炎628

劇場公開日:1987年10月30日

解説

第2次大戦を背景に白ロシアのハトィニ村の人々の悲惨な運命を描く。監督・脚本は「ロマノフ王朝の最期」のエレム・クリモフ、共同執筆はアレクサンダー・アダモーヴィチ、撮影はアレクセイ・ロジオーノフ、音楽はオレーグ・ヤンチェンコ、美術はヴィクトル・ペトロフが担当。出演はアリョーシャ・クラフチェンコ、オリガ・ミローノワほか。

1985年製作/ソ連
原題または英題:Come and See
配給:松竹富士クラシック=松竹富士
劇場公開日:1987年10月30日

あらすじ

1943年、ドイツ軍に占領されていた小さな村。村の少年たちが砂山を掘り返していた。その少年の一人フリョーラ(アリョーシャ・クラフチェンコ)は、パルチザン部隊に加わった。ひとたびパルチザンに入ると、二度と家族には会えない。パルチザンのキャンプのある深い森。そこでの生活は少年には苛酷だった。人間的な感情は押し殺さなくては生きていけない。そんな時、彼の前に、隊長に思いを寄せる金髪の娘グラーシャ(オリガ・ミローノフ)が現われる。グラーシャは、フリョーラに対して、時には歳上のように、母のように、時には無邪気な少女のようにふるまった。本隊が作戦に出発した後、キャンプには病人と新人であるフリョーラとグラーシャだけが残された。そこに突然ファシスト降下部隊が姿を現わし、2人は森の中で身を寄せあって身を潜めた。母や妹たちのいる家にグラーシャをつれて行こうと彼女を引っぱって行ったフリョーラは、美しい村が、無惨な屍の山と化しているのを見て茫然とした。母も妹たちもみな……、ただ一人生き残った村長のユスチン(カジミール・ラベッキー)から、子供がパルチザンに加わったことから皆殺しにあったと聞かされフリョーラはけいれんした。やがて、ドイツ軍を乗せたトラックが進撃してきた。彼らは周囲を遮断してペルホード村にいる女や子供を一ヵ所に集め、大きな納屋に押し込めてガソリンをまき火を放ったのだ。奇跡的に死を免れたフリョーラは、その光景を目のあたりにして老人のように深いシワを顔にきざんだ。ドイツ軍の後を追うフリョーラ。パルチザン部隊がファシストを待ちぶせ、虐殺した張本人たちを捕えた。フリョーラはその前に歩み寄り銃をかまえるのだった。

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映画レビュー

4.5Atrocity in Eastern Europe

2025年2月27日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

悲しい

Three decades before 1917, Come and See was another film that explored the horrors of war through the lens of one ordinary day. Set during World War II, the story follows Flyora, a bold young boy who, while digging up rifles, is conscripted into the local militia. The film immerses us in his journey as we confront his look of terror while he witnesses his village burned to the ground and his neighbors massacred.

With episodes of violence and conflict continuing to occur in parts of the former Soviet Union, it’s no wonder that historical trauma contributes to Russia’s complex relationship with the West today.

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Dan Knighton

3.5ソ連の恨み

2025年8月20日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

悲しい

怖い

 1943年、白ロシア(現在のベラルーシ)。土の中から銃を掘り出し、パルチザン部隊に参加したフリョーラ少年。部隊は、彼と少女グラーシャらを残し行軍に出発。二人は敵の攻撃から逃げ、戦場を彷徨う。フリョーラがたどり着いた村で。
 戦争の狂気を描いたソ連の作品。爆弾、弾薬、火器などは、今まで見たことがないようなくらい真に迫っていて、実物が使用されているのではないかと思いました。そして、たぶん牛の演出も。
 628は、ナチスに住民ごと焼かれた村の数。ソ連人のナチスへの恨みは、相当であったのが想像にかたくないです。またユダヤ人大量虐殺は世界中で知られているけれど、ソ連人がこれだけ虐殺されていたことはあまり知られていないのではないでしょうか。ソ連の人々にとって、それも歯がゆい思いだった、とこの作品が訴えかけているように感じました。しかし、現代のユダヤ人とロシア人の指導者は戦後生まれで。

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sironabe

4.5永遠に脳に刻まれる

2025年2月20日
PCから投稿

加害者は忘れる
被害者は永遠に覚えている

映画評論家でもある高橋ヨシキさんがこの映画のラストについて「ヒトラーが子供の時に、あなたはその子供を殺せるのか?」という意味が込められていると語っていました。

この映画の最大の宿題です。

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みる

4.5戦争映画というよりも人間の本質映画

2024年10月21日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

本作も凄い作品という噂だけ聞いていたので、自分の中の“宿題作品”の1本になっていましたが、手頃な価格でオークションされていたのでやっと購入出来ました。

見終わってとにかく凄まじい作品だったので、暫く興奮状態から抜け出せずにいました。
戦争映画というカテゴリーの作品は今までにも多くの傑作と呼ばれる作品を見て来て、その都度衝撃を受けて来て、たまたまですが今月の初めに『シビル・ウォー/アメリカ最後の日』という作品を見ても同種の衝撃を受けたばかりでしたが、架空の物語と実話を基にした作品との差なのかどうかは分かりませんが『シビル・ウォー~』を見た直ぐ後でも、本作の衝撃力は凄まじく遥かに凌駕していた様に感じられました。

表現しているモノは同じで、どちらも人間の元々持っている残虐性であり、理由さへあればそれが簡単に発動することに対する糾弾であるのですが、これは現代の戦争映画における世界の統一的アプローチではあるのですが、私が本作に対して他の同類作品以上に衝撃を受けたのは、恐らく画面から殺された者たちの恨みや呪いまで感じとってしまったからかも知れません。
今までの多くの戦争映画では、もっと冷静に俯瞰した目線で戦争を捉えていた様に感じていたのですが、本作の場合はダイレクトに主人公フリョーラの心情を観客に伝える追体験的な手法で撮影され、それがこの衝撃の強さの大きな要因の様な気がしました。

但し、ラストでの彼が少年から一気に老人の様な様相となりヒトラーの肖像画を撃ち続けるシーンで、ヒトラーの人生を逆戻しした画面で最後の少年時代の写真で撃てなくなるのは、その前のドイツ軍の残虐行為の「子供から根絶やしにしろ」という台詞に対する抵抗であり希望でもあるように思われたのだが、その後のシーンでまたパルチザン部隊に加わり復讐の連鎖が始まるという結末に、観客は再び人間の救いのなさを突き付けられるのです。
更に言うと、本作が作られたのが1985年で約40年前の出来事を語り、私が見た製作から約40年後の今はロシアとウクライナがまた同じ悲劇を繰り返しているという事実があり、40年という歳月はほぼ世代が交代する時期であり、親世代の悲劇を一時的には冷静に眺められても、また世代が変わると繰り返し同じ悲劇が現実化するという、この成長しない人間のループを断ち切ることが出来ず、世界平和などはお伽話の様であり永遠に果たせない夢物語なのだろうと思わされる作品でした。

追記.
鑑賞後にYou tubeで本作を検索すると、字幕なし版でしたが恐らくデジタルリマスター版が配信されていました。
冒頭だけ見ると私の購入したDVDより画面は遥かにクリアで綺麗でしたが、私の購入したDVDはフィルム傷や脱色は修正されていたがフィルムの荒い粒子のザラついた質感で、個人的な好みからすると年代的にも作品的にもDVD版の方が好きでした。だからマニアは両方欲しがるのでしょうね。

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シューテツ