劇場公開日 2013年7月27日

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「毎年夏に公開される戦争映画の中でも、本作は良い出来の映画だと思った」終戦のエンペラー Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0毎年夏に公開される戦争映画の中でも、本作は良い出来の映画だと思った

2013年7月28日
PCから投稿
鑑賞方法:試写会

泣ける

悲しい

知的

日本の近現代史に弱い私は、戦争責任が本当には誰に有ったのか?それについては正直なところ、学校でどう習ったのか、記憶が不明瞭だ。そしてその後も、詳しく勉強をした訳ではない。日本人で有りながら、お恥ずかしいが、この問題をよく知らないのだ。
しかし、この映画では、その重大問題を早急に究明せよと、当時日本を統治していたGHQの最高責任者ダグラス・マッカーサー元帥が、ボナー・フェラーズ准将に調査を依頼し、その調査のプロセスをこの映画は、追って描いている。
しかし、本作品は今迄描かれて来た、他の戦争映画と比較すると、珍しい程に日本に対して好意的な描き方をしてくれていた様に記憶する。
この夏ヒットしている、「風立ちぬ」の、あの宮崎監督も、従軍慰安婦問題について発言をされ、日本軍はアジアを侵略し、極悪非道の限りを尽くしたと、あの戦争を非難する人達が日本国内に現在も、多数存在する。しかし、当時の日本は海外の国から、石油資源の供給が出来無くなり苦渋の選択の末に戦争に突入したのではなかったのだろうか?
そして、この映画の中で西田敏行が演じていた鹿島大将の発言だったと思うが、日本の国民皆誰もが、戦争熱に浮かれ過ぎていたと言う、発言をしていたが、恐らくそれも当時の本当の日本の姿であったのではないだろうか?と私は考える。

私が好きな映画で「愛を読むひと」と言う作品があるが、その映画のハンナの裁判で語られる様に、現在の平和な現代の善悪の価値基準のみで戦争当時の狂乱していた時代を一事で、非難する事は出来ないと言う考え方に共感し、以来その考え方は正論だと考えるのだ。
「終戦のエンペラー」が描く当時の日本は、政治家と肥大化した軍部の力に因って、開戦したとしても、マスコミのプロパガンダに因って、国民が戦争一色になっていたのは確かな事だ。そして国民は、その様に生きなければ、憲兵に追われるので、軍国主義に染まる生き方の選択の他には、自己の命を守る術が無かったのも事実だろう。
戦争は一端始まると、中々止める事は出来ない上に、予想出来ない様な甚大な戦禍を後に残す。そして戦争を体験した人々はその後の人生を生きている限り、その傷を負い続ける。日本では、原爆投下により、被爆した人々にとっては、2世3世とその被害も続くのだ。
この映画が描いている様に戦争は、米兵のボナーの人生にも大きな影を落としていく。戦争の有る時代を生きる人々にとっては、皆それぞれが、加害者と被害者と言う2面性を持って生きなければ成らなかったのではないだろうか?その事がこの作品を観ていると一番に伝わって来る様に思う。
責任問題を追及する事は重要事項の一つでは有るだろうが、過去をやり直す事は不可能だ。死んだ人の人生を復元する事は不可能だ。
それよりも今後の平和な社会を生きる選択をしていく事にフォーカスする事の方が、遥かに意味が有ると私は個人的に信じている。何しろ人類の歴史は、戦争の歴史でも有る。
本作品に於いても、昭和天皇は、直接的な政治決定権を持っていなかった為に、戦争を先導する権限が無かったと言う事で、話を結んでいる。
しかし、この映画で改めてロケセットではあるけれど、焼け野原になった東京の町を観ると、良く現在の様に僅か70年足らずで復興したものだと、驚かされる。これは明らかに戦争を生き残り、戦災を乗り越えて生きて来た、一般人である国民の一人一人が、いかに戦後勤勉に生きて来たかの証を観たように思う。
夏になると必ず、毎年上映されるのが戦争映画だが、戦争映画を観る事で、私達は、戦争を繰り返さない様、平和で前向きに生きる選択をする事が必要なのではないだろうか?そんな感想を私はこの作品から得たのだ。
何時の時代も人の心の中には、善と悪の2面性が潜んでいる。日頃から自分の生き方を精査し、悔いの無い生き方を選択する事が最も大切な事で有るように思う。
この作品でも、テーマとしては、個人の良心が問われていたように、結論的には思うのだが、あなたはこの作品をどの様にお考えになるだろうか?

ryuu topiann