風立ちぬのレビュー・感想・評価
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残念
この作品はいくつかのテーマが折り重なって作られていると思いますが、「夢に生きること」に関しては、カプローニとの対話しかり、仕事に打ち込む主人公の姿を通して上手く観客に提示されていたと思います。しかし、宣材ポスターやメディアを通して大々的に打ち出されていた「生きねば」ということや「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」というテーマに関しては、共感できる描写や要素があまりにも少なく感じました。
震災や恐慌、戦争についてもう少し説明的な表現、もしくは深く掘り下げた内容の描写があれば、あの時代が如何に生きにくい時代であったかが見る側にも鮮明に伝わっくると思いますし、「生きねば」というテーマに色味を持たせることもできたと思います。そうした要素が欠落している事に加え、妻の死についてもオブラートに包むような描写しかできていなかったことが非常に残念でした。ジブリの過去作である「火垂るの墓」は生々しい描写(人の生死、醜さがはっきり描かれている場面)が多いものの、それ故に「生の尊さ」や作品のテーマが受け取りやすいですよね。このような堂々とした「表現・主張」が本作にはなかった…故にテーマも見えにくく、ストーリーに何の盛り上がりも感じられました。
そして、いちばん疑問に感じたのは、「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」というテーマです。宮崎駿監督はなぜ2人の半生を混ぜ合わせてしまったのでしょうか。混ぜることでより面白味のあるキャラクターやストーリーが生まれると考えたのでしょうか?
個人的にこの「混ぜ合わせ」には何の面白味を感じませんでした。2つの人生を一緒くたにすることに「敬意」も感じられません。堀越氏か堀氏どちらかに絞り、掘り下げることができなかったのか、激しく疑問に感じます。
以上の内容を踏まえると、作り手には申し訳ないですが☆2つです。
観客の人間性や力量を問われる恐ろしい作品だと思います。
高校生の時だと思いますが、手塚治虫の火の鳥の第2巻(宇宙編?、とにかく第2巻が最後話です)を読んだとき、面白いけど本当は何を伝えたたかったのか全く分かりませんでした。40才過ぎてようやくわかった時に、空恐ろしい漫画だと感じた思いがあります。
今回の風立ちぬは、全く同じ感があります。
もちろん。すごく面白かったです。スピード感あふれる展開、ストーリーの面白さ、アニメの中で虚構とリアリティを違和感なく表現する手法、特にカプロー二氏とのやり取りの面白さ(彼がメフィストフェレスの役割を果たす事がわかった時鳥肌が立ちました)、そしてそれを可能にする精密な時代考証と精緻な背景画、特に背景画は余りにもきれいでアニメーションの人物が浮いてしまうくらいでした。
また、当時の日本人の気質も私の父から聞かされたのと同じで、おなかが好いていても決してシベリアに手は出しません。
この作品には、色んなかたが色んな見方をなさっているようです。中には、嫌煙、兵器開発者の賛美への批判、旧日本軍をおちょくっている…まあそれはもちろん自由だと思います。
私は、まずは映画から狂気・情熱・潔さを感じ、そして生きている人間は、真っ向から生きなければならないというメッセージを感じました。ですから、狂気の中に身をおいている庵野監督を声優に登用したのは私にはわかるような気がします。声優ミスとは全く思いませんでした。そのからみでいくと、服部さんの声(國村準氏)は素晴らしかったです。
でも、それ以上の感想はかけません。というのは、自分の中で反芻したいメッセージも多いというのもありますが、なによりも下手な感想は自分の浅薄さを吹聴する気がするからです。
この作品のなかで、宮崎監督は、本当に深い様々な想いにあふれ、様々なメッセージを投げかけていると思います。しかも、宮崎監督の映画で感じてしまう説教臭さがほとんど感じられないエンターテーメントとして完成された作品だと思います。
ですから、私は、この映画の感想を聞くと、その方の人間性、歩んでいる人生の深さや必死さなんかが透けて見える気がします。そこが、火の鳥の最終話に近いと思ったところで、感想を述べるのが怖いところでもあります。
ただ、一つ言えるのは、恥ずかしい話ですが、ひたすらに狂気の中で前を向いてもがいている私には、この映画はとても共感できるということです。
私は、ハイジ、コナン、1Stルパン3世から、宮崎監督のTVと映画は多分ほとんど見ているのではないかと思っていますが、そのなかで、傑出している映画は、カリオストロの城、ラピュタ、トトロだと思っていました。
特に、トトロを超えるような作品は、出ないかもしれないと思っていたのですが、この作品は、それを超える、遺言の作品ともいうべき、完成度の高い作品だと思います。こんな作品をポコポコ作れるわけはないと思うので、この映画を見ると、引退は少なくとも今のところは本当にそう思っているんだろうなあと感じます。
色んな騒動がありますが、宮崎監督もジブリも「見てください」以外のコメントを出していないのは、絶対的な自信にあると思います。。
もちろん、そのようなことを宮崎監督もジブリも考えてはいないでしょうが、感想だけで、自分の人生を評価される、観客の力量を試されるようなそら恐ろしい映画だと思います。
アニメにする必要なし。
実話なので、実写版でよい。
極論アニメの意味がない。
そもそも堀辰雄と堀越二郎の実話を混在させるな。
第二次世界対戦の国と官僚と三菱重工業の話しなのか?
開戦し、慌ててドイツの戦闘機の設計真似て零戦を作ったと言う話しなのか?
それとも関東大震災後の二人の愛の話しか?
もし、二人の愛の話なら、対戦戦争のさなか、もっともっと大変な人々がいて、病気ではなく大勢の方々が余儀なく亡くなったはずだ。
そんなときに、いわゆる民衆では到底過ごす事が出来ない、夏の避暑地で恋愛。
この物語はアニメにする必要がない。
とても美しくて悲しい映画でした
関東大震災で自分たちを救ってくれた「白馬の王子様」をずっと思いつづけ、軽井沢で再びめぐり合えたときの菜穂子の嬉しさは、神にも仏にも泉にも感謝したくなるのもわかります。風が、帽子を飛ばして引き合わせた、運命で結ばれた二人ですね。
そこから菜穂子はわずか何年か数か月かの短い間、様々な葛藤と戦いながら、サナトリウムに入る決断をし、そこから抜け出す決断をし、最後は自分の死期を悟り最愛の人のもとを去ってゆく。
菜穂子の気持ちをしっかりと受け止めた二郎。名古屋での短い新婚生活は、二郎が妹に語るように「一日一日を大切に生きている」、二人にとって濃密で最高に幸せな時間だったはずです。
私も二郎と同じように、妻と出会い、恋して、濃密で最高に幸せな時間を過ごしてきたことを、思い出させてくれました。心から宮崎監督とジブリに感謝したいです。
支持はしてないのでスルーしてください
地震が発生して、人を掻き分けていくシーンで周りの人の声とかが一切聞こえなくなってしまった。(リアルじゃなくてやっぱアニメなんだなと)
夢の中で、なんかへんな西洋人出てきたし。。あくまで夢の中。
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途中は小生眠ってしまったのでよく覚えていません。(肝心なところがあった!?)
なのでタバコ云々はよく見てなかった、、
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最後「生きろ!」って言うけども誰も守ってくれないんだよな。
宮崎監督(引退して)お疲れ様でした。
腹立ちぬ
* ストーリーのデタラメぶり
* 意味不明なイタリア人との夢想
* モデルとなった堀越二郎の実態無視
* 結核が恐ろしい伝染病であることを無視
* ステマ工作員による高評価の捏造
* メディアによる宣伝攻勢
* 主人公の棒読み
* 元ジブリの社員という外国人の歌の酷さ
* 多すぎる喫煙シーン
* 結核の妻とのキスに初夜
* 国民のほとんどが餓えと死の恐怖に慄いた時代に、呑気で優雅な生活しか描いていない
* 堀越二郎と堀辰雄を無理やりくっ付けて意味不明な主人公になっている
* 不自然な人の声による効果音
* つまらな過ぎて、眠さをこらえるしかなかった。早く終わってくれと思った
泣けた
こんなに泣いたのいつぶりだろうというくらい映画で泣きました。
悲しい運命をたどるヒロインに対して自分の夢を追い続ける主人公、悲しい運命をたどることを受け入れ、けなげにふるまうヒロインの姿に号泣してしまいました。さらに、主人公のミステリアスさも宮崎監督が必死で堀越次郎という人物を理解しようとした結果生まれたものだと思います。それも大変素晴らしかったと感じました。
男性で彼女もしくは愛する人を持っている人にとっては堀越次郎と自分を置き換える人も多いと思います。
やはり、愛する人がどんな状況であれ、自分の幼いころからの夢を追いかけるものなんですね、男は。
あと、庵野監督の声も大変マッチしていたと思います。
残酷な・・
宮崎駿の映画は常に美しい夢でした。
今回もそれに変わりはありません。
今回は美しさを表現するのに「残酷さ」を使用しました
パンフレットからもわかるように菜穂子は美しいというだけの存在です
それ以外にこの物語に与える影響はない存在なのです
彼女の個性は美しさのみ(しかも見た目のという意味での)
二郎の愛情はそれのみに注がれます
菜穂子もそれを知り、緩やかな自殺を行います
自分の傍らでの喫煙を勧めるし、重篤な症状のまま空気の悪い都会に戻り
その寿命を縮める行為を自ら行うのです
美しさ以外に興味のない二郎を愛してしまった自分は、命を消費することしか
尽くせない。女性は男性に尽くすのみの存在だった…それ以外の価値を見出すことに
困難な時代が確かにこの国にあったのです。
それは現代的な正義感を持ち合わせている二郎(冒頭の少年を助けるシーンや、大震災での行為からもわかるように)ですら、男女の関わりにはその時代の正義に流されている事からも感じ取れます。
確かに次郎は通常の人に比べると人に対する愛情が浅い人間のように描かれていますが、友人の本庄が持つ結婚感からもこの時代の男女の関係が感じ取れるのです。
そして突出した才能の多くは人を殺すことに利用され、その能力が高ければ高いほど
誰かの命を奪い、またそれが正義とされる残酷な時代がこの国にあったのです。
いずれも狂おしいほどに残酷な、今日平和な日本からは考えられない
その時代の正義があり、その中で人は必死に生きていたのでしょう。
この映画は僕にとって泣ける映画ではありませんでした。
この映画は僕にとって今までみたどの映画より残酷で、どの映画より美しく、どの戦争映画を観たときより反戦の思いを強くし、どの映画より心を鷲掴みにされた作品となりました
宮崎映画史上一番内容が薄い
正直なんでこの映画が絶賛されているかわからない。
自伝映画で一番やっちゃいけない事をやってしまってる気がする。
自伝映画が一番つまらなくなるパターンは、その人がした事の情報を伝えるのに集中しすぎて、キャラクター自身の心理描写や葛藤が蔑ろにされてしまう事。
まさにそれをやってしまった。
ひたすら2時間、主人公が飛行機を試行錯誤しているのを延々と見せられる。
ラブストーリーの要素もあるのだが、その要素をメインのストーリーにすれば良かったと思う。もったいない。。
主人公の心理描写、葛藤が薄過ぎて、正直最後はどうでもよくなってくる。
「生きにくい時代に生きた人の話」って言われているが、エリートの設計士が試行錯誤しているのをずっと見るわけで、別に貧乏人で苦労するわけでもないし、山奥の別荘に行ったりとか、結構裕福な生活してる人だし。
この時代もっと遥かに大変な思いした人がいっぱい中で、彼を題材にしても、ちょっとねぇ。。。
ちょっと設定ミスというか、そもそもこの人を題材に映画を作る事自体がダメだった気がする。
これが宮崎駿の最後の作品になると思うと、ものすごく残念。
詩のような映画
台詞・説明等、余計なことを語らず、削ぎ落とすことによって、詩のように美しく仕上がった映画だと思います。
戦時中に絡む時代背景ですが、戦争の悲惨さ等の表現は他の映画なり本なりによって観客は理解しているものとして最小限に省き、あくまで二郎の生き様・視点を主眼においています。
さらに、映画で進む二郎の時間も数十年と長いですが、その時間の場転時にカプローニと二郎の夢を挟むことによって、無理なく美しく場転に成功しています。
映画の前半は二郎の夢を追う姿、後半はそこに菜穂子との物語が絡み、疾走感と悲恋のせつなさが観る者の心を震わせます。
特に菜穂子の花嫁姿の幽玄さと儚さ、二郎と菜穂子の想いと背景に想いを馳せれば涙無しには観れませんでした。
菜穂子が突然二郎にあなたと言い出すシーンもありますが、言葉で語らず、二郎と菜穂子との帽子のやりとりと紙飛行機のやりとりで、二人の距離を縮める描写は十分だと思います。
そして最後、カプローニとの夢の中で、二郎に別れの言葉を言えなかった菜穂子の最後の言葉、そこからの「ひこうき雲」の曲へと流れるラストは本当に素晴らしかったです。
一応、機械系の仕事に携わっていますが、戦闘機の説明があれで合っているのかどうかは知りません。
ただ、そんなことは抜きにしても、あのアニメーションは手間と労力を惜しみなく割いていることはわかりますし、シーンに手を抜かないことの積み重ねが観る者の真に訴えることに繋がっていると思います。
また、カプローニとの夢のシーンもアニメだからこそ、違和感を感じずに観ること、世界観に入ることが出来たように思います。
だから、この作品は本当にアニメで良かったと思います。
私個人としては、ジブリの作品は正直、千と千尋~以降は嫌いでした。
しかし、決して万人受けではないかもしれませんが、これほどの良質の作品を作ってくれたこと、そして私個人としてこの作品に出会えたことに本当に感謝しています。
この作品で最後になるのかもしれませんが、宮崎監督、本当にありがとうございました。
監督病み期でした??
この映画を見て感じたことは、努力をしても報われない。
能力があることが幸せに繋がるとは限らない。ってところですかね?
主人公を落とすだけ落として終わりに見えました。
ラストの会話って、主人公はあまりの出来事に自殺をはかってそのまま死んでしまうって風に取れたんですけど...
面白いと言うにはちょっと。って作品だったと思います。
大傑作
ものすごく感動して号泣したのだけど、気に入らなかった人は一体何が問題だったのか?
物語も、登場人物の心情も、とても分かりやすかったと思うのですが。
自らの「mission」にどこまでも忠実に生きようとした堀越二郎の誠実さと、堀辰雄が謳った「幸福」「無償の愛」が見事に融合してた。
「それは愛ではなく、お前のエゴイズムじゃないのか」
という黒川の問いへの二郎の答え、それが全てでしょう。
ハァァァ?(´゜∀゜`)
びっくりです。
駄作です。
宮崎監督もこんなの作るんですね。
ガッカリだ…
なんだよこれ、映画じゃねーよ。
テンポ悪い。時間経過がわかりにくい。庵野がヒドい。脚本も…
とまぁ
ヒドいです。
予想してたよりも泣けない…
もうちょっと良くできたはずですよ監督。
コンセプトは悪くなかったのに。
監督は飛行機が大好きだそうですね。
今回はちょっとやりすぎましたね…
ガッカリ。
以上。
美しい映画でした
とても美しい映画だったなぁと思いました。
見終わって、思い起こせば、
二郎の見る夢はとても色鮮やかで、夢にみちあふれ、
現実は現実で、ドイツの飛行機の精密さ、二郎の実現した零の軽やかさ、
菜穂子と二郎が青空の下で交わす口づけや、結婚式の凛とした空気、
最後の二郎の夢の中、笑顔で駆ける菜穂子と、帰らぬ機体の戦列、
淡々と、美しい世界ばかりが思い起こされました。
けれど、これって、よく考えれば本当に、悲しいことなんですね。
この映画には、幾つもの矛盾が出てきましたが、(飛行機をつくることが、戦争への加担につながったり、仕事をするために結婚したり、人を愛するために命を縮めたり…)だからといって、登場人物たちが間違っているとかは思えませんでした。
(特にこの映画が戦争賛歌や、煙草推奨とは到底思えません)
皆が皆、自分の信念のために、ただただ真っ直ぐ生きただけ、だったように思います。
命は生まれた瞬間から死に向かって歩みを進めるという、大きな矛盾を抱えていると思います。
だからこそ、こうして生きること、生きていくこと、生きようとすることは、美しいのかなぁと思いました。
ただストーリーは、零戦製造とラブストーリー、どっち付かずな感じでどちらかひとつに絞るかもっと掘り下げるかしてほしかったなぁ、と思いました。
個人的に、黒川さんが墜落した機体を雨のなかじっと見つめるシーン、三菱の研究者たちが二郎の元、自主的研究会みたいなので、目をキラキラさせているところ、カプローニが最後の飛行で女の子にまみれながら機体を案内し、貧乏子沢山な発言をするところが好きでした。
そして私が菜穂子なら…絶対治って二郎と添い遂げてやる!って感じかな。
だって、結婚の申し込みを受けて、絶対治しますから、って言ったもんね。
約束は守りたいなぁ。守れないなら守れないまま1人で死んでやる!笑
ひど過ぎる。(内容の質)
以下、その理由を書く。
1.二郎が何を考えているのか分からない。
二郎は様々な所で人助けをする。そこから正義感や思いやりがあることは伝わってくる。
しかしそこには矛盾点がある。
戦闘機という多くの罪のない人々やパイロットを殺すものを作る葛藤や、不景気、貧しい人々や飢えている子供がいる中で、膨大な金が使われる戦闘機への葛藤が、殆ど伝わってこなかった。少しはあったが、そんなに思いやりや正義感のある人間なら、そんな仕事が本当に出来るのか?他のやり方を考えることを試みたり、他の方向にいくこともできたのではないか?たとえその仕事をやらねばならなかったとしても、その葛藤がもっと描かれていいはずだ。その姿を見せてほしかった。
サバの骨を見ながら『美しい』などと言って、『美しい飛行機作り』にひたすら邁進する姿は本人なりに『力の限り生きて』はいるが、『非人間性』すら感じる。本人の人間としての信念や考え方、価値観が伝わってこなかった。
個人的な話になるが、熱中するほど好きな夢を自分も持っている。しかし自分はもしその究極の夢を実現することが、二郎のように多くの罪のない命を奪う事に繋がるのならどうするかと考えた。自分は加担しないで叶える方法を出来る限り探し、違う道を探すと考えた。強制的に加担せざるおえないと立場にあったとすれば、とても平静ではいられないと思う。しかし二郎にはそれが殆ど描かれなかった。
ただ『夢を追う姿』を純粋に描いたと言われても、すんなり何もかも無表情で受け入れる二郎に納得出来ないものがあった。
『力の限り生きれば』なんでもいいのか?『どう生きるか』が大事なのではないのか?ただ『美しい』飛行機を求め戦闘機を設計する二郎の生き方や姿勢には『狂気』すら感じた。
2.国際社会への認識の欠如。
宮崎アニメは世界的に有名だ。
宮崎アニメファンだった他国の人が、この作品を観てどう思うか?
右傾化していると思われないか?
これは本当に危険なことだ。何も今このタイミング(近隣諸国と色々ある中、また何度か政治家の発言が問題になった後)
で戦争映画を、しかも真っ向から反戦と言っていない、肯定しているようにも、美化されているようにも受け取れる作品を作るべきではなかった。
宮崎駿は自分の影響力について分かっているのか?
日本人はそもそも海外の目を意識していなさ過ぎる。(自分は長く海外に在住し、様々な文化圏の人々と関わった経験があるので、そう感じるのかもしれない)グローバル化する今、一国の思い込みでは国は生きてはいけない。海外の目を意識しなければただの変な国と思われ、孤立するだけだ。
男尊女卑な国だと思われないか?
もともと日本は世界からそういうイメージで見られている。時代で仕方ない部分もあろうがジェンダーの視点から観た時、気になる細かい箇所が多数あった。(二郎の親友の見合いに対する発言など)
外人を馬鹿にしていると思われないか?
山盛りのクレソンを無心に食うドイツ人の滑稽な描写や不気味な感じ、その他、外国人の描写の仕方が気になった。
3.煙草の場面が多過ぎる。
特にドイツ人と煙草を交換する場面はいらない。煙草=カッコイイという安直な理由で使ってるとしか思えない。
4.絵の技術の低下。
(自分は絵をやっているから特に感じたのかもしない)今迄感じなかった人物の表情、顔の輪郭、群衆の顔が気になって現実に引き戻されることがあった。主な登場人物の表情が生き生きとしていないと感じた箇所が何度かあった。下手であったり、同じであったり、不自然であったり。更に二郎の顔自体(表情ではなく骨格など)が場面によって変わったと感じた箇所が何度かあった。やたらイケメンに描かれたり、少しエラがはったり、普通だったりした。
5.本当に『生きねば』を伝えたいなら、もっと苦しんだ人達を描くべき。
一握りの金持ちのインテリのエリートばかり出てきて、特に二郎とその親友には本当の人の痛みが分かっていないように見受けられた。戦時下、苦しんだ人は沢山いたはずだ。防空壕も、兵士の悲惨さも、根っこを食べるひもじさも、何ひとつ伝わってこなかった。その中で必死に生きた人がいたはずだ。一方二郎は裕福で、有名大学に行き、避暑地で休み、、、恵まれた環境で、葛藤も殆どなく生きていた。個人的に海軍と話している時、彼らの話を殆ど聞いていなかった二郎にその人間性が出ていると感じた。自分達は特別、そんな意識すら感じた。
気になった点が多過ぎて収集がつかず全ては書ききれない。
6.個人的見解の結論とその他気になったこと。
結局個人的な結論としては宮崎駿は『飛行機が描きたかっただけ』『自分の趣味を描きたかっただけ』と感じた。紅の豚に通じるものがある。(紅の豚は徹底して趣味を貫いているからまだ良い)そこにメッセージとして『力の限り生きる』というテーマをなんとか入れようとしたが、様々な矛盾点を結局収集できずに終わり、後はつぎはぎや、つけたしと、言い訳、他者の目を意識して直した結果、なんだかよく分からない『中途半端』なものが出来た。
上映終了後、菜穂子の死で悲しくなった。しかし死を通して感動させるやり方も好きではなかった。死を描いても良いが、それなら曖昧に抽象的に綺麗に終わらせるのではなく、もっと丁寧に、真剣に向き合って描いて欲しかった。そこに宮崎駿のずるさを感じた。菜穂子の描写や設定は現実味がなく、安っぽく感じた。最後に一番残ったのは、なんとも言えない『微妙』で『もやもやした』感情だった。
スポンサーや他国の目を気にして、こうなってしまったのか。 宮崎駿自身が色んなことを気にして自由に描けない葛藤を表しているのだろうかと深読みもした。真相は分からないが宮崎駿の全力がこの作品だったとは信じたくないほどひどい内容だった。
宮崎駿に本気で正直に突っ込める人間が周りにいないのではないだろうか。(NHKの特集番組でのスタッフとのやり取りを見ても感じた)奥さん位ではないのか。鈴木プロデューサーはそうだろうが、個人的に鈴木プロデューサーの助言はむしろ宮崎駿を変な方向に走らせているように思える。地位の高い者が気を付けなければ起こる悲劇、裸の王様だ。
『無知の知』(勉強し続ける姿勢)
『謙虚さ』(人の意見に耳を傾ける)
を忘れては良い作品は作り続けられない。周りのスタッフも本当に宮崎駿を思うなら、正直に本音でぶつかってほしいと思う。宮崎駿がある意味哀れにすら見える。そして宮崎駿も今迄の賞賛や実績に対する傲慢さを一度横に起き、意見を謙虚に受け止め、考えて欲しい。
もう一つ気になったのは、ウケやオブラートに包むような仕掛けが意識的か無意識的にか、されていると感じたことだ。
ウケは菜穂子(個人的に綾波レイと少し被った)の綺麗、お嬢様、病弱、健気、一途、従順、全て受け入れる姿勢、といった設定や、二郎のたまにあるイケメンな顔の描き方、どんな非常時も冷静で人を助けるといった描写(アシタカやハク的な。しかしよく観察すると、それらとは全く違い、性格に矛盾を抱えている。1.を参照)、親友もイケメン。
オブラートはイタリア人の出て来る夢という言い訳で色々なことを曖昧に丸く収めさせるところ。フランス語や本の引用や『風』を多用してそれとなくカッコ良く、インテリっぽく、意味あり気で深そうにしたところ。関東大震災が入いることでなんとなく災害の大変さを伝えたいのかなと思わせたところ。しかし、本当にそれを伝えたいのなら、もっとしっかりその大変さを入れるべきだ。意外にサクッと終わった気がしたのは自分だけか?
あとは音楽や昔の綺麗な日本の風景でそれとなく『良い映画』な気がしてくる。しかし、実質は違う。誤摩化されてはいけない。騙されてはいかない。よくよくその映画の本質を見ないといけない。それをワザとやっているような気がして、嫌だった。
また『良い青年だ』『感動した』など、登場人物の言葉でまるで無理矢理そう感じろと観客に投げるやり方も好きではなかった。本当は丁寧な人物描写で自然とそう思わせるべきではないのか?
宣伝をやたらしていたのは自信の無さの裏返しと感じた。
宮崎駿は『ファンタジーを作っている場合ではない』と言うが、こういう時だからこそ作れるファンタジーや児童向けの作品もあるはずだ。一方で震災直後ならそう感じるのも、分からなくはなかった。しかしそれならば、リアルを描くならそれも良いが、それならちゃんと向き合い、やり切って欲しかった。この作品は中途半端過ぎる。
7.今後のジブリ
個人的な予想では次回作は今回のことを反省して、昔のトトロのような作品か子供も楽しめるファンタジーになると考えている。またそう希望している。本当に良いものは大人も子供も楽しめるはずだ。男だけ、女だけ、老人だけ、子供だけが面白いと思う作品は、個人的にはその程度の力しかないと感じている。
創造的人生は10年限り・・・なのか?
実際の堀越二郎には色々毀誉褒貶もあるようだが、この作品の主人公はゼロ戦を設計した航空技術者という事実は踏まえているものの、堀辰雄の「風立ちぬ」の主人公を堀越二郎に置き換えたような宮崎駿のオリジナル作品の映画化であるから、それを作品批判に持ち出すのはお門違いであろう。
この作品で描かれる堀越二郎はひたすら「より美しく高性能の飛行機を作りたい」という意欲に燃える青年であり、当時それができるのが軍需産業でしかなかったという理由で戦闘機の設計に携わっていくが、ここは宮崎駿の飛行機及び飛行機馬鹿へ寄せる愛着がよく感じられる。
庵野秀明の起用の結果についてはある程度覚悟していたので、それほど違和感はなかった。しかしその声優としての起用はこの作品にどのようなプラス効果があったのか私には不明で、「ヱヴァンゲリオンの監督」の知名度以外に、何を意図してのものなのかはよく理解できない。
私が気になったのは、作中カプローニ氏の言う「創造的人生は10年限り」だ。これも何かの引用だろうか、それとも宮崎駿のオリジナルだろうか。
「人間の能力発揮のピークは短いから、やりたいことがあれば全力で取り組め」というなら納得できるが、なぜ10年という枠を設定する必要があるのか?10年を超えて創造的活動を行っている人は大勢いる(宮崎氏もその一人)と思うのだが。
おしい。。。のかな
初めに。最近の宮崎監督の映画には若干批判的です。
主題がぶれてませんか?と、問いたい。
恋愛か?堀越さんの人柄か?
どちらに主題を置きたかったのだろうか?と悩んでしまいました。
確かに、場面場面では「つらい」「きつい」「幸せ」と感じることができる作品です。
でも、恋愛シーンがあったと思えば、次の場面ではあっさり感情が断ち切られて飛行機作って「仕事だから」みたいな感情が流れてきたり。
自分的には飛行機2、恋愛8くらいの割合でやってくれたほうが萌えられたのに、と思いますw
世間の賛否の激しい、「病床の奥さんの横で設計をする」あのシーンをずっとふくらまして作品にしていてくれたらよかったのになあ。
あ。喫煙シーンは別に何とも思いませんでした。そういう時代だなあってくらいですかね。
あとひとつ。そろそろ宮崎監督は声優さん使ってくれませんかね。耳たこでしょうけども。
宮崎監督の信念と良心を垣間見ることが出来た。
映画の内容について、ほとんど予備知識のないままに見に行った
が、素晴らしい映画であると感じた。
宮崎監督の信念と、今の日本に伝えたいメッセージはしっかりと
受け止めることは出来たのではないかと思う。日本の一番暗く重
い時代を、腐りもせず、自傷にも批判にも走らず、自らの仕事を
全うする青年の姿に、監督が本作に込めた、今の日本へのメッセ
ージを感じない訳にはいかない。
その時代を断罪することができるのは、同時代に生きた者にのみ
許された特権である。監督もそのあたりのことは重々承知のはず
。
本作の中で非難らしい非難を受けたのはナチス党であり、作中人
物を通して、ならず者の集まり、とまで言わせている。それ以外
は日本の軍部、会社組織、上流階級、来日中の枢軸国人、そのい
ずれに対しても監督の描写はあくまで中立を貫いている。その辺
りに監督の配慮、そして良心を感じた。
堀越氏の生い立ちにしろ、零戦の設計者としての知識ぐらいしか
もっておらず、堀辰雄の「風立ちぬ」もだいぶ前に読んで以来、
ほぼ内容を忘れかけていた。
なので、本作が史実に合致しているか、については私自身それほ
ど重要視していない。むしろ、日本が一生懸命に輝こうと悪戦苦
闘していた時代の美しさを、監督が愛好する、紅の豚の世界にも
似た飛行機乗りのロマンに絡めた着眼に拍手を送りたい。
どうすれば、今の日本はかつてのように輝けるのか、どうすれば
少子化を克服できるのか。そして、人は何ゆえに生き抜くのか。
ラスト近くで菜穂子が語りかける言葉に、全てが集約されている。
2013/8/24 イオン・シネマつきみ野
本作への批判、堀辰雄との類似性に関して
--本作への批判、堀辰雄との類似性に関して--
この映画を一緒に観た友人は、非常に怒っていた。彼女いわく
「軟弱な世界観。当時あったはずの悲惨さを全く描いていない。まるで夢物語だ」と。
私はその言葉を聞きながら、ある種の既視感を覚えていた。
この映画への批判は、堀辰雄が文学史の中で受けてきた批判と同質だったからである。
「素寒貧」「堀の小説にでてくるような生活はどこにもない」
三島由紀夫、大岡昇平らが堀を評しての言葉である。
本作への批判を、堀文学と比較しながら考えていきたい。
...
本作は、堀文学へのオマージュが散りばめられている。
二郎が軽井沢のホテルで菜穂子の部屋を仰ぎ見るシーンは『聖家族』からの、菜穂子がサナトリウムを抜け出して二郎のもとへ赴くエピソードや喫煙シーンなどは『菜穂子』からの引用であろう。(余談であるが『甘栗』における喫煙シーンは文学史上屈指の美しさであり、堀辰雄は煙草を大変上手に扱う作家でもあった。)
エピソードのみならず、本作と堀辰雄作品は、その表現方法も酷似している。
堀辰雄はアクテュアリティー…現実性を徹底して排除した作家であった。
「私は一度も私の経験したとほりに小説を書いたことはない。」と、自ら語っているように、
結核を患っていた己の療養生活をそのまま描くのではなく、美しい虚構に再構築して小説に仕立てた。
私小説として現実の悲惨さを描くのではなく、ラディゲのような純粋な虚構を書く事、「現実よりもつと現実なもの」を描く事が堀辰雄の目指すところだったのである。
それは、この映画における、戦争や死に触れながらも悲惨さを排除し、美しさ純粋さを際立たせた演出法でもある。
このような表現方法は熱狂的なファンも獲得するが、前述のような批判を生む。
堀辰雄に対して
大岡昇平は
「きれいなことだけ書く」
「堀の小説にでてくるような生活はどこにもない」
「変にセンチメンタルなことを書いてるのは、人の憧れをそそろうという策略」と断じ、
三島由紀夫は
「文体を犠牲にしてアクテュアリティーを追究するか、アクテュアリティーを犠牲にして文体を追究するかのどちらかに行くほかはない」という、表現者にとっては切実な問題を充分理解しつつも、
掘文学を「青年子女にとって詩の代用をなすもの」(大人向けではない)と評するのである。
小説の発表当時だけではなく、むしろ戦後あけすけな堀批判がなされたという事は、大戦を経た社会では、堀辰雄的表現の限界を感じていたのかもしれぬ。それとは別に、あまりにも自己完結された堀文学への羨望にも似た揶揄だったのかもしれぬ。
大岡らの評と、我が友人の本作への否定的な論は、非常によく似ている。
現実をあえて描かない事を、甘えとみるか、作品世界の完成度を上げるための手法と認めるかの、瀬戸際の論なのである。
本作への否定は、宮崎駿やジブリという特異性に対してのものと勘違いされがちだが、堀辰雄的な表現法への批判であり、それはもう何十年も前から行われてきたことなのである。なんら目新しいものではない。
当然、宮崎駿自身も「美しいものを描く」表現法が賛否を呼ぶ事は承知の上だったのであろう。
アクテュアリティーが無いという批判は、宮崎が目指したもの…堀辰雄的世界により近づいているという賞賛でもあるのだ。
堀辰雄を最大のエクスキューズにし、徹底的なアクテュアリティーの放棄をやってのけたとも言えるのである。
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--堀辰雄との相違性に関して--
では、本作と堀文学が全く一緒かというと、そういう訳ではない。それぞれの作家性が当然のごとくある。
その相違を考えていきたい。
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宮崎駿は堀越二郎という一人の天才を描いたが、
堀辰雄も一人の天才をモデルに用いた。堀の師でもあった芥川龍之介である。芥川をモデルとした人物が『聖家族』『菜穂子』などには出てくる。
天才をモデルにし、作者本人との類似性を提示したという点では一緒なのだが、そのスタート地点が決定的に違う。
映画では、二郎の夢を追う道程を描いた後に、愛する人の死と敗戦という深い喪失が提示される。
堀の小説は逆である。
最初に芥川の死という喪失を提示するのである。
映画のラストから、堀の小説はスタートするのである。
芥川の自死。芥川を理想としていた堀にとっては、どれだけの絶望であったであろうか。その上で、
「(芥川の死は)僕を根こそぎにしました。で、その苛烈なるものをはつきりさせ、それに新しい価値を与へること、それが僕にとつて最も重大な事となります」とし、物語を紡ぎ始めるのである。
喪失そのものと対峙し新しい価値を与えることが小説の第一義なのだ。
であるがこその「いざ生きめやも」なのである。
宮崎駿は美しき夢を描き、堀辰雄は夢の果てた後の無惨さを美しく転化して描いたのである。
...
ここから先は個人的な所感である。
映画を見た際に、若干ひっかかりを覚えたシーンがあった。
軍部との会議のシーンと、特高警察の登場シーンである。
(これらのシーンに対して史実と違うという批判は無効だ。なぜなら本作がアクチュアリーの排除を前提とした作品だからである。)
他のシーンが圧倒的な美しさに溢れていたのに対し、あまりにも戯画化され過ぎていて、ありきたりな印象しか残さない手垢の付いたシーンであった。宮崎駿の観客をリードしようとするその方向性が、容易に見透かされるのである。
これらのシーンは、個人と全体の対立という非常に重いテーマをはらんでいるのだが、その表現法はあまりに安易だ。
観終わった後しばらく気になっていたのだが、宮崎駿本人がこう述べていた。
「(会議のシーンなどは描きたくないが)やむを得ない時はおもいきってマンガにして」カリカチュア化して描くと。
戯画化され過ぎているのも、宮崎の計算のうちだった訳である。
映画全体のバランスを考えれば、それが正解なのかもしれない。
そう判りつつ、堀辰雄だったらこれらの場面をどう描くのかを、考えてしまう。
堀辰雄だったら
作品全体のバランスが悪くなったとしても、判りやすいカリカチュア化ではない方法をとったのではないか。
もし描ききることが出来ないのであれば、その場面をカットしストーリーそのものを変えてしまったのではないか。
その堀辰雄の潔癖性こそが、純化された作品群を生み出す源であった。
三島由紀夫が「素寒貧」と酷しながらも、「小説を大切に書くこと」を堀から学んだと表する所以は、そこにある。
そして堀から表現に対する実直さをとったら何も残らないのである。
宮崎駿は、堀辰雄よりも遥かに老練な表現者なのかもしれぬ。その手管の豊富さは批判されるべきものではないのであるが、
堀辰雄への共感と同等のものは持ち得ない。
カリカチュアを良しとする老練さは、純化された作品には向かないからである。
宮崎駿がその老練さを捨てた時、真に純化された作品を作った時、
本当の傑作が生まれるのではないか。
爽やかな風を体全体に浴びたような気分です^^
宮崎駿監督は本当に自分の好きなように、本作を作られたんだなあと感じました。豚は一切出てきませんし(笑)、客を喜ばせようというシーンも全く出てきません。
ただ二郎が、ゼロ戦を作り上げるまでの過程が淡々と描かれているだけです。しかし僕はそんな世界をもっと見ていたかった、爽やかな風をもっと浴びていたかったと思ってしまいました。
本作で描かれる二郎は、監督ご自身の姿だと思います。二郎も監督も非凡な才能を持っておられます。そのために、二人に求められるものというものは大きくならざるを得ない。おそらくそれは、周りがそこまで求めなかったとしても、自分の意識がそれを求めてしまうようなものだと思います。
そんな二人(二郎と監督)には普通の生活を送ることはできません。二郎は菜穂子と一緒に療養所に行きたくても行けません。菜穂子は一緒に療養所に行きたいとはいいません。それはなぜか。もし一緒に行ったとしても、そこにいる二郎は菜穂子が愛した本来の二郎ではなくなるからです。やはり二郎はゼロ戦をつくるしかないんです。それが二郎だからです。
二郎にも葛藤はあるはずです。妻のためにはこれではだめなんだ。しかし自分にはこうすることしかできない。菜穂子の体にとって最善ではないかもしれない。しかし二郎と菜穂子の関係においては、菜穂子に側にいてもらうあの形が最善となってしまうのでしょう。
二郎ほどの人間であっても、やはり一人ではゼロ戦はつくれない。菜穂子が自分を支えてくれたからいい仕事ができた。本作は、監督がご自身の奥さんに向けてつくられた映画なのかもしれませんね^^
劇中に出てくるもの全てが美しいです。人も自然も人口造形物もなにもかもが美しい。潔い。真剣さを隠すレトリックも全くありません。醜さも派手さも全く用意されていません。
僕はスポーツやマラソンを見ているような感じで、本作を見ていた気がします。監督の人生を感じながら、僕はそれに自分の人生を重ね合わせたり、振り返ったりしながら…
妻への感謝の気持ちと、「いろいろあったけど、俺頑張ってきたなあ」そんな気持ちから、監督は涙されたのかなあと思いました。
実際の人生は、映画やドラマのようなシーンはほんの一部分で、それ以外は本当に淡々としていますよね。でも、その淡々とした日常がいいんだよなあ、なんて思ってしまうのですが、日頃はまた忘れているんだろうなあ^^
やはり頑張って何かを成し遂げた喜びというものは、何ものにも代えがたいものがありますよね(*^-^)
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