映画大好きポンポさんのレビュー・感想・評価
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王道のサクセスストーリー
若干でき過ぎな感もあるものの、90分の尺の中でテンポよく、かつ話の筋がしっかり通ってて、観て楽しい良い映画でした。誰のために映画を作るのか、暗い目をした奴はクリエイター向き、切り捨ててこそ伝えられるなど、ちょいちょい重いワードも出てきて、見応えのある作品です。確かに90分でまとまると観やすいし、もちろん映画は上映時間じゃないのはわかっています、わかっていますけど、1900円払って90分だとお得感が下がると思ってしまうのは、貧乏性な私故の思いかも。
逆行が完全な作品のほつれをつくってしまった
Pixivで原作を公表された時からファンでした。
無料でこんな作品を発表して良いのか、とも思ってたんだけど。
あっという間に単行本となり、今や続編が2作作られる所にまでなってるとは。
で、気が付いたら映画にまでなってるとは驚き。PVを観たら新キャラという
意外な部分が見えたので、無料で原作を読んだお返しとして鑑賞する事にしました
映画comのインタビューに書かれていたけれど、今回の制作体制として
TENETを鑑賞した影響か、制作時に大枠を作りつつも逆行しつつ製作を
進めていくという話がありました。その影響か物語の構造も逆行しつつという
表現が含まれてて、それがストーリーとして判りやすくなってるのは良かったです
おそらくは原作をそのまま作った上で、追加要素を加えたんだろうなという
ズレは後半に見えました。新キャラが絡むクライマックス付近です
この作品のテーマは「感謝」と「孤高」という部分にあると解釈してるのですが
クライマックスで偏りが生まれてしまって、それを修正しないまま終わるので
作品として少しいびつな形になってしまいました
追加したであろうクライマックスは素晴らしい。特に映画の中で映画を作るという
メタ的テーマを更に深掘りした構造というのは本当に良く出来てます
それだけに原作に加えた構造が変質したのが残念。少しだけでもバランスが取れてれば。ヒロインが最後に一緒にいたのに何も出来なかったのは。彼が苦悩した時に彼女があれを思い出させていれば。ポンポさんがポンポさんである為にはそういう構造でなければ。経緯が異なっても結末に至る流れが同じ、そうしないと。そこの歪みがこの素晴らしい作品を完全で無くしてしまった。そこだけが本当に残念
あ、ちなみに声優的立ち位置で観たら、物語内の構造と立ち位置が同じになってるっていう所も少し面白い所ですね。そういう部分での声優のインタビューも聞いてみたいです
3回泣いた
俳優、カメラマン、脚本、監督、プロデューサー、スポンサーなど様々な側面から映画製作を追いかけていくことができる作品。
大好きな何かに打ち込み、引き換えに何かを差し出す。何かを選ぶことは何かを捨てていることと同じであり、編集の仕事であればそれは何に当たるだろう?自分の仕事で例えれば何に当たるだろう?自分の人生に置き換えれば何を引き換えにしているのだろう?
この映画は映画製作に憑りつかれ、それ以外を全て差し出した人間たちの物語です。
怒涛の98%OFF
へ?
み、み、み、みじかw
もう最後の最後に、そのオチはヤメて下さい。マジで吹いたw
舞台はハリウッド。じゃ無いよの、ニャリウッド。アニメ的甘チョロワールドの映画ヲタ物語は、意味のある短尺90分。テンポ良く話は進みますし、そこそこの密度なので物足りなさはゼロ。むしろ「90分しかなかったの?」
登場人物が揃って可愛らしい。と言うか微笑ましい。劇中劇が今ひとつな感はあるけれど、しっかりと本編転写になってますし、なんと言っても、映画好きには堪らないシナリオ、堪える台詞の連続です。
これは、どう足掻いても「嫌い」って言えないですもん。何かのために捨てる事、前に進むために切る事も否定していない所なんかは、逆に好き。なんと言ってもですよ。B級モンスター映画で観客(♂)の目を、その「キレイなカラダ」で釘付けにしてしまうと言うミスティアには「大好きだよ」って言いたい。
いや、あの「大好きだよ」には、期せずしてホロリと来たもんだw
「花園」より、こっちの方が好き。
良かった。かなり。
HOKUSAI、クルエラ、ポンポさん
映画の作り手を題材にした映画は好物なので見に行ったら、期待以上の出来で大満足。誰でも楽しめる作品だけど、映画好きとクリエーターには、特におすすめ。あと、HOKUSAIやクルエラにゾクゾクした人にも。
作中で「すぐれた映画とは?」みたいなことが繰り返し語られている。そのせいで、この作品自体にもその基準を当てはめてしまうのは自然な流れだと思う。確信を持って言うが、作り手もそれを意識してこの作品を作っている。
その結果は? 見て、確認してほしい。
あと、作業工程が実写映画とは違うアニメでこの作品が作られたことは興味深い。作中で強調されていた「編集」は、実写とアニメで大きく違う部分の一つ。違うからこそ、隣接しているけれど同じではない分野のクリエーターへのリスペクトになっている。
激アツ!映画製作ストーリー!
登場人物みんなにしっかりキャラ付けされていて、深みがある。
展開が早いわけではなく中身が詰まっているからか上映時間90分なのにずっと長く感じた。
アラン君のプレゼンシーンが激アツ!!
すごく面白かったのでもう1回映画館で観たい!
タイアップから興味を惹かれたミリしらだが
結論から書くと、もうほんとめちゃめちゃ面白かった。
独特の映像は、【実写映画を作るアニメーション映画】という世界観にマッチしてた。
ここから長々と。
ストーリーはドラえもんでいうドラ側ポンポさんと、のび太側ジーンからメインの物語は構成されていて、そこに世界一の大御所俳優とピンとくる何かをもつ女優希望のキャラクターが肉付けをしていきます。
演者さんの演技力からベテラン感新人感を強く出している、起用の仕方もとても新鮮でした。
大御所が俳優の大御所だから声の演技が下手、今をバリバリ活躍する女性声優だから演技が上手い……などの世界観とのミスマッチは何も感じませんでした。
私はタイトルの通り、反逆者の僕ら、例えばから興味を惹かれ、なんなら大スクリーンの第大迫力でこの二曲を聴きに行ったと言っても過言ではありませんでした。
ですが、この二曲を噛み締めたからこそ余計にあの世界観のあのシーンにこの詩がマッチしている…みたいな部分がどんどん出てきました。
例えばから詩を拝借し、見た方はこの詩を噛み締め、見ていない方はこの詩を心に置いてまたいただければと思います。
何もかもが通り過ぎる
ノイズが乗っかって景色が吹き飛んで
光だけはそこにあって
それこそが君だ
映画大好き‼️
仕事のミスから超鬱状態。現実逃避から「映画大好きポンポさん」を鑑賞。
ひとりポンポさんだけが外見が特異なんで鑑賞に二の足を踏まれる方もいるかと思われますが内容はまとも。劇場版だけを見ると今回の主人公と言えるジーンさんの最初の立ち位置が分からいかも。で、さらっと説明は入ります。
映画的手法を巧みに使って映画作成ストーリーは進んで行き、そして映画作りのお決まりのアクシデントが入って映画は大円団。『中の映画のストーリー』が挫折と復活のストーリーなんで泣けるけどね。
出てくる人皆んな良い人で、映画の編集の苦労以外に苦悩も困難も何も無い。ポンポさんの付き人からいきなり長編の初監督!(別の映画の15秒PV作成など伏線はあるけど) 全てがうまく進んでいってお気楽すぎる感はある。
Twitterなんかでやたら90分の尺に拘るツイートが目立つけど、作中ではポンポさんが子供の時おじいちゃんの名画鑑賞に付き合わされて、我慢できるのが90分だったということで他にたいした理由はない。本当に良い映画なら三時間の長編でも90分くらいに感じる作品はいくらでもある。だから劇中劇が90分を超える尺でポンポさんが怒り狂うが、試写を観て時間を忘れて感動するなんてのもよかったのでは。
まあ面白かったからビデオが出たらまた見るかも。
君はたしか浮沈艦スタン・ハンセン!
ポンポさんではなく、新人監督のジーンが主人公。“B級映画”ばかりプロデュースしてきたポンポさんだったけど、新作「MEISTER」を撮るためにオーディションを行い、前作での15秒CMを撮ったことが評価されたジーン。いきなり監督?!という展開だ。
プロデューサーといえども脚本も書くポンポさん。5頭身アニメキャラだけど、祖父のDNAを引継ぎ映画製作はB級といえども感動作に仕立て上げる才能がある。公式サイトによれば好きな映画の一番は『デス・プルーフ in グラインドハウス』だというから、90分に収まる映画が最高だと思っているし、『ニューシネマ・パラダイス』が好きな人は共感できないかもしれません。
対するジーンは学生時代から友達もいなくて、ただ映画をひたすら愛している青年だ。観た映画だけではなく、撮影現場で学んだこともすべてノートに記録している。青春を謳歌してきた者にはない輝く目を持っていると認められたのも白羽の矢が当たったのだろう。
映画製作過程を描いたアニメ作品ではあるけど、ナタリーへの当て書となった脚本でもあり、ほぼベテラン俳優とナタリーが中心となっていて、映画作りの面白さや誰に対して見せたい作品なのかと問いかけてくる。そしてロケ地では「映画は一人では作れない」というテーマや、最大の見せ場でもある編集技法。カットバックやモンタージュといった基本的なことは描かれてないけど、いかに時間を短くするかに集約されているのです。合計72時間の映像をいかに短くするかって、デジタル時代だからこそですね。また、試写に間に合わずスポンサーが降りてしまうことやクラウドファンディングについても描かれていました。
後半になって「アリア」という言葉が何度も使われる。音楽でいえば独唱だろうけど、ジーンが使うのは単純に空気とか雰囲気といった意味なのだろう。勝手に解釈しちゃえば、「自分らしさ」!あまりいい使い方じゃなかったかな。
まぁ、もっとも評価できる点は90分の映画が最高!というところ。そのまま本作も90分に仕上がってるし、ここだけは賞賛すべき!
リアルな映画制作過程の描写が、映画好きにはたまらない❗
公開までノーチェックだった作品。たぶん予告編もあまり流れてなかったと思います。信頼できる方達のコメントをみて、観たくなって…。そしたらもう、すごく面白かったです❗❗
わたしは特にアニメファンではないので、正直最初は「アニメか―」って思いました。でもこの作品をみて、アニメだからこそできること、スケールだったり、新しいストーリーだったり、絵のおもしろさや美しさだったり、表現だったりがあるのだなあと、アニメの可能性を再確認しました。
舞台は、ハリウッドならぬニャリウッドです。ほらもう、実写化は無理そうでしょ?
主人公は冴えない映画製作アシスタントのジーン君。とても自信がない男の子なのですが、唯一映画が好きだという点では、誰にも負けない。リア充ではないため、映画の世界にのめり込んでいるタイプです。
タイトルになっているポンポさんは、天才映画プロデューサーの女の子です。天才映画監督のおじいさんと一緒に暮らしていたため、自ずと映画の英才教育を受けたようです。幼い子供のように見えますが、年齢不詳の不思議ちゃんで、なんとワンマンで毒舌でドSです!
もう一人、この映画のヒロインになる新人女優の女の子が重要キャラクターで、彼女のシンデレラストーリーも見所です。
ポンポさんの使いっぱのようだったジーンくんが、ある日、ポンポさんの書いた脚本の監督を任されます。尻込みしていたジーンくんが、撮影から編集、公開まで、困難な試練にぶち当たりながら、映画を完成できるかどうか…。
この、ポンポさんが書いて、ジーンくんが監督する、劇中劇である映画「マエストロ」自体が、初老の男性が主人公の、名作になりそうな重厚でおそらく感動的な作品なんです。(すごく実写版が観てみたい!)
製作過程もリアリティーがあります。常日頃から、映画やドラマの製作って、例えば大きな家を一から建てるがごとく大変なんだろうな、と思っていましたが、想像以上にトラブルが降ってわいてくるんだなあと気づきました。
わたしはもう一回観に行くと思います。
原作派も満足できそうだが、後半に詰め込み過ぎ?
敏腕映画プロデューサー・ポンポさんのもとで製作アシスタントをしているジーン。ある日、ジーンはポンポさんから次に制作する映画『MEISTER』の脚本を渡される。大ヒットを確信するが……なんと、監督に指名されたのはCMが評価されたジーンだった!
ポンポさんのかわいらしさ、ジーンの根暗感などキャラの動き、再現度は非常に高くて満足。
中盤までの話は割とシンプルで引き込まれる。熱い展開もいい。
原作漫画も既読だが、追加要素も作品の邪魔にならずいい働きをしてる…部分もある。
一番気になったのが追加撮影からのジーン。
まず追加撮影で何を撮りたかったのかが、イマイチピンとこない。
何よりマイスターのダルベールは作中劇でリリーと出会い、忘れてたものを取り戻し、それを音楽に還元したのでは?
ジーンが映画以外を削ぎ落として作品を完成させたのならそこが一致してないのがモヤモヤする点だった。
結局削ぎ落とすのか、拾うのかがわからなかった。
「アリア」というワードも急に出てきた感じがしてしまう。後半にテーマ(情報量)が増えてちょっと集中しにくかった。
総じて観てよかったが、もう少しシンプルな方がよかったなーと思います。
日本アニメ的な演出とハリウッド的な演出のMIX
新海誠風の日本アニメ映画的な演出とラ・ラ・ランド的なハリウッド映画的な演出を感じました。雰囲気だけじゃなく、内容も最高。若者が好きなことや仕事に取り組む姿勢、物語の中で成長していく感じがたまらんです。
映画系TikTokerのしんのすけさんが今年Top10に入る映画とレビューしていましたがまさにそのとおり。是非とも映画大好きな皆さんには見てほしい作品です。
映画好きを舐めんな!!
これまで勝手に独りを選んだ主人公が、いざ好きなことを始めると何もかも上手くいくというご都合主義展開にうんざり。
監督になった途端、周りのみんなは良い人で彼は全く挫折なしに笑ってしまう。あれだけ人と関われなかった人間とは思えない。
それから何でもかんでも言葉で説明するくだりにはイライラしっぱなし。
それにしても、この世界観の中途半端さも意味不明。
つまらん!
非支持。劇中劇の魅力不足。苦労話の既視感。
アカデミー賞方面なら感動名作でしょ的な思考の浅さが致命的。
劇中劇の鮮度と魅力が味噌だが、大味凡庸退屈な名作もどきをアニメで見せられる苦痛。
一連の苦労話も既視感あり、別に。
私達が「キツツキと雨」「アメリカの夜」など未見と踏んで撮ってないか?
非支持。
アニメである事やタイトルに騙されてはいけない!
この作品は映画が好きな人はきっと感動出来る
作品だと思います
アニメなんてと思う大人もいるでしょうが
中々の出来だと思います
始めはキャラ物のアニメかな? と思うのですが
ドンドン引き込まれていきます
ヒロインの演技力が周りのキャストから考えると
下手だな! と思うのですが、ヒロインの環境から
考える許容範囲になっていくのですが最後には
これで良いんだなと思ってきます
邦画の実写では安っぽく見えてしまうのを
アニメならではの表現で感動的かつ雰囲気を出していて
より感動を受けると思います
原作があるのでタイトルはどうしようもありませんが
映画を見る人を選んでしまうかもしれませんね
今公開している映画の中では群を抜いて
良い作品だと思います
まぁ、アニメを作る場合は綺麗事だけでは
上手く進まないので綺麗な所だけを見せてますが
これを観て映像の世界に飛び込みたいと思わせる
作品ではないかなと思います
「実写」映画の内幕ものを「アニメ」で観る面白さ。技法と題材と作り手のエゴが交錯する90分!
映画撮影ものには、それだけで映画ファンの心を強くゆさぶるところがある。
古くはトリュフォーの『アメリカの夜』やゴダールの『軽蔑』、比較的新しいものだと『リビング・イン・オブリビオン』や『地獄でなぜ悪い』、もちろん『カメラを止めるな』も。ああ『全裸監督』だってそうか。
僕自身は映研に属したこともなければ、自主映画に関わったこともない一介の観る専ファンに過ぎないが、こういう内幕ものはそれだけで観ていてとても楽しい。
自己言及性、テーマと手段の混淆、イレコ構造の生む思索性。
くすぐられるシネフィルとしての仲間意識、共犯性。
何より、「映画についての映画」は、とことん監督にとっての私小説的な省察にしかなり得ず、そこそこ羞恥プレイめいた要素があって、その気恥ずかしさが観客にも伝染し、むずがゆくさせるのかもしれない。「映画の映画」は、撮ったことがない人間にも、何かしらのノスタルジィと懐かしさを共有させる不思議な装置だ。
『映画大好きポンポさん』は、そんな「実写映画の制作現場」を「あえてアニメというメディア」を用いて描いてみせた作品だ。
この「実写」を「アニメ」で、というのがおそらくなら本作のキモなのだろう。
そりゃあ原作が漫画なんだから、アニメ化して当たり前だろうと言う意見もあると思うが、意外に「実写」と「アニメ」には表現メディアとして大きな懸隔がある。実写の撮影裏話を「アニメ」でやるとなると、作り手はかなり自覚的に手法を取捨選択し、再構成する必要が出てくるのだ。
たとえば、『ポンポさん』では、技法としてはむしろ実写映画に近いカメラワークやモンタージュが多用されている一方、アニメ的なデフォルメや誇張されたレイアウト、非現実的なアクションは、思いのほか抑制され、限定的使用にとどめられている。これはじつに興味深いことだ。
とにかく、冒頭からラストまで、カット割りが異様に多い。
で、カット毎にパンしたりズームしたりぐるっと回ったりと、カメラの動きがひたすらうるさい。
その映像感覚は、「アニメ」的というよりは、間違いなく「実写」的だ。
私見をいえば、このみっちり濃縮されたカットが、息つぎする間もなく詰め込まれていく感じは、マーティン・スコセッシの中期作品にとても近い。と思って、鑑賞後にパンフを見たら、監督が好きな映画に『グッドフェローズ』をあげていて、ああやっぱりな!!と。
それから、本作ではスプリット・スクリーンや逆回し、早送りなど、いかにも気の利いた実写映画らしい仕掛けも多用されている(てっきりガイ・リッチー由来かと思ったら、監督いわく『127時間』が元ネタとのこと。ああ、ダニー・ボイルのほうか(笑))
要するに、本作はアニメ映画でありながら、「映画オタクのシネフィルが撮った実写映画」の外観を、ねちっこく追求し続けているのだ。
では作中、いちばん「アニメ的」な演出が観られるのはどこかというと、それはもうジーンくんが「編集」をするあたりのシーンにとどめをさす。ここでは思う存分、アニメ的な特殊効果と空想的なレイアウトが導入され、「アニメならでは」の画面づくりが追求されている。ここだけは、抑制を解いて「アニメっぽくやらないとうまく表現できない」部分だと制作陣が判断した、ということなのだろう。
でも総じて本作は、実写寄りのテイストを無理やり身にまとっている。それは間違いない。
だが一方で、キャラクターデザインや、演技の方向性、各キャラクターの動かし方などに関しては、思いがけないくらい「旧来的な萌えアニメ」のそれを踏襲している感じがする。
そりゃ原作準拠なのでは、といわれたらそれまでなんだが、あれだけ宮崎駿や細田守や新海誠や片渕須直ら、長編アニメ映画の監督たちが自作の作品から拭い去ろうとやっきになってきた「深夜アニメの臭い」を、なんだか当たり前のように(それも実写映画を模倣するつくりをわざわざとっている作品に)しれっと取り込んでしまう感覚は、やはりちょっと独特だと思う。
結果的に、本作は「いかにも日本のアニメっぽいキャラクターたち」が「妙に実写的技法にこだわって組み立てられた映画」の主演をつとめるという、初音ミクめいた「ひねり」を生じており、その奇妙なツイストが独特の味となっている(そのへんの感性は、もしかすると京都アニメーションに近いのかも)。
本作で特に重視される「編集」作業についても、実写とアニメで編集のやることにかなり差がある以上、「アニメという表現手段でこのネタを大きく扱うこと」自体、なかなかひねくれていると思う。
実写では大量のフィルムを「切り詰める」引き算が編集の大きな役割となるわけだが、アニメでその作業は作画の前段階となる絵コンテで先に済ませておくことなので、何十時間も後からカットすることは「絶対に起こらない」。アニメは設計図通りに、必要なものだけ作ることを基本とするからだ。
本作では、そんなアニメを用いて、撮りまくったフッテージを「捨てていく」実写映画編集マンの痛みと恐れと勇気を、いかにも「同業者として共感している」体で語っている。
この「ズレ」は、なかなか面白い。
とにかく、小気味よいテンポで、明るく前向きに描きだされるその内容は、青春群像としても、お仕事アニメとしても、じゅうぶん口当たりよく楽しめた。
テーマ性については、あまりストレートに出されると若干こっぱずかしいところもあったし(創作者にコミュ障や根暗やアスペが向いてるのも、実生活で浮かばれないほうがいいのも、当たり前すぎて真顔で語られてもちょっと引いちゃうかも。それ自分で言っちゃうんだみたいな)、オリキャラであるアランが作品にしっかりなじんでいたかというと疑問もあるが、原作未読の僕にとってはストレスの少ない、完成度の高いアニメだった。
原作改変は好悪の分かれるところだろうけど、作中のジーンが「自分」の尺で作品の核となる要素を判断し、切り詰め、さらには追加していった流れを「成長」として肯定するなら、同じことをやろうとした平尾隆之監督のチャレンジだって認めてあげたいと思う。
とくに文句があるとすれば、(これは『映画版SHIROBAKO』でも思ったことだが)肝心の作中作がちっとも面白い話に思えないところかなあ(笑)。
偏屈の老指揮者がアルプスで少女と出逢って再生するとか、そんな陳腐な話でアカデミー賞はさすがにとれねーだろっていう。てか、作中で周りに褒められている演出やアイディアの大半が、たいしてうまくいっているように見えないのもまあまあつらい。あれだけごり押しして撮りたかった追加撮影シーンについても、傍目にはそう「絶対不可欠な」シーンにはどうしても見えないのだが。他のみなさんは「ああ、たしかにこのシーンがあるとないとでは大違いだよな!!」とか、本当に思われたのだろうか?
あと、ここだけはちょっと真面目に文句を言っておくが、クラシックがらみの部分については、もう少し説得力が欲しかったし、もし原作準拠なのだとすれば、それこそちゃんと音楽監修をつけてきちんと改変してほしかった。
まず、モダン・オケでマーラーの交響曲第1番を振ってるような指揮者の勝負曲が、よりによって今は古楽演奏がメインの「マタイ受難曲」だってのは、普通に考えるとほぼありえないシチュなので、違和感はバリバリに大きい。なんだろう、僕の知らない有名な指揮者とかを念頭に置いているのだろうか? (そもそも、マーラーの「巨人」の演奏でフルートの出来を咎めるなら、それは第四楽章より第一楽章で発生するイベントのような。これもなんか元ネタがあるのか?)
たしかに「マタイ受難曲」はフルで演奏すると3時間かかる大曲なので、これを扱う演奏会はある種の「大イベント」ではあるのだが、ピリオド出身でもない大家が、自分のキャリアをかけてはりきって振るような曲ではない。あと、技術的にそこまで厳しい曲ではないし、力量のある歌手がそろえば形はつくので、指揮者とオケの心がどれほど離れていようと、翌日の新聞で叩かれまくるような演奏になるタイプの曲ではない。たとえば「春の祭典」や「トゥーランガリラ」が難しくて振れない、弾けない、というのとはまるで話が違うのだ。
「マタイ受難曲」のアリアが、「これが僕のアリアだ!」みたいな使い方をされてるのも、激しく抵抗を感じる。そもそもマタイにアリアは14曲あるし、アリアは楽曲の形式であって「アリア」と呼ばれる曲があるわけではない。それに、マタイのアリアと言われて、一般の音楽ファンがぱっと想起するのは第39曲の『憐れみたまえ、我が神よ』だと思うのだが、本作で採用されているのは(パンフでも確認したけど)第52曲の『わが頬の涙』である。この曲を指して「マタイといえばこのアリア」って言い方をふつうはしないし(本当に聞いたことがない)、そもそも「バッハのアリア」といえば、一般の人にとっては管弦楽組曲第3番由来の「G線上のアリア」のことだろう。だいたい、歌手の果たす役割が圧倒的に大きい独唱曲で、指揮者が「これが俺のアリアだ」って言うのも、かなりおかしい言い草だ。
このへんを適当にやっていると、「リアルな映画づくり」を描く映画そのものを害してしまうし、ひいてはジーンくんの才能にも疑念が湧いてしまうわけで、もう少しなんとかしてほしかった。
あと、どうでもいいことだが、劇中でビゼーの交響曲が鳴っていた記憶があるのだが、パンフの使用音楽に入っていないのはNaxosの音源を使っていないから? そんなことでいいのだろうか。
とまあ、文句も書いたけど、映画好きが観て、刺激を受ける作品であることには変わりない。
ぜひ、みなさんご覧になって自らの目で確かめてほしい。
最後に声優陣について。
小原好美は、さすがの貫禄。
「深夜アニメっぽい臭み」を残しつつ「実写映画に寄せる」という本作の基本コンセプトをまさに「声」で体現する存在として、作品を支えていた。
『月はきれい』でイモのぬいぐるみさすって偽ざーさん呼ばわりされてた子が、ここまで成長したかと感無量。この人は、シャミ子といい、藤原書記といい、ルンちゃんといい、ロキシーといい、自分に合う役をゲットすることに本当に恵まれている。
ジーン役の清水尋也は、初声優とは思えないくらいこなれた演技で違和感を感じさせなかった。ティム・バートン系のヤバさもきちんと出せていたし、抜擢は成功だったと思う。
ナタリー役の大谷凜香は、お世辞にも上手とはいえなかったけど、監督はあの声質が欲しかったんだろうなあ。たしかに、これはぐっとくる声だ。
なお、大塚明夫は大塚明夫って感じでした(笑)。
あと、ポンポさん、『ニュー・シネマ・パラダイス』が長すぎるっていってましたが、あれこそはまさに「(とあるシーンの)フィルムのカット」が作中で大ネタとして出てくる「映画についての映画」でありながら、「実際の上映時に、思い切った50分近いカットを行って映画が蘇った」好例(完全オリジナル版が173分、イタリア上映版が155分、国際上映版が123分。国内版が不入りだった結果、監督が泣く泣く後半をがさっとカットした世界公開版が、各国で空前の大ヒットを記録した)。本作の引き合いに出すには、ちょうどぴったりの映画だった。
あれ、ホント青年編以降はゴミみたいな内容だからなあ。
面白いが、
最大の評価点として主人公ジーンに纏わる一連の流れは面白かった。特に撮影終了直後の編集シーンは映画作りを体感することができたし、劇中劇の理解とジーンの心情の深堀りが重ねられる展開も飽きなくて良い。一ついうとすれば抽象的な編集シーンは合ってない挿入歌も相まってくどく、苦痛に感じられた。
しかしそれ以外のキャラはありきたりかつセリフも薄く、物語上の必然性もないためノイズといって差し支えないレベルだったのがマイナス点。ヒロインは声の演技が酷く、キャラも薄いのに無駄に多くのシーンに絡んでくる。
金髪は論外。最後のプレゼンも見るに耐えない。全体にこの映画のテーマを強調するために無理矢理つけられた外付けHDDのようなキャラだった。
総評としてビビッドなカラーと斬新な演出、よく動く作画で楽しい90分間を過ごせるのだけれどシナリオ面での粗が小骨の様に喉につっかかる映画だった。
全211件中、161~180件目を表示