怪物のレビュー・感想・評価
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すきだけど、少し残念なところもある
この映画に対しての違和感は演出の過剰さのみです。少しだけソレは残念。全体的な評価でいけば、とてつもなく高いと思います。
ただ、序盤でのシーンでの先生の飴のシーンで緊張をほぐすために舐めていたのだとしても、社会人としてどうなの??と思ってしまう。
色々と気になるところは多いが、少し現実離れしてるように感じるシーンも多々あり気持ちが映画から離れてしまう感も否めません。
子役たちの演技はとても素晴らしいです。特に柊くんに関しては役を自分のものにしていて、物語にとてもマッチしている子役さんでした!!
あの子だからこそあの役を演じきれたのだな…と。
湊くん役の子もとてつもない存在感で未来の柳楽優弥の呼び声も理解できます。
またDVD発売したら、2回目も観たいなと思いました!
うーむ…
まず瑛太のキャラクターが安藤サクラパートと瑛太パートで違いがありすぎると思った。『いや、瑛太全然キャラ違うじゃん…それはダメでは?』と観ていて思ってしまった。途中のライターを点けるシーンや、2人で電車の窓を拭うシーンは良かった。
ただ、最後の子供達のパートがただの答え合わせになっているのが嫌だった。最も大切で観ている側が感じるパートだと思うけど『あぁ、あの時はああだったのね。この時はこうだったんだ』みたいな断片的な部品を埋めていくのに頭がいっぱいになって映画を楽しめなかった。
私は苦手…
先週は2つの上映作品を観た。そのうちに1つが監督・是枝裕和 × 脚本・坂元裕二 の「怪物」。私はこの手の映画はもともと苦手・・・。とくに是枝作品は苦手である。世間的には評判がいいのは知っているが、私の評価は星3.0。
坂元裕二さんの脚本もよかったし、ラストで流れる坂本龍一さんの遺作曲も素晴らしかったけど、私にとっての映画の時間は、エンターテインメントに限る。
とりわけ、制作者が鑑賞者に答えを委ねたり、あるいは作者の意図を理解してみろといわんばかりの、ややこしい映画志向は好きにはなれないのである。今回も行こうか行くまいか迷ったけれど、安藤サクラさんが観たくて行ったが、やはりお金出してまで観なきゃよかったと後悔をした。
いくつかのYouTube解説をみて、もやもやしていた大方のなぞ(フランケンシュタインと銀河鉄道の夜や)は解けたけれど、主役麦野湊の母(安藤サクラ)も担任教師である保利先生(永山瑛太)も全く救われていない、後味の悪さだけが私には残ったのだった。なので、世間になにを言われようとも、私の評価は低い。LGBTもめんどくさいわ・・・。やはり映画はスキッとしたエンターテインメントに限るなあ。
よく知らない理解できないものを怪物という
噂話と目にした出来事だけを信じ、さらに凝り固まった固定観念によって、人がより恐ろしい怪物に見えてしまう。
不穏なストーリーが進む中、子供たちが現実社会から離れて無邪気に遊ぶシーンは切なく美しい。
「立派な大人になって家庭をもつ」「男は男らしく」という何気ない言葉が人を追い詰めてしまうことがある。
生まれ変わらなくていい、君はそのままで生きていいんだよ。と言いたい。
それぞれに大切なこと、守りたいものがあって、そうすると見えなくなる...
それぞれに大切なこと、守りたいものがあって、そうすると見えなくなるものがあって、、
自分は分かってる、見えてる、なんて驕りでしかないんだなあ、、と自戒。
悪意だけでできている人はいないという希望と、自分ではどうにもできない不可抗力感と、、
とりあえず息子をもつ母として、ザワッザワしながら見ました!
解放感とアハ体験
これから見る人は何も前知識入れずに観に行ったほうが楽しめるかと思います。
多視点といえば客観的な事実はそのままで断片的な情報をつぎはぎで全体が見えてくるというような手法がよくありますが、記憶の中の映像のように、主観入りというか人ごとの見え方の違いをそのまま映像にしているので全体をみるには見る側の解釈が必要になってくるのが面白い手法だと思います。
不信感があると見えてないものが見えてしまうとか、
自分が熱中時代並みの教師像だったりとか
女子にモテるだけでちょっとしたイジメにあうとか
人の思考過程とかあるあるを通してうまい具合に人間を描けてるなあと思います。
この映画の弱点と感銘
(完全ネタバレですので鑑賞後にお読み下さい)
※本来の長いレビューを書く時間が最近ないので、短く
結論から言うとこの映画『怪物』は非常に感銘を受ける映画だと思われました。
しかし一方で、特に前半に欠点もはらんだ映画だとも思われました。
この映画は前半、映画『羅生門』のように、シングルマザーの麦野早織(安藤サクラさん)、小学教師の保利道敏(永山瑛太さん)、小学校校長の伏見真木子(田中裕子さん)のそれぞれの視点からほぼ明確に分かれて描かれます。
つまりシングルマザーの麦野早織の視点から描かれていた時は、小学教師の保利道敏や小学校校長の伏見真木子はどう見ても悪人に見えるのですが、小学教師の保利道敏や小学校校長の伏見真木子の視点から描かれると全く違う印象が生まれるという描き方です。
しかしこの描き方は、視点が変われば違う見方になるとの相対的な面白さはありながら、ドラマ性としての面白さは落ちてしまうとの欠点があります。
なぜなら、それぞれの視点で違う見方があるとの描き方をするには、それぞれの登場人物の直接対立を巧妙に避ける必要が出てくるからです。
事実、校長室でのシングルマザーの麦野早織と、小学教師の保利道敏や小学校校長の伏見真木子との直接の対決は、小学校側が謝るばかりで巧妙に避けられています。
実は私達は、人が集まればそこで(それだけではないのですが)対立が大なり小なり発生し、価値の優劣、つまり上下関係が派生します。
そしてこの対立こそがドラマ性だと思われるのです。
この映画『怪物』は、前半で巧妙に直接対決が避けられ、それぞれの(今回重要な)事実性の価値優劣上下関係が発生しないように作られています。
これがこの映画の特に前半のドラマ性の低下につながったと個人的には感じられました。
個人的には、前半は普通にきちんとシングルマザーの麦野早織と小学教師の保利道敏や小学校校長の伏見真木子と直接対立させる脚本構成の方が良かったとは思われました。
そうすれば後半の麦野湊(黒川想矢さん)と星川依里(柊木陽太さん)の2人の美しい世界がさらに際立つ傑作になったのではと思われました。
前半の事実性の優劣上下関係を避ける脚本は、個人的には作品全体としては惜しい描き方になってしまったとは思われました。
直後は何も語れない映画
事前の情報無しに観に行きました。観た直後(エンドロール)では「この映画は何を伝えたかったのか?何を感じさせたかったのか?」理解が追い付きませんでした。感想を言葉に出来ませんでした。※それは決して退屈な作品と言う事ではありません。
またエンドロールではじめて「あの先生って瑛太だったの」とわかりました。どこかの実力派舞台役者かと思ってましたがそれ程、瑛太は怪演でした。いや、みんな役者は素晴らしかったです。やっぱり是枝監督は「素材を活かすのが上手いな」と思いました。
自分の感想を整理出来ないまま、ネットやユーチューブなど様々な考察を見聞きする中で、徐々に整理され、考察を聞いてく中で映画のラストシーンを思い出して涙してしまいました。感性が低い人には理解は難しい映画ではないでしょうか。
ラストは
そーゆー事?先生と安藤サクラ、土砂崩れに飲まれた?
怪物誰だったんだろ。
怪物は真の中村獅童としか思えない 。
途中だれてつかれた。
瑛太のクズ役って右に出る者がいないのに、観てたらそんな悪い役じゃなかった
いじめっ子のガキがイライラした。特にのび太タイプの、見た目のいじめっ子って鬼畜そう
少年時代
大人は誰もが通過している時代の描写はさすがでしたね。
第一次反抗期が終わり、独自のアイデンティティを獲得しようと、混沌の中で出会うお互いに寄り添える友達。
集団社会との関わりに戸惑う気持ち=自分の正義の前で足掻く少年。
我々も社会の一員になり初めはあの場所にいたのかもしれんなと思い鑑賞しました。
忘れてしまった心を思い出すには老いてしまったようだけど。
子供たちが絡むいくつかの出来事、 誰の目線で観るかによって見え方が...
子供たちが絡むいくつかの出来事、
誰の目線で観るかによって見え方が全く異なる、保護者/教員/子供ら自身…
終わりまで見て、あとでもしばらく考え込んで、やっと合点がいく、緻密で深い映像でした。
納得感があった物語、最後の坂本龍一教授のピアノ、沁みました。彼の最後のサントラですね。
いつまでこんな事が続くのか。
こんな切ない話ってあるのか。
映画が始まってから中盤までとにかく気分が悪くなるシーンが続く。息子ラブな拗らせシングルマザー、組織対応を勘違いしている学校、切り抜き取材のマスコミ、どこを切り取っても「怪物」しか現れない状況にウンザリしていると、ストーリーは意外な展開に転がり始める。
大人の汚れた手で汚され始める少年たちの心を洗い流すような嵐。そして嵐の向こうに広がる眩しい景色。
ふたりの未来が光に満ちていたらいいけれど。
傑作
公開日に観に行ってから今日までに5回観に行きました😅
最初は少し難しいと思い、考察を見るとなるほどそういうことかと理解することが出来ました。
そこから、友人とこの作品を共有したいと思い様々な人と足を運びました。
シナリオブックとノベライズを読んだ後の4回目が1番沁みました。
観終わった後にここまで語り合える映画は今までなかったです。
自分の中の邦画ベスト1になりました。
脚本、音楽、演技、全てが最高峰。
最初、保利先生はすごい先生だ、、、、と。
しかし2幕、3幕と進んでいくとどんどん視点が変わっていきラストシーンはとても切ない、けど愛おしい演出でとても好きです。
湊と依里のシーンはずっと観ていたいほど素晴らしい演技、雰囲気。
小5の難しい年頃の感情をうまく表現していてこの2人には拍手です。。すごすぎる。。
また、田中裕子さんのセリフも色々考えさせられました。
公開からだいぶ日も経って、本数も減っていますがまた行きたいと思います。
「怪物」 最高です。
怪物になれなかった子どもたちのために
「怪物だーれだ」という不気味な予告が印象的なこの映画は,1つの事件に多角的に光を当て,黒沢明監督の『羅生門』的な構成で進行する。1つの物事をさまざまな角度から見せられると,自分たちがいかに狭隘な視点で世界を見ているかを気づかされる。戦争が「正義と悪」という二項対立で片付けられないように,現象は簡単に割り切ることはできない。人は世界を自分の見たいように見ているという「認知バイアス」は誰しも心当たりがあるだろう。SNSの世界では特にその傾向が顕著だ。子供に体罰を加えたとして謝罪する教師(永山瑛太)は,母親(安藤サクラ)のいるその場で飴を口にするが,あの行為は実際に起こったのか,それとも母目線ではそういうふうに見えたのか。常識的に考えれば,謝罪の場で,教師が飴を口に入れ,噛み砕くことは(おそらく)ありえない。もしそのような脚本があれば「リアリティがない」として修正されるはずだ。しかしこの映画にはその「ありえないこと」がいくつも書き込まれている。さらに,教師の口調や態度もおぼつかない。下手な役者の演技を見せられているようだ。しかし,これらは母親には「そう映った」という認知の表現なのではないだろうか。「実際に起こっていないこと」も映画は描き出せる。幻や想像,過去や未来として。もちろん「認知バイアス」をその系で表現することも可能である。映画が終わっても,作品世界の事件は解決しないし,解釈は観客に開かれている。悪く言うと物語の構造は「ネグレクト」されている。多くの物語には起承転結があるが,この映画にはそれどころか着地点がない。だから見終えたあとにもやもやした気持ちで,劇場をあとにする人も多いだろう。本作は割り切れない現実のリアリティを提示しているように思える。そして,大雨警報の発出された夜に,子どもたちが打ち捨てられた電車に乗って新しい世界へと「出発」するラストシーンはまるで『銀河鉄道の夜』のように美しい。光の中へ駆け出す彼らは怪物だらけのこの世界から抜け出すことができたのだろう。それがどのような救済だったのかは定かでないが,『銀河鉄道の夜』の風景を想起させられた私はそこに死を読み取った。真実はひとつではない。物事を単純化することに警笛を鳴らす鉄道は,邦画の次元をひとつ繰り上げることに成功した。第76回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に選出され,「脚本賞」と「クィア・パルム賞」の2部門を受賞。脚本は坂元裕二。
それぞれ目線良かったが…
是枝作品の中では自分は余り評価出来なかった。題材の怪物がいけないのかそこまでの踏み込みしてないし坂元脚本で期待しすぎたかな…子役は演技良かった。特に柊木陽太将来楽しみ。この監督は子役探し上手いな!
ほんとっ「怪物誰だ~」
鑑賞し終わっって『なかなか~』ってまず思いました。
まずファーストカットで集中して観ないと、思わせられました。
緊張感があり重みがある画でした。
是枝監督は本当にうまい監督なんだなと思いました。
幻の光の頃は「何かイマイチ」って思ってましたが。
今の是枝監督は感覚的なところと、理責めのところがうまくミックスアップしてる感じがしました。
万引き家族が未鑑賞なので観ないといけないなと思っています。
良い脚本を活かす構成力。
丁寧によく考えられていたと思います。
時系列どうりでない構成ですが上手く纏めているので、わかりやすく違和感なくスッとお話が入っってくるのは監督の技だと思いました。
前半のケレン味のある感じから、後半の自然な感じ。
誘導もうまく色々と観客に考えさせるうやりかた。やりすぎると鼻につくかもしれないので、丁度のいいところを押さえられている感じがしました。
そういう演出的な部分もさるところながら、監督の特性なのでしょうか、子役がとても良かった。どういう指示を出してるのだろうと思いました。
どの役者とても良かったのですが、一番目を引いたのは瑛太です。
ホントいい役者。彼のあのなんとも言えないアンニュイ演技。素晴らしいなと思いました。
後半残り1/4くらいから「どう終わらせるのかな~」と思って観てましたが、終わってみて「この終わらし方しかないよな~」と思いました。こういうのって「なんだ結局これか」と思ってしまうことが多いのですが、この映画はスッと納得できました。
今の時代には刺さる内容で、とても悲しいです。
こういう内容は映画の題材になりやすいので、
その目新しさは無いのですが子供でやってるところが『なかなか~』と思わされました。
時代と噛み合ってて『これだけの映画そりゃ賞取るよね』と思いました。
悲しい映画です。
少し経ってもう一回観てみたい気もします。
是枝監督の限界
カンヌ国際映画祭パルムドール受賞等など、輝かしい実績を誇り、今や日本を代表する映画監督といえる是枝裕和監督の最新作ですが、私自身は、これまでの是枝作品で満足感を得たものはありませんでした。どれもせいぜい半径500m圏内の出来事をこじんまりとまとめていて、映画館で観る映画としてのスケール感が圧倒的に乏しく、深い奥行きと広大な立体感がしないという感想を抱いてきています。
残念ながら、世評極めて高い本作も同様の印象を持ちました。
本作は3部構成で、1部は母役の安藤サクラ視点の一人称映像、2部は永山瑛太演じる教師・保利視点の一人称映像、そして3部は息子・湊視点で描かれます。視点が変わることによって事象の事実関係の捉え方が全く異なるという、70年前に製作された黒澤明監督の名作『羅生門』に相似するコンセプトであることは、多くの方も言われています。
但し私が思うに、是枝監督が描きたかったのは3部の子供目線での真実の世界で、寧ろ全ての子供に根差す、無邪気な猟奇的残虐性を抉り出して曝け出すのが狙いだったように思えます。私には、世間から殆ど注目されなかったフランス映画『小さな悪の華』(1970年)に通底するように感じました。
大人を客観視して醒めた眼で眺め、諦観し、蔑視する。そして人の生き方に対しては、冷ややかで乾ききったアナーキーで孤独な価値観を感じさせます。でも、本作は、その原点を辿ったり、顕わに曝け出そうとはしません。ただ淡々と映し出すのみです。
坂本龍一の美しく、物悲しい旋律は、専ら人物の心が激しく動揺する時に奏でられます。その静かな曲調とはアンビバレントな使われ方で、観客に、歪曲した人の心を無自覚的に感じさせる効果がありました。
諏訪湖の周りにある、閉鎖的で、空気が重く澱んだ小さなコミュニティーの出来事を通じて、湖水、水道、雨、諸々の”水“で覆われ、”水“が全てを流していく中で、子供の心の深層を描いていると思います。
多くの人が絶賛している校長役の田中裕子の無気力・無感動・無責任の演技は、視点が変わる3部各編を通して唯一、一貫して不変であり、子供と大人の対峙、葛藤を子供視点で描く際の、大人の象徴として捉えられ、彼女こそ本作の真の傍観者であり、語り部として位置付けられているのではないかと感じます。
ただ、125分の間、メリハリがなくダラダラと日常が描かれる展開で、あまりにもテンポが緩慢過ぎます。そもそもクライマックスがなく、シーンの中にアクションも、ラブロマンスも、謎解きも、どんでん返しも一切なく、無論美しい自然描写もありません。観衆をワクワクドキドキさせる、或いは笑わせる、泣かせるといった映画的な娯楽要素が全くない一方で、映像としては寄せアップがなく、やや引き気味のカットばかりなので観衆にとってはドキュメンタリーでも観ているような単調な映像を延々と観させられるという、かなり退屈で、それでいて難解な映画、というのが私の率直な印象です。
子供の心、大人は知らず。ただそれだけの話し
子供はただ楽しくやっているのに、誤解した大人たちがいたずらに騒ぎたてる。
という映画。
これを凝った作るにしている。
観ていて冷めてしまった。
大人も子供も怪物ではありませんでした。
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