長」としての役割を持っていなければ、死にたい気持ちになる。だから、校長という役割を担うことで「自分」を保つ、職場復帰の早さも自分を失いたくないから。
怪物ゲームにカードの山のなかに、かたつむりやその他動物の他に「怪物」というカードがあった。多分このカードは、「あなたはコンクリートを食べますか?」「高いところに行けますか」「火を吹きますか」など、全ての質問に対して「はい」と答えられるカード。怪物ならなんでもできるはずなので。
つまり、『すべてに「はい」』とこたえられるのが、怪物。
という仮説を立てると、
①の質問『すべてに「はい」』と答えた校長は、怪物。
息子の話『すべてに「はい」』で応えた母親は、怪物。
ほぼ強制的ではあるが学校側の内容『すべてに「はい」』で応えた保利は、怪物。
子供たちは、抗っている。湊が星川の家にいったとき父親同伴で「引っ越す」「気になる子がいる」「もう大丈夫」と、星川依里が湊に強がるも、一度閉まったドアを開けて「嘘!」と告白する。その後、父親からおそらく折檻を受けている。
③と④は、互いに肩書きを見ていない。「モンスターペアレント」「孫が死んだ校長」「ガールズバーに行った先生」「同性愛」といったフィルター、怪物ゲームの札のようなものはなく、湊と星川として付き合っている。人間同士の付き合い。人間同士。
怪物とは、「人間同士ではない」だから「じゃあもう怪物だ」という意味なのだと思う。
ただ、保利先生が飴を食べるシーンは違和感があった。よっぽど学校のいいなりになっていて心底嫌気がさしていたのか、②の視点で物語が進むほど違和感が残った。(こんな人があそこで飴食うかな?)と思った。
目には見えないものと闘う
「視点」の違い
「同調圧力」の恐怖
「親の愛情」とは何か
人の口から出た言葉というものは、これほどまでに信じられないものになっていくのか
最後に流れるピアノの音色が美しくて救われました
あのラストをもってハッピーエンドと受け取りたい
もう、思い出しただけでも泣きそう。エンドロールが終わっても泣きっ面が直らなくて、油断すればまた泣きそうで…。とにかく素晴らしいの一言。是枝作品の中でも断トツの傑作かなと。
坂元裕二氏がカンヌで語っていた「自分が加害者だと気づくのは難しい」視点、それを秀逸な点で浮かび上がらせる。奇妙な会話と不気味な輪郭におどろおどろしく感じていたはずが、その渦の中心から見える景色がこんなにも違うとは。足りない想像は簡単に創造出来ない。だからこそ、広がった景色に驚くのだと思った。
やはり今回も、というべきなのは、子供が持つ未熟を是枝監督は愛している点だと思う。小学生特有のイジり、といえばそれまでで、大人は年々それを拒む。それはきっと、単純化を求めすぎた大人故の弊害だ。それを3つの視点を繊細に描くだけでなく、三原色が重なった時に色が変わるように、その真実も変えてゆく。矛先に伸びた影はあまりにも残酷で美しく、圧倒されるばかりだった。
安藤サクラさん、永山瑛太さん、そして子供2人の視点から描きながらも、それぞれが抱えた正義も共鳴する所がまた突き刺さる。張り詰めた糸をそっと撫で下ろして観ていた分、涙腺となって溢れたのかもしれない。
ラストシーン、絶対に忘れることは無いと思った。怪物とは何か、カンヌの賞がこの作品に与えた意味も含め、僕はそれをハッピーエンドだったんだと受け取りたい。
子どもが傷つくのがただただ辛かった作品
とにかく技巧的な脚本が印象的。事実を複数視点から時系列も混ぜて見せられることでこちらの受け止め方が随時揺れ動く。わからないシーンが後から見えてくる、とか。
怪物に焦点をあてたことでセンセーショナルな面が際立った気がする。それが描きたかったことなのかな。子どもの揺れ動く感情、好意、悲しみが、見ていてしんどい作品だった。ホルンなど音の使い方はすごく面白いと思ったけど、校長の台詞が全く響かず、そこが個人的に残念。相性の問題なのだと思うけど。
誰でも手に入るものを「幸せ」って言うの
校長が「しょうもない、しょうもない」と言いながら、湊に語った「誰でも手に入るものを幸せって言うの」という言葉を考えた。
だとしたら、その幸せをみんな求めているのに、どこでボタンを掛け違えているのだろう。
母親は確かに湊を愛しているのだろうが、明らかにおかしなことがあっても、どうして遠慮してわかった風を装ってしまうのか。
保利先生は、一見異常に見える金魚も、異常ではないという感覚を持っているのに、なぜ子どもたちへの指導は表面的で通り一遍なのか。
うまく社会に適応しているように描かれる周囲の人々は、その攻撃性に対して無自覚に噂話や偏見を垂れ流すのか。
そこに共通するのは、自分にとって「訳のわからないもの」に対する恐れであって、それがすなわち「怪物」なのだろうと思う。だから「人物の誰が怪物なのかといった見方ではなく、自らの中にある怪物を自覚しましょう」という映画なのだろう。
依里と湊の2人も、この「怪物」に囚われていたが、ラストシーンでそこから抜け出したことが暗示されている。
で、どう思ったかなのだが、一回目に劇場で観た時には、様々な人物や出来事のステレオタイプな描かれ方が気になって、とてもモヤモヤが残った。今回の配信での視聴は、そこは気になったが、ちょっとは落ち着いて観られ、羅生門的なアプローチで、全体が破綻なくまとめられていることも確かめられた。
が、やっぱりモヤモヤは残った。
どうして、登場人物の誰もが、相手の話を聞こうとしないのか。自分の中のストーリーに当てはめて、わかった気になったり、相手を屈服させようとしたりするのか。
そりゃさ、障害受容(依里のLDを指してます)ができない親は山ほどいるだろうし、モンスターペアレント対応でガッツリ削られている先生たちも多いだろうし、自分が直接関係ない不幸は、無自覚にエンタメとして消費して記憶にもとどめないことだってたくさんある。
けど、当事者の相手の話を素直に聞くって、そんなに難しいことなんだっけ?…性自認と性的指向についても学校できちんと扱われる時代になってきている中、そこでとどまってしまうのか…と思ってしまった。
言い方が適切かはわからないが、一歩手前で煽られている感じがしてしまうというのが正直なところ。そうなる前に解決できるものを「どう?どう?」とずっと見せられている感じなのだ。
是枝監督、坂元裕二も好きなのにな。なんでかな。
ぐやじい
タイトルって大事なんだなぁと。
怪物を探させる構造にのって全編をみたので、「あー」となった。
強いていうと、僕たち男にとって女性は本当に理解不能であるという視点があってまじでそこはこわかった。
高畑充希と、クラスの隣の女子マジでこわい。
みんな苦しい
観た後に、頭の中がぐわんぐわんする映画。
登場人物それぞれの苦しさが伝わってくる。
まず、湊の母親。
夫が浮気旅行の際に事故死したという事実を封印し、夫を美化しながら生きている。
湊に対する愛情はたっぷりあるし、子どもを守るための行動力もある。
でも、ラガーマンの男と結婚しただけあって、男という生物をステレオタイプの男の枠の中でしか見られない。
それが湊を追い詰めるのだけど、湊が何に苦しんでいるのか理解できないので、勘違いして突っ走ってしまう。
湊が苦しんでいることだけは理解しているので、母親として苦しくてたまらないことは分かる。
保利先生は嘘がつけない人。
だから、学校を守るために謝罪させられる時もうまく喋れない。
教師としては誠実に子どもと向き合おうとしていたことが第二部で分かる。
にも関わらず、不器用さゆえにどんどん追い込まれていく。他の同僚達もすべてを保利先生に押し付け、ことなきを得ようとする。
湊と依里も、自分達を守るために保利先生を悪者にしてしまう。
子ども達は敏感だし、察しが良い。アンケートには、大人達が期待している答えを察して回答する。
湊は多分保利先生のことが嫌いではないけれど、何かというと「男だろ」「男らしく」と口にするため、男らしさがない自覚のある依里は保利先生に心を開かない。だから2人は自分達を守るために保利先生を悪者にしてしまったのだろう。
とても気の毒ではあるけれど、LGBTQの生徒がいる可能性に気づかなかったという点で、保利先生はやはり加害者でもある。
校長も最初は存在自体が胸くそ悪かったけれど、音楽室のシーンで本当は教育の現場が好きな熱い先生だったことが伝わってくる。
孫を誤って引き殺し、夫を身代わりにして刑務者に入れるだなんて、苦しくないわけがない。
夫が身代わりになったのは、校長を守るためではなく、校長が勤める学校を守るためなのだろう。
分かっていても、苦しくて苦しくてたまらないのだろう。でも、そのことは誰にも言えない。
音楽室のシーンで初めて校長の苦しみが分かる。
湊は感受性が強くて人の気持ちに敏感だ。
湊の苦しさが一番ヒリヒリ伝わってくる。
是枝監督は、本当に子役を活かすことが上手い。
友達として好きなのか、恋愛感情なのか、自分でもよく分からなくて混乱し、苦しんでいる。
そのうえ、依里が父親から虐待されていることやいじめに遭っていることにも心を痛めている。だけど、自分もいじめられることが怖くて、いじめから依里を助けることができない。
依里は湊のそんな葛藤を全て受け入れている。
この映画の中で、一番大人なのは、一番幼く見える依里だと思う。
依里はディスレクシアで、性自認も曖昧で男らしくはない。
でも、おそらく知能は高い。美的センスやアイディアにも優れており、天才肌だと思う。
依里の父親は、自分のセクシュアリティーを封印し、自分を誤魔化して生きてきたのだろう。
庭のゴミは気になるが、家はおしゃれだし、植物も好き。依里が花の名前をたくさん知っているのは、父親譲りで植物好きだからだと思われる。
この映画は依里の目線では描かれないので、詳しくは分からない。
きっと依里の父親は、ありのままの自分を受け入れている依里を否定することで自分自身を肯定しようとしている。でも、虐待で自分自身を肯定できるはずもなく、酒浸りになっている。
依里の父親もまた、苦しくて苦しくて仕方ないのだろう。
唯一、最も不遇な立場に置かれているはずの依里だけが、そこまで苦しんでいないように思う。
それは、依里が自分を否定せずに生きているからではないか。
そして、湊という存在に救われたからではないか。
愛されると人は強くなれる。
依里は、湊が自覚しているよりももっと強く湊の愛を感じているのだろう。
ストーリーも徐々にパズルのピースがハマっていって引き込まれるのだが、ストーリーを知った上で登場人物達の心の動きを見返したくなる。
苦しいけど、心に引っかかってしまって、何度も繰り返し観たくなる。そんな映画だった。
リアリティに欠ける部分
映画はあまり見ないのですが、映像、音楽が素晴らしくて傑作だと思いました。
特に坂本龍一さんのaquaが感動的でこの曲がラジオで流れて、それがきっかけになり、この映画に興味をもちました。
また子役の黒川さん、柊木さんの演技は、抜群にすごいと思いました。
ただこれをゲイの少年たちの悩みや葛藤の物語として捉えると、正直リアリティに欠ける部分があり、そこが残念で喉に骨が引っ掛かるような感覚を覚えました。
たったひとつの部分なのですが、湊が男性を好きで苦悩する部分が描かれていないのです。
依里が好きで悩んでいるところはあるのですが、男性全般に性的魅力を感じているところはゼロです。ここはもはやゲイの物語として足りていないところがあるというのではなく、重要なところが欠けていると言っていいと思います。
まだ幼い少年のためそういう性的衝動を描いていないという見方もあるかもしれませんが、lgbtの映画として見るならばそこを無しには通れないと思います。
そこが残念でした。
依里の方は、男性が好きだということを父にカミングアウトしたか、もしくはバレてしまっているような描写があります。
そういう描写が湊の方にもあれば納得できたかもしれません。
実際のlgbtの団体にも協力してもらっていたようですが、そこの残念な点があったせいか、葛藤する場面も、繊細な表現だとは思ったのですが、教科書的なただ見聞きした心理表現に見えてしまいました。
是枝監督のインタビューで「この作品はlgbtqに特化した作品ではありません、言葉にしにくい葛藤や感情を抱えた子どもの話と思って作りました。」と発言されているようですが、これがlgbt映画ではないなら、社会的意義という側面ではかなり薄まってしまう物語になると思います。少年、少女同士の一時的同性愛感情の話は巷に溢れていると思います。
まあそういうところを抜きにしてもとても良い映画だとは思いますが・・・。
あと、この映画を見て私が「怪物」だと思ったのが、安藤サクラ演じる麦野早織でした。一片の悪気もなく社会の異性愛規範をゲイの子どもに期待することは、正直仕方ない部分はあるもののあまりに酷です。この悪意のない発言は、子どもにはとても苦しいものだと思いました。精神的に大人になればただの苦しかった思い出で、通りすぎていけるようになると思いますが。
また作家の凪良ゆうさんが怪物の感想の記事で、最後に二人が走っていったところに追いつかないとダメですねと発言されていましたが、私も同意見です。
子どもたちになにができるか、そして子どもたちに追いついていかないとなと光のなかで二人が駆け抜けるシーンを見て思いました。
☆☆☆★★★ ※ 鑑賞直後にレビューを書き込み、一体は自分なりに納...
☆☆☆★★★
※ 鑑賞直後にレビューを書き込み、一体は自分なりに納得をしてはいたのですが、、、
その後、色々と疑問点が出始めて来てしまい…
後日、その後に感じた事を最後に加筆させて貰いました。
↓ 先ずは、鑑賞直後に書き込んだレビューを
1年以上続く実家を畳まなくてはならない忙しさに、「何とか夏頃には劇場で映画を…」とは思っていた。
「でもその頃にはもう是枝監督の新作と『TAR』は劇場では無理っぽいなあ〜」(泣)とも嘆いていた。
そんな折に先日見た「週間フジテレビ批評」での是枝監督インタビュー。
監督曰く「映画は三部構成で、エンドクレジットが終わると第四部が始まります」
そんな挑発的な言葉を聞いてしまったなら、映画ファンとしては居ても立っても居られない。
これはもう映画館に「(絶対)行かなければ!」…と思ってしまった。
と言う事で、健康診断の日を利用して無理矢理に予定を組んだ次第。
これまで観て来た中で、是枝監督の作品の傾向として〝 生と死の境 〟や〝 貧困と教育 〟と言ったテーマは、切っても切れないモノになりつつ有るのかなあ〜と思い始めている。
これまでは一部の作品を除いて自身で脚本・演出を担当して来たが、今回は人気脚本家坂元裕二のオリジナル脚本。
「自分に見えるモノと他人から見えるモノは違う」
何となくそんな意味の言葉を賞を受けた際のインタビューで答えていた。
視点が変わる事で見えてくるモノでより真実に近づいて行く。
確かにカンヌで賞を得たのも頷ける内容だったとは思うものの。作品中では既に亡くなっている人が、登場人物の中では多大な影響を及ぼしている人物であったり。自分だけの【基地】に閉じこもる少年の描き方。特定の台詞の言い回しや(受け取る人の)受け止め方の違いが、その後の展開に影響を及ぼす等。
スクリーンを観ていて何となく感じたのは、これまでの是枝作品の要素を(どことなく)繋げ合わせた様な脚本になっては居ないか?…との思いが強かった。
それだけに。第三部での前出した言葉の意味を強める展開で、坂元裕二色が出て来るに至り。この脚本でやりたかったモノがやっと見えて来た。
問題は、そこに至るまでの第一部での再三に渡るあざと過ぎる演出であり。第二部で、真実が見え始めたにも関わらず浮かび上がる《謎》の真相は何処に?と、観客を更に苛立たせる辺り。
《好きな人の為に(自分には)何が出来るのか》
少年であり少女であり、自分の想いが伝わって欲しいと思う行動も。その願いも虚しく「裏切られた」と感じた時に起こす危うさ。
この脚本には、登場人物の中で対象的に描かれている人物像が多くいる。
分かり易い例えだと、前出の言葉を話す湊に「私もよ」と言う田中裕子。
お互い子供達に翻弄される瑛太と安藤サクラ。
そんな中で、高畑充希との対象として描かれているのでは?と思われるのが、湊の事を好きなのだろうと思われる同級生の少女の存在。
それまでは何かと湊の事を気にかけていながらも。《少女》でありながら《女》としての本能が反応しそうさせたのか?突如として湊に不利な状況を語り出したりする。
映画本編での三部の導入の始まりは、地方都市でのビルの火災からだった。
この火事の真相は本編中には明らかにされてはいない。
観客には不穏な要素だけ切り取られ提示されただけだった。それこそが監督が語る第四部の部分。
考えうる仮定としては或る人物を見限る人物の存在。
この人物は少なくとも3人との関係が有ったのではないか?
《好きな人の為に(自分には)何が出来るのか》
結果的に、自分の好きな人の為に起こした行動が。好きな人を追い込んだ人物を別の意味で追い込んだものの、その人物にとっての将来的には不幸からの回避に。
更には、自分に悪事を働く人物には今風に言えば、ブーメランの仕打ちとなった可能性も、、、
意味深だった※※※※※※で無邪気に走り回る2人の少年。
その意味を(自分の中では確定してはいるが)確認する為に、機会があればもう一度鑑賞したいとも思っている。
2023年 6月15日 TOHOシネマズ日比谷/スクリーン12
※ 〝 好きな人は居るけれども誰にも相談は出来ない 〟
鑑賞し、数日経った今。↑上の鑑賞直後に書き込んだレビューが、段々と勘違いも甚だしいモノに思えて来た(。-_-。)
映画の構造は(真実は単純なのだが)そこに行き着く径路は、もっと複雑多肢に渡るのかも…と。
要は、観た人の数だけ正解に導かれる《怪物》が有るのかも知れない。
【怪物だ〜れだ】
おそらく「怪物だ〜れだ!」は、3→2→1の順番で考えると1番分かりやすいと思う。
3では好きな2人の合言葉的な意味で。
時間経過が後になる2だと、トイレに閉じ込められた時に「助けてくれるかも」と思い使うと、そこには先生が。「何だ先生か」と手を洗う。
1では、転校するのが決まっているけどもう一度逢いたい。だから秘密基地で待っている。
心配で湊を探しに来た母親。
そこには〝 いるよ 〟のサイン
「あ来た!」と思い「怪物だ〜れだ」と言うと、そこには思っても居なかった母親の姿に戸惑うばかり。
母親に送られて帰る途中に携帯に連絡が来て思わず飛び降りる。
その直前の母親の一言は「立派な大人になって欲しい」(だったかな?)
やっぱり(テレビの女装の人を見て「ヤラセじゃない!」…って言ってたし)相談出来ないからか。
「お父さんのようにはなれないよ」
【校長先生の噂】
旦那さんに接見する校長先生。
その時の様子がネットで少し話題になっていた。
ひょっとすると◯◯症を患っていて、現在の状況が分かっていないのではないか?…と。
確かに前後の会話を考えると少しずつ信憑性が増して来る。
映画冒頭での野呂佳代の噂話はおそらく…
「野次馬で居たよ」→「あそこに居たんだって」に変化しているのは明白。
写真の角度は、角田(だったかな?)の台詞で勝手に考えた可能性もある。
案外と真実は、自分がソファー(椅子)に座って見える角度ってだけで直さなかっただけかも知れないし。スーパーの場面も、あくまでも第1部は母親目線で観客のミスリードを誘う【怪物】部分なだけに、、、
まだまだ考察しなければいけない箇所が数多くあって頭の中がぐちゃぐちゃになる。
でも今はまだどうやって纏めたならいいのか…が見えてこない、、、
だから、鑑賞直後に書き込んだレビューはとりあえず一旦はそのままに。
、、、しかし、、、勘違いも甚だしいのをそのままにして置くのもまた恥ずかしい話で(。-_-。)
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