ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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無意識の物語と現実の苦しみの折り合い
いろんな感じ方の人がいると思いますので、あくまで私が感じた解釈で、ネタバレを含みます。
この映画では、音の物語(無意識内容のように性的でやや残虐、実際語った後の記憶が本人に乏しいと悠介が言っている)、みさきの母の別人格さち、高槻の突然豹変したような暴力など、何らかの解離を思わせる描写が複数出てきます。背景の家族歴は違っていても、おそらく家族の苦しみを、登場人物がそれぞれ抱えているように、描かれていると思います。
途中、高槻は悠介との車中で、音の物語のその後を語ることで、自分の闇に向かい合う決意を表明して(そうとはその時は悠介にはわからないのだけど)、舞台を去っていったように、私には思えます。
終盤でみさきが母に花を手向けて「単にそういう人だったと考えることは難しいですか」と悠介に呼びかけ、悠介が「正しく傷つくべきだった、でももう取り返しはつかない」と語り、現実の苦しみを苦しいまま受け入れて、生きる決意にたどり着く。
これらを台詞だけではなく、カセットテープの音声や、車、舞台、風景を巧みに象徴として用いながら、観客に解釈を委ねている、芸術性の高い作品と感じます。
小児逆境体験がある人物としては、みさきはやや個人的な体験をしゃべりすぎてるかな、と思う面もありますが、ぶっきらぼうで挑戦的な態度など、全体に描写が納得感あるものになっていて、フィクションとして許容範囲と思います。
私は心理的に妥当性を感じさせる、個人的なストーリーを、登場人物たちが統合してゆく映画はとても好きなので、その点でこの映画は非常に優れていると感じます。ベースになっている物語が、高い象徴性を備えている、村上春樹さんの作品であるところも大きいのだろうと思います。
また、映像の美しさも素晴らしかった。私は見て良かったと感じました。
綺麗
とても綺麗な映画でした。
そのおかげか若干普段より綺麗な文体でレビューします。
まず、映像がとても美麗でした。もちろんハリウッドのように良いカメラを使っているわけではないんでしょうが(存じませんが)、瀬戸大橋がとても綺麗でした。この映画を見るだけで広島に旅行に行きたくなりました。
次に、家福の奥様がとても綺麗でした。どなたかがおっしゃっていましたが、彼女がこの映画を支配していると感じました。出演はたった20分程度なのに。
そうそう、時間といえば、この映画はとても不思議な時間が流れていました。映画的時間とでもいうんでしょうか、とてもしっとりとして、ひんやりしてて、濡れたアスファルトのように感じました。それはきっと、主人公の言いようのない喪失感を表しているのだと思います。
あと、これは書いていて気づいんたんですけど、若者が一人も出てこないんです。一番若いみさきでさえ、人生に慣れてきた中年のような落ち着きがありました。
喪失というテーマを真っ直ぐに捉えたこの作品を必要とする人はきっと私だけではないと思います。ぜひ、多くの人にご覧になってほしいです。
私には無理でした
受賞で話題になっていた時に、映画館で鑑賞しました。
私には無理でした。
つらい3時間でした。
受賞と言うけど、自分の中では過去一つまらなかったです。
多分、私は映画が分かっていないんでしょうね。
村上春樹も読まないので。
村上春樹が好きな方にはハマる作品なんだと思います。
テーマも高評価コメントもマスターベーションでやっと理解!
見る前に、ここのレビューが5点と1点が多かったので怖いもの見たさもあって見ましたが、1点の方が正解だと分かりました。
亡き妻も、妻が語った物語も”マスターベーション”が重要なテーマの一つになっていました。5点の高評価コメントは、監督が表現していない事や、台詞に無い事を何故か盛りに盛って、「そこまでこねくり回す?」と呆れるばかりで、自分に陶酔しているようにしか読めません。つまりコメントのマスターベーション。
言葉が伝わるということ
最初に違和感を感じて、印象的だったのは、家福が演出家になって本読みをする時に、意図的に棒読みでゆっくりと練習させること。そのリズムは、家福とその妻、音との会話にも相似的なものが見られると共に、それ以外の部分にも、同じようなタドタドシイリズムが見られた。もちろん、家福の演劇が、手話も含めた多国籍の言語で書かれているから当たり前なのであるが、それは意図的に仕組まれているように見えた。また、家福に、このようなやり方だと、それぞれの演者が全体を把握して、初めてお互いのセリフが深い意味を持つようになるというようなことを言わせている。自分は、人間同士の交わす言葉も、相互が全体を知って初めて深いコミュニケーションができるようになるのだと解釈した。
人間には、見せたくない部分もどす黒い部分もある。決してきれいな部分だけではない。音のようにどうしようもない性的嗜好、ドライバーとなったみさきが土砂崩れで家がつぶれた時に母親を救出しようとしなかったこと、家福が妻の多数の男とベッドを共にしているのを知りながら、正面から向き合わずに、「愛している」と言いながら放置し続け、二人の関係が壊れてしまうのを恐れて家に帰らずに、結果、妻を死なせてしまったこと。しかし、人間は、間違っている部分や黒い部分も含めて理解しあって、より深い関係が築けるのだ。
演劇の方も、言語が別々なのにも関わらず、たどたどしい本読みをやり切って、お互いがそれぞれの言語やセリフを理解して、初めて有機的な繋がりを見せ、深いものとなっていく。
家福は、高槻からの「自分の心の中を深くのぞき込んで理解すること」が、相手と深い関わるために重要なのではという言葉に促され、自分が見て見ぬふりをしてきたことに向き合おうとする。その姿を見て、みさきも自分の過去の秘密を打ち明ける。自分の中の善悪ではなく、その人全体をそのまま理解してあげること。自分の感情に気づいてあげて、放出することの大切さ。それで、人間関係は深まりを見せていく。
今まで大切にしていたサーブは、家福独特のこだわりで狭い価値観の象徴。そこから解き離れて、自分や音を深く理解していく流れと、演劇全体が、機械的な記号的な言語から解き離れて深さと広がりをもって、世界に解き離れていく感じがリンクしていて計算されているように見えた。
最後、サーブをみさきが韓国の道を走らせているのは、家福には、もう古い入れ物は要らないから、彼が立ち直るきっかけを与えてくれたみさきに譲ってあげたものであろう。犬が2匹位乗っていたし。
また、特筆するべき脚本のすばらしさとして、サーブの中でセリフをテープで流すとき、その映画の流れを説明したり、家福の心に響くようなセリフが選ばれていること。これも、かなりの効果を上げていた。
同じような映画がみたことがないという点で、素晴らしい映画だった。
カンヌだけど
正直、長かった。話的には2時間で収まりそうな内容だった。多様性といったところで評価されたのかな。
あの演劇は実際にあるとしたら、どこかに字幕が表示されるんだろうか。いきなり広島から北海道って、指示がエグすぎる。モヤっとした終わり方も腑に落ちなかった。
ただ、1台の車を大切にする生活感は唯一共感できた。
評価:3.0
舞台が好きな人なら良いのかも
小説みたいな映画
と言うより言葉の力で見せていく舞台に近いかも
不倫を繰り返すし暴力で台無しにするなど、一般的ではない人間の理解・不理解がテーマなので変に複雑になっている
その割に最後は共感性のあるオチでガッカリした感じでした
3時間の割には微妙な作品
タバコ描写も多いので減点です
ちなみにヤフーだと直近100レビューの平均は2.6
☆1、2で50%越えしています
つまらなかったらつまらないと言って良いんですよ
車中、劇場、宇宙
カンヌ脚本賞ということで前々から気になっていたが、ようやく時間をみつけて鑑賞。
傑作だった。近年、日本映画でこんなに感動させられた覚えがない。それくらい胸を打たれる作品だった。
最初は、演技や演出に違和感を感じた。なんというか、不自然なまでに演劇調で、Netflixでみるの海外ドラマのような、現実に即した会話手法とはかなり違っている。日本映画の演技はよく「演劇的だ」と言われるが、それをさらに誇張した感じである。
ただ、主人公の家福が舞台演出家であることがわかり、彼の舞台も劇中に映る頃には、その演出が意図的であることが自明となり、その後はすぐに慣れた。中盤以降は、この演出方法がものすごく効果的に物語を動かす装置になると感じ、観賞後はむしろ、この演出方法じゃないと作れない映画だったのではないか、と思うまでに至る。クレジットに青年団が載っているのが見えて納得した。成り行きでこの形になったのではなく、全て計算づくだった。
少し調べると脚本家の大江が舞台出身だということを知り、さらに納得。近代日本の舞台の手法を、これほど効果的にスクリーンに持ち込んだ作品は、私が知る限り、この作品以外にない。
例えば、音楽の使い方も舞台と似ている。俳優の息遣いまで聞こえるよう、極力排した音楽。そして、時折訪れる、完全なる静寂。本作品の着想の元となったビートルズの「ドライブ・マイ・カー」のポップな曲調から与えられるイメージとは、全く相反する音響であり、そこがまた新たに想像の余白を生んでいるようでもあった。
舞台的な手法と対立的に使われたのが、車中の映像ではないかと思う。これだけは映画でしか成立できないものであると感じた。「車内」と「劇場」が混ざり合うように、劇場の席に座る観客であった私も、同じサーブの車内にいるような感覚になった。
映画の大半が「舞台稽古」というクローズドな世界で繰り広げられるにもかかわらず、広島、ゴミ焼却炉、北海道、バー、キュレーターの家、そして、車中。オトの不可思議なストーリーと、チェーホフの戯曲と入り混ざるようにして、様々な場所で様々な物語が動き、イマジネーションのパレットの広がりを感じた。
褒めてばかりなので、あえて難点だと思ったところを一つあげるとすると、それはタバコの描き方。「かっこよくタバコ吸う」は、現代が舞台の映画だともはやアナクロ。妙にアナクロ趣味が混ざるのはある意味日本的な気もするが、いい加減「かっこよくタバコ吸う」はもう、ストーリー展開の上でも不必要ではないかと思う。
私が感じた難点は、演出上のほんの一部分に過ぎないが、それ以外の脚本、演技、音楽、映像、作品を構成する全てが第一級だと感じ、感服した。
ビートルズ、村上春樹、チェーホフ、濱口竜介・大江崇允と辿っていくことで創出され、俳優たちが演じ、撮影されることで「ドライブ・マイ・カー」という一つの宇宙が作られたような作品だった。
期待したほど
面白くなかった。
いろんな国の言語の劇、今はこういうのが流行りなのか?と考えてしまった。
いろんな場面の転換が私なりの解釈ではハリウッドみたいで日本向けというより海外に目を向けて製作した、と感じた。
どこかか誰かのコメントか覚えてないが、西島秀俊は海外の監督作品にもチャレンジしているらしい。内容は‥‥?らしいが。もちろん英語に限らずペラペラ喋れるのだろう。
以前中国が舞台の作品に出ていたが、中国語が非常に上手く馴染んで喋っていた。
それでか最近海外進出という噂もある。
当たっているかどうかわからないが、こういうのが海外に受けたのでは、と思った。
ただ単にそういう人
相手はただ単にそういう人であり、
傷つくかどうかは自分で決めるのだ。
自分と向き合い、正しく傷つくことを、
3時間かけて丁寧に教えてくれる映画だった。
岡田将生さんの高槻、
自分を上手にコントロールできないのは
たしかに「社会人としては」失格だろう。
ただ、とことん向き合うことができる一面もある。
観た直後は感覚的に包まれました。
色んな人のレビューを読んで、
やっと言語化できました。
解らないけど、何故か退屈する事なく
3時間弱、最後まで飽きることなく観ることが出来ました。流石は村上春樹作品と言うべきなのか?
私には難し過ぎて、一体どう言う事??って感じです。
残された人は、色んな事実、感情を背負って生きて行かなければならないって事?
忘れたり、過去振り返らずに生きていく方が楽なのだけど、中々そう簡単に過去や故人を切り捨てる生き方は無理ですね。
色々と思い出し切なくなりました。
愛車はみさきにあげるのだろうなぁと思って観ていたけど、まさか韓国に移住しているとはビックリのラスト。
3時間しんどいかな~
と思っていたら全然苦にならなかった。
一つ一つの出来事を丁寧に描くと却って間が悪くなるのだが
いい間が取れていたと思う。
90点
なんだけど最後なんでかの国に行くわけ?
在にチの方だったから?
原作でもそうなの?
ここは要らない。
のでマイナス40点
8
アレックスシネマ大津 20220204
パンフ購入
スーパー駄作
観なきゃダメとも言えないし、もし、「万引き家族」や「半地下の家族」みたいにいい意味で期待を裏切られるかもしれないし、でも、三時間は長いよなあと悩み、上映館がなくなっていくなかで意を決して鑑賞しました。
苦行の3時間でした。何がいいんだろう?マジで途中退出したくなるほど苦痛でした。若い頃、『ノルウェイの森』を数行見て(読んでない)「なんだこりゃ?」と感じてそっ閉じした理由がよくわかった気がします。そうです。村上春樹は自分にとってのカール・マルクスです。分かったようなことは書いてあるんだけど、何が言いたいのか、表現したいのか理解不能という点で。資本論読んで素晴らしいと言っている人と価値観が違いすぎるので議論不能ってことと一緒です。
以下、ダメなところ。
・セリフしか存在しない。つまり、セリフが会話になっていないし会話が存在しない。それも一切。すべて。作中の結構な部分を台本の読み合わせ、テープとの練習?を含む、をやってますが、それがそのままこの映画でした。感情を込めると怒られるんでしょうか?すげえ演出でした。
・出だしの陰影とセリフがカッコつけすぎてダサい。エロくもなくただただ気持ち悪い。無駄でわざとらしい下らない自己満足な演出。自分ならどうするか、「音」だけにする。聴覚で観客の想像に任せる。その方がより深い表現ができる。U-18ギリギリを狙う。
・エロシーンが不愉快で気持ち悪い。たしかにこの作品の核心部分なのだけれど、はあ、そうですか。すげえ設定だなってことで。
・安部聡子さん、セリフが棒過ぎて素人さんだと思いました。結構なベテランさんなんですね。いや、彼女だけじゃないですね。演出なのかなあ?ひどい演出。あ、西島秀俊さん、空母いぶきや風の電話でも感じたままでした。
・時間軸がおかしい。広島から北海道までって自分の頭の中で地図を広げて行程を確認したが、現実と設定が一致しないんだよなあ。どこでもドアでも使ったのかな?
・取って投げ、
でも、いいところもあったので。
・岡田将生は良かった。特に広島でのオーディションシーン。あれはゾクゾクしました。それから、感情が切り替わるところや馬鹿っぽいんだけどなんか考えているようなところや素直そうなんだけど腹に一物的な、総じて人間の複雑さをキチンと演技していたと感じました。あれ?そうすると演出、、、、???
・BGMの使い方はよかったです。これだけで3時間、、、は辛いか。
自分には理解できない作品でした。ということで。
西島さんだから見終われた
なんとも観たことのない作品だった…
演劇のところが物語とつながっているの解るけれど私的には苦手な進み方でした💦
皆様の評価コメントが高いので観てるうちにのめりこみました が
西島さんの演技じゃなかったら
しんどかったと思います
どの人にも共感できず、感動したのでもなく ただ人、1人1人が、人生が、とか?考えるような❓ 作品なのかな
私には
難しかったです
生きるための答えを探す旅
幼い娘を亡くした夫婦の二十数年後。
主人公は昨日と同じ今日を生きる。
妻は「生きるための性」を探り
夫に秘密を持ち始める。
奪われた夫婦の存在と
二人が抱きしめ合う時間。
ゆっくりと進む物語に飽きはこない。
「間」は同化の時間に与えられ
主人公夫妻とドライバーの秘密が語られる。
ラストは新しい道を歩き始めた。
そう解釈した。
※
秘め事は墓場まで持って行こう!
なんじゃこら?と思って少し考えたが誰のための作品であるのかを。
そーなんです 審査員の為の作品
なかのいい夫婦が浮気相手を紹介したりするもんでしょうか?
噂になって仕事が無くなりそー。
相手が好きでも無く脚本を書くだけで男と寝ると言うのは、どうなんでしょう
辻褄合わせで死んでしまうので闇の中。
故人の秘め事を浮気相手と引き合いに出して競い合う、ありえないと思います。
個人的にパラサイト韓国映画は良作ですがパロディ目線で
本作も多国籍感を出して外国芸術作品思考に感じる。
ダラダラながーーーい作品でツッコミ所満載でも先が見えないスリラーでした。
何度でも見たい作品
鑑賞後のこの気持ち、映画を見たあとに感じるこの満足感は素晴らしい。
霧島れいかのウェットなんだかドライなんだか絶妙な声が魅力いっぱいに私の心を掴んだし、
西島秀俊は本当に素晴らしい役者だなと思うし大好きだし、
脚本の良さと映画全体の雰囲気とキャストのマッチ。
三浦透子という役者の良さをすごく引き出していたと思う。
映画のところどころの切り抜きがアート的で良かった。
そして、エンディングの音楽も良かった。
人生の辛さ、苦しさ、悲しさ
全部抱えて、きっとみんな生きてる。
死にたいくらい辛いと思っても、それでも生きてて
共感しながら胸が苦しくなるけど
生きてると自分自身の価値観も変わってくる。
あー、言いたい。
言いたい。
エンディングの音楽と運転する彼女。
きっと、そこに生きる希望があるんだと思う。
朗読
色々と賞を取った本作をようやく鑑賞。
気付きは多かったけど、退屈だった。
劇中の演出家が提示するような芝居をメインキャストはトライしてるように思う。岡田氏はちょと違うのかもしれないのだけど、女性陣は対応してたように思う。
ほぼ棒読みに聞こえる。
何も、そこに私情を挟まないような喋り方。
あまりに暇だったからやってみた。
Netflixで鑑賞してたから。
…これが結構難しい。
彼女達のような透明度が出てこない。
と、ある種、日本映画における革命を起こしたような本作。日本の演劇というか演技論を根底から覆したような手法に思う。
コレが全く影響を及ばさないのならば、なんだコレ?で済むのだけれど、コイツがまた水滴が落ちるかのような波紋を与えてくれる。
表情から読み取れない何かを、自分の中で補って人物達に補填してるような感じだ。
芝居っ気がないと端的に書ければいいのだが、そういうものだけではないらしい。
物語は随分と詩的な話だった。
村上春樹が原作だからなのかもしれないけれど、やたらに台詞が強い。言葉自体にエネルギーが備わってるかのようで主張が激しい。
だから、詩的だと思ったのかもしれない。
本作の芝居のカラーとは相性が良かったのだと思う。
ドライブマイカーって題名だけれどもよく出来てるなぁとは思う。
車ってのは確立されたプライベートな空間で、自分で運転し目的地を目指す。
生きてく事、そのもののようにも映る。
そのせいか、過ぎてく景色や、通り過ぎる描写が多かったようにも思う。一方向に進んでいく時間。
主人公はその運転を他者に託す。
運命共同体といえば大袈裟だけど、車の運転を任すってのは、ある意味自分の命を預ける事だとも思ってる。
途中から主人公は助手席に移るのだけど、どんな心境の変化があったのだろう?ただ、画面から察するに後部座席に乗ってるよりは、共に目的地を目指す感は強い。
多言語が入り乱れる舞台はなかなかにオツなものであった。考え方というか意図するものが面白くて…他者の台詞を自分のスイッチにするとかなんとか。
なるほど、そういう所はあるように思う。
コレを村上春樹氏がご自身の小説に書いてたのだとしたら、凄い観察眼だと思う。
中でも、手話を使う役者を投入するなんてギミックは、ホントに驚く。彼女がいるからこそ、この演出の目指すべきものが明確にもなっていくようでもあった。
言語による境界を無くす。
舞台上に和訳は提示されるものの、舞台で交わされるのは言葉ではなく感情だ。言葉は感情を表現するツールにしか過ぎず、役者達は共通し共有できるものがあるから、舞台という名の世界は動いていく、みたいな。
言葉に頼らなくとも人は分かり合えるみたいなメッセージだろうか?
手話が挟まれる事で、音すら必要不可欠なものではないという骨太なメッセージに変貌した。
なんちゅうか…当時の評価としては逆輸入感も強くて、日本の商業主義にウンザリする所もあったのだけど、村上春樹っていう小説家の世界観をビックリするほど落とし込んだ作品のようにも思う。
まぁ、問題は俺が村上春樹なんて崇高で高尚な作品を読んだ事がないって事であるのだが。
そんな感想を抱いた。
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