劇場公開日 2013年11月1日

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スティーブ・ジョブズ(2013) : 映画評論・批評

2013年10月29日更新

2013年11月1日よりTOHOシネマズ日劇ほかにてロードショー

世界を変えるイノベーションは、暴走と混乱の中から生まれる

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この映画は、ふたつのことを語っている。ひとつは、イノベーションは社会革命のひとつのかたちであるということ。そしてもうひとつは、社会を変えるほどのイノベーションは、みんなから「クズ」呼ばわりされるぐらいの思いきり嫌なヤツじゃないと起こせないという現実だ。

アメリカでは1950年代のビートニクから60年代のヒッピーへとつながる「人間の精神解放」ムーブメントの流れがある。彼らはLSD(幻覚剤)やマリファナを使い、自分たちの意識を拡大し、精神の革命を起こそうと考えた。いまにいたるまでのニューエイジ思想の源流である。

その流れの結実の一つが、パーソナルコンピュータだ。ハイパーテキストという概念をゼロから考え出したテッド・ネルソンは70年代、企業で使われる大型汎用コンピュータではなく、パーソナルなコンピュータを開発し、コンピュータを解放せよと呼びかけた。

本作の前半に、若いジョブズが精神世界に傾倒し、インドを旅し、さらにはLSDをきめるシーンがある。ジョブズはヒッピー文化の後継者のひとりであり、精神の解放のツールとしてApple Iというパーソナルコンピュータに取り組んだのだった。

コンピュータを単なる文房具としてでなく、人間の意識を拡大する大いなる存在であるという可能性。ジョブズはその可能性に賭けたからこそ、初期の製品からMacやiPod、iPhone、iPadにいたるまで、シンプルかつ大きな一本のデザインの軸を通すことができたように思える。

黎明期のパーソナルコンピュータは当初は単なる文房具の延長としてしか見られていなかった。タイプライターの代わりになる清書機、電卓が進化した表計算ソフト、お絵かきのできる電子文房具だったのだ。しかしいまやインターネットやコンピュータは、新しい社会の基盤へと成長してきている。1970年代の革命の理想が、いまようやく結実しつつあるということなのかもしれない。イノベーションは日本語では「技術革新」と訳されることが多いが、単なる技術の話ではなく社会の革命なのだ。

主演のアシュトン・カッチャーは歩き方から風貌までそっくりで、ジョブズの「革命家だけど嫌な奴」という二面性をたくみに演じている。暴走し、周囲を振り回す人物だからこそ、世界を変えるようなイノベーションを引き起こせる。暴走と混乱の中から革命は生まれるということなのだ。

佐々木俊尚

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