ドライブ・マイ・カーのレビュー・感想・評価
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自分は自分に身を捧げることができるか
物語に溶け込む自分と俯瞰してみる自分。不思議な感覚だった。妻が死ぬまでのシーンは妻がサインを出し続けていたことを示唆する上で必要であったと思う。もしかしたらサインは出ているのに気づかないふりをすることが多くあるのかもしれないとドキリとした。主人公は「演じるとは役に自分の身を捧げることである」と言っていた。役に息を吹き込み、それを生きる問いとして私たち観客に投げかけてくるこの映画はとてつもないエネルギーを持っていると思った。さて、自分は自分に身を捧げることはできているか。これからじっくり向き合っていきたい。(自分を知ることを正直怖いと恐れている自分がいることに気付かされた)
寡黙さと饒舌さ
「僕は空っぽなんです」
「自分が空っぽ」とは、どういうことだろうか?
何のために生きているのかわからないとか?
生きる意味とか? 虚無感とか?
「自分が空っぽ」って、見た感じ、中身がみっちりつまってますよ。
「自分を探しに」って、そこにいるじゃないですか。
いわゆる「火サス」とか「土ワイ」は、台詞ですべて語っちゃうのだから、誰が見ても同じ解釈になる。
ああ、そういう事情で、そうなっちゃったのね。
楽だ。想像を巡らす必要もない。
この作品、あれ、ちょっと台詞で語りすぎじゃない?と感じるシーンがある。
寡黙だった者が、饒舌に語り出すとき、観る者が、その饒舌さを削ぎ落として、本来の寡黙に戻していくと、そこに、生きる、生きていく、が、現れ出てくる。
このドライバー、天気の子で、RADWINPSをバックに歌っていた方だそうです。放り投げられたライターのキャッチを見れば、運動神経の良さがわかります。大学で数学を専攻したとか、もう嫉妬しかありません。
「哀」のみで3時間はきつい
アカデミー賞を取った作品は、娯楽作品ではないので、面白くないだろうと覚悟して見ましたが、それでも、喜怒哀楽の3つを排除して、全編を通して「哀」のみというのはきつかった。出だしは謎めいていて良かったし、子供を失う哀しみは想像したくもない悲しい出来事とは思うが、3時間ドラマにする必要があったのでしょうか。配信でも観られたんですね。映画館に行って損した気分です。
自分の人生の舵取り
自分の人生に起きた事、傷つく事を恐れて目をそらすのではなく、ちゃんと傷つき、悲しみ、相手のいる事なら相手にぶつかる勇気と覚悟が必要。相手を思うようにすることなんて所詮無理である事を認める。その上で自分の人生を生き続けて行くことが、その後を明るくする処世術なのだと受け取った。
そしてあの世にに行って神様に、こんなにも辛かったんだと愚痴ればいいと。心に響く映画だった。
ゲージツ
映画館に足を運ぼうかとも考えたが、
既にBDがリリースされているし大画面の迫力を求められる内容ではなさそうなので、BD観賞。
結果オーライだった。
基本的に私はアカデミーと好みが合わない。
だから、大きな期待はしていなかったが、想定よりはつまらなくはなかった。
それでもラストには首を傾げざるを得なかったし、
妻の不貞を巡る人間模様にはずっとモヤモヤした感情が渦巻いた。
また、延々続く芝居のリハーサルシーンには辟易した。
何より嫌だったのは必要性の感じられない喫煙シーン。
ただでさえ暗めなトーンばかり続いて気が滅入るのに、サイアク。
私にはゲージツはわからないと改めて感じた。
村上春樹は全く読んだことはないし、あまり興味もない。
今回は原作を読んでみたいという気にもならなかった。
人間の心の中は分からない
今更ですがリバイバル上映で見ました。
成程アカデミー賞をもらうのも頷けました。
最初興味なくて見逃した事を後悔しました。
原作小説は読んでいませんが、とにかく人間の深層心理に響く感じですね。それだけに怖い。
村上春樹の力とそれを上手く映像化した監督の力なのでしょうか。
人間の心の中は誰にも分からない。
何故そうしてしまったのか、怖くて聞けない
本当の事、何故あの時聞かなかったのか、聞くと関係性が壊れてしまう、それが恐ろしい。
でも後悔する位なら聞いておいた方が良かった。失って初めて分かる葛藤。
主人公の俳優兼演出家、仕事で主人公の車を運転する事になった若い女性ドライバー、
色々トラブルを起こす血の気の多い若い俳優、
三者三様の物語。他にもあるが皆何かを抱えている。心の中の葛藤を暴露してようやく自分を見つめ直し次のステージに進める、その苦しい感じが胸に痛い。その気持ちが泣けてくる。
それと演劇には疎いのだが演劇祭を通じて演劇の世界を垣間見た気がする。
特に手話を使う演者の演技を見て手話の会話は分からないが何故か泣けてきた。訴えかける力を感じたからだろう。劇中劇なのに演劇祭に心打たれた。生で演劇を見るのも良いかも知れない。
3時間超えの長い映画なのでオマケ映像と言うほどでは無いが最後のシーンは色々意味深。
是非見てご自身で解き明かして欲しい。
あとトイレは上映前には行った方がいい。
上映中我慢できない人が何人か出入りした。
本編には関係無いけど、コロナ禍の数年前に
安芸灘大橋とかとびしま海道、主人公の泊まっていた呉市御手洗地区など家族旅行でドライブした所なので懐かしくなりました。例の駐車場も行きました(実際は和食レストランと土産屋の駐車場)。石の常夜灯のある所です。
海も景色も本当に綺麗で…
静寂の存在感
常に鳴り響くSAAB900のエンジン音や本読みの声が、みさきの故郷である北海道の寒村の雪景色やユナの手話演技によって途切れた時、補聴器をつけた時みたいな強調された静けさが訪れ、強力な緊張感と集中力が呼び覚まされました。映画館で観たい映画です。
岡田将生は好感度低めの役がなぜか多い。
心に傷を負った人々の「再生」の物語と言えばそれまでである。決して分かりやすい内容ではないので、想像力を働かせないと何が起こっているのか見落としてしまう可能性大である。しかし緻密に脚本が作られているのは分かるし、静かで独特な雰囲気に思わず引き込まれてしまうのは作品の力である。演劇の準備が進んでいく過程で様々な思いが交錯しながら、すべて「再生」のエンディングへと繋がっていくのは見ごたえがあった。主人公の悠介は、舞台ではいつも人間の内面深く入り込んでいるのに、実生活では妻の内面に踏み込むのが怖くて取り返しのつかない後悔を抱えてしまう。彼の「再生」に大きく関わってくるのが、役者の高槻であり、ドライバーのみさきだ。二人とのやり取りが面白いが、その大半が車の中というのもこの作品を象徴している。この車は妻との想いが詰まった場所であり、いやでも彼女の事を意識してしまう。二人との関係を通じて次第に悠介の心境に変化が生じていく。「車の中」と「舞台稽古」のシーンが二つの大きな柱になっているが、このあたりが海外で評価されたポイントになっているのかもしれない。日本人にはあまりなじみがないが、ベケットやチェーホフは欧米ではスタンダードであり共感しやすいのだろう。演劇は悠介の存在意義そのものであり、最後は演劇によって実人生の癒しも得る事ができたように思われる。
見る人によってそれぞれ感じる所はある作品であるが、全員がスタンディングオベーションで賞賛するのも違和感がある。各自どれだけ心が動いたかということで、評価は様々な作品だと思う。
難はあってもいいが、邦画らしさというアイデンティティは大切にして欲しい
世界を席巻した作品、原作の村上春樹小説、との相性は悪いので覚悟して鑑賞した。曖昧で分かり難いシーンが少なからずある、捉え難い、感情移入し難い作品ではあるが、喪失と再生という普遍的テーマは明確であり、メインキャストである西島秀俊と三浦透子の抑制の効いた演技と二人の会話劇のクオリティーが非常に高い作品である。
本作の主人公は、舞台俳優兼演出家の家福俊介(西島秀俊)。彼は妻の音(霧島れいか)がある秘密を残して突然死し、妻への喪失感を抱えながら生きていた。2年後、彼は、演劇祭の演出を依頼され愛車で広島に向かう。そこで、彼は寡黙で影のある愛車の専属ドライバーとして雇われた渡利みさき(三浦透子)と出会い、彼女と時間を共有し会話を重ねる中で、今まで避けてきたあることに気付いていく・・・。
主人公は妻の秘密を知っても妻への優しさを変えない。妻を問い詰めない。何故なのか。みさき、演劇祭の舞台劇のキャスト・高槻(岡田将生)との会話を通して、主人公の優しさの奥にある本心が喪失感という呪縛から解放され明らかになる。そして、主人公は喪失感から抜け出し再生するためには何が必要かに気付く。みさきも喪失感を抱えて生きていたが、主人公との会話のなかで再生への切っ掛けを見出していく。この部分は、会話劇中心であり、邦画らしい繊細さ、緻密さを感じる。
本作は、広島の演劇祭での手話を含めた多言語舞台劇で、多様化する世界を作品に反映しようとしている。試みは面白いが、多国籍映画のようで邦画らしさが希薄になっている感は否めない。世界的評価云々の前に、邦画らしさというアイデンティティを大切にして欲しい。韓国映画らしいパラサイトが好例だろう。
ラストシーン。みさきの清々しい表情が印象的であり、希望という言葉が相応しい幕切れだった。
本作は、生易しい作品ではないが、喪失と再生という人間にとって避けては生きられない普遍的テーマに真摯に向き合った作品である。
これなら、なるほど世界で評価されるんだ
見事としか言えない。構成だったと思う。
大事件があるわけでも、世界が大変になるわけでも無いのに、画面から目が離せない。
普段、マーベルやスターウォーズの大作をいい映画だと思っていた僕の眼を覚まさせてもらった。
西島秀俊さんの、やるせない思いからスタートするこの映画は、一人の人間の、再生の物語でもあった。
車のボルボはまるで、家福のようでもあり
物語を動かすキーワードとなっていた。
村上春樹の物語という事も、世界で理解してもらうのに
必要な要素だったと思う。
劇中劇であるチェーホフも、岡田将生も
見事な要素だと思う。
ぜひ、楽しんでもらいたい映画です。
残り続けます
派手さはないが映画が進むごとにとても癒やされていくのを感じました。脚本も好きでした。人間の幸せや悲しみをシンプルにかつ深く表現していた。幸せな人を見るとこちらも幸せを感じ、悲しみを感じている時、こちらも本当に悲しかった。ありきたりだけど演技の強さに胸打たれたのは本当に久々でした。自分の心に向き合う事の大切さをごくごく自然に伝えています。心が整えられる、そのような時間でした。
私は面白かった…としか言えない作品
まぁ、何かしらの映画祭の受賞作品ってこんな感じでしょう。
世界中の映画監督が崇める黒澤作品も正直よくわからないし。
だからこの作品に対して低評価をつける人の気持ちもわかる。
でも、私にはとても面白かった。
とても丁寧に作り込まれていて、さまざまな伏線とその回収が心地いい。
家福夫婦の会話も、セックスシーンが多いことも、悠介の口調も。
全てにおいて『寝ても覚めても』より洗練せれていて時間を忘れる。
けど、詰め込み感はあり爽快感には欠ける。
2度3度見返すとしっくりくるはず、多分。
演出や脚本などゲージュツ的な世界
自分の才能を引き出すのにセックスを用いる手段
愛する子と妻を喪失する心情
内容は見た目平凡な日常に見えてかなり非日常で、『普通』に人生を送ってきた人には理解しづらい作品なのではないだろうか。
ただ単に悠介の体験と自信の人生と比較した見方をすると、出来の悪いファンタジーにしか見えないかもしれない。でも普段『普通』に傷ついていたり、疑問を持ったりしているような人なら、作品の中に何かを見出して楽しめると思う。
重複するけど私にはとても面白かった。
人の奥底にあるもの…?
アカデミー賞受賞作品らしく、芸術性の高い作品と言える。映画というより、本作で扱われているチェーホフの戯曲をモチーフにした、舞台演劇を観ているような感覚だった。村上春樹の原作『女のいない男たち』は、単行本発売当時に既読。本作は、僅か60ページ程の短編の為、それを3時間の映像にするのは、どんな感じだろうと思って鑑賞。
作品としては、3つのステージから構成されている。第1ステージとしては、主人公の舞台俳優で演出家の家福とその妻・音とのミステリアスな愛情劇。第2ステージは、広島で、キーパーソンとなる俳優・高槻等と行う舞台稽古風景。そして第3ステージが、家福の車のドライバーを務めるみさきとのドライブシーンと、特に大きなピークがあるわけでもないが、原作には無いシチュエーションを差し入れて、淡々とした会話劇が続く。
しかし、登場人物がそれぞれに抱える奥深い思いや、美しい日本の原風景を映し出すカット割り、そして、何といっても真っ赤なサーブの中での会話劇の展開に、時間を絶つのも忘れて魅入った。一つ一つのセリフの言い回しや重さ、セックスと言うものへの畏敬を感じさせるのは、それこそが、村上文学の神髄なのかもしれないし、そこを濱口監督が、巧みに映像化している。
主人公の家福を演じた西島秀俊は、妻の死から目を背け、散々、現実逃避をしている中、最後の最後で妻への思いを溢れ出し、人間の弱さを露呈する演技は見事。また、家福のそんな心に封じていた思いを引き出した、ドライバー役の三浦透子の演技も、これまた素晴らしい。感情を表に出さず、数少ない台詞の中にも、みさきが引きずる過去や、家福に与える存在感までも感じ取れた。
また、作品中で扱われていた、チェーホフの戯曲『ワーニャの伯父さん』を日本語だけでなく、英語、韓国語、そして手話も用いて、それぞれの訳をスクリーン映し出して台詞を言うというのも斬新。多文化共生社会への敬意もうかがえ、最後に、物音ひとつしない劇場で、手話によって語られるシーンは、圧巻だった。
ラストシーンは、日本だけでなく、韓国でも認められ、演劇が公開れたということと理解し、韓国への配慮も伺えた。サーブでドライブしながら、みさきと家福が、サンルーフを開けて、煙草の煙をたなびかせるシーンは、記憶に残る名シーンとなるだろう。
文学×映画
村上春樹作品は言うまでもなく文学だ。多様な解釈が可能で、そこに自分の人生と地続きな普遍性がある、と言うのが文学の一側面だと思う。
仕事上数年ごとに同じ作品を読み直すことが多いが、読むたびに解釈の幅が広がり、その時点での自分の人生に大きく左右されると言う実感がある。太宰の『富嶽百景』は初めそれほどの感動はなかったが、仕事を始め、結婚し、子供が産まれ、親に死なれたいま読み直すと、初読の時とは全く違った世界がそこに広がっているように見える。
本作はそう言った文学的要素の強い作品だ。おそらく5年後、10年後見返したらまた違った見え方ができるのだろう。見た人と語らいたい、違う解釈を知りたいと思わせるのもまさに文学だ。
初見では「音=テキスト」なのかなと感じた。「そのテキストを口にすると、自分自身が引き摺り出される。」家福は自分自身が引き摺り出されることを恐怖と捉えている。しかしみさきは、引き摺り出された家福の感情、家福が目を背けた音の闇をも含めて矛盾はないと肯定する。家福が音に自己存在を委ねられていれば、取り返しのつかないことにはならなかったのではないか。他のレビューでも多くあるように、再生と肯定が美しく紡ぎ出されていくラストは圧巻だった。
そしてこれは他者性の物語でもある。究極、他者は自己には計り知れない闇がある。それでも他者とつながらなければ自己はない。ありのまま他者を受け入れることで、ありのままの自己を認められるのではないだろうか。
こんなにも優しく包み込まれるような3時間を経験できたことは至福である。
セックスが描かれるためにどうしても生徒と語らえないという部分でマイナス1させていただきました。
優しさと嘘
家福音(霧島れいか)がカセットテープに吹き込んだ演劇シナリオを夫の悠介(西島秀俊)が繰り返し聴くシーンがとても印象的でした。愛車・古いサーブ900の中で、日常的に妻の声を聴く夫は、実に幸福な夫婦関係で満たされている、と思わせておいて、ある日を境にひっくり返る展開にドキッとしました。「長い映画だから、途中で眠くなるかな」なんて友人と話していましたが、杞憂でしたね(笑)。美しい妻への普遍的な愛が崩れていく、いや、そうはならないのか…。この微妙な物語の繊細な心模様を表現する西島秀俊さんの演技が素晴らしかったです。家庭や妻を大切に思う優しさが嘘になってしまうところは、どこか「人魚の眠る家」(18)で西島さんが演じた夫ともかぶりました。
心地よいアート作品
車 運転 道路 演劇 芝居 役者 台詞 脚本 多国籍 多言語 手話 セックス 男 女 死 無音 感情 孤独 事件 広島 都会 田舎 雪 海 船
これらが心地よく折り重なる美しいアート
映画ってこういうもんだった、と久しぶりに思い出させてくれました。
美術館でのんびりしてきた気分です。
妻の秘密? 妻を責めない夫の秘密?
3時間の会話劇…それをちゃんと観させるんだから、凄い。
正直、主演が西島秀俊でなかったらもたなかったと思う。彼の演じない演技が暑苦しくないから3時間いけたのだ。
作中で西島秀俊演じる家福が指示する、感情を殺して台詞を棒読みさせる演出術は、この映画全編を通しての濱口監督の演出手法そのものだったのかもしれない。
小津安二郎にも通じるものか。
村上春樹の短編を3本ミックスして脚色されているらしいが、そのうち2本「ドライブ・マイ・カー」と「シェエラザード」は以前読んでいて、微かに覚えている。
主軸となっているのは「ドライブ・マイ・カー」なのだろうが、これが大幅に改変されている。
舞台演出家兼俳優の家福(西島秀俊)と、その妻の間男だった俳優高槻(岡田将生)の関係性がミステリアスで、大抵の男は高槻を好きにはなれないだろうし、家福のように接することはできないと思うだろう。
この家福と高槻の関係、ひいては家福の亡くなった妻音(霧島れいか)との関係が小説とは少し違うし、専属運転手ミサキ(三浦透子)の過去については衝撃的なほど改編されていて、テーマ自体も小説とは違ってきていると感じた。
「妻はある秘密を残したまま突然この世を去った…」という宣伝コメントをよく耳にしたが、妻の秘密はあの日「話しがある」と言った彼女と話せなかったがために家福にとって謎のままなだけで、妻の死を克服しきれないでいる家福がその秘密を追究していた訳ではないと思う。
音と高槻の情事を目撃してしまうのだから(小説では直接目撃しなかったような…)、妻の浮気は秘密ではない。他にも男がいただろうと家福は疑っていて、それでも夫婦の営みには満足を得ている。家福はなぜ妻に浮気のことを追究しなかったのか、彼自身も妻に対して秘密を持っていた。
この映画の脚色の上手いところは、ミサキの過去を変え、それを確かめに行く二人旅のエピソードを加えたことと、チェーホフの織り込み方だと思う。
「ワーニャ叔父さん」の終幕に「しょうがないのだ、死ぬその日まで生き続けなければ」的な台詞があったと記憶するが、正にそういう結論を家福はミサキのお陰で導き出せたのだろうと思う。
西島秀俊は『〜ストロベリーナイト』で、慕い続けていた上司の竹内結子をヤクザの大沢たかおに寝盗られてしまう。二人が車中で関係を結ぶのを離れた場所から見つめる場面があった。
本作と同じではないが、西島の色気というのは、こういう場面でこそ滲み出るのではないだろうか。
『クリーピー〜』では、今度は妻役の竹内結子が隣家の奇人に精神を操られて行方不明となる。
『散り椿』では、幼い頃から想いを寄せていた麻生久美子が剣のライバル岡田准一に嫁ぎ、その夫婦は藩を追われていた。
『人魚の眠る家』では、妻篠原涼子が幼い娘が植物人間状態となったことで常軌を逸していき、コントロールできなくなる。
『〜奥様は、取り扱い注意』では、妻の綾瀬はるかが…あ、これはいいか。
とにかく、想う相手とは結ばれず、結ばれた妻とは確執が生じる。が、どの場合も西島に直接的な原因はない…という役が似合う。
本作で岡田将生の評価が上がっている。
爽やかなイケメンなのに、イヤな役やダメな役もこなして、本作だけでなく最近の岡田将生はいいバイプレーヤーになったと感じさせる。
特筆しておきたいのは、霧島れいかの色っぽさだ。
これが、イチバン。
ダラダラと眺めていたい作品
休日の昼下がりに、ダラダラと眺めていられそうな作品でした。途中で寝てしまっても、なんか夢の中で続きが観られるんじゃないか?と思うくらい夢心地でした。
多言語の戯曲を初めて目の当たりにしましたが面白かったです。言葉が伝わらない状況は、その人の黒い部分を浮き彫りにするんですねえ。いい脚本、いい映像でした。
伯父が好きそうな作品だったので、誕生日にDVDプレゼントしようと思いました。
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