ぼっちゃん

劇場公開日:

解説

「ゲルマニウムの夜」「まほろ駅前多田便利軒」の大森立嗣監督が、2008年に起こった秋葉原無差別殺傷事件の犯人・加藤智大をモチーフに、史上稀に見る凶行に及んだ犯人が何を考え、何を感じていたのか、ひとりの人間の内面を骨太に描き出していくドラマ。秋葉原の歩行者天国で、ネットの掲示板に自身のコンプレックスや孤独な叫びを書き込んでいる派遣労働者の梶知之は、派遣先の工場で自分と似た境遇の田中さとしと出会う。社会から疎外された者同士、梶と田中の間には友情が芽生えていくが……。

2012年製作/130分/日本
配給:アパッチ
劇場公開日:2013年3月16日

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映画レビュー

0.5レイプシーンが長い

2024年3月6日
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女性は注意してください。

弱男の苦労はわかるけど、女を巻き込むな。

映画としては悪くないと思います。
コメディタッチでわかりやすく描かれています。
そんなに不細工で辛いなら整形すりゃいいじゃん(~_~;)
女に困ってないホストでさえ整形してる人たくさんいるんだから、偏見を捨て去って幸せを選べばいい。
と思うのは理解が足りないのだろうか。

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匿子

4.0加藤智大をモチーフにしたコメディー映画

2022年4月17日
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笑える

悲しい

楽しい

初鑑賞
2013年の作品

監督と脚本は『ゲルマニウムの夜』『まほろ駅前多田便利軒』『さよなら渓谷』『日日是好日』『タロウのバカ』『MOTHERマザー』『星の子』の大森立嗣

ないないづくしの非正規雇用労働者梶和之に水澤紳吾
梶くんと同じ職場で友だちになるすぐに寝ちゃう田中さとしに宇野祥平
梶くんと同じ職場に勤める危険人物で本当の苗字は黒岩の岡田に淵上泰史
病院勤務でなぜか田中サトシの彼女になるユリに田村愛

広報の失敗
秋葉原連続通り魔事件の加藤智大死刑囚をモチーフにしているらしいがそれを全面に押しすぎた
さえない派遣社員2人のうわべだけの友情をメインにした北野武風コメディー映画だとわかっていれば映画館でも観ていた

秋葉原の殺戮シーンはない
そのずっと手前で終了
そこは重要ではないのだ

水澤紳吾初主演映画
大胆な大抜擢
期待に応えて見事な役作り
だけど水澤紳吾は顔が生理的に無理
本郷奏多と同じく仙台出身
比較的地元が近いので応援するべきなのだが2人ともあまり好きではない
でも今回の作品は今までと違い水澤紳吾がそれほど気持ち悪くない
彼が面白いと感じたのは初めて

基地外は「ブサイク・彼女いない・友達いない・非社員」
基地内はその真逆
そういう世界

仙台育英高校野球部出身にも関わらずキャッチボールも全くできない惨状を見事に演じた水澤紳吾の芝居が面白い

名前は知らないけど比較的美人の全裸姿が出てくるが普通の人は興奮しないはず

レイプシーンは嫌い
やめて!と言われてますます興奮するタイプではないのでただただ嫌悪感がこみあげる
でも田村愛はそこだけ迫真の演技だった
どうやら入ってなかったようだ
即実行しないで焦らすタイプかもしれない

イケメソは傲慢だから殺します
からの意気投合
ジャンプの友情漫画かよ

なんかよくわからないけど可哀想な人たちって面白い

秋葉原連続通り魔事件は単独犯じゃないとネットで主張しているバカはこの映画に影響を受けたのかな

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野川新栄

4.0『ジョーカー』っぽい。

2020年10月27日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

怖い

秋葉原通り魔事件の犯人がネットに書き残した大量のつぶやきを元に大森監督が犯行に至るまでの物語を描いた話。
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まずこの映画見る時に注意しないといけないのはあくまでフィクションだということ。大森監督がこうだったかもしれないと考えた話。
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この映画の評価が低いのって、秋葉原通り魔事件っていう私でも記憶にある衝撃的な事件で、そんな事件で加害者に寄り添った映画を作るとなると賛否両論あるのはしょうがない。実録犯罪ものは、『罪の声』みたいに事件を追う側がメインの方が誰にでもウケは良いはず。
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この映画、事件より社会の隅っこで生きる男がどのような末路をたどっていくのかっていうプロセスがメインなので、日本版『ジョーカー』みたいでもあった。しかも『ジョーカー』と違って、そこにはちゃんと現実の友情があったりするので余計悲しい。
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そして最後、サイドブレーキを上げたことがこの映画がフィクションだということを再確認させられる悲しい終わりだった。

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せつこん

5.0差別意識について

2020年4月22日
スマートフォンから投稿

容姿にもコミュニケーションにも難あり疎外感を生まれてこのかた感じてきた、と自分で思い込んでいるような人間の頭の中がどうなっているのか、もちろん一人一人の話でしかないし、自分以外なんて想像するしかない。本当は誰にも分かりようがない事に一つの仮説を投げかけるような映画。インターネットへの呟きは非常にリアリティがある。差別される側の複雑さというのは、自分と同じような人間にも同族嫌悪を持つという所で、この描写もリアル(何をもってリアルと言うのか、普段意識しないようなその境界すら揺らがせる強さがある)。差別される側だってわざわざ自分や他人を差別している。

疑問なのは、差別というものを差別する側の意識として明確に悪意として表現している序盤。
この時代であれば、そういう事がないとは言わないが似た者同士で固まるという穏やかなコミュニティのあり方が存在するのではないか、無関心社会への移り変わりの時期だったのではないかと感じた。主人公が受ける差別が(そんなに悪い奴ではないように見える故もあり)若干作為的に見える。

差別意識というのはもっと人の無意識のなかにある、差別している側も差別していると思ってないような事が当事者には差別に感じられるという事が痛々しいのではないだろうか。経験的にも、自分と違うものを異化したことで人を傷つけた事はあるし、無自覚にも無数にあるだろう。開き直るわけでは決してないがそれは気をつけても起こってしまう事だと思う。
逆に差別されたこともあるが自戒込めて、被害者意識というものがとかく気持ちが悪いのは、そのような人間の無自覚の仕方の無さに想いを馳せる想像力を人から奪うことだ。人は人を憎むことをやめられないのかも知れないが、憎しみはなにも生まない。
想像力を奪われた人間は醜い。孤独を受け入れられない人間も醜い。仕方がない事だけど、自分のためにもそんなふうに自分を終わらせるのは損でしかない。頭ではそう思っても、全然できない事ばかりだ。

そんな自意識の甘さ故の痛々しさにまでこの映画がしっかりと到達できていたのかどうか、一見ではハッキリとは分からなかった。分かりようのないものに対して分かろうとして、分からなくてという到達しようという作り手の誠実さはとても感じられた。

賛否あろうがこんな風に観客を怒らせる映画が存在するべきだと思う。人は自分の悲しみしか感じる事は出来ない。だから他人の悲しみは想像するしかない。誰かだって誰かの子供なんだよ、と言っても通じない時がある。そんな彼でさえ誰かの子供である。けれど、ラストシーンの後に殺戮が起きるのなら自分はこの映画の主人公の事を赦せないと思う。

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