空白のレビュー・感想・評価
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心が苦しくて、観ていて息が詰まるような
漁師で気性の荒い父親。
気が弱そうで生気のないスーパーの店長。
タイトルの意味ですが、娘が店長に捕まりスーパーから逃げ出すまでの空白の時間の事だと予想していたのですが、事故が起きてからその事実と客観的に向き合えるまで期間の事だったようです。
観ていて本当に辛かったんですが、古田新太が徐々に他人に優しくなっていく姿に泣かされました。
これは凄いものを見た
ダークホース。
予告編を見てモンスター化した父親の理不尽に店長が振り回される一種のサスペンス映画かと思っていたが、もっと深く心に突き刺さる映画であった。
双方が被害者でありつつも加害者でもある複雑な関係。
それをマスゴミや周囲の野次馬たちが煽り責め立て追い込んでいく。
一体どうすればよかったのか、この映画で示されることはない。
ただ、ある母親の慟哭を噛み締めつつも毅然とした態度で語られた懺悔の言葉が頭から離れない。
伝染する苦悩と頭を下げる意味
はじまりは万引き未遂事件だった。
娘を亡くした父親の狂気と破壊、そして再生の物語。
ひとつの女子中学生の死によって、皆が傷つき、苦しみ、憎み、そして寄り添う。
彼らの心の空白は埋まるのか。それとも…
辛く苦しい中に少しでも希望を見出せる、とても自分好みな傑作でした。
前半はとにかく辛い。
一度轢かれたあと反対車線のトラックに轢かれるという、やけにリアルな事故シーンがトラウマレベル。
その後に、頭が潰れたとか内臓飛び出たとか、言葉で聞くだけでも辛い。
加熱する偏向報道、ネットの憶測。
本当にマスゴミ過ぎてもう。
なんというか、すごくリアル。
〇〇をよく知る〇〇の知人ってよくあるけど、信じちゃいけないね。
誰も悪くないし、誰もが罪を抱える。
進めば進むほど自分の首を絞めるように苦しくなって…
そして、後半。
謝罪と感謝。
次第に世間の関心は薄れていき、当事者の心も落ち着いてくる。
キャンバスに筆を当てる音、夕凪の海辺、優しさに包まれるラスト。
何度も何度も泣いてしまった。
レクイエムのような音楽にエンドロールの文字が滲んでいた。
信じたくない、許せない、疑念は晴れない。
でも、俺はあんたに謝ってない。
今は謝れないが、少し時間をくれ。
誰しもどこかしら共感できるところがあると思う。
ああいう父親やああいう雰囲気の家族も相当数いると思う。
少女の死亡事故という非現実的なことが起きた時、“普通”の人たちはどうなってしまうのか。
現れる本性と最後に包み込む優しさ。
きっとまだこの世界は美しく優しい。
あの日、心は繋がっていなくとも、同じ空を見ていた。
あのイルカ雲の空を。
空白 レビュー
中学3年生女子です。受験の作文練習として感想を書かせていただきます。日本語変なところたくさんあるかと思いますがどうか温かい目で見ていただけると幸いです、、。
映画「空白」大変素晴らしい作品でした。観終わった後の満足感本当にすごかったです。
しかし、いっしょに観に行った父と映画の感想を語り合っていると、どんどん桃李くんに対するモヤモヤが出てくるのです。私と父が特に違和感を覚えた二点を紹介します。
まず一つ目、万引き未遂をしたカノンを倉庫へ連れて行ったあと、2人のやりとりがあったはずなのになぜそのシーンを映さず、カノンが逃げるところだけ映したのかというところ。
二つ目、古田さんが桃李くんに謝りに行った時、宥める古田さんを差し置いてずっと謝っていたところ。この二点です。
なぜこの二点に違和感を覚えたのか。
まず、劇中で桃李くんは昔、性犯罪で捕まったことがあると言われていましたよね。「ロリコン」などとも書かれていました。しかしその昔の真相は全く語られていませんでした。
あくまで私たちの考察ですが、一つ目の倉庫のシーンを映さなかったところ。そこで桃李くんはカノンに対して、そういった行為をしようとしようとしたのではないのでしょうか。それを嫌がって逃げたカノンを追いかけるところだけを映した。つまり劇中では語られていませんでしたが、桃李くんが昔、性犯罪で捕まったことがあるのは本当だったということです。二つ目も同様にそういった行為をしてしまったが為、劇中で桃李くんはずっと謝っていたのだと思いました。
そんなモヤモヤが残ったものの、やはり素晴らしい映画だと感じます。古田さんの前半と後半の表情の変わりようや、映画に出てくる人間の感情、言動が非常にリアルで気持ち悪いところ。油絵を始め、娘の漫画を読み、娘を理解しようとし始めたところなどとても素晴らしかったですし、涙なしでは観れませんでした。また私は父子家庭なので、より感情移入して観れたと思います。(関係は映画と真反対ですが笑)
もう一度観たい作品ですし、誰しも一度はみるべき作品だと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
誰の非でもなく、全員の責任でもある
スーパーの店長である松坂桃李が、万引きをした少女を追走することで起きる事故によりあまりの人生が大きく狂いはじめる。
万引きをした少女の自業自得か。万引きに対するスーパーのいきすぎた対応が起こした過失か。そもそも万引きを防げなかった親の監督不足なのか。全員が自責と他者への責任転嫁の間で大きく心が揺れていく姿を、松坂桃李と古田新太のずば抜けた演技力でしっかりと視聴者に伝えてくる。
終盤のシーンで古田がボソッと呟く「皆んな、どうやって折り合いつけてんのかぁ」と言う言葉の持つ重み。
被害者遺族のどこにぶつけたらいいか分からない怒り・悲しみ・後悔が溢れる作品。
誰もに
起こりうる問題ですよね、それも加害者にも被害者にもなりうる。怖い事ですね。関わった人間の誰もが振り回される傷つき、疲弊し、死に至る。良い事は何もありませんね。マスコミも怖いです。
感情移入
難しい作品でした。
一人一人の感情に同感でき、誰が悪いとかではないため中盤はずっと考えさせられました。
被害者中学生の担任の先生が『 ずるいですよ』と言われるシーンはとても響きました。勝手に自分で被害者の気持ちを理解しているように考えてしまう。上手い作品です。そこでこんなふうに突っ込む作品はなかなかありません。
自分的には少し松坂桃李くんが一方的に可哀想すぎる気もしました。
自分は高校生でもっと上の年の方向けの作品でしが、見に来てよかったなと思えます。
イルカの絵はもう、うん最高です。
「被害者」が「加害者」を脅かす二元論ではない。
古田新太演じるかなり気性の荒い父親。
その一人娘が松坂桃李演じるスーパーの店長が営む店で万引きを疑われ、その後の逃走劇の果てに、娘は自動車事故に巻き込まれ、悲惨な死を迎える。
店長は責任を感じ、不器用ながら自分なりの誠意を娘の父親に伝えるも、もはやモンスターと化した父親にはなかなか聞き入れてもらえず、かえって向き合うことを恐れるようになり、ひとり苦悶し続ける。
マスコミはこの件を不用意に煽り焚き付け、学校側は言い訳先行で大事にしたくないという思惑もあり、父親の訴えを煙にまこうとする。
そんなリアルでお決まりの描写で、観てる方は居た堪れない場面が続く。
ただ、物語にはきちんと起承転結があり、モンスターと化した父親にも徐々に変化が生まれる。ラストは大切なものを失った者同士和解の兆しものぞかせた。
そして、父親と店長それぞれにちょっとした救いもあったりで、そんなに悪い気分で終わる映画ではなかった。
この映画を観て人間はつくづく愚かで不器用だなと再認識した。
どうせわかってくれないと、相手と正対することに虚しさと諦めを覚え、殻に閉じこもる若者たち。
娘を突然失ったことで普段より一層冷静でいられなくなり攻撃的になり、そして、失って初めて娘と向き合うこととなる不器用な父親。
本当は見返りを求めているのに、
善意を強要し、距離感を誤り、周囲を困惑させ
、苦しめていることに気づかないある意味モンスターなお節介な人。
そんな自分が正しいと疑わないモンスターに振り回され、声をあげることを躊躇う臆病な大多数の人々。
当事者でもないのにあれやこれやと高みの見物で批判したり、遠くから面白がりストレスをぶつけるかのようにちょっかいを出す野次馬ども。
私もそんな分からずやで腐った面をもつ烏合の衆のひとりだ。
だからこそ、本作に出てくる緩衝材たる脇役たちの姿には称えるべきところがある。
本当に困っている時に寄り添える真っ新な思いやりをみせる者もいたり、
同僚にずるいと言われたり、被害者に邪険にされながらも自分がやってきたこと、やってしまったことを悔い、自分ができることを全うしようとする者たちもいたり、
自分が苦しい立場にいるにもかかわらずそれでもなお誠意ある態度を貫こうと踏ん張る者もいたり、
立ち直って欲しいと願うからこそあえて叱咤や激励の言葉をかける者もいたり。
そんな人たちの示す言動や態度は
「不健康」になり下がった現代人のわずかばかりに残っている健やかさだ。
ここぞという時にそれができる人たちは苦しんでいる者にとっての救いとなり、自省のきっかけを与える。
人はそういう僅かな健やかな人たちに支えられて生かされている。
"相反する"様々な"視点"を客観的に味わい尽くせる作品
期待の遥か上の上。
"相反する"様々な"視点"を客観的に味わい尽くせる作品
今年映画館で鑑賞した作品で1番の衝撃でした。(2021年暫定1位)
まず初見連続で2回。日を改め、人物視点を変えて計4回鑑賞。
まず、ティーザー、本ver.チラシからも漂うメッセージ性とセンスの良さ。(チラシやポスターで作品から何を伝えたいのかがハッキリとしている。問題提起の方法が優れている。)に期待しつつ。。
冒頭からあっという間に引き込まれました。
映像だけで伝えてくる潔さ。人物像と環境。光を綺麗に撮られていました。音数少ない透明感のある音楽も秀逸。
背中越しのグリーンという色からはどうか穏やかに、ことが落ち着いてほしい、受動的な青柳と様子をイメージしつつ
タイトルバック。空白
ああ、なんてタイミング!痺れます。(吉田恵輔監督の作品ごとのタイトルバックのタイミングを楽しみにしている)
さあ、ここからはじまる、想像もつかない場所、ことへと、見たくないような見たいような後ろから背中を押される手を引かれる感じ。最高です。
あっという間の鑑賞時間。体感では30分。
衝撃の後の埋まらない『空 白』は見る側に"問い"として与えてくれた気がしました。
他人事とは思えない、いわゆる問題作、こういう作品を待っていました。この企画を受け、形にしてくれたスターサンズさん、吉田監督、今までもこれからも本当に目が離せません。毎度毎度心揺さぶられ、引きずります。
ただそこにいる、生きている演じていないのでは?と思うほどの普通でとても自然な人々、マスコミの過剰な情報操作、誹謗中傷.現代ならではの不寛容さ、、
吉田監督の演出と引き出し方、人物の描き方がもう半端ではないのです。
そして脚本が本当に秀逸で面白い。(愛しのアイリーン撮影中に描かれたそうです)それぞれの普通のキャラクターが身近にいそうだし、実際にいるし、自分の中にもそれぞれを感じるように描かれている。
"それぞれがそれぞれの正義"で"間違った"ことはおそらくない。それ故に身近にいる一番の恐怖は正義の押し売り、暴力的とさえ感じる。周りが見えなくなるほど自信に満ち溢れ、正義観と言う名の鎧を纏って、、。それを否定したらこちらが悪であるかのような?必死過ぎて正直鬱陶しいし、きついし、本人はそれに全く気づいていない。それにより、知らずに意図せず誰かを傷付けて追い込んでいるかも。そして、その状況にも気づかないことが怖い。
また、それぞれの行動を客観的に当事者が見るシーンがいくつかあり、時間と共に冷静になっていく。見る側見られる側の逆転と言いますか、展開が面白いし
(近いと見えなくて引くとよく見えるまたは、人のふり見て我がふり直せと言わんばかりに) 憎い演出です!(拍手)
フード描写も素晴らしい。(フード理論)
お弁当のつながりも、食卓の様子も、スタミナ◯◯とか特製◯◯弁当とか、それぞれの心境が良く表現されてると思いました。(悲しくても辛くてもお腹は空くし、精をつけるためとか、最後の食事くらいは、とか、、)食べ物や食事を通した人物描写が多くあります。焼鳥弁当、天ぷら、カレー、即席味噌汁、刺身
何か大切なものを失ってその『空 白」を埋めていく作業がその人にとって少しずつ光になって身になっていくのではないかと感じた。それぞれが不幸で予想外な展開が起こってしまうが、起きたことはほとんどが辛いし取り返せないとして、
「どう折り合いをつけていくのか」無くすことで気づけたこと、それを埋めようとすることが何よりもこれからの救いなのかもしれない。
そうと考えると、「空 白」がない草加部さんは救いがないかもしれない。とも言えてしまう。
一生懸命作ったカレー(人生)を溢され(拒絶され)、泣きながら拾い集める(慰める)シーンは絶妙で素晴らしい。彼女のその後が気になりました。"救い"を見つけて欲しい
知ることや興味を持つこと、ごめんなさい、ありがとうと素直に言えること、伝える大切さにハッとさせられます。距離をとる時代だからこそ改めて身に沁みる。
見終わりは、とてもとてもあたたかです。優しさもあり、落涙。
父の見ていた景色はきっと娘も見ていた景色で、
ただそれだけ、それだけが、生きるすべ
俳優さんみなさん本当に素晴らしいのであえていうまででもありませんが、
特に、藤原季節さんの父のように慕う存在へ向ける視線と親しみの言葉、伊藤蒼さんのなんとも言えない寂しそうで空っぽな目の表情が忘れられません。片岡礼子さん、奥野瑛太さん
さまざまな感情が味わえる、みんなで語り合いたくなる作品でした。傑作。面白い!
実際は、衝撃が強くて未だ頭の中がぐちゃぐちゃで整理がつかないでいる部分もありますが、、噛み締めて、余韻に浸りつつ
普段起こりえる些細なことでも、いつの間にこんなになってしまったのだろうなんて思う事、事が独り歩きして想像もつかない事態になりえる。恐怖
現代の沢山の人の心に届いて欲しいと願います。
自分と他人の間、善と悪の間、思い込みと思い込みの間
松坂桃李がすごい。古田新太がすごい。片岡礼子がすごい。寺島しのぶがすごい。登場する俳優さんたちが実世界で多分こんな感じの人だろうなといちいち納得の、皆すごいリアリティを放っていて、リアル過ぎて映画になってないんじゃないかと不安になる前半だった。どの役柄も景色も場所もすごいリアリズム。そして荒れ狂う古田新太の怒り、気持ちが事実に追いつけず戸惑う松坂桃李、徐々にパワーが増してコントロール不能となる寺島しのぶ、と前半は描写もしつこいくらい丁寧過ぎてリアル過ぎて少し引くぐらいだった。片岡礼子の、娘の葬儀の、ひとりの親としてひとりの人としてぶれずに素直な気持ちを表明する素晴らしいシーンで泣いた。そのあたりから、本作品は変な言い方だが、本当に映画らしくなり、人物たちは、さらに、大きく小さく感情や存在の仕方、哲学を無意識にまた意識的に表してきて違うリアリティの出現。リアリティの超えた。
みな自分ができる最善のことはなにか、を自分の主観で考え言動している。古田新太のように暴力とか暴言とか証拠隠滅とか、悪いこともあるが彼なりに死んだ子どものために、なにができるかと思う、まあ、実は自分のためになのだが自分の思う正義と善を彼なりのやり方で実行する。寺島しのぶの勧善懲悪型ボランティアおばさんも滑稽で痛いし不快だが善意を最大限に体現しみんなに善意の強要をしている、しかしあくまで本人は良いことをしているつもりだが不幸な自分を誤魔化してるだけ。校長ともうひとりの男性教師、それにインタビューを恣意的に切り取るテレビ局以外は、それでも、自分が思う、主観的善にもとづき自分が思う良い生き方や良い行動をしている、
善も悪も見方次第だから、ギャップが生まれる。
親は親としてあるのではない、子どもが生まれたから親になるのではなく子どもと関わりを持ち子どもを知ろうとすることで親になるのだ。松坂桃李の父親との関係、漁師のお兄さんの父親との関係、そこからの古田新太との関係、片岡礼子と娘の関係、子を失い子を手に入れた田畑智子夫婦の関係、担任の先生も自分は教員になったから先生なのではなく生徒と向き合っていくことで先生になっていこうとしている。利己に走る美術部の教員と校長はクソだ、そこには善もなく関わりもなく保身しかない。テレビのリポーターの女性は丁寧にインタビューし、そこには関わりが存在していたが、番組編集サイドは自己都合しかない。現場、個人の関わりがあり顔を合わせ目を合わせる現場的距離が遠くなるほどに自己都合、無責任、システム追従なことになっていく。ここにもギャップができる。
後半、スーパーの焼き鳥弁当を褒めてくれたトラック運転手、この人もまた、母親がよくごはんに買ってくれたことが焼き鳥弁当の美味い所以であった。小さな善悪判断はすべてミラーになっていて主観的で絶対はない。
無意識に積み重ねてしまう小さな善悪判断は、自分自分を生きている私たちには日々避けられない。そしてそういうことから面白い関係も悲劇もギャップも空白も空白を埋める関係性も生まれる。善悪ジャッジなんて誰にもできない。
図らずも同じイルカ雲をそれぞれ見ていた悲しい親子。悲しみ憎しみが愛と慈しみに変わる。空白って、空に白い雲なのかな、て、この暗い展開でもところどころ笑いを誘う本作のタイトルを思う、
これまでの空白、埋まった空白、埋まらない空白、発見する空白、そしてこれからの空白、見つけ埋めていく空白。
皆が辛い
万引きから始まる物語。関わった人たちの人生が音を立てて崩れていくようで観ていてとても辛かったです。唯一救われたのは最後に絵を通して娘さんとの繋がりを感じとれたことです。きっとあの風景はいつか二人で並んでみた共通の思い出だと私は思います。
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