空白のレビュー・感想・評価
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他人の不幸は蜜の味
下衆な世の中だなぁと思う。
「捨てたもんじゃない」と言われてた世間は、こちらから切り離したいと思える事で溢れ返ってる。
マスコミの描き方に悪意さえ感じるも、実際やってる事はほぼ作中のままなのだろうなぁと思え、強烈な風刺を撒き散らす描写に笑いまで込み上げる始末。
事実よりも視聴率。
抜粋された時点で作為が介入し、その作為が悪意と同義なら、報道の公平性などある訳もなく、そのシステムにこそ放送倫理委員会は鉄槌を下すべきだろう。
血とかエロを取り締まるより、よほど日本の為になると思うがな。
そのマスコミに怒鳴り散らす父親の大喜利コラージュのシーンとか観てるだけで悍ましい。
イジメる側と同じ心理なのだろうか?「マヂになんなよ、冗談じゃん?」いやいや、マヂにもなるだろうが?人が死んでるんだぜ?誇大な空想とかではなく、リアルに起きそうな世の中に戦慄さえ覚える。
百歩譲って、それをやるのはいいよ。そういうモノに快楽を見出す生き物だよ、人間って。だけど、金に換算できてしまうシステムがあるから手に負えない。
他人の不幸は実際に「蜜」をもたらしてしまうのだ。
物語は誰にでも起きそうな話だった。
ストレスが豪雨のように降り注ぐ世の中。濡れた服が乾く暇もなく、寧ろ決壊し濁流の如き勢いに溺れそうな世の中だ。
登場する全ての人物がその豪雨の中にいる。客観視して見えてくるのは人から人へ伝播するって事だろうか。発信と受信を繰り返す。
受けたストレスを、言葉を変えて他人で発散する。
マスコミやSNSは、その標的を提供してるに過ぎないのであろう。たまにネットリテラシーが議題に上がる事もあるけれど、誹謗中傷の元ネタを全国にばら撒いてる機関が、どのツラ下げて語ってんだって事だよね。
「人の振り見て我が振り直せ」
昔の人はよく言ったもんだよ…。
マスゴミの連中は真摯に受け止めてほしいよね。無責任に垂れ流すんじゃなくてさ。
煽るだけ煽って、後は知らんぷりだもんな。
…マスゴミがばら撒く餌に毎回食いつく国民も、いい加減気づかないもんかね?馬鹿にされてるって。何の意義もないって。スポンサーのご機嫌取りに使われてるだけだって。
なんか今回のレビューはやたらに脱線するな。
対マスコミの話じゃないんだけどな…。
俺の日頃のストレスなのだろうなぁ。
映画の話をしよう。
とにかく今作はそんな浅ましい人間達が多く登場する。主人公2人も決して褒められた人間像ではない。
父親に至っては自分勝手も甚だしい。
俺も父親だから気持ちは分からなくもないけど、アレは言い訳でしかない。「俺はちゃんと娘を愛してた」そう言いたいが為に見える。
そう言いたい気持ちも分かるけど。
店長にしたって、アレではやましい事があると言ってるみたいなもんだ。実際のとこは分からないだけに。
…ああ、なんだろ?
映画の感想を書いてるのに、他人を批判してるように思えてきた。
それほど、等身大の人物達が生きていたという事なのだろう。「学校」って組織も随分と中身が変わったなあと思う。あの校長はだいぶやり手な校長なんだろうなぁ。きっちりクレーマーな父親を退けたもんな。
明確な怒りの矛先を与えただけではあるけれど。
…そういうツボを突いた演出もホント上手いっすわ。
題名にある「空白」
ずっと、何を指すのかなぁと考えながら見てはいたのだけれど、自殺した娘の母親が、無責任な娘を許してやってほしいと懇願する。
たぶん、それを聞いてる父親にはストレスの豪雨は降ってなかったのだろうと思う。そんな空白地帯の「空白」
それとも喪失感からくる「空白」なのだろうか。
怒りや攻撃、自衛や鎧。それらは全てその「空白」を埋めようとする行為だからなのだろうか。
それとも、そんな他人事に目の色変えて反応し、自分の人生に「空白」が増えていく様だろうか。
あまり観ていて楽しい作品ではないけれど、きっと見た方がいいと思う。ただ…後味はホントによろしくない。
寺島さんが担う「正しい事」の定義とか。
俳優陣は、陰惨な気持ちに苛まれながら仕事してたんだろうなぁ…皆様、良い仕事でした。
1つ疑問が残るとするなら、店長だ。
彼以外は、父親も含め1人ではなかった。父親なんかは酷いもんで、敵としてる店長にぶら下がる事で自我を保ててるように見えた。
店長だけだ。
進んで独りになろうとしていたのは。
なぜ監督は彼に依代を用意しなかったのだろう?
邦画歴代上位作品
最近見た邦画の中では1.2を争う程の良作。とにかく主演の古田新太の演技が凄まじいのと、脇を固める俳優達も素晴らしい演技であっという間に時間が過ぎた。
全体的には哀しい映画であるが、途中、追い詰められた松坂桃李が弁当屋に向かって暴言を吐き、すぐ冷静になって謝罪するシーンは笑ってしまった。
あまり大衆受けするような作品ではなさそうだが、余韻をしっかりと感じられるような作品なので、ぜひ視聴して欲しい。
許すことの難しさと、許すことの尊さ
狂気の映画かと思って観ていましたが、後半には感動が用意されているとても素敵な映画でした。
人を許すことって難しい。でも許さなければ前に進めないのかもしれないなぁ~。
後半は泣けましたし、ラストの絵画のシーンもすごく良かった。
知っている役者は少なかったのですが、脇役に至るまで演技の巧い俳優が揃っていたので映画に入り込むことができました。
「マイ・ダディ」「護られなかった者たちへ」そして今作「空白」と、この秋は邦画が豊作だなぁ~。
胸糞悪い映画です
※胸糞ばっか言ってるのでご了承下さい。
この映画をなんて表すのが一番良いんだろう?と考えた結論。
「胸糞悪い映画です」
この映画は普段私が目を逸らしている、人間の嫌なところをこれでもか!と見せてくるので、
「こっちは気づかなかったことにしてるんだよ…やめてくれよ…」
と、非常に苦しくなります。全編通してしんどい。見終わった今切実に記憶を消したい。
二回は見たくない。
また、話の中で絶対悪になる存在がいない&実際に聞く出来事が起きたりしている(マスゴミの切り取り報道や正義の味方ぶった一般市民の私刑など)ので、本当に日常を切り取って見ている気にされます。
登場人物それぞれ胸糞だなと思うのですが、とりあえずトップ3を挙げておくと、
① 古田新太さん演じる父親
冒頭から人間として終わってる。ずっと漁師一本でやってきた(多分)、価値観が凝り固まった『自分が絶対正しいマン』で、人の話を聞きやしない。
でもこういう職人気質のおじさん居るよね。と思うリアルさが、こちらの気分を最高潮に害してきます。
流石古田新太さんだな、と。(古田新太さん大好きです。)
娘を殺されているのだから許せる訳はないのだけれど(むしろそんなすぐに許せたらどこの聖人君子だよ、と思うけど)途中から
『「万引きした娘が逃げて殺された話」じゃなくて、
「まったく落ち度が無かった娘が悪いやつに拐かされそうになった結果殺された話」にしたい(しか俺の中ではあり得ない)から、それを真実としてお前が話すまで追い詰めるマン』になるのでやっぱり胸糞です。
やり方間違ってるんだよなぁ…。
② ボランティア大好きおばさん
ああ、こういう人いるよね…と思う…
『私は貴重な自分の時間を使って慈善活動をしている、だから私が言うことやることは絶対正しいマン』です。
自分がやることは全て自己満足。「人のためを思ってやってあげた」は、結局自分のため。人に押し付けるのはやめましょう。と、自戒になりました。
年齢的にどんどん近づいていくので、本当に気を付けたいと思います。
③ 要所要所で出てくるモブ
これこそ胸糞の鉄板、まったく関係ない第三者がさも正義面して私刑。や、話題になるからと面白がって冷やかし。
こいつらマジで腹立つ~暇人か!と思うけど、いざ自分がその第三者になった時、同じ事しないって言えるの?
と、これまた自戒になりました。人の振り見て我が振り直せ。
その他、松坂桃李さん演じる店長や、轢かれてしまう娘さん、いきなり車の影から飛び出されて轢いてしまうお嬢さんやとどめをさしたトラックの運転手など、それぞれの視点から見ると救いが全く無くて本当に息が苦しくなる。
特にトラックの運転手については冒頭でしか描かれていなかったけど、実際にあったとしたらもっとキツいんじゃないかな、と思います。
特に轢かれてしまう娘さんの描かれ方が私は切なかった。
普通の引っ込み思案、ともすればいじめでも受けていたのかな?と思いきや、それ以前の問題だった。
もっと早い段階で気づいてあげることが出来ていて、対応できていればまた違ったのかな。と思うと切ない。(そこで言うと母親が気づいてたのにな、というところがありますが…)
そしてなあなあで済ませようとする教育現場への切り込みが鋭い。
担任の先生が自分の教育に疑問を感じるけれど、それを押し潰していくところなんてしょっちゅう取り沙汰されている事で、ああこうやって教育現場は若い芽を押し潰していくのだな、としみじみ思いました。
と、ポイントを上げていくとキリがないのですが、
結論、見る価値あります。
胸糞な登場人物たちも、話が進んでいく事で自分の行いを振り返り、自問自答し、うまくいかない現実にもがきながら進み始めるのでずっと胸糞展開が続くわけではありません。(まぁ松坂桃李くんは最早PTSDだよね、という位に追い詰められることにはなっちゃうんですけど…)
でも見る価値あります!むしろこれは見た方がいい!
ただ、見終わった後めちゃくちゃ疲れるのと、気分がどんよりするのは覚悟して見た方が良いかもしれません(それだけ俳優さん達の演技と脚本と演出が素晴らしいということなので…笑)
ちなみに胸糞胸糞言ってますが、漁師の弟子が「コイツいいやつだなー」と、要所要所で良い味出してます。
「自分はあなたが父親だったら嫌ですね」的なセリフを古田新太さんに言うシーンがあるんですが、いや良く言ったなお前…!!と、その瞬間喝采を送りたかった。
その他、しつこいマスコミを港から追い出したり、クソジジイと言いつつ師匠を尊敬しているのが伝わってきて凄くいい弟子でした。
それと最後に出てくるトラックの運ちゃん。松坂桃李くんに救いを与えてくれるんですけど、なんか好き笑
途中で桃李くんが轢かれそうになるトラックの運ちゃんもこの人だった気がする?
あと、個人的に一番泣けたのが、轢いてしまったお嬢さんがなんやかやなった時のお母さんの涙と、そのお母さんが古田父にかける言葉ですかね…
古田一家の涙では正直泣けなかったんですが、このお母さんにはものすごく泣かされました。
自分が同じ状況に立っても絶対言えないな、凄いな、と思いました。
頑なだった父親に『お前は娘のことを理解してもいないのに良く言えたもんだな?』と投げ掛ける(父親側が勝手にそう感じるだけですが)場面は、唯一もう一回見たいな、と思うシーンでした。
この映画を見て感じることは人それぞれだと思いますが、何かしら必ず残る作品になると思うのでオススメです。
人と人の間にある距離
正直な所、序盤から過剰な程に神経を逆なでする表現に少し嫌な気持ちになりながら観ていました。
父親としても人としても失格としか言えない添田が暴走して、執拗に自分の感情だけで周りを振り回す姿にうんざりし、
振り回された教師達の保身に走る対応にも、マスコミの過剰なまでのご都合主義な対応にも、スーパーの店員 草加部の自分に酔った傍迷惑な正義感にも。
そして店長の青柳の本心の見えない態度にも。
そもそも本当に万引きしたのか?事務所で何があったのか?過去の痴漢は本当にあったのか?
彼が何かを隠しているのかも判らず、本心はとんでもない悪なのか?も判らず。
この辺りは前半の教師やマスコミのクズっぷりも併せてそういった方向で進みますが、娘が自殺した母親が添田に伝える、弱さに逃げて自殺した娘を責めながら許して欲しいという言葉。
この言葉からやっぱり映画の流れが変わったんだな。と思いながら。
多分、添田にとって娘をはねた女性に対しては本当に無関心、そもそも青柳が追いかけ回さなければそんな事故は起きていない。というだけの認識でしかなかったと思いますし、何度謝られても興味もなかったような。
けれど自殺した娘の母親に謝罪されて、初めて自分が無視を続けた事がどれだけ残酷で、自殺した娘がどれほど苦しめられていたか?を理解したような。
添田にとってはこれがきっかけだったんでしょうね。
自分の感情だけを正当化して生きる事が人に与える冷酷さと、詫びる人間を突き放すことが相手を地獄に突き落とすような絶望を与えるという事を始めて理解できたきっかけのような。
そして、そこまでの懺悔を伴う謝罪であれば、受けた側がその問題を終わらせない限り、延々と謝罪と復讐を続ける羽目になるという事。
自分の非や弱さを認め謝るという事と、他人を理解して寄り添うという事が人間的に欠落していた添田にとって、力で屈服させる以外の謝罪という物に触れたのも初めてだったのではないか?と思いながら。
でも人って解ったからってすぐには変われないんですよね。
だからこそ、添田がタクシーの中でつぶやく「みんな、どうやって折り合いつけるのかな?」というセリフを聞いて、すとんと、これが描きたかった映画だったんだな。と思いながら。
添田にとって、人を許す、受け入れる、理解するというのは、その必要性を判ったとはいえ、どうするべきかも判らずそこでもがき苦しむ。
思いつく範囲で、妻の現在の夫を詰ったことを謝罪したり、かつての弟子を再度受け入れたり、娘の好きだった物に触れたりしながら。
それでもはっきりとはせず、人との接し方を、折り合い。と、妥協のようなぼんやりとした言葉で表現してしまうような。
でも、教えてくれる人がいない中で、自分と格闘しながら人との共存を進めようとする添田にとっては、この言葉は紛れもない本音だよな。と思いながら。
そして、自分の間違いを知り、それを悔い正そうと苦しみながら生まれ変わっていく添田の姿を描くことがこの映画のテーマだったんだろう。と、そう思っています。
だからこそ、添田と青柳が再開し、青柳を初めて許す姿には、グッとくるものがありました。
空白って何でしょう?
ストーリー上の隠された部分、特に青柳に絡む、本当に万引きしたのか?事務所で何があったのか?過去の痴漢は本当にあったのか?という謎掛け的な物のような気もしますが。。。
個人的には人と人の間にある距離。
それを空白のままとするのか、折り合いや愛情、信頼といった物でその空白を埋めるのか?という意味のような気もしています。
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ブログの方では、ネタバレありで個人感想の詳細とネット上での評判等を纏めています。
興味を持って頂けたら、プロフィールから見て頂けると嬉しいです。
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感動のなかにも苦味が
片岡礼子さんのお芝居、みぞおちに入る。静かに、そのまま重力に従うように、膝を折りたくなった。古田新太さんも松坂桃李さんも寺島しのぶさんも藤原季節さんもみんないいし、脚本も好きだ。どうしようもなく過酷な部分もあるけど甘ったるいぐらい人に優しいところもあるし、やっぱり怖いところもあるし。
結局、万引き疑惑でスーパーの裏手に連れて行かれた少女が、なぜ死にものぐるいで逃走したのか、そこの“空白”は明らかにされない。観た人それぞれで想像していいんだと思うけど、ひょっとして彼女を死に追いやったのは父親ではという気がしてならない。
授業参観を父親でなく母親に出てもらおうと思っている、ということ一つ伝えるのに大変な勇気が必要になる関係性。母親がせっかく持たせてくれたスマホを目の前で投げ捨てられても抗議もできない関係性。そういう父娘関係だと、万引きが父親にバレたらどんなことになるのかって、娘が恐怖に駆られても不思議じゃないと思うので。
スーパーの店長がいやらしいことをしそうになったとかいうのより、どうもそっちのほうに真実味を感じる。
加害者になってしまった運転手の母親と、若い漁師と、元妻と、そして店長と、感動的な場面をあんなにいくつも演じて、最後に娘ともつながって光が見えました、ですっきり終わったらそれはそれでいい映画だったと思うけど、この苦味の残りかたも案外、嫌いじゃない。
もう一回見たらまた別の解釈をするかもしれないけど。
そういえば、寺島さん演じる草加部さんが「正しさ」に異様なこだわりを見せた理由もはっきりとは分からなかった。自分の「キモさ」を正しさで超えたかったのかな。
空白を埋めるもの
一つの交通事故。
1人の死が様々な人に与えた空白。
この空白をあるものは「怒り」で埋め、またあるものは「偽善」で埋め、またあるものは「死」で埋める。
この空白を埋めるなにかを探す物語なのだと見終わって思った。
とはいえ映画の内容は明確に「これが答えです!!」と打ち出すわけではなく。
さりとて、主人公たちを物語の世界に置き去りにしたままでもなく。
我々観客に「あなたならどう埋めますか?」と問いかけてくるような作品。
この消化不良感(空白)も監督から我々に向けたメッセージなのかと考えてしまう。
まんまと監督の術中にハマった。
最後直人が人から感謝を伝えられて泣くシーンには思わず泣いてしまった。
僕は「人からの感謝」で空白を埋めて欲しいタイプみたいだ。
自分の中にある空白は自分自身で埋めるしかない
2021.9.23 イオンシネマ久御山
2021年の日本映画(107分、PG12)
万引き逃亡から死亡事故に至った事件を機に、それぞれの正しさが暴走するヒューマンドラマ
監督&脚本は𠮷田恵輔
物語は蒲郡の沖合にて漁をする添田充(古田新太)が描かれて始まる
新人の野木(藤原季節)に無理難題を押し付けながら、ひたすら怒鳴るだけの日々
そんな充にも中学生になる娘・花音(伊藤蒼)がいたが、妻・翔子(田畑智子)とは既に離縁していて花音の親権は充が持っていた
花音は学校では目立たない子どもで、動きの鈍さから担任の今井(趣里)からも叱られてしまう毎日
美術部でも存在感がなく、自己主張をあまりしない娘だった
ある日、父に何かを相談しようとしてタイミングを逃した花音は、翌日スーパーで化粧品を万引きしてしまう
それを見逃さなかった店長の青柳直人(松坂桃李)は花音をバックヤードに連れて行く
だが、間もなく花音は店を飛び出して逃げ出し、青柳はそれを懸命に追った
そして、交通量の多い道を横切ろうとした瞬間、加音は中山楓(野村真純)の運転する乗用車に轢かれ、そして連続して大型トラックに引きずられて即死してしまう
事故を聞きつけた充が警察に駆けつけるものの、花音の遺体は損傷が激しく所持品からしか身元を特定できなかったのである
物語は「万引きの末に人を殺した」と報道されるスーパーと、葬式にて青柳に暴力行為寸前に至った「狂気の父」のどちらもがマスコミの餌になり、ネットのおもちゃになるところから動き出す
切り取り報道にキレた充が青柳に執拗に迫るようになり、それを見兼ねた店員の草加部(寺島しのぶ)は「店の潔白を訴えよう」とビラ配りを始めたりもする
それぞれが事件によって感情的になって、自分自身の正しさを振り翳しながら、さらに事態は混迷を極めていくのである
映画は「事故死した娘の父の暴走」という側面が訴求効果になっていて、その怪演が波紋を広げていく
それでも、その行動を誘発するものが青柳側にもあり、彼の逃避傾向が事態を助長させている場面もある
また、正しさを相手にわからせようとする草加部の行動がさらに火に油を注いで、充の行動を正当化していくようにも見えるのである
誰の行動が正しいのかという観点で映画を見ると誰もが正しくて、誰もが間違っているように見える本作は、それぞれが持つ価値観を揺るがしていく
死んでから父親になろうとする充
結局のところは他人事に思っている青柳
私がいなければと常に中心にいようとする草加部
だが、これから紡いできた爆発的な負の連鎖をキッパリと断ち切ったのが、楓の母・緑(片岡礼子)の言葉であると言える
彼女の言葉は同じ境遇になっても到達できない悲しみというものに踏み込んでいて、それぞれの死は関連性があるように思えて無いと断じていることである
花音の死の、その先にあった楓の自殺は延長線上にあるように見えて、似て非なるものである
充が事故相手の謝罪を受け止めなかったから楓は死んだと考える向きもあると思うが、だからと言って飛び出し事故の運転手が全て罪に病むかと言われればそうではないだろう
それぞれが事故によって「空いてしまった穴」を埋めるために、「自分を罰する言葉」を待ち望んでいて、誰もがそれを埋めようとはしなかった
それゆえ、誰かの言葉が埋めるはずだった「空白」を自分が埋めざるを得なくなって、それによって狂っていくとも言える
そんな中で緑だけが正気を保っているように思えるのだが、彼女も同じく「自分の言葉」で空白を埋めているに過ぎない
誰かの言葉がないのなら、自分で自分を傷つける
その手段が言葉だったと言うだけで、緑と楓は本質的に違わないとも読み取れるのである
いずれにせよ、出演者全員の熱量が凄まじく、これだけ配置の上手いキャスティングも珍しい
この映画ではそれぞれのキャラクターに清濁の部分があったとは思うが、一貫して「濁」しかなかったのはマスコミではないだろうか
良い画が撮れた後に「よし!」と呟いたスタッフを誰も咎めないように、そこで事件を俯瞰するだけの人間は「ネットの悪意」よりも質が悪い
ただ、そう言った社会の負を求めている人間がいるのも確かで、それによって心の充足を得ようとする人も多い
映画の中盤で担任が自分のことを悪く言うシーンがあって、それを他の教員と教頭が嗜める場面がありました
「それはズルくない? 今になって理解者ぶるのはズルくないですか?」
自分をセーフティゾーンに入れるために他人の偽善を見抜いて解釈を与える
このシーンはとても印象的で、そう言った会話を笑ってできると言う闇というものが事件の発端だったようにも思えた
責任の取り方
色々観たい作品がありましたが、評価の高かった「空白」を観ました。
時計を見ていなかったのでわかりませんが、上映時間の半分くらい(前半部分)はぐったりしました。
悲惨な事故が起きて、それによって傷ついた人たちを、それぞれの視点と色んな角度から痛ましさをずっと表現しています。「もうなにが言いたいんだよ…」と、テーマが見つけられずにぐったりしました。
古田さん演じる父親…ああいう偏屈で頑固で、自分の考えが正しくほかの意見が耳に入らない人っています。「そういう人になっちゃいけないよ、ということが言いたい作品?いや、でもそういう人は聴く耳を持たないから作品を見ても理解はしないだろうし(毒)、そうなってしまう人は自分の事は棚上げだから忠告は耳に入らないだろうし(毒)」と思いながら観ていました。
が、しかし、
事故の車の運転手のお葬式の、母親の言葉にハッとさせられました。
「背負いきれずに逃げてしまった娘…、そんな弱い娘に育てた親の責任です」(うろ)
もちろん娘本人の問題だと思うし、親の責任がすべてではないでしょう、と思いますが、
娘の尻拭いというか、娘と一丸となって罪を償おうという姿勢に、
「問題から逃げずに、本質をしっかり見つめ向き合い、取り組んでいくことの重要性」が、見えました。
やっと、この作品をどうやって観たらいいのか見方が見えてきました。
父親は、娘と向き合えていなかった。寺島さん演じるスーパー店員の草加部さんも、自分は正しいと押し付け気味。
一方通行なんですよね。
ラスト、画を通して娘と会話ができたような父親は、どこか救われたかのような顔。
一方、誰とも意思疎通を通わせることができなく終わった草加部さんは、寂しそうでいて、だけど「だれも理解してくれない」と言いたげな顔。
問題に向き合えた者と、向き合えなかった者の末路に感じました。
難しいですよね。
草加部さんは、問題に気づくことが出来ずに向き合えていないのだと思います。
「問題」と気づくことができれば、向き合うのか向き合わないのか考えることも出来るかもしれないけれど、問題を「たいしたことない」と問題として扱わなかったり、「どうしようもないこと」と片付けてしまう人っていると思います。草加部さんの場合、そういう訳ではなくて、「自分が正しい」になっているから問題だなんて思わないだろうし。
人の顔色を伺って生きたり、だれかに気を遣って生きるのはおかしな事ですけど、
自分の言動で他人に迷惑をかけないように生きるのは、じつは難しいことなのかなと少し思いました。迷惑をかけていないつもりでも、真実は相手本人にしか分かりようがないですしね。
みなさん演技はすごかったですが、寺島さんがピカイチでしたね。気持ち悪いしうざいし嫌な気持ちになりました(賞賛です)。
評価通りの良い邦画が観れました。個人的感想ですが、良い邦画は重い…。
エンタメ作品が好きなことに改めて気づかされました(^-^;
ずーっと、しんどかった
・話を聴いてもらえない花音と松坂桃李を観て聴いてくれない事がとにかく苦しくて、たまらない事なんだと思った。特に松坂桃李は古田新太と寺島しのぶに挟まれて最悪すぎると思った。
・結局、松坂桃李はバックヤードへ花音を連れて行ったけど何をしたのかは描かれたなかったのが気になった。そういった演出があって松坂桃李に非はないとは言い切れない感覚になったまま話が進んでいくのが凄いなぁと思った。案外、古田新太の妄想と思われた痴漢のような事をしていたんじゃないかと最後まで謝罪する姿を観ていて思った。けれど、現場に立ち会う事なく、話だけでその人の普段の言動で、話を信じたり信じなかったしているんだと普段、自分が無意識に行ってる判断を振り返させられた。個人的には松坂桃李があれだけ謝ってるのは何か事故死に追い込んでしまった事以外にあったんじゃないかと思えてならないけど、深読みか。
・寺島しのぶの感じが凄かった。私が若かったら的なセリフが出て、冒頭の印象だったらそう思ったかもしんないけど、性格の問題を年齢の問題に転化してる事に気づいてない感じが怖くて切なくて痛々しかった。松坂桃李の気を遣ってる感じもかわいそうだった。
・全てのシーンが暴力的なシーンの前振りに感じられた。また、気が緩むような楽しいシーンが一切なくて古田新太が出てくるとしんどかった。あっという間で、とても面白かった。
・あの父親で娘の花音があの感じなのが驚いた。
・登場人物のほぼ全員の裏面というか悪い面も描かれてて怖くなるぐらい登場人物がリアルに感じられた。花音の万引きに始まり、松坂桃李のパチンコの話、寺島しのぶのボランティア仲間などへのパワハラ、担任の先生の冷たい対応、先生らのいじめはないの一点張り対応、最初に飛び出してきた所をひいてしまった女性の自殺…などの闇を抱えて葛藤する演技がリアルで人間不信になりそうだった。その人が良い人がどうかとかを決めてるのは、その人の一側面でしかないんだと考えさせられた。
・古田新太がずっと花音は万引きしてないっていって、部屋から万引きしたと思われる化粧品を見つけて個人的にほら!してたじゃないか!謝ってこいよ!と思ったけど、こっそり公園に捨ててて汚ねぇ!って思った。
・出てくる風景の寂れ具合がたまらなかった。スーパーと自殺してしまった女性の家、後半のドライブインみたいなとこ。主人公の古田新太の家だけ新しそうで不思議な感じがした。
・後半に古田新太が亡くなった娘を理解しようと絵を描いたり漫画を読んだりして性格が少しずつ柔らかくなっていきかけたところで救いを少し感じられた。皆、どう折り合いをつけているのか?は、誰にもわからないだろうなぁと思った。とはいえ、事故死しなかったら、あの横暴な感じのまま80歳とかになったのかもしれないと思うと、複雑すぎる。
・自殺してしまった女性の葬式で母親が古田新太に弱い娘に育てた私の責任ですというような事を言っていた。何となく、弱い気質っていうのはあるのか、あったとして教育で何とかなるのか、どっちなんだろうと思った。
・改めて考えるとやっぱりしんどい映画だった。家で観てたら途中であきらめてたかもしれない。映画館で観られて本当に良かった。
誰もが持つ加害性、被害性
まず始めに、報道機関や教育機関、野次馬に対する愚痴は、本映画のメインテーマでは無いと思っているため言わないようにします。
物語はスーパーで万引きを疑われた女子中学生が店長(直人)に追いかけられ交通事故に遭い亡くなってしまう。父(充)は娘の死の責任を追求すべく店長を追い詰める。
立場としては加害者である店長、被害者である娘の父のはずが映画の巧みなバランス力によりどちらも加害者であり被害者に見えるようになっています。
例えば誹謗中傷に遭っている充を見せたと思ったら同じく誹謗中傷に悩まされる直人を見せられる。万引きした花音も悪いという直人に対して根も葉もない疑惑を掛ける充。
人間全員が普遍的な加害者的要素、被害者的要素を持っており、直人や充や楓を始め、主要人物全てに加害性と被害性がある。
花音ですら被害性だけでなく、万引きをしたという加害性を持っています。
この映画が心のどこかに引っかかるのは皆が普遍的に持っている加害性と被害性を認めたくない自分を感じるからではないでしょうか。
この物語は状況を同じにすれば、(例えば充と直人のキャラクターを逆転させても)誰でも物語として成立するんじゃないか、
と思えるほどの人間の根本に迫ったもの感じました。
加害性と被害性。
ラストは避けようもない事実を受け入れ、それでも生きる充と直人に生への力強い肯定を感じました。
今思えば冒頭の美しい海辺とスローな映像、穏やかな音楽は花音から見た世界だったように思います。
繊細な弱者が辛い思いをするこんな時代ですが頑張って生きましょう。
最後に、あの不協和音のようなおばちゃんはなんだったのでしょう?
彼女にも何かしらのメッセージがあったのでしょうか。
2時間あっという間
劇場で鑑賞してよかったー。
桃李くん、相変わらずうだつの上がらないオドオドした役がお似合いです。今回はスーパーの店長。
万引きした女子中学生を追いかけてるうちに、その子が無惨な交通事故に遭い即死。目の前でその光景を見てしまった青柳(松坂桃李)。
被害者のJKの父親、添田(古田新太)は気性が荒い漁師。職場でも家庭でも威圧感がすごく周りは気を使う。
この映画のテーマは"赦す"というところにポイントがあって、私達はいつでも映画のキャラクターのような状況に巻き込まれる、または巻き込んでしまう可能性がある事を本作を観ながら考えずにはいられない。
他のレビューにもあるが、全員加害者のような作品で、残り30分くらいまでは非常に重い。添田が憎んで憎んで、やるせなくて、その思いを青柳や周りの人間にぶつけるしかない。その姿は大切な人を失った悲しみだけではなく、自分自身と娘の間にあった空白が何なのか分からず戸惑う気持ちからの行動だったんだろうな。。。
誰しも自分を正当化して生きている世の中。
その中にはそれを押し売りしてまで他人に自分の存在価値をわかって欲しい人→草加部のおばさん(寺島しのぶ)とか、正当化する気持ちではなくあるがままの事を受け止め、自分の子供のしたことは自分の責任でもあると自覚しながらも赦しを乞う母親(片岡礼子)など、非常にどのキャラクターも印象が強く残った。
添田と共に働く若者、野木くん(藤原季節)は本当にいてくれてよかった。大変なことが起こった人の周りに近づく事は誰しもができる事ではないのに、本当に野木君のような人はとても貴重で大切な人間である。
片岡礼子さんの演技はとても素晴らしく、泣いた。
お母さんってやっぱりあぁでないとね、、、
残り30分の添田は前半とのギャップがすごい。何かを受け入れると人はやはり穏やかになるもんなんですね。"折り合い"って難しい。でも不可能な事ではないはず。それを添田が見せてくれたことが最後にスッキリさせてくれたんだと思う。まぁ、前半の添田の青柳に対する行動やら、万引きの事実が分かったにも関わらずきちんとそれを謝ることができないなど、ダメ親父っぷりもすごかったけどね。
そんな登場人物達に比べて、マスコミの程の悪さ。ほんまメディアてこんなにもいい加減なもんなんですねと呆れますね。今に始まった事じゃないけど、本当に残念。
タイトル「空白」って深い
松坂桃李演じる店長がどんどん壊れていく様は見ていて苦しかった。(それ位、桃李くんの演技が秀逸!)
古田新太のくそ親父が、自死した娘の母親からの言葉(泣けた〜)を聞いて、だんだんと自分と娘の関係に向き合っていく後半は引き込まれた。
最後、元嫁ともやっとまともに話せて救われた。
店長をやめて警備員していた桃李くんにも、昔のお客さんからの言葉があって救われた。
ラスト、娘の絵が父の心の救いとなった。
脚本もありそうな事を取り入れて、よく考えられていると思った。
予告のアオリには⁇
今年一番のすごい映画でした。
なんて言っても、演技派揃い。
最初の事故のシーン、病院のシーンはショッキング過ぎて席を立とうと思ったくらいのリアルさでした。
辛過ぎて続きを見られないかもと思いつつ、脚本と演技にぐいぐい惹きつけられて最後までみてしまいました。
予告のアオリに父親はモンスターに、とありましたが、悲しみを乗り越えるステップとして、あれだけの怒りが必要だったのではないかと、リアリティを感じました。
自分が医療関係者なせいか、彼がサイコパスだとか、モンスターだとまでは思いませんでした。
ただ、娘を跳ねてしまった女性の菓子折りくらいは受け取るか、"あんたには関係ない"と一言言ってあげられなかったのかと、フィクションにこんな事を言っても仕方ないですが、彼女の死がなければ話の流れが変わらなかったのは切なすぎました。
他のレビューにもありましたが、自分としては、くさかべさんの関わるシーンが今年一番のホラーでした。
しかも、うちの職場にもいるんですよね…
彼らを叱りつけたくなった僕もあなたも同類だ。
一人の命をきっかけに、登場人物みな、狂ったように正義を押し付ける。
何かを求め感情で動きまわるが、何一つ得られないどころか、信頼を、店を、大切な誰かを失ってしまう。。
古田新太も最後は良いおじさんになったように見えるが、きっかけは死人が出てからだというのは忘れてはいけない(脱線ですが日本の不祥事ってこんなのばっかりですよね)。
娘の交通事故は巡り巡って自分のせいでもあると、こてんぱんにやられて初めて気づくのである。
日常で、何かを言いたくてしょうがない人は世の中たくさんいるけど、自分に返ってきて初めて、愚かさに気づくのだろう。
僕らは決してこの映画をバカにすることはできない。
しかし、ここまでグロテスクな末路の反面、映画館を出ると妙に気持ちがすっきりしているのはばぜだろう。
最終部の、苦しみは時が解決する、真面目にやっていれば良いところを見てくれる人はいる、そんなありきたりな主張がとても心地良く、救われた。
死にたいほど辛くても、一抹の希望は必ず現れ、また立ち上がれる。ものすごく婉曲だが、そんなメッセージが伝わってくる映画だった。
破滅的なことを予感させたが
今、同じような事件があったとして、作品中であるような報道のされ方があるかというと、まずない。リアリティを出すためには、舞台を昭和にする必要があったと思う。
そこはおいておいたとして、父親の暴走は尋常でなく、破滅的なものを予感させた。破滅的な結末から観客が何かを感じる。そんなストーリーを想像していたが、違っていた。
娘を突然失った父親の喪失感というのは想像できる。その父親が、喪失感を埋め合わせるだけの娘の思い出を持ち合わせていないとなると、外に向かって感情を爆発しないと心の均衡を保てないのかもしれない。
添田は、全く知らなかった娘のパーツを一つ一つ拾い上げて理解していく。この作業にようやくたどり着いて、過去との折り合いをつけるスタートラインに立てた。
100%善なる人間も存在しないし、100%悪なる人間も存在しない。相手の中にある善なる部分に希望を持つことが赦すということなのかもしれない。
昔バイトしていたスーパーの話を思い出した。
日芸に入学したての頃、その頃校舎が航空公園にあり、付近にアパートを借りて住んでいた。
学生プライスなので和室12畳にガス焚きの小さな風呂がありシャワーなどもなく夏も湯船。
アパートの扉を開くと目の前はお茶畑で、二つ隣の部屋には同じ映画学科在住の小林幸子と同姓同名の子が住んでいて長閑な学生生活を過ごしていた。
そんな長閑な学生生活でバイトしていたのがハニーマートという、この舞台になった様な地元密着型の小さなスーパー。
店長が若干パワハラ気味で、同じパートのお姉さんに少しずつ攻められてる気もして慌てて辞めたのだが、数年後、そのスーパーの店長が刺されたと言うニュースを観たのを思い出した。
僕自身、数奇な人生を送っているが、今回のこの映画、緊急事態宣言で街に人が溢れかえるのを逃げる様に、過去にパワハラで話題になったアップリンクで鑑賞。
物語は淡々と進む。
今まで色々なことを自分で乗り切ってきたために、自分が正義だと疑わない父親。
受け継いだスーパーを惰性で続けつつ、全てがルーティンになり、実は常に綱渡りだったスーパーの店長。
田舎特有のエスカレーター方式で教師になってしまい、自分に対して落ち度はないと思いそれ以上踏み込めない担任。
そして、たまたまそこに居合わせたために引いてしまった女性。
その周りに渦巻く様々な人たち。
善とは、悪とは、正義とは、正解とは。
それぞれの主観が吐き出され、父親も振り上げた拳の落とし所を探すかの様に、目の前にある物を殴り続ける。
店長も殴られて、力尽きやがて倒れる。
救い謎ないのではないかと、物語の中でのもう一つの葬式の場で、古田新太は、凛とした母親とその気持ちで打ち抜かれる。
そこから話の流れは一気に変わり、バラバラになった人々が少しずつ寄り添う様になる。
なんて優しい映画なのだろう。
決定的に、赦しに向けて何かが始まるという描写は無いものの、最後の娘との心の繋がりに気付けた父親の姿でそっと優しく幕を閉じる。
僕は二つ目の葬式から涙が止まらず、食事の時に古田新太が謝罪したシーンから感情を掻き乱され続けていた。
娘の形跡を追う事で、初めて娘の姿を垣間見て、彼もそれを認めたく無いとは思いつつも、やがて事実を受け入れ始める。
Netflixで「息子のしたこと」という海外の映画があり、そちらは父親がそのまま暴走して、加害者側を殺した上に、事実を隠蔽して終わる。
あの後味の悪さを一度経験していただけに、今作の優しさに救われた。
同時に、少し前の、池袋のひき逃げ事故の事も思い出した。
様々な感情が揺さぶられ、古田新太の芝居に酔いしれる良い映画だった。
P.s. 数年前に新馬場の仕事で道端でキャップに缶バッチじゃらじゃらで邪魔なオッサンとすれ違い思わず舌打ちしたら古田新太でした。その節は申し上げございません。
松坂桃李は結局やったのか?やってないのか?
最後まで古田新太が「モヤが晴れない」と言っていたところでハッとしたが、松坂桃李が添田の娘を事務所に連れていってそこでなにしてたか、これだけはわからない。
そう思うと学校長が言ってた「3年前に痴漢した」ってこれも本当なのかもしれない。(さすがに学校の責任逃れのための嘘としか思えないのだがもしかしたら?)
もし松坂桃李がほんとに添田の娘に痴漢まがいのことをしていたとしたら、それでいて松坂桃李が震えて謝りどうしたらいいかわからないって死のうとするなら?
そう考えて頭の中で映画を観返すとまた全然違う観方ができておもしろいなと思う。
まあそう疑いたくなるのは、わからないものを疑い続けるのは当然ながら、特にそのわいせつ行為とかそう言った可能性を最後まで捨てきれないのは、そういうのが父親心なのだと思うけれど。
「空白」ってなんのことか、考えるに父親の古田新太が事故について整理し冷静になってある種向き合うようになるまでに必要だった時間のことだと思うが、
松坂桃李と添田の娘が過ごした事務所での時間、これも「空白」なのではないかと…
と観た後思いましたが、上映中はダバ泣きでした。
松坂桃李はスーパーの店長向いてなかっただけだと思う。弁当屋として成功してほしい。
優しい映画
序盤の衝撃的展開から、その後はじわじわとマスコミだったりおせっかいだったり人間の嫌な部分を見せていくスタイルは実に近年の日本映画的とも言えると思う。
しかしその一連を無理なく少しの緊張感を持続させる監督の手腕はさすが!
終盤、運転者女性の死によって物語が一変、とはいかないが心境的には変化が訪れる。
そこからは自分と世間、お互いの思いを少しずつ変えるだけでこんなに見え方が違うんだと、いわば花音ちゃんと同じような子に対してのアンサーというかエールのようにも感じることができた。
YouTuberが絶賛していたのを何個か見て変な期待をして行ったから肩透かし感はあったけど
振り返ると、たしかにいい映画だったと思う。
そこまでハードルを上げて見るものではないな。笑
しかし寺島しのぶにキスさせる必要あったのかなとふと思う。笑
冒頭のぐらぐら揺れる全景シーンのとおり
全編に渡って観客の視点を落ち着かせてくれません。
吉田監督の巧さに脱帽です。
副題である”intolerance”、つまり「不寛容」をテーマとして見事に昇華してくれました。
マスコミと男性教師2人、ネットの中傷者(どれも多少デフォルメ過剰なきらいはありますが…)を除いて、どの人物に対しても一方的な肩入れやヘイトを生じさせないような巧みな視点誘導。
言ってみれば全員が被害者でも加害者でもあると。
加えて、起きてしまった結果やそれぞれが失ったものは取り返しのつかないわけです。それを容赦なく描くので、鬱展開の連続です。
寺島しのぶさん演じるパートのおばちゃんが象徴的ですが、登場人物全員が会話不能、一方的な主張の押し付け、言ってみればコミュ障です。
それを他者との関わりを通じて、世界を開き、ほんの僅かではありますが光明が見えてくるようなラスト回りは、悔しいかな完璧です。
事件の真相を敢えてぼやかした点。これは、まさに大英断ですね。
本作では「正しさ」の押し付けや、マスコミ等に象徴される無責任な糾弾を、ネガティブに描いているわけですから、神様視点での「真実」を描写することはテーマの矮小化そのものとなるわけです。
これは「不寛容」を描く作品なので。これで良いんです。
また、俳優さん達も本当に素晴らしいです。
演者の力量が少しでも足りなければ、バランスが崩壊しかねないところ、すなわち微妙なバランスのうえに成立しているような作品とも言えますが、それを古田さん、松坂さん、寺島さんを中心とした達者な俳優さん達のおかげでキャラクターの実在感が増しています。
個人的に吉田監督のベスト作品なのは間違いないです。
それどころか今年2021年、邦画ベスト候補作品の筆頭だと思います。
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