偶然と想像のレビュー・感想・評価
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圧倒的な傑作
圧倒的な傑作。
会話劇で、セリフ量はかなり多いはずなのに、それでも能動的に見させる作りになっていることこそ映画のマジックなんだと思う。画面の中にたくさんの情報があふれてる。類推させるだけの何か。類推させようとする何か。その仕掛けがたくさんなされているから面白い。短編同士でリンクしていないようで通底しているところはリンクしているし、前菜・副菜・メインのように、盛り付けが高度(時間の概念が長くなる)になっていくところも良い。
1話。タクシーのシーンの美しさ。どこであんな長回しが撮れるんだろう。恋バナの後向かう場所。そこから始まる怒涛の会話劇。素晴らしい。古川琴音が演じる役、自分だったら絶対面倒くさくて関わりたくない女だけど、この男なら関わっちゃうんだろうな…と思わせる説得力が男性側の佇まいにある。急なズームも良い。
2話。セフレは教授のこともともと好きだったんじゃないかな…。教授の佇まいの品の良さと、出てくる言葉の品の悪さのギャップに笑う。未だに大学教授はそのドメイン使いがちだからね・・・。面白い。
3話。偶然が過ぎる。覚えていてもいいような気がするけど、時間の経過とはそういうものなのだろう。それでいて、関係性が如実になってもせっかくだから…となるのも確かになぁとなった。
会話とはセックスである。エロい。最高の映画体験だった。
会話の内容が入ってこない。
偶然と想像が織り成す独立した3つのストーリーで描かれるオムニバス作品。それぞれ掘り下げたらおもしろそうだけど、ほぼほぼ1対1の会話劇が続くので正直退屈してしまった。濱口監督のスタイルなのか、うまい役者さんでないと大惨事になりかねない抑揚をつけない独特のセリフ回しも、確かに印象的ですけど私はハマらずです。
3本ともなかなかマニアックな展開で要は、偶然は必然であって、想像がいつの間にか現実になるみたいなことなんですかね。3本目の「もう一度」はまさにそんな感じでした。
オムニバスなのでテンポはいいはずなんですけど、なんかやたら長く感じてしまった。会話の内容も途中から興味なくなってしまって惰性で聞いてました。
濱口竜介の世界観
あり得ないような偶然と想像をテーマに異なる3つの物語がオムニバスで紡がれる。全体的な評価は3.5だけどそれぞれ評価が異なるので以下3編をそれぞれ細かく書きました。
1.魔法 ★★★ 3
タクシーの後部座席での女の子二人の恋バナ。
カメラの長回し、膨大な台詞の量、哲学的な台詞…冒頭から濱口イズムがガンガン溢れてるよね。ドライブマイカーでも車の後部座席の会話が重要なシーンだった。別れた恋人が親友といい感じとか聞くと誰もがモヤモヤするよね。そのなんとも歯痒い気持ち、わかるよ。主人公の女の子古川琴音ちゃんの独特の空気と話し方、適役だわ。
2.扉は開けたままで★ 1.5
大学に通う、娘もいる主婦が同じ大学の男の子とセフレ関係にあり、その男の子に懇願されて大学の教授を陥れるハニートラップをするも、全く違う展開に…最後に重大なミスを侵して本人は離婚し、教授も大学を辞めるというストーリー.あの大学生の男が不幸になればいいのに。
申し訳ないけど、この設定が生理的に受け付けない。劇中の教授のセリフにあったように、不倫とかハニトラとか下ネタを中盤に挿入することにより程よいスパイスになるけど、私はどうも拒否反応がでちゃうんですよ。評価0だったんだけど、教授がいい人すぎて、あの録音のシーンとかなおと教授のやり取りが面白すぎてそこで点数アップです。教授、仙人か!
3.もう一度 ★★★★ 4
三章では舞台は変わって仙台に。中盤のどんでん返しに爆笑!うそ、こんなことってあるの?ってな偶然と、会いたかった人に相手を見立てて話をするという“想像”
彼女たちは40代、この年代に差し掛かると人や主婦には響くんじゃないかな。二人の思いがけない邂逅が胸にジーンとくる作品だ。
“時間に殺される”っていい表現、これ、現代人のほとんどがそうだよね。
「トライメライ」などをはじめとするクラシックピアノがいい。
ああまあだった
会話をずっと聞いているので眠くなる。特に第1話は雰囲気がとても悪い。あんなふうに議論を吹っ掛けられてばかりいたらどんなに好きでも続かない。第2話は、そんな程度のことでクビになったり離婚したりするだろうか。するかもしれないけど、まったく間違いが許されない恐ろしい世の中だ。第3話は相手のことをお互い自分に都合よく勘違いしていたのがあり得そうで面白い。
第2話と第3話は子どもを持っている女性が、人生が子ども中心にならない。あまり子どもに対する気持ちがなさそうだ。
第3話、高校生の息子が好きなアニメのフィギュアをリビングに飾るか? 変なやつ。
最高の会話劇。
3本とも着想、展開、素晴らしいと思った。
徹底した脚本の面白さなんだと思う。
映画なんだから映像的なアイデアがあるともっとよいと前作でも思ったんだ。
あとああいう棒読みセリフが好きな監督が時々いるけど、シーンによってはまってる時とそうでない時があるような気がする。
僕は読み合わせ、役作り、練習方としてアリだと思っているけど完成形としてはやはり観ずらいと思う。
正直3本目は少し眠かった。
映画ではないラジオドラマで十分
棒読みのセリフ・演技をしない役者、そして私小説的テーマ、始まって5分で目をつぶってしまった。それでも最後まで全く困らないラジオドラマだった。映像で物語る黒澤の私小説的映画「夢」と正反対
3作とも素敵です!
古川さん、やっぱいいですね!
喫茶店でのシーン1、シーン2面白かったです。
作家とのやりとりシーン、とても素敵でした!
20年ぶりの出会い、間違いだった!
2度目の出会いシーン、よかったです。
二話目、抑揚の少ない話し方で気付く、言葉が本来持つ力
本編前の映像で、監督が気楽に観てって感じの事をおっしゃっていたので、言われた通りに気楽に観ました。
『魔法(よりもっと不確か)』
最初のタクシー内での芽衣子とつぐみの会話、よく有りそうな感じなんです。
だけど、面白い考え方が所々に挟まるから、長くても飽きないんですよね。
それから、場面を移したオフィスのシーンは、カズと芽衣子の強い言葉の応酬。
ここは、考え方の面白い台詞の連発で、楽しかったな。
この話の最大の偶然は、女子社員の戻ってくるタイミングですよね。
このタイミングがずれてたら、違う未来になっていたよね。
『扉は開けたままで』
この話の瀬川と奈緒の会話のシーン、渋川さん演じた瀬川は抑揚が少なく感情がこもらない話し方なんですよ。
そして、その話し方で奈緒の事を次々と自然に肯定していくの。
ここのシーン、私は感動したな。
それでね、話の上手な人って、抑揚の付け方が巧くていろんな感覚を使って、人の心を動かすじゃないですか。
逆に言うと、瀬川の話し方で感動したというのは、これは言葉の持つ本来の力だけで心を揺さぶられたんだと思うの。
心揺さぶられたから、最後の結末は残念だったな、そういう映画だから仕方ないんだけど。
『もう一度』
これは、会話が自然なの。
なので、無さそうで実際無いだろうって話なんだけど、なんだか有りそうって思えてくるんですよね。
三本とも面白かったから、これからも楽しみです。
出来るだけ前情報を入れずに
短編オムニバス(三話立て)という形式、正直「どうか?」と半信半疑で挑みましたが、結論としては三話共に丁度よい尺と面白味でなかなかの満足度でした。
公式サイトやトレーラーは見てもいいと思いますが(私は全く見ずに挑みましたが)、一部の紹介サイト(当サイトを含む)や記事の解説はやや説明しすぎ。短編ですし、この偶然性を前もって知ってしまっていることは勿体なすぎです。
劇場でも特に渋川さんや占部さん、河井さんなどのベテラン勢が演じる二話目、三話目では時折笑い声が起きるほどの意外な言葉や展開があり、これは出来れば前情報少な目でご覧になることをお勧めします。
人の関係性、距離感とそこで交わされるコミュニケーション、濱口作品は脚本(説得力のある言葉と論理)と役者への演出にもつながる「本読み」が観ている側へ程よく想像力を持たせてくれて最後まで面白く感じさせてくれます。
私は、特に第二話の『扉は開けたままで』の渋川さん演じる大学教授で作家の「瀬川」がとても良かったな。彼の言葉には言われている奈緒でなくても救われた気になれます。
「女性」を描きながら、言葉で表される以上の何かを描いている映画
すごい映画観た。三本の短編映画で構成されている映画なのだけれど、三本ともすごい。そりゃ、今年の邦画ベストワンだとすでに決めていた「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督の作品だし、期待を胸にふくらませて映画館に行ったわけだけれど、想像を上回る出来の作品。今年観た映画のベストワン。濱口監督は女性の描き方が本当にうまい。これまでの作品を観ていれば、そんなことは分かりきったことなのだけれど、もうそう表現するしかない。女性というモデルを描写するのではなく、あるシチュエーションの中に落とし込んで、女性という本質を持った人から想像の上を行く行動を引き出している感じ。登場人物たちを言葉で表せば、一本目の小悪魔、二本目の悪女、三番目の中年女性と野暮な言葉になるけれど、それらのくくりにとどまらないような、彼女らの感情のほどばしりと動揺と自分たちにも分かっていない行動の意外性が、観客の度肝を抜く。これこそ映画としての「女性」の描き方だなあと思う。成瀬巳喜男や増村保三とも少し違う。「ドライブ・マイ・カー」も言葉で表す以上の何かを映画で描いて、画面に刻み込んでいたのだけれど、この三つの短編はその言葉にならない「女性」というか、人間の感情と行動を見事に描いている。一見、普通に撮っているようでいて、抑制された的確な演出、脚本のプロットの巧みさ。本当に映画の表現力の素晴らしさを感じさせる映画作家だと思う。今年のベストワン映画としたい。
濱口カラーに彩られた“組写真”コメディ
『偶然と想像』(英題:Wheel of Fortune and Fantasy)。
国際的評価のあとからでないと評価がついてこない日本映画界の優柔不断さはいつものことながら、それは置いておいても、ある意味でこれからのエリート街道まっしぐらの濱口竜介監督である。
カンヌ国際の脚本賞や国際映画批評家連盟賞などを受賞した『ドライブ・マイ・カー』は、個人的には3時間の長尺にビビりつつも、観終わって納得。年明けのゴールデングローブ賞やアカデミー賞のノミネートもウワサされている。
そして『偶然と想像』も濱口監督作品であり、ベルリン国際映画祭で“銀熊賞”(審査員グランプリ)を受賞した。年に2作品も国際映画祭の主要賞というのが快挙である。
本作は、まるで映画の“組写真”とでも呼ぶべき短編(40分×3本)で構成されたオムニバス形式。長尺の『ドライブ・マイ・カー』とは正反対だ。
短編オムニバスは毎年いくつか企画されているが、ほとんどが玉石混交の企画倒れのことが多い。それは複数の有名監督を並べただけが多く、プロデューサーの“独り善がりのお題”に、監督たちの消化(時間と予算とやる気)が追いつかないだけのこと。
対して本作『偶然と想像』は濱口監督ひとりが自らのコンセプトで独自カラーを出しきった、まとまりのある“組写真”としての完成度を見せてくれる。脚本の評価が高い濱口監督の面目躍如といえる、じつに独自色のあるエンタメ作品に仕上がっている。
構成される3作は、女友達が“いま気になっている”と話題にした男性が、2年前に自分の浮気が理由で別れた元カレであることに気づく『魔法(よりもっと不確か)』。
『扉は開けたままで』は、50代にして芥川賞を受賞した大学教授に落第させられた男子学生が逆恨みから、セックスフレンドの女子学生を研究室を訪ねさせ陥れようとするが、教授の思いもよらぬ対応と、さらに観客も想定外の結末を生み出す。
オムニバスの最後は『もう一度』。同窓会をきっかけに、帰省した仙台で20年ぶりに再会した2人の女性が、高校時代の思い出話に花を咲かせるも、じつは名前も知らない他人同士で、意外な出会いが生まれる。
これらは人間性を突き詰めたマジメなコメディである。いずれも偶然性が生み出す再生・再会をテーマにしており、ひとつひとつ腑に落ちるシンプルさに笑える。最後に登場人物は前向きに人生をすすんでいく。
濱口作品に出演した俳優たちのインタビューなどで、その独特な演出方法のいくつかが漏れ伝わってくる。
素の演技を引き出すために、リハーサルであえて俳優の解釈を排除した棒読みのセリフを執拗に繰り返して積み上げていったり、映画本編では使わない直前のシーンカットを用意して、撮影前に演技させたりなど、俳優の実力を出し切るための様々な演出方法の工夫は興味深い。
結果として、監督が脚本で計画したとおりの登場人物がスクリーンに現れる。作品は俳優本来のリラックスした演技を楽しめる。『偶然と想像』ではセリフが長く、言葉が相当数あるにもかかわらず、長回しで多くのシーンを撮りきっている。見応えと没入感に納得感が伴う。
ベルリン銀熊賞にも関わらず、東京での上映は「Bunkamuraル・シネマ」のみ。東急のル・シネマ”が日本映画を上映するのは、同館が1989年に開業して初めて(33年!)というから驚きだ。
上映がル・シネマのみというのは、その作品性だけが理由ではない。実は、コロナ禍がもたらした映画館経営の危機回避のために始まったミニシアターのオンライン同時上映のトライアル作品であり、有限責任事業組合Inclineが提唱する『Reel』で公開される作品だからだ。
ところが「ネット配信と劇場の同時公開作品は、全国チェーン劇場から排除される」という業界の面倒なルールがある。
これによって昨年ディズニー作品がハシゴをはずされ、それ以降の同社作品は大ヒットから遠ざかっている。つまり“ミニシアター文化を守るため”という大義があっても、ベルリン銀熊賞の受賞であっても、本作の拡大上映はままならない可能性が高い。
限られたミニシアターが「満員御礼」になるという意味で目的は果たされるのかもしれないが、全国で拡大ヒットするかもしれない可能性は摘まれてしまう。ここに本意ではない、もどかしい現実がある。
(2021/12/17/Bunkamura ル・シネマ/Screen1/H-05/ビスタ)
独特な透明感
「魔法(よりもっと不確か)」が良い。
モデルの芽衣子(古川琴音さん)とヘアメイクアーティストのつぐみ(玄理さん)が、タクシー後部席で交わす会話に引き込まれた。
思わず脳内で芽衣子と同じようなツッコミを入れていました…が、ある場面以降、予期していなかった展開に 😳
玄理さん、この作品で初めて知りましたが、雰囲気のある魅力的な女優さんですね。
映画館での鑑賞
【言葉の持つ力】
「ハッピー・アワー」や「寝ても覚めても」、「ドライブ・マイカー」、脚本の「スパイの妻」でも感じられた濱口竜介さんの言葉の巧みさとか、言葉の持つ力を感じさせる作品だと思う。
この作品には、短編ということもあるが、大きな場面転換はほとんどない。
そして、説明も少ない会話劇だ。
観る側にも想像力が必要になる。
更に「ハッピー・アワー」や、「ドライブ・マイ・カー」でもそうだったように、綴られる言葉が、俳優の力を最大限引き出しているようにも感じられる。
それぞれ、
偶然のもたらす切なさ、
偶然を装うことによってもたらされた偶然の悲劇、
偶然ではなかったが偶然を装うことによってもたらされる希望が、
「偶然」を題材にとったかたちで、更に、ユーモアを多く盛り込んで、様々な物語が創り出(想像)されるのだ。
また、興味深いのは、主人公の相対する相手が、主人公の思い描いていた人物像と異なっていることに内心慌てている様がよく表れているところだ。”想像と違った”…とか。
どこか思い込みの激しい僕たちに重なるようで笑ってしまうし、タイトルと関連がないとは思うけれども、どうだろうかと少し考えてしまった。
こうした細かい言葉のやりとりや演出が、更に、言葉で交流する重要性を示しているような気がする。
※ ここ追記 → なんか棒読みって揶揄してるレビューあるけど、シチュエーション考えたら、演出として棒読みのように聞こえるんじゃないのかしら。突然、親友の彼氏が元カレとか、相手を陥れるつもりが…とか、名前思い出せないとか人違いとか…。
(以下ネタバレ)
心の中にずっと秘めていたことが、偶然によって葛藤を巻き起こし、選択を迫られた結果、吹っ切れた新たな一歩になっていく。
良からぬ計画が、別の形の交流になり、どこかで期待が膨らむが、変な偶然が、実は不本意な一歩になってしまう。しかし、最後のバスの中のシーン。他二作と違い、ちょっと暗示的な気がするのは、僕だけじゃないと思う。
偶然だと勘違いしていたことが、今度は偶然を装うことで、心のどこかにあった、わだかまりを取り去り、希望の一歩になったりもする。
昨今、TwitterをはじめSNSの影響なのか、紋切り型の文章や表現が多くなって、それは映画のレビューでも同様に思う。
でも、よく考えたら、思慮して話しをせず、感情に流されて言葉を発する人は昔からたくさんいたような気もする。
教養も影響するとは思うが、昔の人には教養とは関係なく、激昂して、言葉が短調になる人だらけだった。
まあ、きっと、この作品にも、合う合わないとか、キャクホンガーとかよく目撃されるレビューは出てくると思うが、さまざまな感情を、可能な限り言語化してみることは意味のあることだと思う。
自分の言葉で綴り自分を表現したり、多くの会話で相互の理解を深めたりすることは必要だろう。
ユーモアもあって、なんかとてもステキな作品だった。
三話目好き
ドライブマイカーの濱口監督作品✨
タイトル通りの偶然が引き起こすストーリー展開
三話オムニバス映画
長回し多いですね
ときどき、ドライブマイカーっぽいところありますね
男優の人たち、棒読みというか、感情をのせない淡々としたセリフ多いですよね
掛け合いとか、
台詞をただ言ってます的な
監督の意図だと思いますが
言葉をしっかり観ているものに伝える為なんでしょうかね?
いつもの渋川さんなら感情たっぷり演技な役者ですが、感情を殺した演技でした
役に合わせてなんでしょうけど
この中では、三話目のもう一度が好きなストーリーです✨
少しほっこりする感じが良い☺️
観ている方達も少し笑い声が
年配のご夫婦など
最後笑顔になっていて
それをみて映画館を後にする
映画も、観ている人たちも総合して、ちょっぴり豊かな気持ちになりました
おっ、そうきたかが充分楽しめた
短編集だし、ネタバレになりやすいから短く評すると、おっ、そうきたかの3連発でオチもすごく評価できる。たのしめた作品だった。
舞台挨拶で第1作目の3人の俳優の方が出てこられたが、先入観および予備知識ほとんどなしでみたから、見たあとでの舞台挨拶の方が、自分は良かったような気がした。
『ラブアクチュアリー』のように心が暖まります。
思いもよらない偶然で生まれたシチュエーションだからこそ、思いもよらない自分の心の声や、自分が本当に望んでいたことや言いたかったことを言葉にしてみる。そして、言葉にしてみたら、実はもっと違うことも見えてくる。
そんな経験は、たぶん誰にでもあると思います。
と思っていたのですが、昨日見た『私はいったい、何と戦っているのか』の主人公は言葉にしないのです。
すべて呑み込んでしまいます。
そうですよね。
そういう人もいるはずです。
もちろん、いいとか悪いということではありません。
自分の意思や心の内の表明は、表明しないことも含めて人それぞれの選択です。
※意見が言える言えないというのは、生来的な気質に負うところが大きいのかもしれませんが、『マトリックス』に象徴される広い意味でのシステム(コンピュータ世界というより社会体制や社会的な規範のようなもの)にがんじがらめにされている現代では、周囲の人たちからは、その人の気質でなく選択として受け止められてしまうと思います。だから精神的に病んでしまう人も多いのだと思います。
でも、この映画を見てると、もしかしたら間違ったこと、或いは思っていることと違うことを言ってしまうかもしれない、それでも、その時なりの精一杯の言葉を発することは何か思いもよらなかった違う何か、違う感情が生まれるかもしれない。それで一歩か半歩かは分からないけれど、少しは前に進める。
希望というほど大袈裟ではないけれど、生き方についての新しい何かが見えて来る。
そんなささやかな勇気が湧いてきます。
第一話
『街の上で』の青とイハの長い会話のワンカットを彷彿とさせるタクシー車内での会話がなんとも秀逸。
第二話
瀬川教授〜❗️
その後の人生が心配です。気になって気になって…
私の場合、佐川と聞くと急便よりも理財局長という言葉が浮かんで、いい加減にしろ❗️と血圧が上がってしまいます。
第三話
マスクが定着したため、『アレ?見覚えがあるな、あの人』と感じることが前より増えましたが、マスクをとったらまったく知らない人という可能性も高いのでやり過ごしてました。
でも、この第三話を見てしまった今、人違いかな、と思っても取り敢えず、声をかけてみようかな、という気分になってしまいました。
むしろ、間違ったままのほうが虎屋の羊羹をご馳走になれるかもしれないし…
クリスマスとは特段関係のない映画ですが、この寒い時期の映画としては、『ラプアクチュアリー』のように、とても心が暖まるのは間違いありません。
短編小説的な会話劇。
映画というより、舞台の演劇と解釈して観たほうが理解しやすい。
まさに短編小説を、舞台の会話劇にした恰好だ。
評価は分かれるかもしれないが、演劇として観れば、面白い作品といえるのかもしれない。
棒読みのセリフも演出なのだろうが、これも評価が分かれるところだろう。
映画として観れば、低予算映画に分類てぎると思うし、脚本でつくる映画といえる。
フランス映画のようだと言えば、そうかもしれないし、海外ウケはするだろう。
ドライブマイカーに次ぐ好作品ということで評価は落ち着くと思われるが、ぜひ劇場で確かめてみてほしい。
アクロバティックな対話ファンタジー小品集
おそらく何をやってもこの方法論で楽しく見れる、そんなスタイルを確立している濱口監督。しかし誰もがこうは撮れないな、という3つのエピソード。
日本人監督として、というか海外の監督としても稀な論理的対話のセリフ劇、哲学的対話〜からのアクロバティックな決着へ。起承転結で考えても見事だな。そしてある種異常でもあるし、ある種リアリティしかないとも言えるこのセリフ劇を普通にこなすメソッドひっくるめてなんだか「円熟」とも呼びたくなる軽やかを持った小品集だった。あのズーム!
恋愛も復讐も再会も、何気ないリアリティから始まって、たいがい予想していた相手が予想以上の何かであって、たじろいで、でも克服していく、まさにゆらぎのドラマのような気がした。吐き出したキャラクターのたくさんの言葉から、また別次元の世界が生まれてそこで決着をつけていく、まさにFortune and Fantasy。親密な関係では話せない個性的な悩み、異様な悩み、わだかまり、が他者(赤の他人)へだからこそ炸裂する、というか他者だからこそ踏み込める私的悩みがファンタジーを生む、というか。
ちなみに劇場内はいっぱいで、ゲラゲラ笑えるくらい盛り上がりがあったし、確かに笑えるのだけど、その笑いじゃなくてもっと巨大な穴にスポッと入るのと同時なのでよくゲラゲラ笑えるな、と思いつつ観ていた。
しかし、配役もよく考えられている。ここはそこそこのキャリアでなくては、という人とここは初々しくていい人で、というか。楽しんで創造してる感じがしてよかったな。
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