私のように美しい娘

劇場公開日:

私のように美しい娘

解説

フランスを代表する名匠フランソワ・トリュフォーがアメリカ人作家ヘンリー・ファレルの小説を原作に、男性社会に対する風刺的なまなざしを交えながら軽やかなタッチで描いた犯罪喜劇。社会学者スタニスラスは女性犯罪者の心理についての論文を執筆するため、殺人罪で服役中の女囚カミーユに取材することに。カミーユからその波乱万丈な半生について話を聞くうちに彼女にひかれていったスタニスラスは、カミーユの無実を証明するべく奔走するが……。男たちを手玉に取って生き抜いていく陽気で強かなヒロインを、トリュフォーの初期短編「あこがれ」のベルナデット・ラフォンが魅力たっぷりに演じる。

1971年製作/98分/G/フランス
原題:Une belle fille comme moi
配給:KADOKAWA
劇場公開日:2022年6月26日

その他の公開日:1974年10月15日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

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(C)1972 LES FILMS DU CARROSSE/ SIMAR / COLUMBIA FILMS

映画レビュー

2.0相当、翻案しちゃった?

2022年7月17日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:映画館

同時上映の『あこがれ』お目当てだったので、殆ど期待して無かったが、コメディとしては、まあまあ。
ベルナデット・ラフォンなら、もっと身も蓋もない露骨な爆笑セックスシーンも出来たと思うけど、まだ時代的に難しかった?

しかし『私のように美しい娘』って、一体全体誰にとっての”私のように美しい娘”?
そもそも”私”って誰?
原作のタイトル自体が、諺か何か?
たぶん原作を読まないと、わからんか…
まあ、あまり読む気もないけど。

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osmt

4.0トリュフォー作品の暫定マイ・ベスト1。バイタリティあふれる女性を描くときの彼は素晴らしい。

2022年7月14日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

これまでに観てきたトリュフォー作品のなかでは、実は『日曜日が待ち遠しい!』が一番好きだったりする。
おてんば女秘書がにわか探偵として活躍する、爽やかで躍動感のある佳品だが、しょうじきミステリー映画としての仕上がりはたいしたことない。
ただ、とにかくヒロインのファニー・アルダンが魅力的。それに尽きる。
彼女の溌剌とした魅力を全肯定する監督の若やいだ心のときめきが、テンポのいい演出とみずみずしい映像美によってフィルムにそのまま刻印されている。
観ていて、実に幸せな気持ちになれる映画なのだ。

一方で、コーネル・ウールリッチ(ウイリアム・アイリッシュ)原作の二作、『黒衣の花嫁』と『暗くなるまでこの恋を』は、僕からすると、あまり芳しい出来だとは思えない。
たしかに、敬愛するヒッチコック流の映像ギミックを駆使してサスペンスの醸成にはげんではいるのだが、どうも勘所がズレているのか、こちらのミステリーマインドをくすぐってこない。
しかも、トリュフォーはこの二作で、原作の本質すら回避している。
ウールリッチのキモは、同性愛者でマザコンでもあった彼の、フェミニンな女性に対する徹底的な嫌悪とサディズムにこそある。彼の呈示する「悪女」の魅力と神秘性は、ヒロインを地獄に叩き落とすラストの衝撃を強めるための、単なる「前振り」に過ぎない。
ところが、トリュフォーは、肝心のラストでヒロインに何某かの救済を与えてしまうのだ。原作において「堕ちた」ヒロインが味わう、真っ暗闇の虚無と慟哭を、トリュフォーは回避してしまう。必然性のあるエンディングを改変された骨抜きの悪女物語は、結果的に彼にとっても誇り得る作品とはなっていない。

やはり、トリュフォーは「女性を全肯定」しているときの映画が、一番良い。
悪女ものであっても、ハンパに女性の悪意と情念を描き込むより、全振りで「ヒロイン賛美」に徹しているほうが、断然「彼らしい」。
ヒロインに感応し、愛しぬいてこその、トリュフォーだからだ。

で、この『私のように美しい娘』である。
いやあ。なんて、楽しい映画だろうか。
僕のなかでは、トリュフォー史上、最長不倒で面白かった。
『日曜日が待ち遠しい!』を抜いて、私的トリュフォーのベスト1更新である。

この特集上映で『家庭』を観たとき、そのあまりに微妙な仕上がりに、トリュフォーはそもそも喜劇には向いていないのではないか、と思った。
撤回する。『私のように美しい娘』は、喜劇として絶品の仕上がりである。
結局『家庭』のほうは、「アントワーヌ・ドワネル」ものとしてのシリーズの縛りが強すぎて、笑いに振り切れなかったこともあるだろうし、変にアントワーヌの肩をもつような作りにしたせいで、空回りしてしまったのかもしれない。
『私のように美しい娘』はそのへん、吹っ切れたようなテイストで「ギャグ」と「スラップスティック」に徹しているし、台詞回しも良い感じにオーバーでコミカルだし、テンポ感も抜群に良い。
「悪女もの」の系譜には属するけれど、ヒロインを見る眼差しに、『日曜日が待ち遠しい!』とおなじ「あこがれ」と「賛美」があふれている。だから、抜群に楽しい。

『私のように美しい娘』は、トリュフォーが「女性を愛する」という自分の本質に素直に従った、「衒いのない」作品だ。
女性の「業」や「身勝手さ」や「あざとさ」、「小狡さ」、そのすべてをまるっと全肯定する一方で、犠牲となる男たちを徹底してカリカチュアライズして笑いのめしている。
いわば『黒衣の花嫁』のコメディ版だ。

とにかく、ベルナデット・ラフォンがすばらしい。
圧倒的なバイタリティと、あけすけな肉体性。
明らかに悪い女なのに、キュートでコケティッシュだ。
トリュフォーはヘンリー・ファレルによる原作を読んだとき、腹を抱えて大笑いしながら、小説のヒロインとベルナデット・ラフォンのイメージが二重写しになって浮かんできたという。
それくらいラフォンは、ゴダールの『勝手にしやがれ』のジーン・セバーグ同様、ラフォンその人であるかのように映画のなかでカミーユ役を生き生きと生き抜いている。
助演陣ではなんといっても、シャルル・デネルの害虫駆除業者がぶっ飛んでてスパイシー。
アスペっぽい変人がノンストップで異常性愛者へと開花・加速していく様は、笑いと涙なしには見られない。

物語としては、「信用できない語り手」としてのカミーユが、自らの過去を回想してゆく構造が、ある種の緊迫感(どこまでが本当でどこからがホラ話かよくわからない)を生んでいる。
男たちの誰もがカミーユを良いように「利用している」つもりで、その実「利用されている」わけだが、意外にカミーユはあるがままにふるまっているだけで、妙な策略などはもちいていない。
彼女の率直さと結果としての狡猾さの対比が、ストーリーに複雑な味わいを与えている。

興行は当たらず、トリュフォー自身は本作を失敗作呼ばわりしているようだが、
今の人が観たら、大半の観客は面白いっていうんじゃないでしょうか。
ぜひみなさんも機会を見て鑑賞してみてほしい。

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じゃい

2.0恋の渦。

2014年10月21日
iPhoneアプリから投稿
鑑賞方法:映画館

寝られる

所詮、男より女の方が一枚も二枚も上手、という経験則を地でいく展開。
渦中に巻き込まれ、翻弄され、多くのものを失い。

他者の過ちは気づいても、自分自身のこととなると話は別。男性の方が観ていて自己を投影しやすい作品かもしれませんね。

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Nori