シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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ハッピーエンドで何より
これはこれで賛否あるかと思いますが、多くの方が納得できる終わり方だと思います。考察も含めてエヴァの魅力なのかな、と。あっちゃんのシン・エヴァ動画が楽しみ。
遠慮なき、目のご馳走
テレビ放映当時ドンピシャ14歳で、最終回のありがとう、続く劇場版にも結局ポカーンとさせられた身としては、序の頃には期待してました。
「これは年月を経て色々と円熟した庵野監督が、今度こそ物語としてきちんとスッキリするオチをつけてくれるんじゃないのか!?今度こそあの時の消化不良な気持ちを、ついに成仏させてくれるんじゃ!?」と。
しかしあれよあれよという間に物語はカオスへ。Qに至ってはこれぞエヴァ也といった感じで後半全然物語を追えませんでした。ただ、デザイン・色彩などビジュアル面は実写非実写を問わず他のどんな映画でも味わえない素晴らしさで「目のご馳走」としては大変美味しく頂きました。
今回はその更なる拡大版。最後という事もあるのか、これまでで最も遠慮なく容赦なく多くの観客を突き放し、入念に事前知識を仕入れたり聖書だの何だのを調べていないと全く理解不能な専門用語がマシンガンのように繰り出され、やはり終始ポカーンでした。
総評として物語は意味不明、ビジュアルは相変わらず素晴らしいという事で他に気になった点を。
・村での暮らしの下りが一番楽しかった。その終わり方の残酷さ・強烈さはこの先の物語の動機付けになるのかと思いきやなんとなく有耶無耶になった。
・その強烈さをもたらした綾波という存在。誕生以降「綾波的キャラクター」というものを作り出してきた強烈なアイコンだけど、まだこんなにダシが出るものかと驚いた。ただ無表情なだけじゃなく、素直に全てを受け入れて変化していく=育っていく様が小さな子供や動物のような可愛らしさを生み出したのかなと思う。
・それとまったく対比的に描かれる「全てを拒絶するキャラクター」としてのシンジ。ああ、最近忘れてたけどコイツってこういうどうしようもない、しょうもないヤツだったなぁと思い出させる執拗な、執拗な自閉ぶりに閉口。
・今回やたらサービス過剰なアスカ。昔は「オトナへの子供っぽい憧れから同年代を相手にしてない高嶺の花」だったのが、見た目は子供中身は大人という、どっかの探偵のような属性を手に入れた結果ストイックな女戦士みたいになった。最終的にその永遠の超絶美少女中学生な高嶺の花を手に入れるのが大人になったケンスケというのは一部のイケナイファンを喜ばせそうだなと思った。
監督が可哀想。
監督は深いこと考えてないだろうな。
周りが盛り上がっちゃって、、
凄くないのに褒められて期待されて監督が可哀想よね。ゆっくり休んで、違う名前で再出発するのが1番心の健康にいいと思う。
頑張ったね。お疲れ様。
凄いものが見れた
前作Qがあまり合わなかったので少し不安があったのですがとても面白かったです。
細かい設定はよく分からなくても斬新で圧倒的な表現で物語に引き込まれる。
その物語も親子の戦いに完全決着を付けてくた希望に満ちた終わり方で、
ずっとこういうのが見たかったんだという大満足な映画でした。
自然のきれいや敵の神秘的なグロさや戦いの大迫力や真面目におかしな事をやってくれるシュールさとかかつてエヴァに感じた面白さがかつて以上に味わえて本当に良かった。
物足りなさの正体
今回この作品を観るために初めてエヴァンゲリオンという作品に触れました。
TVアニメ版、旧劇場版、新劇場版序、破、Qを観たあとに本作品を鑑賞しました。
観終わった直後は「自分の期待を超えては来なかったな」という感想を持ちました。
決してつまらなかったわけではありませんが、私自身は旧劇場版の方が大きなカタルシスを得られました。
なぜ本作品ではそれほどのカタルシスを得られなかったのか自分なりにモヤモヤとした気持ちを整理してみました。
理由を挙げると、やはりラストシーンでシンジとマリが結ばれた(恋愛感情かどうかはわかりませんが互いに運命を共にしている唯一の存在だと感じました)というのが、綾波やアスカをさしおいてなぜ、と感じたからかもしれません。綾波、アスカと比べるとマリの心中がブラックボックスであることもマリエンドに抵抗があった原因だと思います。綾波やアスカの心中は作中で大いに描写され、特にアスカはその弱さもさらけ出していたので、アスカエンドを願っていた人も多くいると思います。
もう一つ、エヴァンゲリオンという作品を順を追ってみていく上で、碇シンジの葛藤が私にとって大きなものであったんだと再認識しました。本作品では序盤こそ碇シンジが葛藤の中にいる描写があるのですが、TVアニメ版や旧劇場版に比べると、だいぶあっさりした描写だったかなと思います。
以上が、私が本作品に物足りなさを感じた理由です。
ただ、今こうして本作品を振り返ってみると、一つ旧劇場版になかった良かったと思う点が浮かび上がってきました。それはネットなどの感想でも度々言われている「エヴァからの卒業」「大人になる」というキーワードによって表されていると思います。本作品のラストシーンではシンジが大人になっていますが、その世界は「エヴァのいない世界」であると考えられます。シンジは今まで綾波やアスカ、その他大勢の人に助けられ、迷惑をかけていました。ところが最後の最後で、仲間たちを助け、エヴァの呪縛から解き放っていきます。そしてそれは自らがその責任を受け入れてある種の自己犠牲を受け入れる覚悟を持ったということだと思います。
作中でアスカからも「自分のことしか考えていないガキ」と言ったような言葉を吐きかけられているように、シンジはこれまで自分のことしか考えていませんでした。それこそがエヴァンゲリオンという作品におけるシンジの「葛藤」なのですが、本作品でその「葛藤」があっさりしていると感じたのはすなわちシンジが「大人になった」ことに起因しているのかもしれません。
シンジの覚悟による行動ののち、最終的に母親、そしてマリによって救い出されるのですが、シンジの覚悟によって綾波やアスカたちをエヴァから解き放ったことには変わりありません。そしてそのことを知っているのは、その世界ではシンジとマリだけなのです。
そのような見方をすると、ひとまわり大きくなって、声変わりもし、大人の女性に恐れもなく冗談混じりに好意を伝えているシンジの頼もしさこそが、シンジの成長であり、葛藤からの卒業、すなわちエヴァからの卒業であるのかなと思いました。
すごく良かった。
エヴァシリーズ初めての鑑賞。しかし、国民的アニメとしてある程度の知識は入っていた。いやー、実に面白い。きちんとタイトル通りにピリオドを打つようにはエヴァシリーズを終わらした。伏線回収も良かった。なかなか楽しめる作品ではあった。
シン・エヴァンゲリオンいいですね。うん納得の終わり方。この作品いろ...
シン・エヴァンゲリオンいいですね。うん納得の終わり方。この作品いろんな完結方法あったとおもいますが、この映画での完結にしてくれた。庵野さんと株式会社カラーに感謝以上です。
10日ほど経ってようやく落ち着いたのでレビュー書いてみることにしま...
10日ほど経ってようやく落ち着いたのでレビュー書いてみることにしました。
目を見張るような戦闘シーン、ポカポカな村の生活、虚構チックな世界、父と子や仲間たち…
感動や涙もいろいろなモノが詰まっている。
あいかわらず理解は薄いのだけど、すごかった、そしてよかった。
間違いなく、エヴァの最高傑作、一言では言い表せません。
そしてエヴァの存在しない世界。駅のシーン
考察はいろいろ出ていると思うのだけど、
そしてどう捉えるかは観た人それぞれ自由だと思うのだけど
僕は…「夢オチ」ということで良いですか?
戸惑い
リアルタイム視聴世代だけどものすごいファンでもなく。
一応なんとなくみてたシリーズ?だから、この波に乗っておこくらいの気持ちでみました。
エヴァのうり?である小難しい設定や考察は得意じゃないので雑感ですが。
とにかく画がよい。
リアルさだけなら君の名はに軍配あがるが、抽象的、心理描写的、エヴァのATフィールドに代表する精神世界を具現化する手法は真似できません。
たとえ映像技術がもっと発展しようと、Lシステム?(ごめんなさい設定詳しくない)に汚染された赤い世界、裏宇宙?でのシンジの記憶をたどり?ゲンドウと戦うハリボテ世界観、自作へのオマージュもふんだんにペンペンもでてきたり、戦闘後マリに回収される浜辺では絵コンテそのまま載せてたり
こういう遊びは完全無欠ファンタジーのジブリやディズニーにはできないし、初号機VS初号機の美麗さもアクションも、他の国のアニメではたどり着けない領域だと思います。
庵野監督とチーム、ジャパニメーションは世界に誇れます。
個人的には、いや綾波とアスカの扱い!
マリぽっとでで全部もってくやん!
いやアスカわい?
んで、最後の最後、緒方さんじゃないんかーい!涙
緒方さんなら大人なシンジくんも演じれたのでは。。
神木くんじゃなかったら許せませんよ。
かじさんの子供でてきてのはよかった。
ぶっちゃけラス前寝ちゃってミサトさんどうなったかわからん。
ストーリーはさておき、映像技術、効果編集、そしてやっと新劇場版の終劇を迎えられたことに星4つです。
やっぱQが戦犯ですね。
終劇
延期延期でしたが、公開ありがとうございました。結局、何回劇場に足を運んだかなぁ。そして、何度見ても『終劇』。伏線回収も大事な事ですが、やはりこれで終わりなんだ感、喪失感で一杯です。
『逃げちゃダメだ』シンジ君、やっと強くなりましたね。
レイ、初めての人間生活は新しい発見の連続でしたね。
好きが分かりづらいよ、アスカ。
守っているつもりが、守られていたとはね、カヲル君。
シンジ君を宜しく、マリ。
さようなら、ヱヴァンゲリオン😢
みんな言わないので敢えて言う
結局、使徒ってなんだったの?
あのインパクトって何?
カオルって使徒じゃないの?
わかる人がいたら教えて欲しい
ふーっ、やっと終わった、よかったよかった
って、なんだかみんな、誤魔化されてない?
呪縛からの解放
とりあえずこれで皆んな解き放たれたんじゃないでしょうか
妻を失った男の喪失感に端を発した、父と子のすれ違いによる壮大なる親子ゲンカにもケリが付き、息子の成長に気づいたということで良かったかなと
泣けた
テレビシリーズしか観てない状態でいそいそと行ってきた。
始終訳わかんない展開だったが、作画があまりにも綺麗でさすがアニメ大国ニッポン!と叫びたくなる美しさだった。
キャラクターのセリフ一つ一つを理解しようとすればするほど意味わからん感じになるので途中で諦めた。
親子モノにめっぽう弱い私はミサトさんの特攻シーンに号泣した。
そりゃないぜ。フラグは立ってたけども。テレビシリーズであんなケラケラしてる感じのミサトさんが親としてこれくらいしかできないと言いながら突っ込むなんて…という衝撃と戦争映画で観たカミカゼと被り号泣。
多分庵野の意図は違うと思うけど
最後の方でシンジくんをお母さんが抱きしめるようなシーンでまた号泣
静岡のリアルな風景が遠のいたところで宇多田ヒカル
これはね、スタンディングオベーションしたくなりますよ。
ファンじゃないけど
ファンじゃ無くても感動したもん
日本人だからしなかったけど
外されてしまったアンビリカルケーブルと、断ち切れないアスカへの思い
●映画を観てよかった
リアルタイムでアニメを視聴し、第1話を観た時の「新しい何かすごいのが来た!」という感覚は、今でも忘れられません。そして旧劇を劇場で観て、どえらいインパクトをたたきつけられたのが小学生の5、6年の時でした。そんな自分はエヴァと言えばアニメと旧劇で完結している人間でした。
なので新劇は、細かい設定が変わっているし、新キャラクターもいるしなんだかなと思って今まで避けてきました。しかしこの度、シンエヴァンゲリオンでついに完結するとのことで、「そういえばエヴァ好きだったし、完結は見届けなくちゃ」と思い直し、一連の作品を視聴しついに新たな完結に追いつくことができました。
結論から書くとシンエヴァンゲリオンは、一連のキャラクター達の救済と新たな門出を祝う良い作品だったと思います。そういう意味でも全体的に優しく前向きな印象を受けて観て良かったなと感じます。なによりこうして感想や考察を書きたくなるという点で、エヴァの世界観のすごさを改めて感じさせられます。
●新劇の世界観について
新劇の最高潮は「破」でした。アスカを3号機に乗せたところで、そうくるか~と思い、トウジは悲劇から救われ、アスカは旧劇での悲劇が前倒しにされました。そして最強の使徒はレイを取り込み巨大なレイになり、シンジはレイを救うために初号機を覚醒させる。旧劇のラストが再現されたことにより、旧劇のさらにその先をこの後描いてくれるのかと自分の気持ちは最高に盛り上がりました。
ところが「Q」で14年もの月日が経ち、ヴンダーが飛行しているのを観て、世界観が大きく変わってしまったとわかりショックでした。自分が好きだったリアリティが失われてしまったのです。人知を越えた力を持つエヴァを運用するためには巨大な施設や人員が必要です。なによりアンビリカルケーブルというへその緒、または足かせなしには3分しか動けない。といった弱点や制約がアニメにリアリティを与えるのだと思います。旧劇で2号機がアンビリカルケーブルを切断された後に、量産機と死闘を繰り広げる緊張感は凄まじいものでした。
それがQ以降のエヴァたちは、パイロットがみな使徒化していることもあるからなのか、アンビリカルケーブルなしに自由に動き回ります。それはまさしくアンビリカルケーブルという名の緊張の糸が切れてしまったようにも感じました。エヴァを動力とするヴンダーや、L結界を除去するシステムなどは、日本中の電力を使ったヤシマ作戦のリアリティからはほど遠く、ヴィレのメンバーもどこか別のアニメから連れてきたような人たちで、いわゆるアニメ的になってしまったのが残念な点でした。
サードインパクトが世界規模で起きたなら、旧劇のネルフ本部壊滅以上の悲劇があったと思いますし、第三村でもシンジのことを知っている、あるいは恨んでいる人がいて襲撃にあうぐらいがリアルな展開だと思います。しかし一貫して旧劇のような悲惨なシーンを出さないのは時代に合わせた演出なのかもしれません。むしろ今の年齢になって旧劇のような演出をされたら辛さに耐えられなかったと思います。事実、レイがLCLになるシーンでかなりドキッとした自分がいました。
●アスカについて
そんな自分は特にレイ派、アスカ派、マリ派でもなかったのですが、アスカ派の人が嘆いているのを知って、いやいやそんなことはないよと考察しているうちに、自分はこんなにもアスカ派だったのかと新たな発見があり驚かされました。そもそもシンエヴァンゲリオンはアスカへの思いをより一層強くする映画と言ってよいでしょう。以下はアスカ、シンジ、マリに対する考察です。
映画内でアスカがあたかもケンスケと親密そうに振る舞うのは、全てシンジへのあてつけで、やきもち妬かせたいからです。アスカは14年間も眠っていない。つまり14歳の少女のまま、シンジのことが好きである気持ちをそのまま持ち続けています。ケンスケはアスカが求めた父親の投影で、シンジにはレイ(母)が必要だったのと同じ構造。第三村を去るアスカの姿を撮影するケンスケは、娘をカメラで撮る父、ちびまる子ちゃんでいう、たまちゃんのお父さんそのものです。
マリは冬月先生以外にはアスカやシンジとの絡みばかりで、常に浮いた存在に感じました。それは新劇を終わらせるための進行役で、映画ポスターでマリだけが靴を脱いでいるのは、逸脱したトリックスターである暗示だと思います。同時にマリはシンジとアスカの間に立っているのが意味ありげです。そんなマリが「姫」と呼ぶのはアスカ。アスカは最後の出撃の時、「昔は好きだった、私が先に大人になった」と言います。素直ではないアスカの真意は「今でもかわらず好き」です。不器用ながらも気持ちを伝えたことで、最後の戦で命を賭けることができました。
アスカは思いを伝えますが、バカシンジはそれを言葉通りとって「僕もアスカが好きだった。ケンケンによろしく」といって送りだしてしまいます。その瞬間、マリが「姫、お達者で」と言うのはあきらかに皮肉。素直に気持ちを伝えないからだと言っているわけです。結果、アスカのプラグは第三村に到着しますが、そこには誰の姿も描かれていません。
●ラストシーン
正直自分は見逃していましたが、ホームにはアスカが一人でゲームをしていたといいます。つまり孤独を抱えたアスカのままです。素直じゃない「姫」の気持ちを見透かしているマリは、わざとシンジにくっつき「私がとっちゃうぞ」とアスカにけしかけます。これは最初に書いたシンジにヤキモチを妬かせたかったアスカと同じ行動です。家出したシンジを尾行していたアスカなら、記憶があるかないかは定かではありませんが、衝動的に後を追いかけるのは想像に難くありません。その意味でマリは二人の仲をとりもつ恋のキューピッドあるいは、仲をこじらせる小悪魔なのかもしれません。
旧劇ではあまりに不器用に気持ちを伝えたシンジですが、新劇ではレイのおかげで素直に気持ちを伝えることの大切さを学んだと思います。この先、二人の関係が進展するのか、ずっとお互いヤキモキしていくことが幸せであるのかは、我々にゆだねられたのだと思います。
テレビ版のラストで、エヴァの世界には想像の余地が最大限に提示されました。その意味では新劇も一つの可能性に過ぎないのかもしれません。しかし長年にわたり楽しめるエヴァシリーズの制作に尽力してこられた監督、スタッフ、全ての方々に感謝しかありません。
長文失礼いたしました。
これは映画なの?
観た後の放心状態と興奮が
すごくてしばらくというか
3日間くらい冷めなかった
エヴァってこんなにすごいんですね
それくらい自分の中では
すごいものを見てしまった感覚
こんな気持ちになった映画は初めてだし、
後にも先にも現れない気がする
漫画だけ観ててアニメは観てなかったけど
ラストにかけての畳み掛け?は
めちゃくちゃ感動しました
そこも回収してくれるんだ、、と
表現として観たことないものが沢山あり、
これでエヴァが終わるということが
伝わってきます
演出はエヴァらしく、他では絶対に観れません
また一つ一つは意味が分からなくどんどん
進んでいってしまいますが、
その混沌がエヴァの精神世界っぽく、
分からないのに
前に進みなよ、人を大事にするんだよ
というメッセージが伝わってきました
感動しすぎてしばらくは呪縛から
抜けられなさそうです、、
そしてシンジくん、おめでとう!!
本当に良かったね、、
母のような目線で応援していました
庵野監督にも拍手を送ります
この映画を作って頂きありがとうございました
沢山の人がこの映画に影響され、気持ちを
めちゃくちゃにされ、感動させると思います
よかった
みんな苦悩を乗り越えて大人になりましたね。
泣いて救えるのは自分だけだって言うシンジくんの言葉が刺さりました。辛い時は泣いちゃうけどね。
まごころを君にと比べるとやはりそれぞれの人物に注目し、後味の良い終結になったのではないでしょうか。
まごころは刺激的過ぎて色んな意味で置いてけぼり食らったけど、シンは鑑賞者に少し優しくしてくれた気がする(ありがとう庵野さん)
でもリアルとアニメーションが混在されてる表現は踏襲されてたね。
それにしてもゲンドウ君ユイにゾッコン過ぎん??ホントに人類巻き込み過ぎよ?ナルトのオビトとか、他に思い当たる奴いるけどね。でもそういうとことん不器用頑固一途なキャラ好き。
シンジ君も父ちゃんに似てマジでウジウジタイム長かった。終盤でいきなり大人になった表情見てビックリしたわ、違和感あり過ぎて夢かなって思った(思春期の鑑)
アスカもレイもマリもよく頑張ったね…やはり女性ツヨシ。アナザーインパクト含め数年分の女体を見た気がする。
取り敢えず長々書いたけど個人的にはいいラストでした。
「卒業であり、新たなる門出」
◎我々一人ひとりがエヴァンゲリオン
さようなら、全てのエヴァンゲリオン。
14歳の少年が放ったその言葉は、どこまでも清々しかった。
TVアニメが始まって25年。
新劇場版が公開されて14年。
そんな長い年月、社会現象を巻き起こしたエヴァンゲリオンというひとつのコンテンツに遂に終止符が打たれた。
このご時世、2度の公開延期を経て公開された今作は、、
そう、言うなれば
「パターン青、傑作です!」
全てのエヴァファン、そして大人になりきれない人達、そして、生命ある生きとし生けるものへの、アンサー映画であり、庵野監督がエヴァの呪縛からようやっと解放される特別な一本。
この映画を観終わって、凄く感じたのは
“我々人間一人ひとりが、エヴァンゲリオンだ”
ということ。
何を訳分からんことを仰って、と思うだろうが
要は、自己理解・自己確立といったところか。
私というエヴァンゲリオンには、私しか乗れない。
私の身体を動かせるのは、他の誰でもない、私だけ。
だからこそ、自分の道は自分で決めるべきだし、そのリスク・責任は当然自分で負うもの。
じゃないと、みんなエヴァでいう所のインフィニティのなり損ないになってしまう。
あなたは、何者でもないあなた。
流されるだけの自我無きモブ人間になってくれるな。
そんなことを言われてる気がした。
◎終焉で解放で。
庵野秀明が生み出したエヴァンゲリオンという作品は、瞬く間に人気を博し、そしてそれはのちに一つのビッグアイコンと化し、庵野秀明と言えば、誰もが口をそろえてエヴァンゲリオンというのが当たり前であり、絶対になっていた。しかしそれは、人気と同時に彼自身を苦しめる”呪縛”という形に変わっていった。
そんな自身の命を削りながら作り上げられた今作は、言うなれば全ての終焉と解放。
シリーズ通して感じるのは、14歳の主人公・碇シンジは庵野監督自身なんだろうということ。大人になり損ねた人庵野秀明と大人になることを拒む碇シンジは、まさにシンクロ率100%
だからこそ、シンジの父親であるゲンドウとも自然とシンクロする。
そんな碇シンジが、今作でようやっとH2Oの思い出がいっぱいのように、大人の階段に足を踏み出す。
彼が色んなことにピリオドを打つ姿は、庵野自身が呪縛という名の絡まった糸を一つ一つほどいていくようにも感じた。
そして鑑賞後には、絡まるものなど一切無く、清々しさまで覚えるほどだった。
どのシーンで止めてもWindowsの壁紙のように絵になるくらい、一瞬一瞬一コマ一コマにまでこだわってるビジュアルもさすがスタジオカラーだし、シンクロ率無限の宇多田ヒカルの主題歌も最高だし、いやーー、庵野監督、本当にお疲れ様でした。そして、また頑張ってください。
エヴァの呪縛とは、選ばれし運命の子供たちとは、謎は謎のままだが計画は阻止されたか…のか?
見事に完結。
公約どおり全てのエヴァを掃討した。
そして、イジケ少年は父親との直接対決によって遂にその成長を認めさせ、青年となった。神木隆之介というサプライズ(自分は知らなかった)まで。
…ああ、この最後の最後に青年碇シンジの姿を示すために、今まで長いイジイジ期間があったのかと、自分の洞察力の低さを痛感した。
父と息子の決戦から終劇までに見せる映像が、かつてテレビシリーズや旧劇場版では早すぎて不完全燃焼だったものを洗い替えて見せたかのようだ。
アニメーション表現の追求においても、そのベクトルにブレはなかったのだと感心しきり。
アスカの徹底的なスケベアングルや、レイ(そっくりさん)の無垢な少女演出などに見られる“オタクぶり”も同様だ。
マイナス宇宙だか何だかはつまりインナースペースだったのか、精神(魂?)世界で展開する対話による親子対決は宗教的だ。
スターチャイルドばりの巨大綾波ユイを見ると、やはり『2001年宇宙の旅』の影響はあると思う。
碇ゲンドウと冬月は綾波ユイを取り巻く三角関係だったのか、ユイを求める探求道は狂気的だ。ユイが神(のような存在)だったと明かされたが、ゲンドウと冬月がいかにして人あらざるものに変異したのか、ユイの子供であるシンジは結局何者だったのか…と、物語は混沌と混乱のまま大団円を向かえた気がする。
結局、謎解きのキーはばらまかれたが、それぞれの鍵穴を探すのは観客の宿題となった。自分はコアなファンではないので模範解答を示せないが、様々な人たちが模範解答を出し合う楽しさは、優れた「物語」の醍醐味でもある。
一見さんに気を遣うことなくマニアックなコアファンの想像をも越えている(コアじゃない自分が言って良いことではないが、多分、きっと、そうでしょ…)のは、正直アッパレだ。
少年シンジに惚れていたレイとアスカが同じような複製だったとすると、レイがそうであったようにアスカもシンジに惹かれるようにプログラミングされていたのだろうか?
エンディングシークエンスで、青年シンジが手をとったマリは大人だった。
この作品が、大成功をおさめた『シン・ゴジラ』と鋭意制作中の『シン・ウルトラマン』に挟まれていることにも意味があるだろう。
アニメーションの枠を越え、実写特撮を凌駕する驚愕のカメラワークと流麗な動作の迫力と美しさは、シリーズ集大成として燦然と映画史に足跡を刻むだろう。
ゴジラシリーズやウルトラマンシリーズへのオマージュも散りばめられていた。
個人的なことだが、アスカたちが戦いながら叫んでいる台詞、特にアバンタイトルのパリ上空でのバトルシーンなどで、何を叫んでいるのかさっぱり解らなかった。歳のせいにしたくはないが、動体視力ならぬ“動音聴力”が衰えているのだろう。
『シン・仮面ライダー』が楽しみ!
ありがとう、そして
ありがとう、全てのエヴァンゲリオン。
そして、さようなら全てのエヴァンゲリオン。
予想を超越する創造性に脱帽。
絶対に人工知能(AI)なんかには作り得ない、この世界観を味わえた事に感謝。
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